建築のあり方考える原点
「神殿か獄舎か」復刻で
布野修司
一九六〇年代の高度経済成長のクライマツクスである「大阪万国博」の余韻が残るさなかに出版され、いわゆる「全共闘世代」の学生や若い建築家たちに貪るように読まれた長谷川堯の「神殿か獄舎か」が、このほど復刻された。昨年古希を迎えた著者が三十五歳のときの処女論文集である本書に、著者の丁度一回り下の世代である筆者は、その後の仕事の方向を大きく規定されるほどの衝撃を受けた。
「神殿か獄舎か」の分かりやすさは、そのタイトルの二分法に示されている。近代建築を主導してきたモニュメンタル(記念碑的)な建築にのみ関心を抱き、神の如く民衆を見下ろすスタイルを「神殿志向」と規定して全面批判し、建築家は本来「獄舎づくり」だ、と説く。
「神殿志向」の代表が、前川國男、丹下健三とその弟子たちであり、ほぼ同時期に『建築の解体』を書いて、建築のポストモダンの方向をリードすることになる磯崎新もそこではばっさりと斬られている。それに対して、大正期の建築家たち、中でも「豊多摩監獄」の設計者である後藤慶二が、獄舎づくりの象徴として称揚されている。様々な制度、規制の中でしか建築は実現することはない。そうした意味では建築家は所詮獄舎づくりだ。しかし、そうした制約の中で人々が安心して心地よく過ごせる空間をどう作り出すかが建築家の使命なのだ、と長谷川は言い切った。
続いて出版された『雌の視角』(七三年)『都市廻廊』(七五年)も同様で、「雄」か「雌」か、中世か近代か、という明快な二分法が基軸になっている。「(雌に対する)雄」とは、日本の近代建築を大きく規定してきた「構造派」(建築構造学派)のことである。
何故、いま、この名著の復刻なのか。
おそらく、高度成長時代の終焉する状況と地球環境問題で地球そのものの限界が意識される現在の状況が似ているからである。時代が一巡したのである。
著者の示した近代建築批判の方向は、安易な「ポストモダニズム建築」、すなわち、建物のファサード(正面部分)に様式建築のスタイルや装飾を復活させるだけの歴史主義的建築の跋扈(ばっこ)によって見失われてしまった。また、この間の耐震偽装問題の発覚に示されるように、建築家は「安全な」獄舎づくりに勤めることを怠ってきたことになる。
二度のオイルショックを経験した後の八〇年代には、バブル経済が日本列島を翻弄することになるとは夢にも思われなかった。バブルが弾け「空白の一〇年」が続いた。そして二一世紀を迎え、建築界は行方を全く見失ったように見える。
いまこそ「神殿思考」の近代建築の問題を再考すべきではないか。かつて本書を貪るように読んだ世代も、オイルショックの時代を知らない世代も、これからの建築のあり方を考える原点として繰り返し読むべきなのが本書である。実にタイムリーな復刻だと思う。
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