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2023年8月30日水曜日
2023年8月29日火曜日
2023年8月28日月曜日
講義:住まいの語り部研修会,タウンアーキテクトの役割と可能性まちづくりの仕掛け人,三重県教育文化会館,平成15年3月5日(水)
講義:住まいの語り部研修会,タウンアーキテクトの役割と可能性まちづくりの仕掛け人,三重県教育文化会館,平成15年3月5日(水)
住まいの語り部研修会
タウンアーキテクトの役割と可能性まちづくりの仕掛け人
布野修司 京都大学大学院工学研究科 生活空間学専攻 地域生活空間計画講座
はじめに 自己紹介
・建築計画→地域生活空間計画
・カンポン調査(東南アジアの都市と住居に関する研究)
・アジア都市建築研究 植民都市研究
・
京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL):
・京都GVコンペ 専門委員:・京都市公共建築デザイン指針検討委員
日本建築学会理事 『建築雑誌』編集委員長: 日本建築学会アジア建築交流委員会委員長
島根県景観審議会委員: 宇治市都市計画審議会会長 景観審議会委員
[1]戦後建築論ノート,相模書房, 単著,1981年6月15日
[2]スラムとウサギ小屋,青土社,単著,1985年12月8日
[3]住宅戦争,彰国社,単著,1989年12月10日
[4]カンポンの世界,パルコ出版,単著,1991年7月25日
[5]戦後建築の終焉,れんが書房新社,単著,1995年8月30日
[6]住まいの夢と夢の住まい・アジア住居論,朝日新聞社,単著,1997年10月25日
[7]廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅰ,彰国社,単著,1998年5月10日
[8]都市と劇場・・・都市計画という幻想,布野修司建築論集Ⅱ,彰国社,単著,1998年6月10日
[9]国家・様式・テクノロジー・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅲ,彰国社,単著,1998年7月
[10]裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説、建築資料研究社,単著,2000年3月10日
京都CDLとは
タウンアーキテクトとは
何故、タウンアーキテクトか
まちづくりをめぐる基本的問題
◇集住の論理
◇歴史の論理
◇異質なものの共存原理
◇地域の論理
◇自然と身体の論理
◇生活の論理
◇グローバルな視野の欠如
◇体系性の欠如(住宅都市政策)
コミュニティ計画の可能性 阪神淡路大震災の教訓
a 自然の力・地域の生態バランス
b フロンティア拡大の論理
c 多極分散構造
d 公的空間の貧困
e 地区の自律性・・・ヴォランティアの役割
f ストック再生の技術
j 都市の記憶
景観デザイン 景観問題とは?
a ランドシャフト・・・景観あるいは風景
b 景観のダイナミズ
c 景観マニュアル
d 景観条例・・・法的根拠
景観形成の指針 基本原則
• 地域性の原則• 地区毎の固有性• 景観のダイナミズム• 景観のレヴェルと次元• 地球環境と景観• 中間領域の共有
•景観形成のための戦略
• 合意形成• ディテールから• 公共建築の問題• タウンアーキテクト• まちづくり協議会• 景観基金制度
タウン・アーキテクトの原型
a 建築主事 b デザイン・コーディネーター c コミッショナー・システム d シュタット・アルシテクト
e 出雲建築フォーラム
タウンアーキテクトの仕事
a 情報公開
b コンペ・・・公開ヒヤリング方式
c タウン・デザイン・コミッティ・・・公共建築建設委員会
d 百年計画委員会
e タウン・ウオッチング---地区アーキテクト
京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)へ
2023年8月26日土曜日
国際シンポジウム:環境のグランドデザイン,基調講演C.アレグザンダー,原広司・市川浩・布野修司(司会),19910226:都市のグランドデザイン,基調講演M.ハッチンソン,木島安史・伊藤俊治・山本理顕(司会),19910227:住居のグランドデザイン,基調講演L.クロール,大野勝彦・小松和彦・安藤正雄(司会),19910228:建築フォーラムAF,松下電器産業19910322
国際シンポジウム:環境のグランドデザイン,基調講演C.アレグザンダー,原広司・市川浩・布野修司(司会),19910226:都市のグランドデザイン,基調講演M.ハッチンソン,木島安史・伊藤俊治・山本理顕(司会),19910227:住居のグランドデザイン,基調講演L.クロール,大野勝彦・小松和彦・安藤正雄(司会),19910228:建築フォーラムAF,松下電器産業19910322
2023年8月25日金曜日
ナイアガラ・ホテル,at,デルファイ研究所,199402
ナイアガラ・ホテル,at,デルファイ研究所,199402
ナイアガラ・ホテル ラワン 東ジャワ インドネシア 布野修司
東ジャワ、スラバヤの南九十キロのところにマランという町がある。十八世紀にコーヒー生産のセンターとして大きくなった都市だ。中心部のアルン・アルン(広場)の回りには、庁舎、学校、教会などオランダ時代の建造物が残されている。気候は年中日本の春のようで過ごしやすい。第二次世界大戦中にはスラバヤに上陸した日本軍がここに軍営を置き駐屯している。沿岸部の大都市住民にとっては高原の避暑地である。あるいはスラバヤに野菜などを供給する後背都市である。
マラン近郊はかってはヒンドゥー王国の中心地域であった。東ジャワ期のヒンドゥー遺跡が数多く残っている。チャンディ・バドゥット(九世紀)、チャンディ・グヌン・ガンシール(十世紀)、チャンディ・キダル(十三世紀)、チャンディ・ジャゴ(十三世紀)、チャンディ・ジャウィ(十四世紀)、チャンディ・シンゴサリ(十四世紀)などがそうである。
そのマランの北、一八キロのところにラワン という町がある。今はスラバヤーマランハイウエイがすぐ側を走っている。ボゴールの植物園のブランチであるプルウォダディ・ガーデンを除いて見るものは少ないのだが、ここにナイアガラ・ホテルというちょっとした掘り出し物の建築がある。ストモ通りにある五階建てのアール・ヌーヴォーのホテルである。
アール・ヌーヴォーの建築はインドネシアでは珍しいが、こんな田舎にと不思議な気がする。聞けば、一九一八年にブラジルの建築家によって建てられたという。このナイアガラ・ホテルの建設にはどんな物語が秘められているのであろうか。ますます不思議さはつのる。
以前は大邸宅、マンションであったらしい。エコノミークラスの部屋にはバスがついていない。もともとあった数多くの部屋を利用してホテルに改造したのである。居間がロビーに転用されている。ステンド・グラス、木彫、階段の手摺、相当なレヴェルである。どうやって職人を集めたのか。周辺にはすぐれたクラフトマンが存在していたのであろうか。木彫りの彫刻などは土着の職人のものに違いない。
一九一八年に五階建ての建造物である。その頃、スラバヤ、ジャカルタだって五階建ての建物はほとんどなかったのである。実に不思議だ。
屋上に登るとアルジュナ山が東に見える。西には、三六七六mのスメル山がある。ジャワ島は本州の半分ぐらいであろうか、そこに三千メートル級の山が沢山ある。スメル山はもちろん、メール(マハメール)山からきている。須弥山だ。ヒンドゥー教の聖山である。一九一一年、一九四六年と爆発、活火山である。そしてまた、ブロモ山がある。東ジャワで最も美しいとされ有名なカルデラ火山である。屋上からの眺めは抜群だ。名前の知れないブラジルからの建築は絶対意識したに違いない。
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