コインシャワー,周縁から30,産経新聞文化欄,産経新聞,19900312
30 コインシャワー 布野修司
都内のターミナル周辺の住宅地を歩いてみる。所々にコインシャワーと呼ばれる施設がある。ビルの一角にある場合もあるが、ユニットバスを庭先にいくつか並べた形態もある。要するにそこでシャワーを浴びられる最小限の施設である。三〇分三百円といった看板がでている。
最初に思いついたのは主婦だという。そもそも銭湯がなくなりつつあるということがある。それに夜が遅い仕事の場合、銭湯の開いている時間と生活時間の合わない層がかなり存在するという背景があった。また、朝シャン族が話題になるように、いつでもどこでも汗をかいたらシャワーを浴びるという清潔好きの若者もターゲットにしたのだという。
銭湯がなくなっていくのはそれぞれの住まいに風呂があるのが当り前になったからである。あるいは、銭湯をコミュニケーションの場としてきた地域社会の質が変わってきたからである。若い人たちの間の温泉ブームなどというのは、裸のつきあいを旨とする銭湯コミュニティーへのノスタルジーと思えなくもないのであるが、一方、ワンルームでも朝シャンの出来る設備がないと借り手がない時勢である。
しかし、コインシャワーのヒットは、またしても、日本の住まいの貧困を浮き彫りにしているように思える。なぜなら、風呂のない住宅が依然としてかなりの量存在していることを示すからだ。コインシャワーが多く分布するのは、木賃アパートが密集する地区である。いま、そうした地区には外国人居住者が増えつつある。彼らにとってはコインシャワーは極めて重宝である。銭湯の習慣はなじまないからである。
コインシャワーは、都市にとって必要な施設であり、必要性があるから定着しつつある。ただ、気になることがあるとすれば、今のままでは、そこがかつての銭湯のような、人々が集う場には決してならないことである。