都市再生の本質ー光と影のはざまでー秩序と混沌ー「都市組織」と「都市住居」ー私にとって都市の魅力,『建築と社会』,200604
私にとって都市の魅力
布野修司
都市の魅力とは何か、と真正面から問われると、いささか戸惑う。正直、あんまり考えたことがない。ただ、『カンポンの世界』[1]以降、都市については興味を抱き続けているし、近年の『近代世界システムと植民都市』[2]、『曼荼羅都市』[3]に至るまで、調査研究の中心は「都市組織urban tissue, urban fabric」のあり方であり、「都市住居」の型である。世界中で人々が作り上げてきた「都市組織」の多様なあり方、そしてそれに適合した都市住宅の型の生み出す街並み景観の多様なあり方に魅せられ続けている。
日本の都市が魅力を失いつつあるのは、都市住居の一定の型を支える都市組織のあり方を欠きつつあるからである。そして、都市再生が叫ばれるのも、それ以前に、人々が集まって住む仕組みが崩れつつあるからである。
都市の魅力とは何か、ということは、つまるところ、都市とは何か、ということであろう。都市とは何かをめぐっては、古来多くの議論があるが[4]、その基礎は、活力ある群衆Energized crowdingの存在である。「都市とは社会的に異質な個人が集まる、比較的大きな密度の高い恒常的な居住地である」(L.ワース、生活様式としてのアーバニズム)、「都市とは地域社会の権力と文化の最大の凝集点である」(L.マンフォード)といった定義を持ち出すまでもなく、都市の中心をなすのは、大勢の人が行き交い、蝟集する場所である。観光名所、盛り場、市場、広場、雑踏、路地・・・どんな都市であれ、活き活きと人が暮らす場所は魅力的である。日本の都市の中心市街地が活力を失ったのは、端的に人が集わなくなったからである。日本の都市の郊外住宅地が魅力に乏しいのは、個々の生活が車によってバラバラに分断されつつあるからである。
バラックの海
これまでアジアを中心に数多くの都市を歩き回ってきたが、軽い興奮とともに心地よさを覚えるのが、貧相なバラックが建並ぶ、一般的には「スラム」と呼ばれるような住宅地である。そこら中にゴミが散らかり、下水は臭う、騒々しくて、人いきれでむっとする、普通の人であれば、思わず、目を背け、鼻をつまむような物的環境だけれど、何故か懐かしい。戦後まもなくの状況を直接体験しているわけではないから、この懐かしさは不思議である。
「スラム」を歩き回るのは、単なる好奇心ではない。生来の貧乏性だからと言えば言えるが、このバラックの世界に感ずる親しさは、個人の感性の問題というより、ある「共通感覚」ではないかと思う。それは、人と人とのつながり、そのぬくもりに感ずる「共有」「共生」の感覚に近い。物理的な環境は生存のためにぎりぎりといった劣悪極まりない場合でも、そのコミュニティはしっかりしている。相互扶助の組織がなければ生活が成り立たないのだから、それは当然である。突然の来訪者に対しても、暖かく迎え入れてくれるのが普通である。危ない目にあったことはほとんどない。
また、何よりも人々が活き活きしている。必死で生きている人々には素直に感動を覚える。寄せ場やホームレスの仮小屋に興味を寄せる若い世代が少なくないのも、社会問題への関心以前に「生きること」への共感があるのだと思う。
バラックの世界では、「生きること」と「建てること」、そして「住むこと」が全く同じ位相にある。我々が失ってきたのは、こうした直接的な都市への関わりである。
カンポンの世界
カンポンkampungとは、インドネシア(マレー)語でムラという意味である。カンポンガンkampunganというと「イナカモン」というニュアンスである。都市の居住地なのにムラという。このカンポン(都市村落urban village)には、多くのことを学んだが、そのエコ・コミュニティと呼びうるような特性、生態原理は以下のようである。
多様性:異質なものの共生原理:複合社会plural
societyは、発展途上国の大都市の都市村落の共通の特性とされるが、カンポンにも様々な階層、様々な民族が混住する。多様性を許容するルール、棲み分けの原理がある。また、カンポンそのものも、その立地、歴史などによって極めて多様である。
完結性:職住近接の原理:カンポンの生活は基本的に一定の範囲で完結しうる。カンポンの中で家内工業によって様々なものが生産され、近隣で消費される。
自律性:高度サーヴィス・システム:カンポンには、ひっきりなしに屋台や物売りが訪れる。少なくとも日常用品についてはほとんど全て居ながらにして手にすることが出来る。高度なサーヴィス・システムがカンポンの生活を支えている。
共有性:分ち合いの原理:高度なサーヴィス・システムを支えるのは余剰人口であり、限られた仕事を細分化することによって分かち合う原理がそこにある。
共同性:相互扶助の原理:カンポン社会の基本単位となるのは隣組(RT:ルクン・タタンガ)-町内会(RW:ルクン・ワルガ)である。また、ゴトン・ロヨンと呼ばれる相互扶助活動がその基本となっている。さらに、アリサンと呼ばれる民間金融の仕組み(頼母子講、無尽)が行われる。
物理的には決して豊かとは言えないけれど、朝から晩まで人々が溢れ、活気に満ちているのがカンポンである。そして、その活気を支えているのがこうした原理である。
このカンポンという言葉は、英語のコンパウンド(囲い地)の語源だという。かつてマラッカやバタヴィアを訪れたヨーロッパ人が、囲われた居住地を意味する言葉として使い出し、インド、そしてアフリカに広まったとされる。カンポンは、そうした意味でも、「都市組織」のひとつのモデルといっていい。
歴史の中の都市:都市の記憶・文化変容・都市の規模
都市はひとつの作品である。都市に住み、建築行為を行うこと自体が、住民それぞれの表現であり、都市という作品への参加である。そういう意味では、都市は集団の作品である。都市の建設は、一朝一夕に出来るものではない。完成ということもない。人々によって日々手が加えられ、時代とともに変化していく。そういう意味では、都市は歴史の作品である。
都市の魅力は、それ故、その歴史性にも大きな基礎を置いている。実際、都市を歩く楽しみのひとつはその歴史的追体験にある。都市の記憶が豊富であればある程、一般的にその都市は魅力的なのである。
もちろん、都市の歴史には負の遺産として記憶されるものもある。近代植民都市の歴史は、ヨーロッパによる非ヨーロッパ世界の侵略の歴史である。しかし、ヨーロッパ文化と土着の文化の衝突、葛藤を含めて、その都市の形成、変容の過程は、それぞれの都市の歴史である。都市が、本来、カンポンのように多様な階層、民族が混住し、多様な価値感を許容するものであるとすれば、多様な居住文化が相互に影響し合うことこそその魅力の源泉である。例えば、住居の形式を見ると、ヨーロッパの形式がそのまま移植される場合もあれば、土着の形式がそのまま借用される場合もある。また、多くの場合、折衷的な形式が新たに創り出される。新たに創り出された形式は、歴史の流れの中で大きな伝統となっていく。相互遺産mutual heritage、二親dual parentageという概念も共有されつつあり、世界文化遺産に登録される植民都市も少なくないのである。
曼荼羅都市
世界史の中で都市の歴史を振り返る時、産業革命、蒸気船、蒸気機関車の出現による変化、19世紀末以降の大転換が決定的である。都市はヒューマン・スケールを超えて膨張し始め、とどまることを知らない。魅力的な都市は、基本的に歩いて楽しめる都市である。近代以前の都市はほとんどそうである。
[1]
布野修司:『カンポンの世界』,パルコ出版,1991年
[2]
布野修司編:『近代世界システムと植民都市』、京都大学学術出版会、2005年
[3]
布野修司、『曼荼羅都市―ヒンドゥー都市の空間理念とその変容―』、京都大学学術出版会、2006年
[4] 布野修司:「都市のかたちーその起源、変容、転成、保全ー」、『都市とは何か』『岩波講座 都市の再生を考える』第一巻、岩波書店、2005年3月
0 件のコメント:
コメントを投稿