「樹医」制度/木造り校舎/「樹木ノ-ト」,雑木林の世界16,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199012
雑木林の世界16
「樹医」制度・木造り校舎・「樹木ノート」
布野修司
第一回「出雲市まちづくり景観賞」の審査のために再び出雲に行ってきた。僕の場合、行ってきたというより、帰ってきたという感覚である。方々の自治体でこうした顕彰制度が設けられているのであるが、島根県では初めてのことだという。いまをときめく岩國哲人市長の精力的施策のひとつとして、昨年景観条例がつくられ、それに基づいて設置されたのが「出雲市まちづくり景観賞」である。
出雲に縁があるというので柄にもなく委員長をおおせつかった。委員長といっても、審査会の議事進行役といった役どころにすぎないのであるが、総評をまとめる羽目になった。以下がその総評である。
●「出雲市まちづくり景観賞」の創設、公募に対して、第一回であるにも関わらず、まちづくり部門32件、住宅部門17件、一般建築部門14件、計63件もの応募があったことは、まちづくりおよび町並み景観に対する市民の関心の高さを示している。また、いずれの応募作品も景観賞の意義をよく理解したものであることがうかがえ、出雲市のこれからのまちづくりを考えていく上で、「出雲市まちづくり景観賞」が大きな役割を果していくことが確信される。
審査は、(1)出雲の歴史や文化が感じられるもの (2)新しい出雲のイメージにつながるもの (3)やすらぎや潤いが感じられるもの (4)公開性のあるもの という四点をゆるやかな基準として行ったが、いずれも予めこうでなければならない、という基準では必ずしもない。あくまで具体的な作品そのものを通じての評価を基本とした。ただ、景観賞の場合、作品をそれだけが自立したものとして評価するのではない。まちづくりとの関わり、地区の特性との関係が大きなポイントとなる。「出雲市まちづくり景観賞」が回を重ねていくにつれて、「出雲」らしさについて、次第に共通の理解が生まれてくることを期待したい。
審査にあたって特に考慮したのは、そうした意味でバランスである。例えば、各部門一点を原則としたにも関わらず、住宅部門で二作品の表彰となったのは、都心部と郊外住宅地という立地の違いによって、住宅のあり方や表情は異なっていいという判断からである。特に一回目ということで、景観賞のイメージが固定化される恐れを考慮し、全体のバランスを考慮した。そのために、すぐれた応募作品でも選にもれたものがあるのは残念である。
審査にあたってひとつの焦点となったのは、景観形成の、あるいは景観維持の活動をどう評価するかということであった。景観賞の目的は、いきいきとした景観をつくっていくことであって、まちづくりの活動と密接に結びついて行く必要がある。しかし、活動そのものは眼にみえない。それをどのように評価するかが議論となったのである。結果的に、活動の持続性をしばらくみたいということで今回は見送ったものがある。また、文化財指定をうけているものなど、他の賞を受けているという理由で避けたものがある。特に、まちづくり部門については、しばらく試行錯誤が必要かもしれない。
受賞作品は、いずれも水準が高く、第一回受賞にふさわしいものである。こうした作品が地区の核となって、地区そのものの景観を誘導していくこと、また、他を刺激してよりすぐれた作品を生み出していくことを願う。
こうした顕彰制度は、持続することに大きな意義がある。また、単なるイヴェントに終るのではなく、日常的なまちづくり行政と結びついていく必要がある。表彰とまちづくり協議会やシンポジウムの開催などを結びつける方法もあるかもしれない。景観賞が、回を重ねていくことによって、日本のどこにもない「出雲」独特の景観をつくりあげることにつながって行くことを期待したいと思う。可能な限りお手伝いできればと考えている。
岩國市政は、実に派手である。話題にはことかかない。出雲で行なわれることになった十月十日の大学対抗の駅伝(「神伝」)を全国ネットで毎年放映するなどといった、そんな力量には実に感心させられるところだ。ところで、その岩國市政が随分と木造文化、木造建築に理解が深い*1ことはご存じだろうか。次々に木造文化関連の施策が打ち出されているのである。その施策が実を結び、形となって表われるまでにはしばらく時間を要しようが、興味深いことである。
ひとつには「樹医」制度(一九八九年五月着手一二月実行)がある。樹木の病虫害、植栽に関して、助言・指導を行う「樹医」を六名認定し、活動の拠点として「樹医センター」を開所(九〇年四月)、各家庭からの依頼を樹医センターで受け付け、各樹医が家庭に往診、処方箋によって対策を伝える、そんなシステムが「樹医」制度である。
そして、「樹木ノート」「木の塗り絵ブック」の配布がある。木の名前に詳しい子を育てよう、出雲出身の子供は木に強いといわれるようにしたい、という。木の名前を覚えるということは、木に対する関心を深め木をかわいがる気持ちにつながる。自然環境問題を頭ではなく、心でわかる人間を育てるのがねらいである。
さらに、木造り校舎、木造り公民館(八九年四月着手)の構想がある。子供達を木のぬくもり、温みのある校舎で育てようと、河南中学の内装には可能な限りの木材が使われている。設計に当たった市役所の伊藤幹郎さんの案内でみせて頂いたのであるが、なかなかに楽しげである。市議会は、八九年六月 木造り校舎推進決議を行なっている。今、木造り公民館の建設が進められているところだ。また、再来年に竣工予定の出雲ドーム競技場も、架構は、木造である。
一人の首長の強力なリーダーシップのもとに、木造文化の保存が計られれつつある。というより新たな木造文化の育成が行なわれつつあるといった方がいい。総じて木造文化の衰退が叫ばれるなかで、興味深いことである。もちろん、ひとりの有能な首長がいれば全て可能であるというのではない。市民が支えなければ根づくことはないであろう。その成果が華開くには時間がかかる。しかし、楽しみなことである。
出雲建築フォーラム*2の発足も少しずつ準備が進んできた。91年の神有月に、赤字ローカル線として廃止が決まった、和風の駅舎で有名な出雲大社駅を使って「出雲建築展’91」を開くことで煮詰まりつつある。近々、展覧会の要綱も発表される筈だ。その際には、多数の参加を要望したい。
今、出雲を訪れても、期待が裏切られるかもしれない。しかし、来年、再来年と少しずつ成果が形をとって現れてくる予定だ。出雲が次第に熱くなる、そんな予感がしてきた。
*1 岩國哲人『男が決断する時』 PHP 一九九〇年
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