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2022年10月22日土曜日

「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

 「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

雑木林の世界23

 飛騨高山木匠塾(仮)構想

                        布野修司

 

 今年の一月末、ある秘かで微かな夢を抱いて、飛騨の高山へ向かった。藤澤好一、安藤正雄の両先生と僕の三人だ。新幹線で名古屋へ、高山線に乗り換えて、高山のひとつ手前の久々野で降りた。道中、例によって賑やかである。ささやかな夢をめぐって期待と懐疑が相半ばする議論が続いた。

 久々野駅で出迎えてくれたのは、上河(久々野営林署)、桜野(高山市)の両氏。飛騨は厳しい寒さの真只中にあった。暖冬の東京からでいささか虚をつかれたのであるが、高山は今年は例年にない大雪だった。久々野の営林署でその概要を聞く。久々野営林署は八〇周年を迎えたばかりであった。上河さんに頂いた、久々野営林署八〇周年記念誌『くぐの 地域と共にあゆんで』(編集 久々野営林署 高山市西之一色町三ー七四七ー三)を読むとその八〇年の歴史をうかがうことができる。また、未来へむけての課題をうかがうことができる。「飛騨の匠はよみがえるか」、「森林の正しい取り扱い方の確立を」、「木を上手に使って緑の再生を」、「久々野営林署の未来を語る」といった記事がそうだ。

 木の文化、森の文化を如何に維持再生するのか。一月の高山行は、大きくはそうした課題に結びつく筈の、ひとつのプログラムを検討するためであった。もったいぶる必要はない。ストレートにはこうだ。上河さんから、使わなくなった製品事業所を払い下げるから、セミナーハウスとして買わないか、どうせなら「木」のことを学ぶ場所になるといいんだけど、という話が藤澤先生にあった。昨年来、しばらく、その情報は、生産組織研究会(今年から10大学に膨れあがった)の酒の肴となった。金額は、七〇〇万円、一五〇坪。いくつかの大学か集まれば、無理な数字ではない。とにかく行ってみてこよう、というのが一月末の高山行だったのである。

 雪の道は遠かった。寒かった。長靴にはきかえて、登山のような雪中行軍であった。中途で道路が工事中だったのである。野麦峠に近い、抜群のロケーションにその山小屋はあった。印象はそう悪くない。当りを真っ白な雪が覆い隠している中でひときわ輝いているように見えた。

 それから、三ケ月、どう具体化するか、折りにふれて議論してきた。しかし、素人の悲しさ、議論してもなかなか具体的な方策が浮かばない。そのうちに、とにかく、わが「日本住宅木材技術センター」の下川理事長に話しをしてみろ、ということになった。頼みの藤澤、安藤の両先生は、ユーゴでの国際会議で出張中。塾長をお願いすることになっている東洋大学の太田邦夫先生と以下の趣旨文を携えて下川理事長にお会いすることになった。

 「主旨はわかります。しかし、どうして大学で「木」のことを教えることができないんですか」

 いきなりのメガトン級の質問に、太田先生と二人でしどろもどろに答える。

 「五億円集めて下さい。維持費が問題なんです。」

 絶句である。七〇〇万円のつもりが五億円である。言われてみれば当然のことである。どうも、いいかげんなのが玉に傷である。あとのことは、払い下げてもらってから考えればいい、なんて気楽に考えていたのだ。プログラムは、立派なつもりなのだけど、どうにもお金のことには弱いし縁もない。

 その後、建設省と農水省にも太田先生と行くことになった。生まれて初めての陳情である。しかし、陳情だろうと思いながら何を頼んでいいのかわからないのだから随分頼りない。

 しかし、乗りかかった船というか、言い出してしまったプログラムである。とにかく、賛同者を募ろう、というので、五月の連休あけに山小屋をまた見に行こうということになった。新緑の状況もみてみたかったのである。

 メンバーは、当初、太田邦夫、古川修(工学院大学)、大野勝彦(大野建築アトリエ)の各先生と藤澤、布野の五人の予定であったのだが、望外に、下川理事長が忙しいスケジュールを開けて下さった。全建連の吉沢建さんがエスコート役である。総勢七人+上河、桜野の九人。大いに構想は盛り上がることとなった。冬には行けなかったのであるが、新緑の野麦峠はさわやかであった。 さて、(仮称)飛騨高山木匠塾のプログラムはどう進んで行くのか。その都度報告することになろう。以下に、その構想の藤澤メモを記す。ご意見をお寄せ頂ければと思う。

 

飛騨高山木匠塾構想

設立の趣旨:わが国の山林と樹木の維持保全と利用のあり方を学ぶ塾を設立する。生産と消費のシステムがバランス良くつりあい、更新のサイクルが持続されることによって山林の環境をはじめ、地域の生活・経済・文化に豊かさをもたらすシステムの再構築を目指す。

設立の場所:岐阜県久々野営林署内・旧野麦製品事業所ならびに同従業員寄宿舎(この建物は、昭和四六年に新築された木造二棟で床面積約四八三㎡。林野合理化事業のため平成元年末に閉鎖され、再利用計画が検討されている。利用目的が適切であれば、借地権つき建物価格七〇〇万円程度で払い下げられる可能性がある)

設立よびかけ人: メンバーが建物購入基金を集めるとともに運営に参加する。また、塾は、しかるべき公的団体(日本住宅・木材技術センターなど)へ移管し、管理を委譲する。

学習の方法: 設立に参加した研究者・ゼミ学生と飛騨地域の工業高校生が棟梁をはじめ実務家から木に関するざまざまな知識と技能を学ぶ。基本的には参加希望者に対してオープンであり、海外との交流も深める。

 ここでの学習成果は、象徴的な建造物の設計・政策活動に反映させ、長期間にわたり継続させる。例えば、営林署管内の樹木の提供を受け、それの極限の用美として「高山祭り」の屋台を参考に、新しい時代の屋台の設計・製作活動を行うことも考えられる。製作に参加した塾生たちが集い、製作中の屋台曳行を行うなど毎年の定例的な行事とすることも考えられる。また、地元・高根村との協力関係による「施設管理業務委託」やさまざまな「地域おこし」も可能である。

開校予定:

 平成3年7月23日から芝浦工業大学藤澤研究室/東洋大学布野・浦江・太田研究室/千葉大学安藤研究室のゼミ合宿をもって開始する。

 





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