京町屋再生研究会,雑木林の世界38,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199210
雑木林の世界38 京町屋再生研究会
布野修司
SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)の会合になかなか出れなくなった。一度日程が狂うとことごとく調整ができなくなるのである。京都を本拠地としているから仕方がないとはいえ、いまさらのように、もどかしさを感じるところである。ただ、時代は情報化社会である。日々、情報は入ってくるし、動きが手に取るように把握できるのは救いである。
SSFでは、サイト・スペシャルズ・アカデミー(職人大学)の構想がようやくパンフレットにまとまり、いま、本格的な賛同者募集が開始されようとしているところだ。楽観的かも知れないのだが、かなり感触はいい。大きな山が動きだそうとしているそんな予感がある(職人大学設立をめざすSSFについての情報、パンフレットは事務局043-296-2701へ)。
京都の夏は暑い。といっても東南アジア馴れしていると、こんなものかとも思う。涼しい飛騨高山へ行っていたせいかもしれない。今年は台風が多いせいかもしれない。しかし、やっぱり暑いことは暑い。暑いと言えば、京都は景観問題をめぐって、依然としてホットである。「京都ホテル」をめぐる仏教会による工事差し止め仮処分申請が裁判所に却下され、仏教会は再び拝観拒否の戦術を取ることを決定したようなのである。
日本建築学会の『建築雑誌』6月号は「京都の景観問題」の特集であった。おかげで、問題の構図は、少なくとも建築界ではかなり知られるようになったといっていい。しかし、京都ホテルや京都駅とは別により深刻で一般的な問題があることはなかなか伝わらない。
例えば、次々に町屋が消えていく問題がある。京都の市民にとって身近なこの問題をめぐってはなかなか議論になりにくい。実際、様々な立場があって共通認識は得られていないようにも見える。あるいは、京町屋が消えていくことが京都にとって大きな問題であることは意識されているのかも知れない。しかし、具体的な動きというと見えてこない。実際にどういう動きを創っていくかというと容易なことではないのである。議論はわかった。じゃあどうするのかが今問われ始めつつあるのである。
そうした中で、去る七月一六日、祇園祭のクライマックスである宵山の夜、ひとつの小さな会が旗揚げされた。「京町屋再生研究会」という。発足趣意書には次のようにいう。
「千二百年の輝かしい歴史を持つ京都は、今も、わが国をはじめ世界の多くの人々を魅了する、甚だ個性的な都市であります。しかしながら、近年の環境悪化、地価高騰等を背景にして、京都の町は急激に崩れ去ろうとする重大な危機に直面するに至りました。
昨年一月、京都市は緊急の課題として、「伝統と創造の調和した町づくり推進のための土地利用についての試案」を発表し、続いて六月、「京都市土地利用及び景観対策についてのまちづくり審議会」が開かれ、本年四月、その答申が出されました。このなかで、都心の伝統的な京町屋の保全、再生の必要性が強く提案されています。これに対応して、民間各種団体からも多くの「まちづくり提言」が出されました。
今、私達は京町屋を再生する、各レベルの研究を統合してゆくと共に、それを実践に移すべき時機が到来したと認識し、共鳴する友を集めてその担い手になることを決意しました。」
研究会というものの具体的な実践を目指した研究体である。多くの提案は出されている。今はそれを実行すべき時だ、というのがひしひしと伝わってくるではないか。
横尾義貫、堀江悟郎の両先生を顧問に、望月秀祐(京都建築士会会長、モチケン・コーポレーション)会長以下、研究スタッフ、ワーキング・スタッフ、協力スタッフ合わせて二〇名が発足時のメンバーである。ワーキング・スタッフは、木下龍一幹事長(アトリエRYO)以下、建築家のグループで、協力スタッフの中には、安井洋太郎(安井杢工務店社長)、熊倉亨(熊倉工務店社長)が加わる。実践体として極めて強力な陣容である。
僕もまた、高橋康夫、東樋口護、吉田治典、古山正雄の各先生と共に、研究スタッフとして発足メンバーに加えて頂いたのだが、正直に言って、勉強させて頂きますの心境だ。京都についての勉強は否応なく始めたのであるが、何せ、一二〇〇年の都市である。出雲で生まれて、東京の周辺で過ごしてきたものにとっては京都の人とは素養の厚みが全く違うというのが実感である。しかし、とにかく具体的に何かをやるというのは賛成である。景観問題で揺れるといっても、より深刻なのは京町屋である。京町屋の再生をストレートにうたうのは、その重要性を理解し、訴える上で極めて有効でもあろう。
ところで、京町屋再生研究会は具体的に何をするのか。上の「設立主旨」は、続けて次のようにいう。
「まず一軒一軒の町屋を楽しく住みよくすることから、隣や向かいに連続する家並を修景すること、路地裏長屋の修復、再生をすること、町内に商いや工芸の制作展示あるいは喫茶、飲食等の場所そして仕事や観光で訪れる人々が、行き交い集える場所を顕在化すること、日本各地や世界の情報、新しい都市エネルギーを町内のすみずみまでゆきわたらせること、地域共同体空間としての会所、公園、学校、広場、地下共同駐車場の復元開発等。」
要するに、身近な環境で出来る事からというのが基本方針である。そして、具体的なモデル住区を設定し、そこでまず実践することが検討されている。
とりあえず、研究会を重ねながら具体策をつめていくことになるであろうが、問題は事業化手段である。かなりの基金が集まるのであれば、思い切った手が打てるのであるが、そう簡単ではないだろう。粘り強い取り組みが必要となるのは覚悟の上である。
京都の都心の荒廃には想像以上のものがある。その危機感が京町屋再生研究会結成の大きなモメントとなったのであるが、例えば、祇園祭の山鉾町でもかなりのブライト化が進行していることが、歩いてみるとすぐわかる。駐車場や空き家で歯抜け状態なのである。山鉾を曳航する住民がほとんど居なくなった町も少なくない。都心部の小学校の統廃合も次々に決定しつつある。正直言って、もう遅い、という感慨が湧いてきたりする。
もちろん、都心問題は京都に限らない問題ではある。ただ、それこそ歴史と伝統の厚みを誇る京都で他に先駆けて何らかの方向性が出されるべきだというのも一理ある。ストックの薄い他の都市ではより困難なことが多いといえるからである。京町屋再生研究会の行方は、そうした意味でも興味深い。いささか他人事のようではあるが、今後の動きに注目である。
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