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2021年2月26日金曜日

ハトとコラル  非グリッドの土地分割システム Hatos & Corales Anti-Grid Land Division System

traverse09 2008 新建築学研究09

ハトとコラル 非グリッドの土地分割システム 
布野修司
 Hatos & Corales Anti-Grid Land Division System
 Shuji Funo 

 We have been conducting the field research under the title ‘Origin, Transformation, Alteration and Conservation of Urban Space of Colonial Cities. This paper discusses the characteristics of the Spanish colonial cities in the Cuba Island. During Spanish colonial period, approximately a sixty of colonial cities were established in Cuba. This study has been accomplished based on the analysis of old maps from AGI(The Archive of the Indies in Seville- Archivo de Indias de Sevilla). We classify them into several types according to the criteria of urban items such as location, urban, plaza, blocks, streets, measures, plots etc, which Law of Indies describes and discuss the transformation process of the city.

 

 カンポン[1]とカンポンという言葉[2]に導かれ、植民都市研究[3]へ赴き、オランダ植民地を軸にして一応のまとめ[4]を行った段階では、まさかカリブ海、しかもキューバに行くことになろうとは思わなかった。アジアの植民都市ということで、北ルソンのスペイン植民都市ヴィガン[5]を調査したことはあるが、スペイン、ポルトガルの植民都市については手も足も出ない、と思っていた。第一、スペイン語という大きな壁がある。

 ところが、ホアン・ラモン・ヒメネス・ベルデホ[6]という共同研究者を得て、事情が変わった。氏の旺盛な研究意欲に突き上げあれるようにスペイン植民都市研究に手をつけることになった。氏が、セヴィージャSevillaのインディアス古文書館El Archivo General De IndiasAGI)に収蔵された植民都市関連地図資料7152枚をマイクロフィルムの形で入手、所有していたことも大きい。研究費[7]も得て二度もカリブ海を訪れることになり[8]、多くの発見があった。その最大なものが、ハトとコラルという円形を用いた土地分割システムである。以下に、ハトとコラルを中心に、これまでの成果を紹介したい。

 

1. 7152枚の地図

インディアス古文書館(AGI16部門[9]のうち、第16部門の地図・計画図Mapas y Planos部はグラフィカルなデータを集中的に集めている。ペデロ・トーレス・ランサPedro Torres Lanza1897年にこの部門をつくり、現在も収集が続けられている。

16部門は、地域毎に30の部門に下位分類されている。200141日に入手することができた地図は 1-11, 14 20, 24, 30を除く部門である。その総計7152枚の地図類は、4480にラベル化される[10]。その内、3558枚がいわゆるラテンアメリカに関するものである(表1)。


地図類は、次の8種に分類できる。

A.一般地図:新たに発見した領域を描く地図。山川など地理学的要素が記入される。(1.1)B.軍事用地図、C. 領域計画図(1.2)D. 都市一般図(1.4)E. 都市計画図(1.3)F.建築設計図(1.5)G.都市建築要素の詳細図、H.その他。このうちC.ハトhato図あるいはコラルcoralと呼ばれる、入植者に割り当てられた農地・放牧地の範囲を円形に示す図である。ラテンアメリカに関する3558枚の地図をこの分類に従って分けると表2のようになる。


D. 都市一般図、E. 都市計画図に絞ると、計354枚、都市図として分析に耐えうるものに限定すると、その数は減って110枚となる。このうち、26都市(28都市図)がキューバの都市である。そして、ハト・コラル図はキューバに関するものだけである


1 1 軍事地図La Habana (Museoo Naval, sec. Cartog. XVI-C-9) 2 ハト図 Xiaraco1742AGI. Santo Domingo,211) 3 都市図 Panama1609 (AGI. Panama 87) 4 都市計画図  Talavera de la Reina.1576AGI Buenos Aires,6) 5 要塞図(AGI. Peru 238

 

2. キューバのスペイン植民都市

西欧世界にとって、キューバの歴史は、クリストバル・コロン(1451-1501)の「新大陸」の「発見」の「航海」に始まる。1492年に、コロンは、今日のバハマ諸島の小さな島、現地人の言うグアナハニ島、彼がサン・サルバドル島と名づけた島を「発見」したあと、キューバ、そしてエスパニョーラ島(ハイチ、ドミニカ)に寄港しているのである。もちろん、キューバがコロンによって初めて「発見」されたのではないことは、今でははっきりしているが、ここでは、コロン以降のキューバにおけるスペイン植民都市の建設の歴史を必要な範囲で振り返っておきたい。キューバを中心とするカリブ海史については、日本では研究の蓄積は薄いが、大きな流れをつかむ上では、E.ウィリアムズの名著『コロンブスからカストロまで』[11]がある。また、スペイン語の通史としては、Ricardo V. Rousset1918などがある[12]

スペイン人がキューバ島を最初に訪れた頃、キューバには少なくとも三種のインディオ[13]が居住したとされるが、詳細はわかっていない。また、考古学的な遺構も少なく、キューバ固有の先住民はいないとされる。一般には、フロリダ、ユカタン半島、あるいは南アメリカから移住してきたと考えられるが、バベケBabeque島(ドミニカ共和国)から移ってきたシグアヨCiguayos族が先住していたという説もある。多くの研究者は、ヴェネズエラのオリノコ川周辺から移住したと考えている[14]

知られるように、「発見」以降、最初に征服され、拠点とされたのはエスパニョーラ島であり、キューバは1510年までは放置、無視されたままであった。ただ、セバスチャン・デ・オカンポSebastián de Ocampoが、この間、キューバ沿岸部を全て探索し(1508年)、良港となる湾としてカレナスCarenas(ハバナ)とジャグアJagua(シエンフエゴス)を発見している。

1511年、デ・オカンポによってもたらされた情報をもとに、キューバの征服に乗り出したのがディエゴ・ヴェラスケスDiego Velázquezである。ヴェラスケスはエスパニョーラ島の征服によって最も裕福となった軍人であり、彼には、後にアメリカ大陸で名をなすエルナン・コルテスHernán Cortésらが付き従っていたことが知られる[15]。また、スペイン人のインディオの虐殺を告発することになるラス・カサスBartholomew de las Casas[16]は、ヴェラスケスの友人であり、共にキューバに移り、定住している。

征服は暴力的に行われ、エスパニョーラ島から逃亡してきたアトゥエイHatuayの指揮の下でインディオたちは抵抗するが、数ヶ月後には鎮圧され、アトゥエイは火炙りに処せられている。この戦闘も含めて、キューバ植民の経緯については、ラス・カサスの『インディアス史』(第321章~32章)[17]に書かれている。

征服は東部からなされ、最初に建設された村、居留地(ヴィジャvilla)がバラコーアNuesta Señora de Asunción de Baracoaである(1512)である。バラコーア以降、スペインが建設した拠点、58都市を、諸文献[18]をもとに年代順に示したのが図2である。最初期、ヴェラスケスの時代に建設された8都市は、今日のキューバの主要な都市ともなっている。

キューバは金の採掘によって一時繁栄するが、金はまもなく枯渇し、スペイン人の入植活動がメキシコ、ペルーなど大陸へ移行すると、活動は停滞する。その後18世紀末まで、キューバは人口も少なく、牧畜とタバコ、砂糖を生産する小農的な植民地にとどまった。ただ、ハバナが大陸のスペイン植民地と本国との間の貿易の中継地となり、それなりの地位を保つことになる。西欧列強の海賊が横行し、ハバナ周辺には要塞が建設される。市壁をもったキューバのスペイン植民都市はハバナだけである。今日のハバナの骨格ができるのは1670年頃である。

18世紀末から大規模な奴隷制砂糖プランテーション産業が勃興する。隣接するフランス領サン・ドマング(ハイチ)で奴隷反乱が起こり、砂糖産業が壊滅したことが大きい。また、アメリカ合衆国が独立して新たな市場となったことも大きな要因とされる。1840年代には鉄道や蒸気機関が導入され、60年代には世界最大の砂糖生産地となった。

19世紀初頭に、イスパノ・アメリカの地域は本国からの独立を次々に達成するが、クリオーリョ(クレオール)の内部分裂などで、キューバの独立は遅れる。1868年に独立のための反乱が起こるが(「10年戦争」)、反乱は功を奏せず、J.マルティの指導のもとで独立を達成するのは、米西戦争(1898)を経た19025月のことである。

 


1- Baracoa (1512), 2-Bayamo (1513), 3-La Habana (1515), 4- Remedios (1514),

5 - Santi Spiritus (1514), 6- Puerto Principe (1515), 7- Santiago de Cuba (1515), 8- Trinidad (1515),

9- Melena del sur (1650), 10- Holguin (1523), 11- Consolidacion del sur (1690), 12- Villa Clara (1690), 13- Matanzas (1693),

14-Santiago de las Vegas (1725), 15- Jiguani (1701), 16- Bejucal (1713), 17- Guines (1735), 18- San Felipe (1739),

19- San Cristobal (1743), 20- Juan Alberto Gomez (1747), 21- Guaimaro (1750), 22- Las Tunas (1750), 23- Sagua de Tanamo (1750), 24- San Juan y Martinez (1750), 25- Los Palacios (1763), 26- Guisa (1766), 27- Jaruco (1770), 28- Pinar del Rio (1773), 29- Nuevitas (1781), 30- San Diego de los Banos (1775), 31- San Jose de las Lajas (1778), 32- Guira de Melena (1779), 33- San Antonio de los Baños (1782), 34- Mariel (1797), 35- Cumanayagua (1800), 36- Santa Rita (1800), 37- Nueva Paz (1802), 38- Madruga (1805), 39- Manzanillo (1792), 40- Casilda (1808), 41- Sagua la Grande (1812), 42- Varadero (1815), 43- Cifuentes (1817), 44- Colon (1818), 45- Cienfuegos (1817), 46- Santo Domingo (1819), 47- Gibara (1820), 48- Guantanamo (1820), 49- Moron (1827), 50- Nueva Gerona (1827), 51- Cardenas (1828), 52- Caibarien (1832), 53- Ciego de Avila (1840), 54- San Luis de los Pinos (1845), 55- Bemba (jovellanos) (1849), 56- Sibanicu (1849), 57- Viñales (1875), 58- Banes (1887).

2 キューバのスペイン植民都市

 

 

3. キューバ島の領域分割:ハト・コラル・システム

ディエゴ・ヴェラスケスに率いられたスペイン人が入植し、バラコーアを建設した1512年に、キューバ島は、グアニグアニカGuaniguanica,マリエンMarien,ハバナ,サバネケSabaneque,ハグアXagua,クバナカンCubanacán,マゴンMagón,カマグエイCamagüey,オルノファイOrnofay,マニアボンManiabón,バヤモBayamo,クエイバCueiba,マカカMacaca,バヤティキリBayatiquirí,バラコーア、マイシMaysíという16の先住民の領域からなっていたとされる。ヴェラスケスたちは、この16の領域をコントロールするために、バラコーアに続いて、バヤモ(1513),トリニダード, サンクチ・スピリタスSancti Spíritus、ハバナ(1514),プエルト・プリンシペPuerto Principe (1515)、サンチアゴ・デ・キューバ (1515)の7つの植民都市(拠点)を建設した。

1774年に、植民地政府は、キューバ島をハバナを中心とする西部行政区とサンチアゴ・デ・キューバを中心とする東部行政区の二つの行政区デパルタメントdepartamentoに分ける。

1827年には、西部行政区を二つに分け、ハバナの西をピナール・デル・リオPinar del Rio を中心とする新たな西部行政区とし、ハバナを中心とする領域を中部行政区としている。すなわち、領域を三区分とした。


3-ハバナ州のハトトコラルのグルーピング

1-全体分割 GIS data.

B- 北東部: 1729. AGI- MP Santo Domingo 153.,

A,C- 西部: 1756. AGI- MP Santo Domingo 303

D- 南部: 1739. AGI- MP Santo Domingo 195

 

10年戦争[19]後の1878年に、植民地政府は、さらに領域分割を行い、6つの州プリヴィンシアprovinciaを設ける。これはスペイン本国における州構成を導入するものであり、州長の選定を行おうとするものであった。6州は、西から東へ、ピナール・デ・リオ、ハバナ、マタンザスMatanzas、サンタ・クララSanta Clara、プエルト・プリンシペ、サンチアゴ・デ・キューバである。1899年に、プエルト・プリンシペはカマグエイに、1905年にサンチアゴ・デ・キューバはオリエンテOrienteに、1940年にサンタ・クララはラス・ヴィジャLas Villasに、それぞれ改称されている。

19786月に樹立された現在のキューバ政権は、新たな行政区分を行っている。結果として、14の州と1特別州から今日のキューバはなる。各州は計169の自治体municipioに分かれ、各自治体はさらに居住区バリオbarrioに分かれている。

スペイン国王は、当初、ディェゴ・デ・ヴェラスケスに征服した先住民の土地を分配する権力を与えた。その際、ヴェラスケスは、カバレリアcaballeria[20]とペオニアpeonias[21]というスペインで用いていた単位を使っている。新たに分配された土地は4年間の耕作の義務が課せられた。また、私的な土地とともに住民組織のための共有の土地も分配されている。1512115日に自治法が施行されて以降は、市政府カビルドcabild[22]が土地の分配を行うようになる。土地の獲得は、メルセドMerced(土地の権利)の獲得によって行われたが、そのために必要とされたのは以下である。

a) セヴィージャのインディアス枢密会議Concejo Real y Supremo delas Indiasに規定のお金を納める

b) カビルドに規定の頭数の家畜を収める

c) 土地の使用期限の決定.

d) 所有地の近隣に旅人のための宿所(飲料水と薪の提供)の建設。

このシステムは1690年まで179年間続くことになる。

メルセドの面積はハトあるいはコラルによって規定された。コラルは半径1レグアlegua(リーグ)[23]、ハトは半径2レグアの円形の土地を意味する。ハトとコラルの間の土地はレアレンゴ Realengoと呼ばれ、スペイン国王に属す。

当初、メルセドの分譲に当たってハトとコラルの面積を厳密に規定せず、要求された土地の場所を指定するのみであった。重要なのは中心の決定であって、境界の決定は曖昧で、不正確であった。他に居住者がいないのであるから当然である。時を経て新たな土地が譲渡されるようになると、土地の境界をめぐる紛争が頻発し始める。他の所有者のハトあるいはコラルと重なるケースが起きたからである。

植民地政府は、1579年になってようやく土地確定のための測量規則を制定することになるが、そこで大きな役割を果たしたのが土地測量士ルイス・オブ・ペニャLuis of Peñaである。

当初、メルセドは個人に分譲されたが、世襲が可能であった。次第に家族の各成員にも譲渡され、他人に権利を与えることも行われるようになった。結果として、共同所有のハトあるいはコラルも出現している。

リカルド・V・ルーセットRicardo V.Rousset[24]によれば、1509年から1742年にかけて分譲されたのは。コラル858、ハト100、ハト+コラル26である。ハトとコラルは、大きく、ハバナ、ロス・ピノス、マタンザス、サンタ・クララ、カマグエイの5つの地域にグルーピングできる。キューバ島東端部のオリエンテ地域ではハト・コラルによる領域分割は行われていない。一例としてハバナ州のハト・コラル図を図3に示す。

リカルド・V・ルーセットの調査によると、計548のハトとコラルは当初の名前が知られるが、残りの310については、15世紀から16世かけての英国の海賊の侵略を受け、古文書が失われているため明らかにできない。

上述のように、各州はいくつかの自治体(ムニシピオmunicipioをもつが、具体的には、サンタ・クララは30、ハバナは20、マタンザスは19、ロス・ピノスは14、カマグエイは8の自治体からなる。そのうち、最も多くのハト・コラルからなるのは、カマグエイ州のカマグエイ自治体で、79ある。続いて、サンクチ・スピリタス78、グアネ37、サンタ・クルス・デル・スル33、マントゥア32、イスラ・デ・ロス・ピノス32の順である。2つのハトあるいはコラルからなる自治体が11、ひとつのハトないしコラルからなるものが8ある。

セヴィージャのインディアス公文書館(AGI)には、計149のハト・コラル図があり、全部で287のハト・コラルが描かれている。古いものは1728年、新しいものは1847年の図が含まれている。当初は、ハト・コラル図は用いられなかったことがわかる。

ハトとコラルにつては、一枚の興味深い図がある(図4):AGI- Santo Domingo 209)。

 


4- AGI- Santo Domingo 209.ハトとコラルの形態.

 

これによると、ハト1つからなる1から11の土地のかたちが分類されている。1- ハト、2- コラル、3- 4つのハト、4- 3つのハトと1つのコラル、5- 2つのハトと2つのコラル、6-1つのハトと2つのコラル、7- 1つのハトと1つのコラル、8- 2つのコラル、 9- 1つのレアンゴ(ハトとして用いられる), 10- 1つのレアンゴ(コラルとして用いられる)、11-最小土地.

日本の条里制、米国のマイル・グリッドなど、方格地割(グリッド・パターン)が古今東西に広く見られる中で、この円による分割は極めてユニークである。

キューバのスペイン植民地におけるこの極めてユニークな領域分割システムについて、ハバナ周辺について具体的に明らかにしたが、その要点は以下のようである。

①キューバでは、入植者に一定の囲い地、すなわち牧畜のための土地ないし農地が与えられたが、それをハトあるいはコラルという。コラルは半径1レグア(リーグ)、ハトは半径2レグア(リーグ)の円形の土地である。

②ハトとコラルによる領域分割によって、18世紀末までにキューバ島全域が分割された。

③ハトとコラルの領域が重なることから、ハト・コラル図が作られるのは1730年代からである。

④ハト・コラルは、沿岸部の入植拠点にまず設置され、その周辺に付加する形で拡がっていった。

⑤ハト・コラルの内部分割が行われるのは1820年代以降である。

⑥ハト・コラルによる領域分割の痕跡は、今日の行政境界に円弧の形で残っている。

 

4. キューバ都市モデルの類型

キューバのスペイン植民都市58のうち、セビージャのインディアス古文書館(AGI)に都市図が残されている都市は26である。サンチアゴ・デ・ラス・ヴェガスとヌエヴァ・パスの都市計画図が二種あり、都市図については合わせると28となる[25]。この28枚の都市図は図5に示す通りである。各都市の建設年、建設者、立地、各都市図の製作年、製作者は明らかになっている。

 

4.1 都市形態と街路体系

 都市全体の形態についてみると[26]、まず、全体が市壁および稜堡bastionによって囲われたものとそうでないものにわけることができるが、前述のように、キューバで市壁をもつのはハバナのみである。イベロ・アメリカ(ラテン・アメリカ)全体をみても、スペイン植民都市で市壁をもつものは少ない。周辺に要塞をもつのは、ハバナの他、サンチアゴ・デ・キューバ、マタンザス、シエンフエゴス、ヌエヴィタスである。これらの都市は戦略上重要な拠点であったことがわかる。

街路体系として、グリッド・パターン(直交街路パターン)を採るものとそうでないもの(不規則なもの)があるが、後者のバラコーア、バヤモ、プエルト・プリンシペ、トリニダードなど、ほとんどがヴェラスケス時代に建設されたものである。これを第Ⅰ類型とすることができる。ハバナ、サンチアゴ・デ・キューバにしても、全体的にはグリッド・パターンと言えるが、正確な直交グリッドにはなっていない。

スペイン植民都市の特徴とされる直交グリッドの街路体系をもつ都市でも、インディアス法が理念化するような完結的な形(矩形)を採るものとそうでないものに分けられる。前者が第Ⅱ類型、後者が第Ⅲ類型となる。理念型がそのまま実施された場合も、グリッドに従って拡張が行われるのが一般的である。

ここで、都市モデルの理念型を示すと考えられる完結的形態(矩形)をしている都市図13についてみると以下のようである。全体が正八角形をしており、放射状の街路体系をとるヌエヴァ・パス(図521)は、唯一特異であるが、実際の建設には用いられていない。

 


5 キューバのスペイン植民都市図

 

この全体が矩形で示される13例のうち、東西×南北の街区数をみると以下のようである(図6)。


マヤリ:3×3、サン・フアン・デ・ラグニジャス:3×4

マナフアイ:4×4、サン・フェリペ:5×7

サンタ・クララおよびハルコ:6×6アトチャ :7×6

サンチアゴ・デ・ラス・ヴェガス:8×9、ヌエヴァ・パス:9×9

ギネス:10×10、サンチアゴ・デ・ラス・ヴェガス:11×11

ヌエヴィタス:12×8ニペス:13×13

 

6 基本モデルの街区割りパターン

 

限られた数ではあるが、以上のように、キューバにおいては、ホセ・デ・エスカンドンJosē de Escandónがメキシコのヌエヴォ・サンタンデールNuevo Santanderで用いたような統一的なモデル[27]は用いられなかったと考えられる。

 

 4.2 街区、広場、街路

都市全体の形態は、以上のようであるが、直交グリッドの街路パターンを採る22の都市について、街区、広場の規模、形状、街路幅員についてみると以下のようである。

まず、街区と広場の形状に着目すると、S:全て正方形の区画からなるもの(6/22)とR:全て長方形の区画からなるもの(6/22)があり、残り(10/22)は、正方形と長方形の二種類の区画からなる。

知られるように、インディアス法は、東西南北の長さの比が1.51となることを推奨しているが、中央広場が正方形であるものが少なくない。

22の都市のうち、広場を一つだけ持つものは12ある。そのうち広場が中心に位置するのが8つである。2つ以上の広場を持つ10都市のうち、中央と東北、西北、西南、東南の4ヶ所、計5つの広場をもつのが、ギネス、ヌエヴィタス、ニペスである。これは、ひとつのプロトタイプと言えるだろう。

インディアス法は、内陸に立地する場合は中心に置くとし、沿岸部に立地する場合は港の近くに置くというが、中心に広場を持たないものは、実際、海岸部もしくは川沿いに立地するものである。

インディアス法は、中央広場を中心に都市の建設と構成を記述する。そこで、広場と広場周辺の街区の形態によって、都市モデルを類型化してみよう。実際、最初に広場を中心として周辺の街区が計画されるのであるから、その類型で都市モデル全体を類型化することが本質的であると考える。

 7152枚の地図のうちグリッドプランを採る都市図が残されているのは110都市であるが、中央広場と周辺街路との関係、すなわち中央広場から発する(中央広場へ達する)街路の方向と数を見ると、AからFの6パターンにきれいに区別することができる。キューバのスペイン植民都市22を、街区が正方形あるいは長方形の1種類からなるものと2種類以上からなるもの、そして、街区の形状が正方形か長方形かを分類軸として、ヴァリエーションも含めて図示したものが図7である。同じパターンを採るものは少なく、むしろ、ヴァリエーションは多いといえるであろう。

 


7 都市モデルの類型-中央広場と街路のパターン

 

 以上の類型は広場の規模とある程度関係する。中央広場の規模を見ると、ヴァラvara(0.836 m)[28]を単位として、最小70vara×70varaから最大280vara×280varaまで、それぞれである。100vara×100vara3都市、120vara×120vara2都市、95vara×95vara2都市であり、強いて言えば、100vara×100vara近辺が多いといえる。基本的に100vara×100varaで計画され、両端に12varaの街路幅を加えると124varaとなる。都市図の残されているスペイン植民都市全体で最も多い広場の規模は124vara×124varaで都市ある。

インディアス法は、200pie[29]×300pie 66.7vara×100vara)を最小とし、理想を400pie×600pie132vara×200vara)、最大を530pie×800pie176vara×266vara)としている。キューバのスペイン植民都市の場合も、およそ、その範囲に収まっている。

 

4.3 街区分割

28の都市図のうち、広場、街区、街路の規模が特定できるものについて、街区の分割パターンだけに着目して抽出すると図8のようになる。同一都市でも複数の分割パターンが見られる。

  広場や教会など一街区全体を用いるものから、2分割、3分割・・・・20分割までみられるが、それぞれ考えられている分割モデルは容易に理解できる。街区内部の土地の利用の問題から、3×3の分割、すなわちナイン・スクエア形の分割は極めて少ない。

 シエンフエゴスおよびカルデナスのようにフランスの影響も、この街区分割のパターンに認めることができ、初期の極めて単純な土地分割パターンが変わっていったことがわかるが、実際にどのように分割が行われたか、また、どのように再分割が進行したかについては個々の都市についてみていく必要がある。

 


8 街区分割のパターン

 

5. キューバ都市の変容

キューバのスペイン植民都市、すなわちスペイン統治時代に建設された都市58のうちかなりの都市については、衛星写真[30]によって、その現況をある程度伺うことができる。しかし、ここでは都市図の残る、上記26都市の現況について確認したい(図9)。

 


9 現況航空写真

1-サン・フェリペ、2-カルデナス、3-ヌエヴァ・パス、4-ハルコ

 

世界文化遺産に登録された4都市については、その都市形成と変容について別個に考察が必要となるが、シエンフエゴスの場合、その計画理念とその後の発展過程に極めて一貫するものがある。すなわち、グリッド・パターンの街路体系がものの見事に実現し、その後も体系的に都市計画が行われてきた典型がシエンフエゴスである。これは、同じように港湾都市として計画されたカルデナスについても指摘できる。キューバの南岸と北岸を代表するのがこの2都市である。

19世紀初頭に建設されたこの二つの都市に対して、17世紀後半から18世紀にかけて建設された都市の多くは、完結的な基本モデルを用いたと思われるが、基本モデルをそのまま実現させたと思われるものは、サンチアゴ・デ・ラス・ヴェガス、ヌエヴィタスを除くと少ない。サン・フェリペの場合、測量技術が未熟であったことが明らかで、当初からグリッドが歪んでいる。また、ハルコの場合、地形が急斜面にあり、基本計画はそのまま実現していない。さらに、ギネスの場合、既存集落があり、グリッドが既存の街路に引きずられて、当初から二重になっている。また、広場も新旧二つがそのまま維持されてきている。

以上のように、極めて当然であるが、スペイン植民都市といっても、その具体的な計画、建設過程、変容過程は実に多様である。

個々の都市の起源、形成、変容の過程についてのモノグラフを積み上げる中で、変わるものと変わるもの、都市、街区の骨格とその使用についての基本原理を明らかにするのが大きな課題となる。

都市形成過程、基本モデル、建設過程など詳細は省かざるを得ないが、具体例を挙げておきたい。

10は、ヌエヴァ・パスの現況の宅地分割図である。ヌエヴァ・パスは、整然としたスペイン植民都市の基本モデルを用いた典型的な都市であり、19世紀初頭のキューバにおいて、依然として基本モデルが用いられていたことを示す事例である。


10 ヌエヴァ・パスの宅地建物現況図 2006

 

 

80vara×80varaの街区を3×2=6個の宅地(26.7vara×40vara)に分割するのが当初の計画であるが、7×7=49区画、東南部の2区画を除いて47街区について、宅地分割のパターンをみると、角地と街区中央の宅地で分割パターンは当然異なる。2宅地を使う教会を除いて、1宅地をそのまま用いているのが19ある。そのうち11は中央に位置する宅地である。以下、2分割が663分割が944分割が695分割26ある。平均すれば、3,05である。

 


11 シエンフエゴス中心部 宅地分割図

 

宅地の細分化は一貫して進行してきたことがわかるが、宅地分割のパターンとその立地には一定の傾向を指摘できる。一般に中央広場の周辺、そして北側の宅地は、分割数が少ない。街区全体の分割数も、その傾向を示している。

キューバにおける都市計画は、このヌエヴァ・パス以後、19世紀半ばにかけて新たな展開をみせる。図11は、その典型と思われるシエンフエゴスの都市核の宅地分割図である。また、図12は、その分割パターンを整理したものである。

キューバの植民都市の場合、あるいはメキシコのヌエヴォ・サンタンデールのエスカンドンの都市の場合でも、長さを幅の1.5倍とするインディアス法の規定(112条)にもかかわらず、中央広場は正方形とすることが多い。シエンフエゴスの場合も、100ヴァラ×100ヴァラという単純均一なグリッドを用いているが、中央広場を二街区分としている点、また公共施設を中央広場の周辺に配置している点、インディアス法が前提とされていたことは当然である。建物の高さは平屋もしくは二階建てが基本で、モニュメンタルな建物でも現在も四層以下に押さえられている。かつての景観をよく残しているといっていい。

しかし、街区の細分化は、かなり顕著に進行している。当初の計画では、23街区(5×525街区から中央広場の2街区を除く)230宅地が用意されていたわけであるが、当初の1000ヴァラ平方のままで用いられているのは27区画である。また、合筆する形で用いられているのが8区画である。その内訳は、2000ヴァラ平方のものが33000ヴァラ平方のものが5である。すなわち、分割されずにそのまま使われ続けてきたのは48宅地(現在のロット数は35)である。

元の1,000ヴァラの宅地が二分割されたものは37、三分割されたものは44、四分割されたものは32である。以上で161宅地となり、2307割となる。骨格においてはそう大規模な再開発は起こらなかったことがわかる。

シエンフエゴスは、古くから南岸の良港として知られてきたが、本格的に都市建設が行われたのは、1819年のフランス人デ・クルーエの入植以降である。基本的に、100ヴァラ×100ヴァラを街区の単位として、街路幅も15ヴァラの単純なグリッドシステムが採用された。また、最初の都市モデルとしては5×525の街区が想定されていた。市域の拡張は、グリッドを延長する形で行われ、1839年に斜めに直行する道路が造られ、1879年にほぼ45度回転した街区が東北部に作られた。

 発展をコントロールする都市計画法は、1856年に作られ、改定を繰り返すかたちで今日まで維持されている。詳述する余裕はないが、世界文化遺産に登録される上で大きな力になったのはこの景観コントロールシステムである。

 

6. グリッド都市―スペイン植民都市の空間理念とその変容―

本稿では、予め入手したセビージャのインディアス古文書館(AGI)に収蔵された地図資料によって、キューバにおけるスペイン植民都市の類型を明らかにし、さらに実際に用いられた都市モデルを明らかにした。インディアス法の規定とは異なって、実際は、全て正方形グリッドが用いられているように、かなり簡便な計画が行われていることを具体的に詳細に指摘したこ。そして、キューバにおいて、ハトとコラルによるユニークな土地分割システムが行われてきたことを明らかにした。スペイン植民都市がワンパターンであるという一般の理解は誤解である。

街路体系、街区構成、宅地分割の変化については、ヌエヴァ・パス、シエンフエゴスについて一部その分析を示した。個別の分割変容のパターンは一概に言えないが、グリッド・パターンの持続性は一般的に指摘できるであろう。カリブ海域とメキシコ東岸のスペイン植民都市の展開について大きな見通しを得ることができた。この作業をラテンアメリカ全体に広げることが目指される。「グリッド都市―スペイン植民都市の空間理念とその変容―」といった本が出せたらと思う。

関連して執筆した論文は以下である。

* J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、齋木崇人、スペイン植民都市図に見る都市モデル類型に関する考察、Considerations on Typology of City Model described in Spanish Colonial City Map,日本建築学会計画系論文集,616pp91-97, 20076

J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、齋木崇人、 ホセ・デ・エスカンドンの都市計画モデルに関する考察 Considerations on Urban Model by José de Escandón、日本建築学会計画系論文集,617pp95-101, 20077

* J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、齋木崇人、ホセ・デ・エスカンドンによる計画都市の変容に関する考察、日本建築学会計画系論文集,620pp119-125, 200710月、Considerations on Transformation of Urban Model by José de Escandón, J. Archit. Plann. AIJ, No.620, pp119-125 

 * J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、山田協太、キューバのスペイン植民都市モデルの類型に関する考察、Considerations on Typology of Spanish Colonial City Model in Cuba, 日本建築学会計画系論文集,623pp, 20081

* J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、山田協太、ヌエヴァ・パス(キューバ)の都市形成と街区分割に関する考察、Considerations on Urban Formation and Block Division of Nueva Paz(Cuba), 日本建築学会計画系論文集,623pp, 20081

* R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、山田協太、ハトとコラル:キューバにおけるスペイン植民領域分割システムに関する考察、Hatos and Corrales: Considerations on Spanish Colonial Territory Division System in Cuba, 日本建築学会計画系論文集,625pp579-585, 20083

* J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、山田協太:シエンフエゴス(キューバ)の都市形成と街区分割に関する考察Considerations on Urban Formation and Block Division of Cienfuegos (Cuba)、日本建築学会計画系論文集、第626号、pp 781-7872008年4月

* Jimenez Verdejo Juan Ramon Shuji Funo & Kyota YamadaThe Hatos and Corrals: Considerations on the Spanish Colonial Territorial Occupation System in Cuba."JAABE Journal of Asian Architecture and Building Engineering.  Vol.7, No.1, pp ."May, 2008

* J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、山田協太:サン・アントニオ・デ・ロス・バニョス(キューバ)の都市形成と街区分割に関する考察、Considerations on Urban Formation and Block Division of San Antonio de los Baños (Cuba)、日本建築学会計画系論文集、第629号、pp1507-15122008年7月

 

主要参考文献

1) Alcina Franch, Jose; La ciudad hispanoamericana. El sueno de un orden, El pasado prehispanico y el impacto colonizador, CEHOPU, CEDEX. Madrid. 1997.

2)Artega Zamaran; La ciudad iberamericana, La Urbanizacion hispanoamericana en las Leyes Indias, Actas del Seminario Buenos Aires 1985. CEHOPU. Madrid. 1987..

3) Bennasar, Bartolome; Obras Hidraulicas en America colonial. El agua en elnuevo mundo, M.O.P.T.M.A. Madrid. 1993.

4) Calderon Quijano y Jose Antonio; Fortificaciones en Nueva Espana. C.S.I.C. Madrid. 1984..

5) Dianes Rubio, Pablo; Estudios sobre urbanismo ibero-americano. Siglos XVI al XVIII, Plaza y espacio publico en la Baja Andalucia, J.A. Sevilla. 1999.

6) Dominguez Ortiz, Antonio; La Conquista y la Ocupacion del territorio, Andalucia en America, El legado de ultramar.J.A. Barcelona. 1995.

7) Gonzalez Garcia, Pedro et al; Archivo General de Indias, Manisterio de Educaion y Cultura, Lunwerg, Barcelona, 1988.

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9) Gonzalez, Julio; Catalogo de mapas y planos del Archivo General de Indias . D.G.A.B. Madrid.1985. CIDA, 16 16.

10) Hardoy, Jorge E., “La forma de las ciudades colonials en la America Espanola  Estudios sobre la ciudad iberoamericanas”, C.S.I.C., Madrid, 1983

11)INEGI; Tamaulipas XII Censo General de Poblacion y Vivienda. INEGI. Mexico.2000.

12) Kagan, Richard L., Urban Images of the Hispanic World 1493-1793, Yale University Press, New Haven & London, 2000

13) Marrero, Levi., Geografia de Cuba., La Habana. 1951.

14) Solano, Francisco de; Normas y Leyes de la ciudad Hispano-americana 1492-1600. C.S.I.C.. Madrid. 1990.

15) Solano, Francisco de; Ciudades hispanoamericanas y pueblos de indios. C.S.I.C..Madrid.1990.

16) Rodriguez Vicente, Encarnacion; El comercio entre Espana e Indias, Historia Urbana de Iberoamerica .Consejo Superior de los Colegios de Arquitectura de Espana.. Junta de Andalucia. Madrid. 1987.

MAPS

17) Rousset, Ricardo V., Historia de Cuba.. La Habana 1918.

18) Vuevas Toraya, Juan de las , 500 años de construcciones en Cuba.. Cuba. Chavin. Madrid. 2001

19) Weiss, Joaquin E, La arquitectura colonial cubana. Junta de Andalucia: C.O.P.T. Instituto cubano del libro. Madrid. 1997.84-8095-083-8

20) Zendegui., Guillermo de, Las primeras ciudades Cubanas y sus antecedentes urbanisticos. Cuban National Heritage and Ediciones Universal. Miami. 0-89729-836-5.

 

 



[1] 拙著、『カンポンの世界 ジャワの庶民住居誌』、PARCO出版、1991

[2] 英語のコンパウンドcompoundは、カンポンkampungに由来するとOEDOxford English Dictionary)はいう。人類学で一般的に用いられるコンパウンド、ホームステッド、セトルメント、さらにホーム、ハウスといった言葉を検討する中で、椎野若菜(「コンパウンド」と「カンポン」---居住に関する人類学用語の歴史的考察---」、『社会人類学年報』、Vol.262000年)は、カンポンという言葉がコンパウンドに転訛していく過程に西欧諸国の植民地活動があるとする。すなわち、バントゥン、バタヴィアあるいはマラッカにおいて民族集団毎に囲われた居住地の一画を指してそう呼ばれていたのが、インドの同様な都市の区画も同様にそう呼ぶようになり(インド英語Anglo-Indian English)、カンポン=コンパウンドはアフリカ大陸の囲われた集落にも用いられるようになったというのである。コンパウンドというのは、①囲われた空間、あるいは②ムラvillage、バタヴィアにおける「中国人カンポン」のような、ある特定の民族によって占められた町の区画を意味する。まさに、カンポンはそういう空間である。カンポンの語源については、ポルトガルのカンパンハcampanha,カンポ campo(キャンプの意)の転訛、フランス語のカンパーニュcampagne(田舎country)の転訛という説もある。

[3] 拙稿、「植民都市の建設者・・・計画理念の移植者たち」、traverse14,2000:「植民都市の特性と類型 オランダ植民都市研究」、traverse 4,2003

[4] 拙編著書:『近代世界システムと植民都市』、京都大学学術出版会、2005年にまとめられている。

[5] 山口潔子,布野修司,安藤正雄,脇田祥尚,柳沢究: ヴィガン(イロコス,フィリピン)の街区構成に関する考察,Block Formation in Vigan, Ilocos, the Philippines, 日本建築学会計画系論文集,553, pp209-215, 20023月。山口潔子,布野修司,安藤正雄,脇田祥尚: ヴィガン(イロコス,フィリピン)における住宅の空間構成と街区分割, 日本建築学会計画系論文集,572, pp1-7, 200310

[6] 現滋賀県立大学環境科学部講師。日本学術振興会JSPSPDとして布野研究室に200604200803に客員研究員として在籍。

[7] 住宅総合研究財団2007-08年研究助成「スペイン植民都市の起源・変容・転成・保全に関する研究―キューバ島を焦点として―」(主査 布野修司、ホアン・ラモン・ヒメネス・ベルデホ、応地利明)

[8] 現地調査は、第一次調査(200566日~21日、J.R.ヒメネス・べルデホ)、第二次調査(2006813日~93日、J.R.ヒメネス・べルデホ、布野修司、応地利明、山田協太)、そして第三次調査(200793日~918日、J.R.ヒメネス・べルデホ、布野修司)の三回行った。踏査し、地図等資料を入手した都市は、ハバナ、サン・アントニオ・デ・ロス・バニョスSan Antonio de los Baños、シエンフエゴス,ヌエヴァ・パスNueva Paz,サン・フェリペSan Felipe、ギネスGuines, Nuevitas、カルデナスCardenas、サンチアゴ・デ・ラス・ヴェガスSantiago de las Vegas、ハルコJaruco、マタンザスMatanzas、トリニダード,サンタ・クララSanta Clara、レメディオスRemedios、プラセタスPlacetas、カイバリエンCaibarien、サグア・ラ・グランデSagua la Grande、ヴァラデロVaradero、ホルギンHolguin、ジバラJibara、マヤリMayari、バラコーアBaracoa、バヤモBayamo、グアンタナモGuantanamo、サンチアゴ・デ・キューバ、ピナール・デル・リオPinar del Rioである。そのうち、臨地調査を行ったのは、ハバナ,サン・アントニオ・デ・ロス・バニョス,シエンフエゴス,ヌエヴァ・パス、サンチアゴ・デ・ラス・ヴェガスなど、そしてサント・ドミンゴである。

[9] 部門は、I PATRONATO 307,II CONTADURIA 2126,III CONTRATACION 6301,IV JUSTICIA 1207,V GOBIERNO 18714,VI ESCRIBANIA DE CAMARA 2864,VII ARRIBADAS 648,VIII CORREOS 895,IX ESTADO 110,X ULTRAMAR 1013,XI CUBA 2956,XII CONSULADOS 3158,XIII TITULOS DE CASTILLA 14,XIV TRIBUNAL DE CUENTAS 2751,XV DIVERSOS 50l,XVI MAPAS Y PLANOS 6379からなる。

[10] 神戸芸術工科大学図書館が所蔵している。

[11] Williams, Eric“From Columbus to Castro The History of the Caribbean 1492-1969” Harper & Row Publishers, New York, 1970. 『コロンブスからカストロまで Ⅱ―カリブ海域史、1492-1696―』、川北稔訳、岩波現代選書、1978

[12] Historia de Cuba. Ricardo V. Rousset. La Habana 1918.-Las primeras ciudades Cubanas y sus antecedentes urbanisticos.Guillermo de Zendegui. Cuban National Heritage and Ediciones Universal. Miami. 0-89729-836-5.-500 años de construcciones en Cuba. Vuevas Toraya, Juan de las. Cuba. Chavin. Madrid. 2001.84-607-3159-6

[13] シボネーCiboneyesSiboneyes) およびタイノ Tainos もしくはアラワクArawaksAruacos)、グアナハタベイェGuanajatabeyesとされる。

[14] Jose Kanton Navarro, “History of Cuba”, SI-MAR S.A., La Habana, 2001

[15] 他に、Pánfilo Narvaez, Juan de Grijalba, Pedro de Alvarado, Diego de Ordazなどが知られる。

[16] ラス・カサスについては、染田秀藤『ラス・カサス伝新世界征服の審問者』岩波書店,1990年を参照。

[17] ラス・カサス、『インディアス史』一~五、大航海時代叢書第二期2125、岩波書店、1990

[18] 主要文献に挙げるものの他、以下を用いた。Atlas Nacional de Cuba, Academia de ciencias de Cuba y la URSS. 1970..-Catalogo de mapas y planos de Santo Domingo. Julio Gonzalez. Madrid 1973..Atlas demografico Nacional.Cuba. Comite de estadisticas. Instituto cubano de geodesia y cartografia. La Habana. 1985. Juan de las Cuevas Toraya. Servicos graficos y editorials. La Habana 2001. 84-607-3159-6..Cuba Ilustrada. Real comision de Guantanamo 1792-1802. Quinto Centenario. 84-7782-166-6

[19] 1868年から1878年にかけてのキューバの独立戦争。

[20] caballeria=60ファネガスfanegas ファネガは麦畑の耕作単位=100ピエpie×200pie:ピエは「足」を意味し、ほぼフット(フィート)と同じである。1pieは約1フィート=0.278635m12プルガダpulgada(インチ))。pieは「足」、pulgataは「親指の大きさ」を意味する。ヴァラは「木組、足場」に由来し、「細長い棒」を意味するが、3ピアの長さをいう。他にパルマpalma(「手のひら」)、ブラサbrazaという単位が用いられ、1ヴァラは4パルマ、2ヴァラが1ブラサである。具体的には1ピエ=0.2786m1ヴァラ=0.8359mとされている。ただ、キューバ・ヴァラvara cubana0.848mとされる。1カバレリアは、 134,300㎡(キューバ)、785,800㎡(プエルトリコ)、386,300㎡(スペイン)と、地域によって異なる。

[21] peonias 1/4 caballeria 50pie×100pie 約381

[22] 一時間に歩く距離をいう。古代のスペインでは、5572.7mとされる。英米では約3マイルとされる。

[23] 一時間に歩く距離をいう。古代のスペインでは、5572.7mとされる。英米では約3マイルとされる。キューバ・レグアは1 legua = 5000 varas = 4.24 km.1 vara cubana = 0.848 m.2.635 マイル、5,078カスティリア・ヴァラCastillian varas.

[24] Rousset, Ricardo V., Historia de Cuba.. La Habana 1918.

[25] 27枚がMaps of AGI cartography. Mapas y planos de Santo Domingo.所蔵、1枚は Maps of Naval Museum. Spain所蔵である

[26] J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、山田協太、キューバのスペイン植民都市モデルの類型に関する考察、Considerations on Typology of Spanish Colonial City Model in Cuba, 日本建築学会計画系論文集,623pp, 20081

[27] ホセ・デ・エスカンドンの都市モデルは、大きく二種類に分けられる。街区の大きさは、200ヴァラvara×200ヴァラvaraと基本とするが、プラサの大きさ(A100vara×100vara, B:200vara×200vara)と宅地の大きさ(A20vara×100vara, B:25vara×100vara)が異なっている。

[28] ヴァラは、ピエpieとともに、身近なスケールについて用いられる。ピエは「足」を意味し、ほぼフット(フィート)と同じである。ヴァラは「木組、足場」に由来し、「細長い棒」を意味するが、3ピアの長さをいう。他にパルマpalma(「手のひら」)、ブラサbrazaという単位が用いられ、1ヴァラは4パルマ、2ヴァラが1ブラサである。具体的には1ピエ=0.2786m1ヴァラ=0.8359mとされている。

[29] 1vara=3pie

[30] Satellite photographs Google earth によって47都市の現況が確認できた。


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