『建築雑誌』編集長日誌 布野修司
2002年2月
大反響 !?
そして、真摯な批判
もろもろ原稿募集中!
2002年2月1日
A:昨日 建築雑誌1月号が送られてきました。紙面も(杉浦康平の紙面構成術に似ていて)ずいぶん読みやすくなっていました。1月号のテーマもタイムリーです。そしてなにより、新しい息吹に満ちあふれていて、とても新鮮でした。編集長の抱負も、新しいものを生み出す意欲が全体から香っています。今後大いに期待しています。
B:びっくりしました! 編集者が変わるとこんなにも違うものかと、本当に本当にびっくりしました!!三十数年購読してきた「建築雑誌」での最も歴史的な出来事!美しく見やすく読みやすい!これなら今までなら読まなかった記事も読む気にさせる!こちらまで誇らしい気分になりました!!
C:ところで、ところで、『建築雑誌』1月号みましたが、・・・・ 誌面デザインをもういちど考えなおしたほうがいいのではありませんか???フルカラーは結構ですが、もう一つ渋く上品にならないものか?特集部分と連載部分にデザイン上のめりはりがないのも気になります。
D:表紙の紙質がやわらかいものになったことを、親しみやすく感じます。編集委員が関与しない広告やページがたくさんあることに驚きました。65ページ以降が多すぎると思います。字が細かくて読みにくいと思います。
早速、いくつかの反響が届いた。装幀については概ね好評のようだ。もちろん、Cのようにいくつか注文もある。可能なことであれば微調整していくことになろう。
問題は内容である。
今回の編集方針のひとつの柱として、できるだけわかりやすく!ということがある。その一環として、専門用語などに紙面の許す限り註をつけようという、ということになった。編集委員の手間はかかるが、読者には親切であろうと、異論はない。
しかし、そこでまず問題が明らかになった。註は編集委員会の手になるが、あたかも筆者によるもののように受け取られて困る、というクレームが執筆者から早速寄せられたのである。註といえども、そこに一定の評価が入り、価値判断がなされる。署名入りが原則であるが、そこまで注意が至らなかった。早くもお詫びの書状を書く羽目になった。主旨は「注は編集委員会が作成したものであり、主観的記述についてはあくまで編集委員会の主観であり、執筆者個人とは関係ない」ということである。編集長はいろいろやることがある。
問題となったのは、「建設産業の再編促進案」の評価である。
評価の根拠になった参考記事を挙げておこう。
岐路に立つ業行政、検証再編促進策<上>: 掲載日:2000/10/05
日刊建設工業新聞
2日に開かれた中央建設業審議会(中建審、建設相の諮問機関)に、建設省が「建設産業の再編促進案」を提出した。「自己責任」や「淘汰(とうた)の時代」を強調してゼネコンの経営革新を迫った昨年の「建設産業再生プログラム」の発表から、わずか1年と数カ月。促進案を再び打ち出さざるを得なかったところに、再編が遅々として進まない業界の現状が図らずも露呈している。新しい促進案で今度は本当に再編が進むのかどうか、その効果を検証した。
「経営状況の改善が遅れている企業に保護的なスタンスとなっているのではないかという批判が根強い」 建設省が提出した「建設産業の再編の促進について」(案)と題する資料はA4判4ページ。その一枚目、新たな再編促進策の必要性を説く中で同省は、「保護行政」から建設省が依然として抜け切れていない、との批判があることをはっきりと認めた。
建設産業再生プログラムが発表されたのは昨年7月。同プログラムは、ゼネコンが進むべき方向として「選択と集中」による競争力の強化、そのための経営形態の革新をうたい、行政側はこれを後押しする競争的市場環境の整備に取り組むと宣言した。自己責任と自助努力、さらには「優勝劣敗」や「淘汰」にまで言及したプログラムは、建設省が「護送船団方式」からの脱却と大幅な規制緩和へ大きくかじを切るものとして、関係業界から驚きと期待をもって迎えられた。
それから1年3カ月。2日の中建審で同省の風岡典之建設経済局長は「(再生プロ策定以降も)現実には状況が変わっていない。マーケットが自動的に解決するという見方もあるだろうが、何か不足しているものがあるのではないか」と述べた。だが正確に言えば、変わっていないのは行政側も同じだ。
再生プログラムは行政が実施する施策として計20項目を打ち出し、うち8項目は早急に実現を目指す施策に分類した。ところが、この1年3カ月で実際に具体化した施策はごくわずかだ。中でも、経営事項審査へのグループ評価の導入(グループ経審)、特定建設業の許可基準強化など「目玉施策」と目されたものがいまだ実現に至っていない。特にグループ経審は、業界との調整が難航。当初案を大幅に縮小した見直し案が今回、中建審にようやく提示された。
「我々の業界で合併や提携が進まない最大の原因は、垣根があること。垣根を取らなければ、絶対に再編は起きない」
日本建設業団体連合会の前田又兵衞会長は中建審で、銀行と証券、保険の相互参入規制撤廃を例に取り、金融機関の再編と建設業界の再編の違いが「垣根」の有無にあると指摘した。前田会長は、設計・施工の分離など公共工事の入札・契約に関する規制も再編を妨げる「垣根」に挙げた。
だが金融機関との違いは「垣根」だけではない。まず、金融機関が外資との激しい競争にさらされている点は建設業界を取り巻く環境との大きな違いだろう。もう一つ決定的に異なるのは、政府が取り組んできた一連の金融システム改革が、そのプランとスケジュールを明確に示していることだ。金融機関はこれに従って、いや応なく再編と経営革新を迫られている。
建設省は、昨年の再生プログラムでも今回の再編促進案でも、具体策は列挙したものの、実施期限を明示しなかった。対外競争の少ない業界環境と「調整型」行政が続くとすれば、新しい再編促進策の実効性にも疑問符が付きかねない。
2002年2月6日
夕刻より4月号特集「気候変動と建築」、巻頭鼎談「京都議定書は建築をどう変えるか(仮)」に出席、司会。
昨日は、神戸大学に呼ばれて学位論文の審査。北京内城の街区割りに関する論文で、なかなか楽しい議論ができた。その余韻の中で上京、新幹線の友は妹尾達彦『長安の都市計画』。五月号特集にも関係するし、専門的にも必読の書だ。
妹尾さんの話は研究会で一度聞いたことがあるけれど、長安が、ちょうど平安京と同じように、右京が廃れ左京に重心が移っていったという報告が面白かった。今度の本は小著だけれど長安研究の集大成の感がある。そして何よりも、バクダッド、イスタンブール、長安の同時代の三都を同一視野に納めるグローバルな都市文明論の展開がある。
学会に行くと専務理事(事務局長)から「ありがとうございました」と深々と頭を下げられる。一瞬きょとん!としたが、「随分読みやすくなった」ということであった。学会事務局周辺ではまあまあの評判らしい。そもそもカラー化の言い出しっぺは専務理事だから、不満だったら元も子もない。内心ほっとする。
座談会は18:00からの予定だったけれど、その前に鈴木一誌さんと小野寺、片寄さんを含めて反省会。スタッフの藤田さんも加わる。僕の指摘は、座談会の頁と特集扉がやや違和感があるということと、後の会告の頁に空きが目立つこと、くらいである。後は鈴木さんのデザイナーとしての主体性に委ねるのみ、というのが基本スタンスだ。
鈴木さんからは、
・ 急遽カラー化となったので1月号ではカラーが十分生きていない。
・
工程を早く安定させたい。4月号ぐらいでもう一度全体を見直したい。特に表を考えたい。
・
レイアウトに際して拠り所となるコメントが欲しい。
・
図が続くと紙面が似てくるので写真を入れたい。
・
各号の各項目の位置づけが知りたい。目玉は何か。
ということであった。急にカラー化が決まったので随分と大変だったことを改めて認識する。いくつかの注文については、号を重ねる中で少しずつ調整してもらうことにする。もう少し、書き手に何を強調したいか、はっきりしてくれ!という鈴木さんから要望も当然である。編集委員としては書き手に要求することになる。緊張感がいいものをつくる前提である。
座談会については伊加賀さんにお任せで大船に乗った気分で参加したのであるが、なんとなくずっと司会する羽目になった。伊加賀さんは仕掛け人として実に巧い。一流である。
メイン・ゲストは、森嶌昭夫(財)地球環境戦略研究機関理事長、中央環境審議会会長。ホスト役は、尾島俊雄早稲田大学教授/元日本建築学会会長と村上周三慶應義塾大学教授/日本建築学会副会長/地球環境委員会委員長。超豪華な布陣である。聞き手として伊加賀さんの他石田泰一郎幹事が加わった。
鼎談進行伊加賀メモは以下のようであった。
(1)京都議定書発効までの道程と日本の進むべき道
・COP3 からCOP7 に至る交渉過程(森嶌先生)
・米国の離脱問題と発展途上国問題(森嶌先生)
・法規制強化、京都メカニズム(排出量取引など)(森嶌先生)
(2)京都議定書をめぐる建築界の対応
・建築学会声明1997.12「LCCO230%削減、耐用年数3 倍延伸」(尾島先生)
・国土交通省社会資本整備審議会答申2002.01.31(村上先生)
(3)アジアの持続可能な都市発展と京都議定書
・IGES:アジアの巨大都市環境管理プロジェクト(森嶌先生)
・未来開拓学術研究:木造型と鉄鋼造型の完全リサイクル住宅(尾島先生)
・未来開拓学術研究:東京・ハノイのポーラス型高密度居住区モデル(村上先生)
(4)建築主の意識はどう変わりつつあるのか
・IGES研究施設新築に際しての設計者への注文(森嶌先生)
・建築主・テナントでもある企業における環境経営の定着(森嶌先生)
・住宅および建築物の環境性能表示と建築資産評価(村上先生)
(5)建築教育はどう変わるべきか(学会の役割)
・企業と環境、子供たちの環境教育と建築との接点(森嶌先生)
・学術・技術・芸術を統合した建築教育の今後(尾島先生)
・地球環境・建築憲章2000.06 と「シリーズ地球環境建築」教科書の出版(村上先生)
座談会というのは、まあ予定通りに行くものではない、と思っていたけれど、なんとなく伊加賀メモ通りに進んだように思う。さすがの読みである。森嶌先生の視野の広さに感嘆。乞うご期待。
先生方をお送りした後、伊加賀、石田両委員、そして、他の委員会担当で座談会に出席できなかった事務局の小野寺さんと軽く打ち上げ。小野寺さんは経費削減で学会事務局も大変なのだという。しかしそれにしても、37000部の雑誌にたった二人の編集部員というのはあんまりだ。繰り返し書くけど、最低二人ぐらい増やして欲しい。これは編集事務局の発言では断じてない。心底そう思うのである。学会全体で委員会の数を減らすべきだ。これは一理事としての本音である。頁数削減もやむを得ないけれど、学会改革も必要ではないか。とつい口がすべるが、話題は『建築雑誌』をどうするかである。伊加賀、石田両委員と分かれ、会告の隙間をどうするか、ということを話ながら小野寺さんと二人だけ新宿で降りる。用語集・悪魔の建築辞典はどうか、住み手の愚痴、建築家のぼやき、辛口の建築批評を書き貯めておいて埋めるのはどうか、建築に俳句を募集して入れ込むのはどうか、・・・「これがまあ終の住処か雪五尺」(小林一茶)、「月指して一間の家でありにけり」(村上鬼丈)なんていいじゃない、などとマスターに言われながら、・・・議論は延々続いて夜が更けたのであった。
2002年2月7日
建築学会賞作品賞委員会に13:00から出席。同時刻に5月号特集「都市と都市以前-アジア古代の集住構造-」(仮)「座談会:都市の起源 東アジア・東南アジア地域」が開催。出席者は、岡村秀典(京大人文科学研究所/中国考古学)、岩永省三(九州大学総合研究博物館/弥生考古学、古代都城史)、山田昌久(東京都立大学/縄文集落論、木製品・建築部材の考古学)、応地利明(滋賀県立大学/南アジア地域研究)で浅川先生が司会をつとめる。浅川先生から「2月7日もおもしろくなるだろう、とわくわくしています。中国に関しては、岡村くんと小生がいるので、なんら問題なし。応地先生には南アジアに集中していただき、その上で中国と比較するようにしたいと思います。」などとメールをもらっていたし、出席したかったのであるがどうしようもない。冒頭挨拶だけして作品賞委員会に集中。作品賞委員会はいささかもめたけれど決裂するほどではなく18:00前には終わった。
打上げ会へ行く前に、編集部を覗くと、座談会もついさっき終わったとか。随分長丁場の座談会であった、さぞや盛り上がったのだろう、と思う。下で打ち上げているから寄ってください、ということなので先に顔を出した。座談会には、山根、青井の両編集委員も参加。議論はなんとなく続行中。作品賞委員会の打上げはキャンセルして加わることにする。というかキャンセルする間もなく議論に拉致されてしまった。
新幹線で関西へ帰る応地、岡村、山根、青井、布野で楽しく議論しながら帰る。
気になったのはいつもはしゃぎまくる浅川先生がブスッとしていること。どうやら彼の思う通りには進まなかったようだ。察するに応地先生がしゃべりすぎたらしい。座談会は生に限る。
2002年2月8日
ロンドンからR.ホーム来日。15日まで滞在の予定。R.ホームは、東ロンドン大学の先生で専門は都市計画、土地管理で『国際計画史学会』の主要メンバーである。その著“Of Planting and Planning”を昨年日本で翻訳出版(『植えつけられた都市』、京都大学学術出版会)した縁と植民都市研究の一環として招いた。
事務局から編集委員全員にメールが回ってくる。会誌窓口、kaishi@aij.or.jpへの投稿である。最初のすばやい反応だ。正直うれしい。
ところが読み出すと、冒頭に、特集は「詐欺」ではないか、とある。いささか穏やかでない。身構えながらとにかくざっと読む。極めて真摯な批評である、と思う。早速、事務局に、本人へ返答、ホーム・ページ掲載、本誌に掲載の可能性の検討を指示する。
以下全文である。
布野修司 建築学会「建築雑誌」編集長 殿
一学会員が、直接かつ突然に不躾かつ無礼なメールをお送りすることをお許しください。
建築雑誌1月号(Vol117,No1482)特集への感想
建築雑誌今月号の表紙を見て、建築業界で禄を食む身にとって、この特集の表題はいやが上でも目に飛び込んで来ました。大きな期待を持って読み始めましたが、その期待は大きく裏切られました。表題と内容のあまりの乖離に!裏切られたと言うより、これは「詐欺」ではないのでしょうか?
この特集「建築業界に未来はあるのか」は、これはそのまま「この特集に内容はあるのか」という問いかけを編集局並びに執筆者にお返したい。
悲観的、あるいは楽観的ということはさておいて、端的に言えば未来についての記述が全くない。
建設業界に身をおく読者にとっては、建設業会の現状を憂え、真摯に将来を考えているだけに、大きな期待をもって瞬時に読了したが、そこに書かれていることは、ただ過去の事象を羅列したり、過去や現状を分析したり、あるいは論評したりして、「建築の今」を憂えて見せるだけで、未来に関する洞察、未来への予見あるいはあるべき姿についての論述は全くないといっていい。「未来はあるのか」「ないのか」の結論も書かれていません。ただ執筆者各自が勝手に言いたいことを記述しただけ。
マー、学識者として色々と学術的能書きは述べたから、後は読者で未来は想像しろ、ということでしょうか。
これが「特集」といえるのでしょうか?
一体この特集は何を言わんとしたのか、何を訴えようとしたのでしょうか?
読み終えて落胆したところで、ふと表紙のよく見たら、グラフの変化はやはり2000年あたりでプッツリ切れていて、その後の予想は何も描かれていない。そうか!建築業には未来はないのか?
未来を語る特集だけに「将来」という単語にどうしても目が向きますがが、この特集で記述されている単語「将来」は、はるか昔を基点(1980)とした「将来」(2000)であって、何のことはないその内容は現在を語っているに過ぎないということが分かりました。
以下、各記事について
反省ばかりの文章が目につきますが、野城氏の「国内の新築市場が縮小してゆくという現実を直視しなければならない」という表現と、「建築の仕組みや商習慣そのものを変えなければならない」という、技術業である「建築ものつくり産業」を「サービス産業」に定義変えする記述が唯一「将来の雰囲気」を語っている?
John Dickison氏の言わんとする内容は、下河辺氏の「国際化、地球化といって普遍的なものへの指向が強く、日本の伝統こそ普遍性があるという哲学が抜けてしまった」(p20)という意見と真っ向から対立する考え方だけに面白い。
脇田氏が語るように、企業として「相手がつぶれるのを待ち、優秀な技術者をそこから拾ってきて自社の技術力を高めるというやり方がふさわしい」という認識は、少々乱暴との謗りは避けられないものの正直で端末的な審判ではあるが、現実的ではないし、ましてこのようなことをやっていたらポジティブで明るい産業の未来は約束されない。
菊岡氏は過去の歴史のみの記述、枚数が尽きても少しは未来を語っていただきたかった。
平野氏はやはり国家の官僚という立場からか、「建築生産システムの将来像」の中での建築産業政策の役割をどう位置づけるかの視点を気にしているだけで、国家政策として建築産業を将来どう再編成し、あるいはどう育成してゆくかの論述がないのは、やはり枚数が尽きたとはいえ寂しい。
斎藤氏の記事は、比較産業論として一つの見方であろう。少し参考になりました。
伊藤氏の分析?ただ集計しただけの報告は、一体何を言わんとするのかよく理解できない。集計分析の軸を変えたのはどうしてか?変えることによって何が見えてきたのか、がさっぱり分からない。
松村氏の発言、「大学等の研究者は、自らの研究成果が産業構造上の取りまとめ役に影響を及ぼし得るように目論んでおけば概ね事足りた」というのは誠に正直な告白で感心しました。確かに一昔前までは、こういう悪乗りが多かった。しかしこの論文にも明るい未来はありませんでした。
古坂氏は正直に、「未来を論じるよりも「今何をなすべきか」を論じ、そのなかに未来が垣間見えればよしとせざるを得ない」と正直に述べられているので未来論としては論外。土肥氏は建設の未来には全く関係のない社会正義派の論述で感想の述べようがない。ただ一言、健康で健全な精神を持ち苛酷な痛勤と労働に耐えてやっと手に入れたわずかな所得から税金を取られる人と、身障など種々の理由で働かなくても福祉上手厚く守られる人々との社会的処遇におけるバランスが気になります。
岩松、遠藤両氏のデータ集は、全てのグラフが2001か2002年までで切れた図柄で、演繹的あるいは帰納的にでも未来に向かって全く線が伸びていないので論評は省略。
唯一、元建設省次官の下川辺氏と日建連会長の平島氏との対談に、「未来の香り」が少しする程度。下川辺氏の冷めた目とご老人特有の頑迷さが滲み出た突飛な意見に対して、日建連会長がたじたじと受け答えに窮している様子はご愛嬌と理解するとして、下川辺氏の指摘や意見は突拍子のような響きを伴うものの所々いい線を語っているように思える。が、それでも未来に対してアクティブで具体的な絵を描いているのではない。
建築学会は確か昨年に、「建築市場、建築産業が置かれた状況は大変厳しい」という認識で、建設投資規模がさらに縮小してゆくことが予想される中で、市場動向や建築・住宅産業のあり方を学術的なアプローチで研究するプロジェクトを立ち上げると発表しました。
このプロジェクトのために、・将来の建築需要予測と新たな建築需要、・良質で安価な建築物を提供する産業の仕組み(材料費、労務費、研究開発費)、・働く人がやりがいのある仕事が出来る産業の仕組み、・建築における学術、技術の進歩を促進する仕組み、・社会・経済の変革に対応して建築産業が何をするべきか、の各種委員会を立ち上げるとありました。
今回の特集は、この「将来の建築需要予測と新たな建築需要」委員会の問題意識の発表あるいは展望の表明かと最初は勘違いしました。
また教育の面では、新築だけの技術を教える教育のあり方、産業界では当り前で必須の道具であるIT利用技術についてもその教育の不足を認識し、教育の面での改革もすすめると聞きました。
建築学会という学識者が比較多数を占める団体として、その本音がたとえ建築産業の低迷による建築への魅力の衰退と将来の少子化との相乗作用の結果もたらされる建築を学びたいと希望する学生数の減少に対して、大学の経営に非常な危機感を持つ教育界の危惧に直結しているとしても、先人が蓄積してきた技術や技能あるいは伝統を継承してゆかなければならないこと、一方で産業としては500万人以上の雇用を凌いでいる現状があり、また将来より良い国土の建設あるいは公共財としての社会資本整備の重要な役割を担わなければならない産業として、真摯にその将来を議論すべきだと思います。
今、(個人的な意見ですが)建設業として真に問題なのは、適正な業者数の問題、コスト(あるいはプライス)の問題、生産性の向上の問題と大きく三つあります。特に、コストに関しては、本当のコストは何か、適正値(の範囲)はいくらかということは、学界や研究機関でもまた業界でも(業界では無理か)真剣に徹底的に研究や議論されたことはなく、相場という摩訶不思議な商慣習の流れに流されて曖昧模糊のまま、かつての皇宮1円入札事件などのような事態や談合ということが起こってしまいます。ちなみに、重量当たりのプライスの比較で言いますと、建築の実態は下記の位置にあります。
プライス 円/Ton
・トウモロコシ 2万3,000円(シカゴ先物230円/Kg)
・ダム 6万1,500
・建物 20万
・船舶 200万
・自動車 350万
・カメラ、旅客機 1億円
・時計 5億
・金 10億 (1,025円/g:7/5)
・麻薬 20億 (2,000円/g???)
・ジェットエンジン 28億
・DRAM 100億 (パソコン用CPU、メモリー)
・着物(加賀友禅) 100億 (100万円/1着1Kgで換算)
・コンタクトレンズ 200億 (20,000円/g)原価12円
如何に建築の付加価値が低いか。低いだけに、しかし社会的な存在が大きいだけに、また長寿命化のためにも真剣にこのコストを見極めるべきでしょう。現状の低価格押し付けの建築は、長持ちしない廃棄物を作っているに等しい。特に安い公共建築は、官、学、民の三者共犯ではないだろうか?
最後に、上げ足をとるような話になって申し訳ありませんが、民間企業で禄を食む身として一言言わせていただきます。
「企業としての盛衰は産業において不可避であり、また企業淘汰は産業の活性化に繋がる。しかし、そこで働く人々にこの企業盛衰の理論を摘要してはならない」と言う嘉納氏のご意見には全く賛成します。が、深読みすると「大学の盛衰は大学教育界において不可避であり、大学の淘汰は今の日本の教育の活性化に繋がる。しかし、大学で働く教職員にこの大学盛衰の理論を適用してはならない」とも聞こえるのは僻目でしょうか?
申し訳ありません。 タイセイ総研 理事 林 俊雄(会員番号;6701558)
明るい未来が書かれていない、展望がない、というのが全体を貫くトーンである。
しかし、建築業界に未来があるか、というタイトルは反語的であって、読みようによっては、未来はない、ともなるし、未来はある、ともなる、ということである。林俊雄さんに拠れば、明るい未来が書かれていない、ということだ。
編集委員会としては、特集主旨を繰り返すしかないであろう。
「・・・・その先にある未来は、いくらデータを精緻に積み上げても確定的に描ききるものではない。・・・建築業に未来があるとすれば、過去・現在を見つめたうえで、この建築界をどうしたいかという我々の構想のなかにある。今回の特集を通して、読者の方々は是非その構想を膨らませ、相互に議論を喚起していただき、豊富な未来像を描く契機となれば幸いである。」
建築業界に明るい未来がないのに明るい未来を書くわけにはいかない。明るい未来が全体として見えないというのはおそらく正確な指摘ではないか。ただ、それぞれの原稿には否定的にではあれコメント頂けているのだから、特集の意味はあったと編集長としては思う。幅広い議論の展開を期待したいと思う。また、特別研究委員会には明るい未来への展望を期待したいと思う。
R.ホーム来日もあって、返答をしたためる時間がない。編集委員の意見もまっていずれ返事を書かねばなるまい。
2002年2月14日
R.ホーム先生は、気さくな先生で、かってに自転車で京都を走って見て回ってくれたから楽だった。ただ、ついてまわった研究室の学生たちは大変だったに違いない。まあ、それでも奈良へ一日お供し、一夕は我が家へ招待したりしたから結構振り回されたのであった。
今日はアジア都市建築研究会でレクチャーしてもらい、その後、フェアウエル・パーティで、お別れしてきたところだ。帰ってメールを見ると、いつもながらの新居さんのアートディレクションについての真摯な問題提起が届いていた。いま、長野で現場があって忙しいのに頭が下がる。
これまでの建築雑誌に比べると、皆様のご努力によって、アートディレクションについて、一段と読みやすく好感が持てる誌面になったと思います。その上で、あえて勇気を出した意見を述べさせていただきます。
編集委員長の編集方針である3番目の「それぞれの業績として欲しい。」、6番目の「一般にアピールできる、・・・建築界をオープンに。」という点から気になる点があります。
部分のひかるデザインは別として、全体のデザインから受ける印象では、鈴木さん自らの作品といいにくい、あるいは力を発揮できにくいことがあるのではないでしょうか。
表紙の裏とそれに続く4ページの最初の広告は、デザインする側にとってはとてもつらいモノだと想像します。またスポンサーからみてもこれで宣伝になるとは思えない(緊張感のない)広告デザインと内容です。単なる業界のおつきあい、なれ合いを物語る出足です。屈折のある見方ですが、高貴(?)な学会はそれを見ないようにするということでしょうか。136~138ページの名刺風の広告などはおつきあいそのものがあらわれているようで、まさに同窓会誌のようなモノに見受けられるモノです。広告料は否定できないとしても、視覚的にはこれからの学会のあり方と学会誌そのものが問われているような気がしました。広告のあり方を考えざるを得ないのではないでしょうか。
1)
32、33ページの表などはたくさんの情報量を見やすくされている手腕は素晴らしいです。一方、時間が全くなかったのだと思いますが、38~41ページの表の線や色などは統一されていません。これほどの色が使われたことの関係者のがんばりは容易に想像できるのですが、それならば、新しい建築誌のイメージができるほどのデザイナーの力が発揮できる色使いを期待したいものです。
2)
自身の拙文を棚において語る気恥ずかしさは十分感じるのですが、「地域の目」のプレゼンテーションについての個人的なとまどいがあります。確かにずいぶん読みやすくされています。しかし、地域の目タイトル文字が象徴しているようないろいろな色の扱い方があります。いろいろな地域がある、地域は様々なアラカルトができるものなのだよと言いたいようです。強いて言えば安心しきった中央からの眼でいろいろな地方があるよということが見えそうです。とても軽い、恣意的多色構成を感じるから、もしかしたらそういう意識なのかなあと感じてしまいます。編集にあたっての4番目、「・・本質に関わる問題を深く考えたい。」少なくともそうした姿勢で地域からこれからの日本を、建築のあり方を問う、提言できる機会になって欲しいと望むなら、別の表現があると思います。まずは、応えられる文章を期待しなければならないですが、各ページ独自に、強いメッセージ性、主張性、あるいは存在感があるようなページデザイン構成であっていいのではないでしょうか。たくさんある中の1個のイメージでなく、それぞれが独立し、自立して、メッセージを発しているというイメージを期待したいものです。字数には問題がある一案ですが、委員会側から短い文章で読者がすぐキャッチできる見出し文(キャッチコピー)をコピーライターなどによって準備していくと、地域の目の意図がより明確になるのではと思いました。
新居照和
2002年2月18日
第八回編集会議のため上京。鞄には、送ってもらったばかりの高橋敏夫の『藤沢周平』(集英社新書)と柏木博の『20世紀はどのようにデザインされたか』(晶文社)の二冊を突っ込む。二人とも、かつての「国立読書会」の仲間だ。二人ともいまでは立派な批評家だけれど処女作を世に問うたかどうかの時代に月に一度集まっていた。なつかしい。
まずは『藤沢周平』を読み出す。というか一気に読んでしまった。歴史小説、時代小説はほとんど読まない。山本周五郎、司馬遼太郎、松本清張、柴田錬三郎、山田風太郎、・・・それぞれ少しずつ読んだけれど、のめり込むことはなかった。藤沢周平は恥ずかしながら一冊も読んだことはない。高橋敏夫がこれほど藤沢ファンだとは知らなかった。
「これでしばらく、生きていける」
という感じがこの『藤沢周平』を書かせた、という。
藤沢周平がそんな作家であることを充分感じさせる好著である。
学会で、11:00から日刊建設通信社、13:30から日刊建設工業新聞社の取材を受ける。日刊建設工業新聞は神子久忠さん。前にも書いたけれど、僕の処女評論集『戦後建築論ノート』(相模書房)の編集者で気心は知れている。編集方針を淡々としゃべる。さてどういう記事になりますか。
編集委員会は、7月号、8月号がメイン、9月号の建築年報特集、そして10月以降で「光の環境」(石田幹事)「建築の寿命」(野口委員)「公共建築をつくる プロセスをつくる」(小野田・田中委員)の三つの特集テーマ案が出される。7月号については、ほぼ確認のみであるが、村上副会長が続けて巻頭を飾ることについて注文をつけた。
8月号は、依然として盛りだくさんで、もう少し焦点を絞る必要があると思う。
ドーシさんへのメール・インタビューが出来るといい。
9月号は20p増やしてもらってなんとかなるか、という感じ。研究レビューを是非行うが分野を大括りするフレームが必要となる。支部活動、委員会活動の報告をカットできるのか。
「光の環境」はざっと議論。今後の詰めに期待。
「建築の寿命」については、おおよそ以下のような意見がでた(大崎幹事まとめ)。
野口先生にいただいた案につきまして,編集委員会で審議いたしました。
あまり時間は取とれなかったのですが,委員会での意見と,福和先生からのメールでのコメントをお送りしますので,ご検討いただきますようお願いします。また,この特集につきましては,福和先生と八坂さんも含めて議論してはいかがかと思います。
----- 委員会での意見 ------
構造系だけで考えるとしたら,材料,診断,モニタリング,荷重などを総合して考えてはどうか。
構造にとらわれないのならば,社会的寿命(用途),設備の寿命,ライフサイクルコスト,リスクマネジメントなどが関連するのではないか。
構造・材料としてはどれだけできるかをまず示して,そのご,社会的な制約などを述べてはどうか。
学会の「耐用年数を3倍にするための提言」を参考にしてどうか。
----- 福和先生からのメール -----
興味深いテーマですが、なかなか難しい内容ですね。タイトルは単純に、「建築物の寿命」が良いと思います。内容的には、いきなり耐久設計から入るのではなく、建築物の寿命をどう考えるべきかを論述する頭が有ったほうが読みやすく、特集の位置づけもはっきりするのではと思います。
実際の設計では、寿命を考えた耐久設計は表には出てきていないと感じます。通常の設計では裏に隠れているので、私たちが知りたいのは、設計時に余り気にしていない耐久性の話がどのように担保が取れているかということだと思います。コンクリートのかぶり厚などは、この延長線上の話ですよね。
それと、寿命面からは設備の方が重要になるので、設備の話がもっと出てきても良いと思います。他分野の紹介は少し多い印象がありますね。これに加えて、ライフサイクルコストの話題長寿命建築物を支えるスケルトンインフィルの話題さらに、これを担保する免震化の話題なども候補に入れても良いかとも感じました。さらには、長寿命ということは、遭遇する地震も多くなります。設計荷重を変える必要がありますね。
コンクリートで言えば、中性化の問題も関係しそうですね。それと中古市場を如何にして形成するか、リフォーム業者の育成とか。
「公共建築をつくる プロセスをつくる」は議論の時間がない。設計者選定、入札などの問題を含めて扱いたいと発言。
情報頁についても徐々に改革したい。空き頁には、会員の声を載せたい。
2002年2月22日
この間、地域の眼の原稿に穴があきそうになって大慌てである。黒野、田中、山根、新居の各委員の間でメールが飛び交っている。原稿にどんどん注文がついている。いい原稿が欲しいという、熱意からである。
お世話になっております。
早速「地域の眼」の原稿をいただき、編集担当者で読ませていただきました。多彩な情報が盛り込まれ、大変参考になるのですが、コラムは字数の制限もありますので、できればテーマを絞ってお書きいただければありがたいと思っております。
「地域の眼」では、活動報告や地域紹介というよりも、主旨文にありますように「地域に根差し、地域からの変革を求めて行動している方々に、それぞれが関わっている具体的な事例を通して、今地域で起こっていること、地域から見える様々な問題、これからの地域について考えることなどを報告していただきます。そうした「地域の眼」をもつことによって、読者にこれからの建築のあり方を見つめ直すきっかけを与えること」をねらいとしています。
2002年2月27日
昨日、一昨日と国立大学は入学試験だ。昨日上京。
ばたばたしているうちに林俊雄さんへの返答を書くのがすっかり遅くなってしまった。とにかく挨拶をと東京からメールを打った。
林俊雄 様
前略、建築雑誌1月号について、貴重な意見頂きましてありがとうございました。返事が遅れましたことをお詫びいたします。
事務局によりますと、このような真摯な批評が建築雑誌に寄せられたことは近年ないそうです。ご指摘の内容を棚に上げていいますと、読まれるということを目標に掲げる当委員会としては、まずは喜んでおります。
ご指摘の内容について、個人的には、概ね、頷きながら拝読しました。
ただ、前文でいささか投げやりに納得されておりますが、本特集は、もともと未来予測をテーマとするものではありませんでした。編集長日誌に早い段階で書いておりますが、理事会で、「学会では特別委員会で二年かけて議論するというのですが、二年かけて学会として結論が出るというものでもないでしょう、とりあえず、考える素材を提出します」と発言したのが特集の背景です。各原稿にそれぞれコメントいただけたということは、否定的にではあれ、多少とも考える素材を提供できたのではないかと考えますが如何でしょう。原稿についての不満は常に編集部にもありますが、1月号については、会員からそれなりの書き手を揃えたつもりであります。
建設業の未来については、あるのか、ないのか、どうお考えでしょうか。別の機会にじっくりご意見うかがえればと思います。議論がさらにどんどん広がればいいと考えます。
編集委員会での合意はとれておりませんが、ご意見は誌面に掲載する方向で検討しております。その際にご確認しますが、それは困るということであればお知らせ下さい。
編集長としてのご意見に対する見解は、「編集長日誌」(3月上旬掲載)で、全文公開の上、示さして頂きたいと思っております。全文公開についてご了承下さい。 早々
2002年2月28日
京都に帰ると、林さんから返事が届いていた。
布野 修司 様
ご丁寧なるお返事を頂き恐縮いたします。
私も過去に別の団体の機関紙の編集委員をやりましたが、その時の経験からも先生方の編集委員会でのご苦労はよく分かります。
特集を企画された編集委員会の議論あるいは考え方や背景を顧慮せずに、一時の憤激で勝手な言い分をお送りしたことに今では少し恥ずかしく、悔やんでもいます。
が、私の批判が一顧だにされずに無視されるような事態にはならなかったことには、正直ホッとしています。
掲載をお考えとのことですが、ちょっと大人気ない品のない内容ですので、日本の建築界を代表する学会の機関紙である「建築雑誌」のような格調の高い雑誌に掲載するのは如何なものかと思います。私といたしましては、一度かいた恥は何度でも、という思いで掲載には異存ありません。
掲載するかどうかは、文面の品格を編集委員会でご議論いただいた上で決めていただければと思います。
林俊雄
返答のタイミングを失した感はあるが、特集を組みながら個人的に考えていたのは以下のようなことである。別に求められて書いた原稿であり、いささかずるいが、これ以上の知見があるわけではないので、編集長の見解ととさせて頂きたい。建築コストについての考察はすぽっと抜けている。
自立した個のネットワークへ:サブコン、職人、タウン・アーキテクト:果てることのない役割
布野修司
今年の一月号から二年間、二四号、日本建築学会の『建築雑誌』の編集長を務めることになった。半年ほど編集委員会で議論を重ねた末に一月号の特集タイトルは「建築産業に未来はあるか」となった。当然だと思う。日本の建築生産の仕組みが今こそ問われているときはないからである。
日本の産業界そして社会全体が大きな構造改革を求められる中でひとつの焦点は建設産業である。戦後まもなくの日本は農業国家であった。就業者人口の6割は農業に従事していたのである。その後の高度成長を支えたのは重厚長大の製造業そして建設産業である。スクラップ・アンド・ビルドが日本経済を勢いづかせ、日本の建築生産は一時国民生産の四分の一を占めた。「土建国家」と言われたほどだ。しかし、大きな流れは第二次産業から第三次産業へである。そして、バブル期の金融業が日本を舞い上がらせ、掻き回した上に糸の切れた凧のようにしてしまった。日本の製造業の空洞化は誰の目にも明らかである。
こうした趨勢の中で建築産業はどうなっていくのかは今建築界全体の切実なる問いである。明確な指針は手探りであるにせよ、とにかく考える材料を提供しようというのが先の特集である。一瞥頂きたい。
まず前提とされるのは建設投資が国民総生産の二割を占めるそんな時代は最早あり得ないことである。先進諸国をみても明らかなようにそれは半減してもおかしくない。そして、スクラップ・アンド・ビルドではなく、建築ストックの再利用、維持管理が主体となっていくことも明らかである。都市再生の大合唱はその方向を指し示すけれど、需要拡大のみを期待するのは大間違いである。技術のあり方、仕事のあり方そのものが変化せざるを得ないのである。さらに、建築産業の体質が厳しく問われるのも明らかである。すでに、公共事業に対する説明責任が各自治体に厳しく問われる中で、設計そして施工に関わる業務発注の適正化が求められつつあるところである。それ以前に、不良債権の処理がままならず、大手建設業の倒産がさらに続くと噂されつつあるのが現状である。
こうした中で現在起こっているのは就業人口の大きなシフトである。建設業界はこれまで就業者人口調節の役割を担ってきたけれどその余裕は最早ない。IT産業、介護部門への転換は不可避である。そして、建設業界で起こっているのは、熾烈なサヴァイヴァル戦争である。「生き残る者」と「そうでない者」との二極分解が急速に進行しつつあるのである。
取り敢えず現在の問題は「そうでない者」の方である。先の特集の座談会で下河辺淳先生の一言が耳について離れない。
「生き残れない者は死ぬんです」。
確かに、建設業界の高齢化率は高く、需要減によって新規参入がなければ早晩業界全体は縮小して一定の規模に落ち着くであろう。問題はその先である。熾烈な淘汰が進行した後に残存するのがどういうシステムかということである。おそらく、スーパーゼネコンを頂点とする重層下請構造と言われてきた日本の建設産業体勢は変わらざるを得ないのではないか。
ひとつの根拠は国際化である。建築は地のものとは言え、国際的なルールは尊重せざるを得ないだろう。CM、PMといったシステムは様々に取り入られていくであろう。もうひとつの根拠としてソフト技術の進展がある。企業の規模に関わらないネットワーク型の組織体制がいよいよ実現していくのではないか。そしてもうひとつ鍵を握るのは技術であり技能である。結局は、ビジネスモデルを含めてものをつくるノウハウを握っていることが決め手となるのではないか。そうした意味では能力あるサブコンが建築生産システムのひとつの行方を握るであろう。
一方念頭に浮かぶのは地域社会を基盤においた建築職人のネットワークである。建築の維持管理が主となるとすれば建築業はどうしても地域との関係を深めざるをえないはずである。小回りが利いて、腕のいい職人さんの需要は減ることはないと考えるけれどどうだろう。
限られた紙数で、法的枠組み、資格、報酬、保険など様々な問題を論じきれないけれど、期待するのは組織ではなく、技能、技術を持った個人のネットワークによる建築生産システムである。建築家、設計者のあり方もそのネットワークにおいて問われるだろう。まちづくり、維持管理、国際化が建築家にとってのキーワードである。グローバルにみて、 各地域においてサブコン、職人、タウン・アーキテクトのネットワークが果たすべき役割はなくなることはないと思う。 日刊建設通信新聞 「私論時論」 2002年2月4日