「建設産業の明日へ生かすこと」
松村秀一
Shuichi
Matsumura
東京大学教授/1957年生まれ。東京大学卒業。同大学院修了。建築構法計画・建築生産。工学博士。著書に『住に纏わる建築の夢―ダイマキシオン居住機械からガンツ構法まで』『宇宙で暮らす道具学』ほか。2005年日本建築学会賞(論文)受賞
中城康彦
Yasuhiko
Nakajo
明海大学教授/1954年生まれ。名古屋工業大学卒業。同大学大学院修士課程修了。建築経済。共著に『コモンでつくる住まい・まち・人―住環境デザインとマネジメントの鍵』『住まい・建築のための不動産学入門』ほか
赤沼聖吾
Seigo
Akanuma
鹿島建設専務執行役員東北支店長、日本建設業連合会東北支部支部長/1946年生まれ、東北大学工学部建築学科卒業。東北支店青森営業所長、東北支店営業部長・営業部統括部長・副支店長を経て現職
布野修司
Shuji Funo
日本建築学会副会長、滋賀県立大学教授
和田章
Akira Wada
日本建築学会会長、東京工業大学名誉教授
聞き手
安藤正雄
Masao
Ando
千葉大学教授
会誌編集委員幹事
竹内泰
Yasushi
Takeuchi
宮城大学准教授
会誌編集委員
東淳子
Junko
Azuma
大林組
会誌編集委員
小田嶋暢之
Nobuyuki
Odajima
竹中工務店
会誌編集委員
野田郁子
Ikuko
Noda
三菱地所設計
会誌編集委員
青井哲人
Akihito
Aoi
明治大学准教授
会誌編集委員長
◆前半本文(3ページ) 17×276L程度。最大322行
安藤――本特集の第4部では展望編として建築産業に詳しく、被災地の状況にもよく通じている方々にお集まりいただき、今後の復興に向けての課題を明らかにしたいと思います。前半では住宅、ゼネコン、不動産という立場から3名の方にプレゼンテーションいただきます。
●岩手県沿岸部の被災状況と
仮設住宅の建設について
松村――今回の震災では、5万戸強の応急仮設住宅(以下、仮設住宅)が建設されました。仮設住宅はプレハブ建築協会が独占的にメーカー各社への発注を決める、という見立てがしばしばなされますが、そこには誤解も含まれています。半数以上がプレハブ建築協会の規格建築部会に属するメーカーが建設しています。しかし彼らは工事現場の仮設建築物などを建てるメーカーで、住宅産業ではありません。リース方式のため自社在庫を持っており、災害への即時対応が期待されているのです。ただし今回は仮設メーカーが供給できる数をはるかに上回る発注があったため、足りない分をプレハブ建築協会の住宅系の部門に属するハウスメーカーが担いました。プレハブ建築協会以外にも日本ツーバイフォー建築協会、日本木造住宅産業協会といった団体に属するメーカーも建てています。したがって今回は在来木造や、普通の住宅の仕様に仮設住宅の共通仕様を利用した仮設住宅が結構な数できました(図1)。福島県と岩手県では地場の工務店にも発注がなされたほか、国の予算によらない仮設住宅もできています(図2)。そして今回、仮設住宅の代わりに空き室を活用する仕組みが登場しました。昨年4月中旬に発表された、被災者が仮設住宅の代わりに空き室に暮らし家賃を国が肩代わりする「みなし仮設」という制度です。災害救助法に明記されていない方法に予算をつける道が、仮設住宅の建設が間に合わない状況から開けたわけです。
ところで仮設住宅建設の議論でしばしば聞かれるのが、地場の工務店に建設を依頼しないと地域にお金が落ちない、ということです。しかし短期間で一定数の仮設住宅の建設に対応できる工務店は限られています。さらに仮設住宅の建設のために地元の技能労働者がフル活用され、足りない分は応援がきていた、というのが実態です。地域にお金は落ちていたのです。岩手県の新設住宅着工数は年間約5,000戸。しかし仮設住宅は約5ヶ月で1万4,000戸建てる必要がありました。岩手県の年間予算は約5,000億円です。1万4,000戸の仮設住宅建設には、概算で700億円ほどかかるでしょう。県下だけでは対応できない上に、仮設住宅は瞬間的な需要のため、日常的な住宅建設に影響を及ぼすわけではありません。
いま被災地の工務店はフル稼働しています。国の予算による復興事業はこれからですが、民間住宅の建て替え・修復需要が出てきているからです。しかし現地の工務店が心配しているのは、復興予算がつく時期が終わった後のことです。そこで新しい地域生活産業を興すパイロットプロジェクトとして、2つのアイデアを紹介します。1つは既存建物のリノベーションやリユースを通じ、ビジネスに転換するきっかけをつくることです。今回空き家活用のアイデアとして面白く思ったのが「仮住まいの輪」という試みです。空き物件と被災者をネット上で結びつけるアイデアは、全く新しい別のビジネスに展開する可能性を秘めています。2つ目は、高齢者向け施設の建設や、暮らし支援ビジネスです。在来工法の建物ならば地元の工務店でも対応できます。復興とともに需要が出てくるさまざまな建物の建設を地場の工務店が引き受けられるよう、在来工法でつくるのです。そして仮設住宅では孤独死など、さまざまな問題があります。コミュニティ活性化のために、外部空間に屋根をかける、新聞をつくって配布するなど、さまざまな支援活動がなされています。単なるハコを暮らしの場に仕立てる仕事は仮設住宅のみならず、社会全体で求められています。
今回の災害で被災後の切実なニーズに基づく支援などのノウハウが貯まりました。整理すればビジネスにも結びつく可能性があると思います。
●復興まちづくりと
プロパティ・マネジメント
中城――復興とプロパティ・マネジメント上の課題を千葉県浦安市を事例として紹介します。地域の3/4程度が埋立地の浦安市では、9,000戸ほどの住宅で液状化被害がありました。従来の被災認定の基準では液状化被害を受けた家屋が認定されないので、浦安市は国にアピールし新基準を獲得しました。被災の程度ごとに多くの生活支援金がもらえるようになりました。行政によるマネジメントの成果です。しかし負の影響もありました。浦安は危ないという価値観を広め、民有地の資産価値が落ちたのです。経済的価値におけるマネジメントの失敗です。広義のプロパティ・マネジメントが欠けていたのです。この状況を解決するために「浦安環境未来都市コンソーシアム」を結成しました。これは落ちたブランド回復と、安心・安全・持続可能・未来型のまちづくりを提唱し、官産学共同で都市間競争に負けない地域づくりを行おうというものです。
では、地域の資産価値を維持向上させるものはなんでしょうか。土地建物に対する需要、つまり利用者の存在です。復興まちづくりでは官の特需だけに頼らず、市場を通じて利用を促進・誘導することが大切です。建設市場には大きく分けて、生産、所有、利用、マネジメントという4つのプレイヤーがいます。そのうち建築産業が大きく関わるのは生産の立場です。これまで請負いの立場にありましたが、今後は生産者の強みを活かしながら利用市場を誘導し取り込む必要があるのではないかと考えます。
しかし利用市場を阻害する要因があります。たとえば一建築物一敷地の原則。これにより複合的な空間利用を立体・水平的に拡大したくてもできないというケースが生まれます。そして権利の硬直化。建物が所有権、借地権、借家権といったものに区分されているため、実効性のある利用権設定ができません。共同体による土地の共有と利用を認める入会権という権利があります。現在は排除される傾向にありますが、いまこそ見直すべきではないでしょうか。建築産業も発注者の土地のみにとどまらず広域を視野に、時間的な長さや利用権の広さなど、権利の中身まで踏み込み、たとえば入会権のようなものをアレンジする視点を持つべきではないでしょうか。
土地の利用権を整理し、建物の敷地の外側を活用しながら不動産価値を高めた事例を紹介します。こちらはロンドンの事例です。民有地を遊歩道が通っています(図3)。遊歩道の敷地は公的な買収によるものではなく、ある種の入会権のようなものを活用しています。日本でも、優良賃貸住宅の建設とともに隣接の使っていない民有地を市民農園として、エリアの価値を高めた事例があります(図4)。また、イギリスのレッチワース(図5)ではディベロッパーの継続的管理が行われています。規範を守る主体による緑豊かな住環境の保全により、高い経済的価値を認められている住宅地です。小規模でも、たとえば路地状敷地の効率の悪い敷地に小公園をつくることで価値を高める方法があります(図6)。こうしたアイデアを建築業界主導で進めることも十分可能と考えられます。復興事業にも活用できる方法ではないでしょうか。
建築業界は地域市場をにらみ、生産者の立ち位置だけにこだわらない多面性を備えることが結果的に自分たちのためになるのではないでしょうか。建築への深い洞察をベースに、ブルドーザーとダンプカーを操り、緊急時にはセーフティネットに、平常時には公共の新たなコアメンバーとして社会貢献する、というのがプロパティ・マネジメントから見た建築業のあり方ではないかと思います。
●復興に向けた課題と解決策
赤沼――まずは復興予算とその対象となる都市の面積から、今回の震災がいかに大変なものかお話します。政府系投資額は、全国のピークが平成10年、東北のピークが平成11年です。平成21年にはピーク時に比べ、全国が51.1%、東北が43.9%まで落ち込んでいます(図7)。震災復旧復興関連予算は10年総額23兆円、必要に応じて上乗せすると発表されています(図8)。ピークが平成26年の6.9兆円で、平成21年の東北に対する政府系投資額の約4倍、同年の全国に対する政府系投資額の約40%が東北に投下されるわけです。東北における被災(津波浸水)市町村の割合は15.3%。平成21年の4倍の工事を東北の約15%の面積で行うということです。
次に復興計画です。各自治体の復興計画策定は平成23年12月末に完了ということになってはいますが「土地利用計画」「イメージ図」レベルで本格復興に向けての作業量は膨大です。被災土地の扱いが未解決なこと、南の平野部と北のリアス式沿岸部で復興計画に大きな違いがあること、産業の復興が遅れ人口流出が始まっていること、といった問題も復興計画の具体化を妨げています。一方で地元建設業界では、10年で建設投資が半分以下になり、各社は体制を縮小しています。そこに震災が起き、マンパワーが不足しています。瓦礫処理や復旧工事で手一杯な状況です。地元向け公共工事で入札の不調・不落が続いています。早期の復旧・復興より長期の経営安定を、というのが地元の本音です。
復興計画の主体は、現行法規では基礎自治体です。首長の判断力や組織力により大きな差が出ます。各職員のほとんどは未曾有の災害対応に現法規を当てはめるのが精一杯で、復興を射程に動くのは困難な状況です。復興計画には防災・減災・インフラ整備に重点がおかれ、アーバンデザイナーやランドスケープデザイナーが入っていけていません。復興まちづくりの全体像が見えていないことが問題です。
宮城県の震災復興会議の委員である岡田新一さんは「グランドデザインアーキテクト(以下、GDA)を各自治体に置くべき」という提言(図9)を昨年7月に発表しました。ここで言うアーキテクトとは、幅広い要素を統合し、パブリックに対する深いコンセプトを持ち、それらをシステムとして結び付けられる能力を持つ人を意味します。自治体首長と同格のGDAを置き、専門家集団を束ねる、というイメージです。この案は復興会議の小宮山委員長などが押していたのですが、最終的には盛り込まれませんでした。
現状の状況では、まちづくりがバラバラになるのではないかと思います。そこで私の復興支援案を紹介します。産官学から選ばれた人たちがGDAの代わりになり、専門家チームを組織する、というものです。復興事業には建設産業を総動員する必要があります。膨大な工事量をこなすために、短期間で事業者を決定できるように発注方法を工夫する必要があります。そこでマスタープランをつくり、それを元に被災市町村をいくつかのエリアに分割し、事業者を決定するのです。事業者決定は、コンサルタント、設計事務所、建設会社による土木・建築を横断する異業種JVによるデザインビルド方式のコンペによるものとします。実施にはスピードを重視し、復興を発信し続け被災地に希望と勇気を与えること。これが人口流出を最小限に防ぎ、かつ災害を忘れさせないことにもつながります。建設産業は裾野が広く、波及効果が大きい産業です。やり方によっては、景気回復に大きく貢献できるはずです。
図版キャプション(それぞれ撮影or図版提供or出典を明記する)
図1)住宅メーカーの仮設住宅(屋根・基礎以外一般住宅仕様)。宮古近郊。職人は岩泉泊、監督は盛岡泊で遠距離を通う。(撮影:松村秀一)
図2)地元産材と地域の技術を活用してつくられた住田町の仮設住宅。国の予算によらず、町長の独断から仮設住宅の建設に踏み切った。(撮影:松村秀一)
図3)ロンドンにある、遊歩道のために地表部分を公開した建築物。(撮影:中城康彦)
図4)農住組合事業と市民農園の一体化。(撮影:中城康彦)
図5)イギリス、レッチワースの住宅地。一貫したマネジメントにより変わらない外観。(撮影:中城康彦)
図6)ある住宅地の共用地および協定用地。(撮影:中城康彦)
図7)政府系投資の全国と東北の比較。(出典:●●●●)
図8)震災復旧復興関連予算。(出典:●●●●)
図9)グランドデザインアーキテクトの定義。建築家・岡田新一氏の提言(平成23年7月13日)より。
////ディスカッション(4ページ、17×450~525行または25×300~350行)
●地元建設業のポテンシャル
安藤――ここから和田会長と布野副会長にも参加いただき、ディスカッションに移ります。建設産業が復興事業に向けて果たす建築的・都市的役割、そして来たる新たな災害への対策について議論を深めて参りたいと思います。まずは震災後、建築業に何ができ、何をすべきだったか、ということを和田会長からコメントいただきます。
和田――明治以降、日本の地域は全体に西洋文明を当てはめていくような発展の仕方をしてきました。国土の70%以上が森、100本以上の川が流れている地域にまったく違う場所で育った文明を持ってきていました。いま、建設業そのものが社会からあまり信用されていない中で、強いイニチアシブを発揮するのは難しいのではないでしょうか。まずは自然の営みを活かし地域ごとにうまく循環していたシステムを壊してきたことを、ひとたび振り返る必要があるかと思います。
米田雅子慶応義塾大学特任教授による『大震災からの復旧 ~知られざる地域建設業の闘い~』という書籍があります。実際に被害を受けた地元建設業の方や、他地域からタンクローリーを運転して来られた方など、思いの強い建設従事者たちに焦点を当てて復旧の取り組みを紹介している本です。地元建設業の方はこの林道がどこにつながっている、あるいはこの崖は崩れやすい、といったことを熟知しています。瓦礫を処理し、車が通れるように整備する中で、こうした知恵が生かされていたのです。しかし仮に数年後に地震が起きていたら、地場の建築産業の体力は今よりさらに失われているため、今回のような対応はできなかっただろうと指摘されています。日本の風土を大事にする上でも、地場の建築産業の取り組みは、見捨てるわけにはいかないと思います。
赤沼――「くしの歯作戦」を支えたのは地元建設業の方たちの目覚しい努力でした。おかげで物資輸送も早期に復旧しました。
布野――消防団と同じように災害時には地元の建築従事者が何をすべきか契約しておく必要があり、さらに地域メンテナンスの主体は地域にいてもらわないと困る、ということですね。
●グランドデザインアーキテクトの是非を問う。
竹内――これまでのお話から「担い手」というキーワードが浮かびます。建築産業の誰がどういう立場で復旧・復興に関わっていくのか、という論点です。
布野――グランドデザインアーキテクト(以下GDA)については、阪神・淡路大震災後、かつて私が提起したタウンアーキテクトに近い役割かもしれませんが、。タウンアーキテクトの役割は、あくまで、自治体と地域住民のまちづくりを媒介することです。欧米で先行する制度ですが、その立場はさまざまのようですです。副市長格で日本における都市計画局長的な立場の人をつけるタウンアーキテクトにする例もあります。また、この役割の担い手は赤沼先生がおっしゃるとおり、一人でなくてもよいと思います。ただ現在の制度では、アーバンデザイナータウンアーキテクト的な人材が復興計画の提案に関与できない仕組みとなっているのが問題なのですがね。
赤沼――仮にGDAの制度を実行するとした場合、現在の法律では誰をどう選ぶかが難しいですね。競争原理を入れずに自治体が任命できるのは都市再生機構(以下UR)だけです。しかしURは近年、新しい計画を担うことが少なく、大きな計画をできる人材が減ってきています。そこでURを軸に大学の先生などが加わっていく、という方法もありえるのではないでしょうか。
布野――システムはそれでよいのですが、危惧しているのは地形や配置の問題です。復興計画にランドスケープを読むセンスが欠けてしまう可能性があるような気がします。
中城――浦安では、あるエリアについて産官学が知恵を結集する、ということに市役所もゴーサインを出しています。これは小ぶりな地域でのGDA制度のようなものといえるかもしれません。
赤沼――実際の計画はエリアごとに行えばいいのですが、隣の自治体と全然違う、ということも起こりうるので統一ルールは必要です。
中城――復興のデザインを描く、という意味では統一ルールは必要です。しかしエリア同士の食い合いにならないよう、エリアごとに特徴や価値を出していくことも大事なのではないでしょうか。
●仮設住宅を地場産業に
いかに結びつけるか。
布野――松村先生の応急仮設住宅に関する話についてですが、状況分析については、その通りだと思いました。しかし違和感があるのは、仮設住宅の建設と地場産業との関わり方についての見解です。陸前高田市で気仙大工の方々に会ったときに言われたのは、大工集団が湾ごとに違うので、仮設住宅建設の仕事がまったく落ちて降りてこないということでした。阪神・淡路大震災などの経験から、今回は抽選の方式や集会所、コモンのつくり方などに工夫がなされている事例も若干見られますが、それでもほとんどの仮設住宅は地域特性に十分配慮できず、断熱対応などが後対応になりました。仮設住宅の段階から地域産業を捉える視点はあっていいと思います。たとえば仮設住宅の再利用を考える、木造で仮設住宅をつくり公営に切り替える、といった方法も考えられます。そこでの担い手は、地場の大工・工務店ではないでしょうか。
松村――少し補足します。仮設住宅は、復興住宅と避難所の間をつなぐものです。仮設住宅にはその段階に必要なものがあり、それを吟味する必要があると考えます。また、非常に集中的な生産であるため、地域の産業振興に結びつきにくい性質があることは否めません。
布野――阪神・淡路大震災を機に仮設市街地研究会というものができました。そこで生まれた提案とは仮設住宅を元の住宅とは別の場所に供給するのではなく、瓦礫を処理し、元の住宅があったエリアにそのまま仮設市街地をつくるというものです。そのような柔軟なあり方があってもいい。また、建築産業は自治体からの発注を受け、即座に仮設住宅の建設へと向かいましたが、制度的対応の時間を待てば「みなし仮設」のようなストック活用のへの道も開け、建設のみの対応に翻弄されることもなかった可能性があります。現在の災害救助法の枠を完ぺきに見直し、今後に向けて準備する必要があるのではないでしょうか。
松村――仮設住宅を地域の新産業や復興につなげる導き方はありえますね。今後整理していきたい課題です。ところでこれから気を付けたいのは“引き波”です。典型的なのが住宅産業。宮古にはかつて大手住宅メーカーの拠点がかつて5つあったのですが、震災前には1つだけになっていたそうです。ところがここ半年ですべてのメーカーが戻ってきました。復興の需要に対応する際に大手が活躍するのは問題ないと思います。しかし5年後には、またいなくなるでしょう。地域で“業”を営む者だけが残るんです。地域の工務店は後継者不足です。なくなるのも市場原理だから仕方ない、という考え方もできますが、各大学の建築学科が卒業生を送り出しているのに、その先には仕事が何もない、というわけにはいかないと思います。
赤沼――農業と建設産業は今までセットで捉えられてきました。国の予算が常に入り続けて地域を守る、大きな仕組みとなっています。別の方向へとシフトする時代の流れはわかるのですが、そこが主流となることを思うと絶望的な気持ちになることもあります。
布野――水産業など別の産業にはシフトできないのでしょうか。たとえば法的な枠があるので現実的には難しいのですが、被災地の湾をひとつ買いたいとシンガポールから打診があった、という話を聞いたことがあります。別の産業と協力しながら建築産業のノウハウを活かし、地域振興に取り組んでいくこともできるのではないでしょうか。
●次世代に向けて何ができるか。
安藤――今の議論にあったように、課題は復興特需が終わった後です。建設・生産から関連産業へと、どう広げていけばいいのでしょうか。
中城――地元の建設業には元々後継者の問題があり、工務店も設計事務所も社長が60歳を超えていることが多くあります。こうした組織が復興特需後も事業を継続している可能性は高くないため、次世代には異なるフィールドが必要です。復興し、立ち上がろうという時には60歳前後の方に仕事を与えられるか、ということではなく、35歳くらいの人ができることにどう投資を振り向けられるかが重要ではないでしょうか。
和田――仕事がない建設従事者の受け皿は、かつては農業でした。日本には森も耕作放棄地もある。たとえば木を切ったり機械をオペレートしたりすることに違和感のない建設業が農業・林業も担う、ということもあるのではないでしょうか。元々の産業の担い手に対して継続的に仕事を生み出しながら、若い方々に機会を与えることを両立させるような方程式を解いていかないとなりません。
中城――地元の建築産業はこのままでは、復興特需に対応することで手一杯になる可能性も高いです。お金が出ているうちに、次世代型のビジネスモデルを考えられる人材を育成する必要があります。
松村――被災地には、いま地域以外の人がたくさん入り込んでいます。さまざまな仮設住宅地の運営にも、大学など多彩なチームが入っています。たとえばアーティストとシナリオライター、建築家などの異業種混合チームで仮設住宅地の生活を支援する「わわプロジェクト」というものがあります。こうした地域外の人々と出会うことは、発想の多様な発展につながり被災地の産業機会にとってもよい影響があると思うんです。異業種のメンバーが寄り集まって何かを成し遂げる経験は、地元の建築関係の方にとってもよい経験になるかもしれません。建築分野に閉じこもっていては、ニーズに総合的に答えられません。従来の建築の役割とは異なることをし始めた人を勢い付ける方法はないものでしょうか。東北で出てきた芽が経済的な枠組みに組み込まれ、産業として成立する職能へとシフトして日本の新しい仕事のモデルになるといいんですが。
布野――いま、復興住宅に対する組織的な取り組みが出てきています。岩手県のある職員による先導で、県ごとに「地域型復興住宅連絡会議」(注1)という組織が設立されました。イメージとしてはかつてのHOPE計画に近いものです。「地域型復興住宅 設計と生産システムガイドライン」という手引書もできています。これについては、学会からもモデルを出して欲しいと言われています。
赤沼――市町村によっては、地元の建築家と地場産材による取り組みも数多くはありませんが登場していますよね。
布野――昨年5月に当選した北上市の市長が以前は建築家で、NPOの活動を10年されてから市長になった方です。まさに地域活動から市長に、という方が現れました。本誌2月号でも紹介(注2)されていますが、緊急雇用対策事業費で大船渡市の仮設住宅地の生活支援の取り組みを主導している方です。大船渡でのサポートシステムがうまくいったので、大槌町でも進めるそうです。仮設住宅の支援システムは、岩手県が進んでいるという印象があります。
●復旧・復興の時間をどう経験するか
青井――復興特需を含むこの先10年、20年をどう経験するかという問題を、地元の建設業界はどう捉えているのでしょうか。
赤沼――予算がつけば仕事は間違いなく来ます。しかし防潮堤や港湾整備は進んでも、そこにまちづくりがうまく絡まないと大変なことになります。計画をまとめないとうまく復興ができず、しかし急がないと人口が減っていきます。大手建設会社には復興に向けて全体を統合する力はあるので、そこに地元の皆さんが入っていただけるといいと思うのですが。
安藤――マスタープランがなくとも、あるいは公的資金が後付けでも、地元の建築産業を巻き込み、たとえば住宅地の自力造成などを民間ベースで動かすようなことはできないのでしょうか。
赤沼――集落によっては自分たちで山を開き、インターネットで状況を発信している事例があります。全国から届いた砂利を、自分たちで敷いていくというような作業をされています。
青井――復興はチャンスにもなりえますが、負の経験を残す可能性もあります。不安要素と、それを乗り切る方法をそれぞれの立場からお話ください。
赤沼――正確な人口予想。それが復興に向けた一番の課題です。そして人口を引き止める職場の整備が必要です。
松村――いま、自発的に被災地に通い、仮設住宅地運営の支援などに奔走している若い方がたくさん、それこそ数千人単位でいます。やりがいを感じ、地元からもありがたがられていますが、お金にはなっていません。そうした活動が、どうにか市場に乗るよう仕組みをつくる必要があるのではないでしょうか。これほど自発的な動きが組織化され、どんどん動く状態というのは見たことがありません。このポテンシャルを何とか産業に結びつけられないものでしょうか。
中城――もともと震災直後には自発的で多様な対応をしていた地域の建設業にも、あまるような仕事が来てしまい受け身な“請負い”になってしまいます。すると瓦礫の処理のようなごくシンプルな仕事に戻ってしまい、せっかくの芽生えていたエネルギーの元が途絶えてしまうことが心配です。
布野――復興を担うNPOやNGOにはお金が結構集まります。基金を積めるような仕組みを用意し、学会などがサポートする、ということはできるかもしれません。また、国土エネルギー計画や産業政策は再編される方向で動いて欲しいという希望はありますが、そうは進まない予感もしています。震災特需をなかなかうまく使えない仕組みが前提としてすでにあるためです。そのような状況で言い続けているのが、とにかく若者は被災地に行け、そこで体験しろ、ということです。いいことも、悪いことも経験して考えるのはプラスにもマイナスにとにかく出発点にもなります。大人は彼らの経験を増やす仕掛けをつくる義務があります。
和田――先日、土木と建築の業界団体が融合し、日本建設業団体連合会(日建連)となりました。同じように建築学会と土木学会も一体化してはどうか、と言われたこともあり、私も土木学会に顔を出す機会が増えています。交流は盛んになりつつありますが、オフィシャルな場では率直な議論を交わすシビアな交流になかなかならないのです。そこが課題だと感じています。
布野――自治体レベルでは、復興計画に対し建築・土木で横断的に議論できているところもあります。たとえば名古屋市が陸前高田市に職員を長期的に派遣しているように、自治体同士の連携も行われています。また日本の国土・社会・産業基盤に関わる24学会の合同と日本学術会議での、分野をまたがる議論もはじまっています。実務レベルでの連携を通して経験を蓄積していくことが将来につながるのではないでしょうか。
竹内――震災とこれまでの復旧・復興の経験から、今後の可能性の芽が出てきつつあります。建築産業、そして学会はその芽を見出し、積極的に捉え、どう活かすか、その方法を見つけることが必要と考えます。本日はありがとうございました。
(2012年2月4日、建築会館にて)
注1)被災者向けに、地場産材を活用した在来工法による、長期優良住宅の性能を持つ住宅の建設を想定したモデルプランを民間で検討しよう、という組織。2011年11月設立。
注2)本誌2012年2月号 東日本大震災 連続ルポ1
動き出す被災地「自治体間連携による仮設住宅支援員配置事業―大船渡市と北上市による新しい連携のかたち」菊池広人