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2022年12月5日月曜日

座談 「いま,「建てる」とは──新しい建築の運動体をつくる 著者:秋吉浩気×佐藤研吾×市川紘司×辻琢磨 現代の群居を考える 20190322 

 いま、「建てる」とは──新しい建築の運動体をつくる

26いま、「建てる」とは──新しい建築の運動体をつくる|現代の群居を考える(仮)|note

https://note.mu/gendainogunkyo/n/n699d4952755a?fbclid=IwAR27ekー04Y2ES5Cm4_3F7QXA8SZ9nESUtDjEUcRtuHZT55k9GaVjLTrtWhc

2019/03/22 22:38 

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著者:秋吉浩気×佐藤研吾×市川紘司×辻琢磨 現代の群居を考える(仮)

1983年に創刊された伝説的な建築メディア『群居』。当時のメンバーである大野勝彦役を秋吉浩気が、石山修武役を佐藤研吾が、布野修司役を市川紘司が、渡辺豊和役を辻琢磨が務めるかたちで、現代の群居について考える会が2019217日に開催された。

目次

1.     「群居」から考える

2.     実務とともにあるメディア

3.     プラットフォームをつくる

4.     「地域」で「職人と」つくる──中国での新しい動き

5.     伊藤為吉的建築家像へ

6.     職能の拡張

7.     いま、住宅のつくり方が主題となり得るのか

8.     運動体とメディア──その運営方法

9.     名前について

10. 新しい住み方と住まい手

「群居」から考える

秋吉浩気|VUILD みなさんお集まりいただきありがとうございます。今日のイベントは公開打合せというかたちで進めていきます。まずここに集まったみなさんに質問したいのですが、『群居』という雑誌を知っている方は手を挙げてもらえますでしょうか。

(会場挙手)

 うん、少数派ですね。ではみなさん一体何を目的に今日ここに集まったのでしょうか(笑い)。

 このイベントの背景として、『建築雑誌』という日本建築学会が発行している学会誌があり、そこで門脇耕三先生の司会のもと、僕と、今日も来てくださっている布野修司先生とのディスカッションがありました。僕自身は布野先生も『群居』という雑誌も存じ上げていなかったのですが、自分が取り組んでいる建築のデジタルファブリケーションを用いた生産や流通というテーマと、『群居』という雑誌で扱われていたこと──たとえばこの23号の標題を見るかぎりでも「職人工や商品としての住居」とか、「木匠塾」といわれるものづくりのことも含めていろんなテーマが扱われているんですが──、そして今ここに集まっているメンバーにも、共通する問題意識があると思いました。それで「『群居』面白いな」、「こういうものをもう一回、自分たちの時代でもやりたいな」と思いました。

 それで、ただ「やりたい」というだけでFacebookにイベントページを作って、そこにも何の詳細も書かなかったんですけど、『群居』すら知らない人がこれだけ集まってくださって(笑い)、「良いスタートが切れそうかな」と思っているところです。

 今回ひとつの大目的としてメディア(運動体)を作っていくということがあります。僕自身も昨年までは『建築雑誌』の編集委員をやらせていただいていたり、『新建築』や『住宅特集』に文章を掲載していただいたりしていますが、学会誌(『建築雑誌』)、企業の広報誌(『TOTO通信』『LIXIL eye』など)、もしくは『新建築』『住宅特集』『GA』といった雑誌以外に、『群居』で扱われていたような建築意匠・空間以外の領域をテーマにしたメディアを、いかに自立的に、収益化も実現し、自分たちで主体的にやっていくかということを考えています。

 その根底にはメディアに対する批評性もあります。今回のイベントは、最終的には文字起こしをして記事化するのですが、その方法をどうやっていくか。その先、書籍化するのかどうするのかっていうのは今後の展開ですが、私たちが今考えているのは、イベント自体は無料で開催して、最終的な記事を販売することです。『群居』でも購読者を募って、このテーマに関係のある購読者によって支えられてきたのかなと思っています。

布野修司|日本大学特任教授 『群居』は会費制。会員のマックスは2,000人でした。だから、経済的には結構いけたんですよ。編集の神様というか、戦後の建築ジャーナリストとして『国際建築』『新建築』『建築』『建築知識』『SD』『都市住宅』『住宅建築』と次々に手掛けてこられた平良敬一さんなんかにいろいろ相談しながらやっていました。購読者は最初からどんどん増えていったんですけど、2,000人くらいで横ばいになった。平良さんには、「これであとは少なくなるだけだぞ」なんて言われたんですが、その通りでした(笑い)。当時の読者は、今でも──まあ僕の世代ですから老兵ですけど、たくさん読んでくれていました──つながっていますよ。有名どころだと宮脇檀さんなんかにも押し売りしましたよ。ただいろいろ難しい問題もありました。在庫の管理なんか、任意団体であることの限界もあった。

秋吉 会費制だったんですか。

布野 会費制です。まあ同人誌的ですね。

市川紘司|明治大学助教 いま建築メディアを考えるうえでマネタイズの問題はとても重要だと思います。たとえば東浩紀さんが主宰しているゲンロンには「友の会」があって、数千人の友の会会員の会費がいろいろな活動を行う基盤になっているようです。『群居』が会員制で2,000人の会員がいたというのはやはりすごいことですね。会費はどれくらいだったんですか。

布野 その『群居』の値段を見てくれるといいけど、季刊だったので4冊分ですね。4号分で5,000円でしたね。

市川 そうすると単純に計算すると年間1,000万円は確保できていたわけですね。

布野 ただし「原稿料は絶対に出せ」っていう方針で、ちょっと細かいところは忘れちゃったけど、今から考えるとすごく安い、誰でも1字1円、400字で400円だったかな。当時、『建築文化』に書くと1,500円ぐらいだったかな。とにかく原稿料は絶対に出すっていう方針でやっていました。

秋吉 というわけで、マネタイズの方法もいろいろ試行錯誤していこうと思っています。今回は4人での打合せで出てきた「note」というオンラインサロン型ブログのサービスで記事を編集して公開して、1本500円という値段で公開していきたいなと考えています。今日ここにきているみなさんは無料で参加していただいて発言もどんどん投げてほしい。そのうえで1か月以内に「note」に記事を公開したいと思っています。だいたい目標として300人に拡散したい。とりあえず15万円で、編集費用とか写真代、辻さんの浜松からの交通費とか。もしくは次回我々が東京以外の場所でこういうイベントをやっていくための渡航費、そして書籍にしていくための費用にプールしていきたい。そういうメディア経営のトライアルも考えています。これまでのところが前段です。

 「現代の群居を考える」というテーマだけ掲げているんですけど、まずはさっそくラフにこの4人で議論を始めて、盛り上がってきたら外野からも意見をもらって進めていけたらなと思っています。辻さんからいきますか。

実務とともにあるメディア

辻琢磨|403architecture [dajiba] 僕も『群居』の存在は知っていたんですけど、このイベントが決まってから初めて内容をちゃんと読みました。なかなか今の時代だと手に入りにくい媒体ですよね。それで読んでみると、普通に面白いっていうか、今アクチュアルなことをことごとく特集にされている。「住宅生産の問題」もそうですし、「街場の建築家のあり方」とか、「ビルダーとして設計施工でやる」だとか、「アジアのスラム」の話も取り上げられている。テーマは幅広いんですけど、さっき秋吉くんが言ったように建築の意匠ではないんだけど建築の分野から考えないといけないことというか、建築的に考えられることを包括してテーマとして扱っていて、それが本当に面白いと思いました。大学のときは建築をどういうふうにつくるか、設計するかという問題がほとんどだったんですけど、それ以外のほぼすべてのことが詰まっている。「流通」とか「作り方」、「工務店との関係作り」とか「設計料」のこととか、実務的な内容も含めて幅広いテーマです。

 僕自身は浜松という場所で設計事務所をやっていますが、そのなかでも『群居』で問題提起されていることに非常に共感します。一方で、今日話したいのは、面白いことがここで言われて、その批評の球がその当時の建築関係者に投げられたと思う、それにもかかわらず、それが僕らの世代まで伝わってこなかった──と僕は思っていて──というのはなぜなのか。なぜこんなに面白いのに伝わってこなかったのかというのが──矛先が違うのかもしれないんですけど、少なくとも僕も秋吉くんもその存在すら知らなかった、知らなかったというか僕は存在は知っていたんだけど中身までは到達できていなくて──、影響力がどれほど浸透していたのかということは、もう一度考えてみたいですね。

 たとえば石山修武さんが当時言っていたことは、今読んでもすごく面白いんだけど、僕が受けた教育、卒業設計や課題のなかでは石山さんの考え方はそこまでアクチュアルに感じられなかった。それは実務を経験して、そういう部分をより実感するようになったっていうのもあるかもしれません。僕たちがみんな実務をやり始めたタイミングで、メディアのマネタイズも含めてどういう批評性がつくれるかということを、一緒に考える機会になればいいなと思っています。それが僕の今の立場ですね。

佐藤研吾|In-Field Studio 商品としての住居とは何かというフレーズが『群居』のはじめのほうにも、40号くらいにも出てきています。「商品化住宅」ではなく、商品としての住居とは何かというのが、群居におけるのテーマの1つとしてあったと思うんです。『群居』は編集の一人として大野勝彦さんがいて、大野さんがあの当時やっていた「地域住宅工房ネットワーク」とか「ハウジング計画ユニオン」、そのあたりの実務、実践と触れ合う傍にあるメディアとして存在していたのだと考えています。そうした、「実践の傍にあるメディア」として、この運動も組み立てていければいいなとぼんやりと考えています。それがマネタイズのきっかけにもなるとも思います。

布野 ハウジング計画ユニオン(HPU)が先なんです。ユニオンって組合ですけれど、石山さんが言い出したんですよ。当時、テレビマン・ユニオンというのがあって、僕も違和感はなかった。『群居』の刊行はHPUの後なんですよ。HPUのメディアというのが初期の発想でした。振り返ってみると、すごい組合せですね。

 今4人で始めるとして仮にきっかけを作るとして、市川くんが僕の役割なのかな、わからないけど。渡辺豊和は誰になるんだろう。大野勝彦さんがやっぱりリーダーだったんですね。大学院のときにセキスイハイムM1を設計してますから。M1は量産住宅の傑作ですね。見事なプレハブのシステムですよ。日建設計の林昌二さんも随分褒めてた。藤森さんの最初の国分寺の家もセキスイハイムだって知ってますか。親父さんが建ててくれたんだけどね。それを「タンポポハウス」に建て替えたんです。大野さんもある種の転向といえば転向なんだけど、地域住宅に向かっていく。最初は4人で──僕が記憶している範囲で言うと──ハウジング計画ユニオンとして長崎に行ったかな、高知にも行った、要するに地域に仕事取りに行ってるんですよ。「こういうことやりませんか」みたいにね。

 最初の問題意識は、戦後間もなく建築家はみんな住宅やってたじゃないか、住宅のプロトタイプを、最小限住宅を設計してたじゃないか。いつの間にか忘れたんじゃないの、それをやるぞ、ということでしたね。豊和さんは異質な感じがするかもしれないけど、歴史的には、彼が建売住宅に手を出した一番最初の建築家なんですよ。それでそれを『建築文化』に載っけた。それでそのあと宮脇檀とかがね。それまでは建売住宅なんて、ディベロッパーの住宅に手を出すなんてあり得ないって感じだったんですよ。豊和さんは「標準住宅(スタンダードハウス)001」なんて設計して発表している。住宅の設計に再トライすしようとした。それが本当の最初なんです。『HPUニュース』が先に出ているんですよ、何ページかの冊子で。『HPUニュース』は、創刊号がなくて2号からしかないんだけど、3号から4号で終わって、『群居』に切り替えたんですよ。だから精神としては最初から雑誌メディアをつくろうというのではなくて、運動があってそのメディアだったんです。

秋吉 それは本当に組合として法人化していたんですか? そこまではやっていない?

布野 そこまではやってません。少なくとも僕は本気では考えていなかったね。石山は本気で考えていたかもしれない。「ゼネコンぶっ潰す」って言ってたからなあ。

佐藤 そして『群居』のテーマを引き継げるなと、個人的に思っている要素としては、「アジア」と「地域」という視点。地域という、コミュニティでも住まい方でもない、「地域生産」。それはもしかすると秋吉くんがやっていることかもしれないんだけど。それと「職人」ですね。職人っていうのは生産と直結するところの話です。そのあたりの3つの要素が、これから展開できる議論の対象となるかと思っています。そのあたりの深まりを個人的に期待しています。

プラットフォームをつくる

市川 僕がこの会で考えたいことは2つあります。ひとつは、いま建築の運動体またはプラットフォームを作るなら、それはどのように可能かということ。僕は大学院生の頃に『ねもは』という同人誌を作っていたことがあって、ここにいる辻さんにも文章を書いてもらっていたのですが、当時はまったくマネタイズなどできていなかった。同じ研究室の仲間4人が編集同人になって、自分たちで出版費と原稿の謝礼を払っていましたが、全部売れてもペイできないというくらいに現実的な計算はしていませんでした。

 僕が大学に入ったのは2004年なのですが、この年に『建築文化』が休刊しています。そして大学院に入った2008年には紙版の『10+1』もなくなった。このように建築メディアのある種の弱体化とともに建築を学んできたわけですが、そういうなかで「建築の言論プラットフォームやメディアはどのように可能なのか」ということには個人的にずっと関心がありました。ただ、その後、僕自身は研究のために中国留学したり、いまは建築学会のメディアに関わったりで(紙版の『建築雑誌』とウェブ版の『建築討論』の両方の編集委員をしています)、だんだんと学生時代のような同人活動をしなくなってしまいました。実際のところ、建築の言説を読むパイがそもそも小さいから、マネタイズできるかたちでのメディアはもう無理なんじゃないかと諦めモードで、同人活動などはせずにもっぱら研究、教育、学会活動でした。そこに秋吉さんが「メディアをやりたい」という話をしてきて。秋吉さんだったら自分ではまったく思いつかないような方法を編み出すんじゃないかと漠然とした希望があり、参加することになりました。「00年代から10年代にかけての日本の建築メディアの流れとは異なるかたちでのマネタイズの方法」、それによる「建築言論の再活性化」。そういうことができればいいなと思っています。

「地域」で「職人と」つくる──中国での新しい動き

市川 もうひとつ考えたいことは、「建築と生産」とか、「設計と施工」とか、そういう問題系についてです。僕が主に研究している中国でも近年、そのあたりに着目した動きが出てきています。ワン・シュウ(王澍)のような、プリツカー賞を取るくらいに作品が充実した作家的な建築家が増えてきている一方で、個別に建築を一棟一棟つくるのではなく、その背後にある建築の作られ方、生産のシステムから考え直そうとする建築家も出てきました。中国はいまやGDP世界第2位ですが、いまだに近代化未満の居住環境に暮らす人々もたくさん残っており、彼らはその潜在的な「客層」にアクセスしようと、自分たちで材料や運搬や構法を開発したりしています。それはある種、西洋的な「フリーアーキテクト」とは異なる「設計施工一貫」とも言えるし、革命によって奪取したはずがいつの間にか国に再び独占されている「生産手段を再度奪取する試み」とも言える。このへんの中国の話は、秋吉さんの活動ともかなり関係しているはずなので、この運動体ではぜひ議論していきたいテーマです。

布野 中国は基本的に設計と施工は切れているじゃないですか。

市川 はい。

布野 それで本当に設計施工という動きが出てきているんですか。

市川 国全体で、ということではないです。あくまでも建築家が個別的に展開している動きであって、それが中国の建築システム全体を塗り替えるようなことは、あまり可能性はないかなと思っています。ある種のカウンター的な動きだと言えるのですが、ただ本気で建築を潜在的に欲しているマスにコミットしようとしていることは確かです(この種の活動をしている建築家については『建築討論201810月号:チャイニーズ・プレファブ──量にコミットする建築家たち』で紹介しています)。

布野 ワン・シュウだって杭州のまちづくりをやってたでしょう、単にデザイナーってわけじゃない。

市川 彼は「地域主義」をやっているのだと思います。ただ地元の材料を使ってその地域風のデザインをする、というのではなくて、現地の人たちと話しながら保存や再開発をしたり──日本的に言えば「まちづくり」ですね──、職人と協働しながらその場ならではの設計と施工の一体化を考える。ワン・シュウには有名な、レンガや石をランダムに積んだデザインがありますよね。あれは現地の集落などに見られる構法なのですが、それを職人との実験を通じて、スケールアップを含めてアップデートしたものです。ワン・シュウのほかには、四川省のリュウ・ジャークン(劉家琨)も同様の姿勢をもっていますね。

布野 ああ、そういうことならわかった。

佐藤 それは現場監理をやっているということですか? ワン・シュウも?

市川 詳細は僕もわかっていないことが多いのですが(ワン・シュウは秘密主義的なところがあってメディアから分かる情報が少ない)、監理しているはずです。

伊藤為吉的建築家像へ

秋吉 今の話で言うと、今結構自分がモチベートされているものとして──まだそこまで行けていないんですけど──、「生産とかに着手することで表現が広域になる」ということがあります。『群居』にも「建築部品」や「カタログ」という話がありますが、VUILDでも取り組んでいるのが「部品自体を自分たちでつくれて、選ぶことがない」ということ。これが結構面白い点なんじゃないかなと思っています。そのうえで意匠がどうあるべきかというところに、結構可能性があるんじゃないかと。同時代や少し先輩の建築家の作品を見ていると、「規格流通材でどう物事をつくるのか」ということを考えていると思うのですが、「前時代のレガシーシステムに定義された規格の上で泳がされているだけでは、その先に未来はないのではないか」って考えています。生産からやっていくと部品の無限さがあり、今話題にあったような地域の構法の話でも、「生産現場を鑑みつつ意匠側として生産に踏み込める領域ってかなりあるな」と思っていて、そういったことにも興味があります。

 それと、この会の前に市川さんと話していたのですが、日本型の建築家像についても考えたい。今ちょうど、伊藤為吉さんという幕末から戦前まで活躍された建築家についての文章を書いてます。伊藤さんは、同時代に辰野金吾さんのような人たちが設計官僚をやってお上(かみ)の建築家として活躍していた一方で、自分でコンクリート製造所をつくって事業を立ち上げていたり、その当時の住宅普及フェーズにおいて、「伝統構法みたいなものができない人でもどうやって木造建築をつくるのか」みたいな「構法の開発」から「発明」みたいなこともめちゃくちゃやられていた。それって、欧米型の外から落ちてきた建築家像に対して、日本的な地に足着いた姿なのではないかと思うんです。『群居』では「街場」というキーワードが出てきますが、そういった部分にかなり興味があります。

 この会の直前に「その建築家像の大本ってなんなんだろう」と4人で話していていたときにも話題にしたのですが、建築学会の学会誌で去年僕が担当してたデジタル系や情報系のテーマで、海外の研究者にインタビューした際に、デジタル系の研究者がみんな口を揃えて最後に言うのが「中世のマスタービルダー像をいかにして現代の建築家に取り戻すことができるのか」「そのための技術を作っている」「そのプラットフォームでありプロトコルを作っている」ということです。そのあたりの文脈がかなり個人的には面白いなっていうふうに思っています。と、思っていることだけを話しているのですけど、なにかつなげてもらえれば。

佐藤 大野さんがやっていた地域住宅工房ネットワークって、各地域で、地域の地産材とかも含めて職人を束ねて、「設計者」「職人」「材料」を一体にした木造在来の家をつくっていく活動だったんだと思うんです。そこに大手のメーカーだとかの流通材だったり量産型建具が木造在来の家の中へどのようにビルトインさせるか、具体的にどう納めるかというあたりまでを考えていた。一方で、全国どの地域でもハウスメーカーが建てられる現在の住宅産業においては、その構造が逆転していると思うんです。つまり、たとえばワン・シュウとかの地域主義的表現においても、サブシステム、二次部材に地域の職人だったり地産材が組み込まれていって、躯体、主たる構造においては──ハウスメーカーとはいわなくとも──全国的に均質化したシステムもしくは汎用した構法が基本となっている。この個別生産と大量生産の関係、小さな技術と大きな技術というものの双方の所在をどこに置くかということが、僕は重要な気がしています。

 日本近世の棟梁的な「主構造やメインのシステムを自分たちで組み立てるんだ」という方向性か、「今の状況における価値を考えるんだ」という実践主義というか現実主義というような姿勢、あるいはまったく別の状況、別の関係性を模索するのか。別の状況を模索するとは、たとえば、サブシステムとメインのシステムをそのままつなげてしまうような──たとえば木に関しては木造在来でなはいデジタルファブリケーションくらいの細分化された──作り方を攻めるっていうのは、もしかしたら可能性のひとつとしてもあり得るのではとも思います。僕がこんなこと言及するのは少しずれているかもしれませんが、「デジタルファブリケーションみたいなものを使った建築生産が、どの時代をモチーフとするのか」、そうした歴史観についてまでもここで考えたい話題ですね。

布野 秋吉さんが言った、ヨーロッパ系のデジタル技術をやっている連中がマスタービルダーっていうことをどういう文脈で言い出したか、っていうことには僕も興味がある。僕はクリストファー・アレグザンダーのアーキテクトビルダーっていう概念がずっと気になってるんです。みんなに住宅やれっていうんだけど住宅の設計だけだと食えない。今でもそうだと思う。大谷幸夫先生が、「住宅スケールだったら大工さんと工務店と連帯しろ」と言ってたけれど、その方向の職能の理念がアーキテクトビルダーなんですね。僕が東洋大の先生になったときの学生たちは一般的に大工の息子とか板金屋の息子、建築職人の息子たちだったんですね。僕もそうだけど。だけど、親父はやっぱり設計士にしたい。しかし、住宅では食えない、そこで、「目指せアーキテクトビルダー」なんです。設計ができて現場に強い統括者がアーキテクトビルダーです。ちょっと余計なことを言うと、京大に行ったら職人さんたちの息子たちが少ない。そこで、コミュニティアーキテクトって言い出して、まちづくりまで含めてやろうということになったんです。マスタービルダーというと、建築全体を統括する職能というか人材だと思うけれど、ヨーロッパでそれを言い出してるのはどんな人たちなんですか? 秋吉さんが付き合っている人たちに限定されているような気がするけど、どうなんですか。

 佐藤さんが言ったことについては──会場にいる門脇さんがそろそろ喋ってもいいと思うんだけど──、内田研では部品化構法とか規格構成材システムとか理論と議論の歴史があるわけですよね。『群居』では基本的に大野さんがオープンシステムの代表にさせられていた。そして石山がゲリラ的に、オープン生産された部品を使って組み立てる、という立場だった。これがいつも議論になってました。BIMやデジタル・ファブリケーション、AIといった武器が手に入ったときに、どういう可能性があるかについては、共通に議論していったらいい、と思う。

 もうひとつ、四半世紀ぶりに首都圏に帰ってきて、在来木造はもうほとんど絶滅しているなという状況なんでですね。プレカットが100%近くになるのはいいんだけど、直下率、要するに上の柱が下とつながっている率を出さないといけないぐらい、大問題になっている。かつての住宅生産組織研究会の仲間の報告を聞くと、2階と1階が合わない住宅がわんさか建っている。ハウスメーカーの営業マンが施主の、ここに窓が欲しい、ここに何が欲しいというのを、1階、2階別々に聞いてプランを描いて、そのままプレカット工場に送ると、建築設計をしたことのないCADオペレーターが、半日で刻んでもってくる。「設計者は要らない、邪魔だ」という世界になっている、という。京都では、少なくとも在来構法の住宅が残っていて、インバウンドですごい需要があるから、とりあえずそれを再生させる、在来木造を最低でも20年、30年延命させようっていうので頑張っているんだけど、首都圏では、もうシステムが崩壊しているんじゃないか、という。田舎もいいけど、首都圏をもう少し攻めてほしい、議論してほしい気がする。束になって攻めよう……ちょっと飲みすぎてきたな。

秋吉 そういうボリュームゾーンに攻める段階ではやっぱり一社だけでは無理だっていうことが多分束になってユニオンをつくる意味だと思うんですよね。

布野 大野さんは、国交省の住宅局というか生産課と僕らをつなげてくれていたんです。大野さんが死んだのはものすごく痛い。この中に官僚の若手がいて、住宅局とこういう議論をつなげる人材がいるとパワフルになるんだけどね。

秋吉 むしろその、どこに攻め入ればいいのかがわかれば行くんですけど。今で言うとどこなんですか。

市川 そうだね、焼き討ち対象がなかなか見えない。

布野 そうですね、やっつける対象、仮想敵をもったほうが早いですよ、こういうのは。

市川 さっきの話だと、秋吉さんの中では、中世のマスタービルダーに対する世界の同時代の注目と、自分の伊藤為吉のような必ずしも設計意匠にのみ特化しない(日本的な)建築家のあり方への注目が、けっこう等しく見えている、ということですよね。

秋吉 等しく見えてますね。伊藤為吉さんについて書いたのは村松貞次郎さんなんですけど、彼が「柔らかい」ってずっと言っているんです。なんか柔らかいバラバラでそれぞれ別々なもの。たとえば在来工法ができてきた時代の材寸って、今のこの戦後に植えられて30年ほど経った時における材寸にぴったり合っていたと思っています。でも今、地方はどこに行っても大径木があって、それこそ240寸とかが普通に手に入る時代になっていて、そこでシステムの問題につながる。さっき佐藤さんがメインシステムって言っていた、そこも変えられないといけないと思うんですけど、それ以上に、バラバラなものをバラバラなまま評価して設計に活かせる技術的基盤が現代においては整っていることが面白いところだと思っています。僕がインタビューしたヨーロッパの人たちというのは研究者なので、アーキテクトではないのでデザインはしていないんですよ。要は誰か──たとえばザハ・ハディド──がこういうものをつくりたいんだっていうときに、そのジオメトリを解析してファブリケーションにもっていくっていうことをやっている人たち。そういう人たちがみんなマスタービルダーになりたいんだと言っていて、つまりお客さんと接点もなければ、初期入力できない人たちが願望としてもっている。

職能の拡張

市川 村松貞次郎は1960年代に設計施工一貫を推す、という立場をとられた建築史家なので、伊藤為吉を推すのはよくわかります。また中世のマスタービルダーに注目する流れというのは、最近だとマリオ・カルポが『アルファベットそしてアルゴリズム』でまとめていますね。カルポ的に言えば、いまルネサンス以来続く500年の建築家の職能像がデジタル技術によってひっくり返る変革期にきている。つまり、建築家が図面を「作品」として描き、それを施工者が建築物として実現するという、設計と施工に分かれた職能観が接続し得ると。このような職能分離の発端をカルポはアルベルティに見いだして、「アルベルティ・パラダイム」の終焉と、その以前の中世的マスタービルダーの現代的回帰を指摘しています。

布野 それはちょっと大雑把すぎじゃないの、アルベルティ以降職能分離が起こったというのは。ルネサンスのユニヴァーサル・マンというのは、ダ・ヴィンチにしてもだいたいが職人だよね。要するに中世のマスタービルダーっていうのは親方レベルで全体、現場を統括した。アルベルティは貴族だけど。設計という職能が分離されるのは、設計がマニュアル化される過程がある。

市川 あくまでも象徴的な存在としてアルベルティが出されているので、たしかに詳細に見ていけばアルベルティ以後にも現場と密接につながる建築家はいますね。設計のマニュアル化というのはオーダーの話ですよね。

布野 もうワンクッションあって、宮廷建築家の教育のために建築書が書かれるようになる。セルリオなんかがフランス王室に抱えられてマニュアル本を書く段階がもう1つある。それがボザールの伝統になる。それに、職能という意味では業務独占の話がある。歴史家としては、すっ飛ばしすぎじゃないの、ということ。

市川 もちろんセルリオの話などはわかるのですが、ここではあくまでも設計と施工に関するカルポの論の紹介ということで

いま、住宅のつくり方が主題となり得るのか

 「設計施工」ももちろん考えないといけないテーマなんですけど、もうちょっと「群居」っていうテーマ自体をどういうふうに見るべきかっていう議論も必要だと思うんです。「住宅がすごい大事なのか?」って僕は実務のなかで感じています。大きな話でいうと人口が減るし、住宅の着工数も減る方向に行かざるを得ないなかで、「効率的な住宅生産」を考えることにどれくらい今のアクチュアリティがあるのかっていう疑問は感じています。集まって住まうこと自体を疑っているわけではないですが、たとえば「住宅」の「生産」にフォーカスすることがこの時代にどれくらい必要なのかというのは感じています。

 あとは原広司さんの「均質空間論」をどうやって捉えたらいいのかっていうことを、もう一方で考えています。空間論ではない座標ということだと思うんですけど、そのなかに施工の問題とか生産の問題も含めて、建築の成り立ちをもう一度考えたいっていうモチベーションはありますね。それは別に住宅とかそういうことではなくて、職能もそうなんですけど、「まったく新しい座標っていうのは何なんだろう」っていうのはやっぱり引き受けないといけないんじゃないかということです。あの本(『空間〈機能から様相へ〉』)を読み直して、「僕らは何か進んだのか」と思ったんですよね。彼のフィールドから出たのかなという感じはすごくしています。こういう話、地域でやることとか設計だけを考えないことというのがヒントになるんじゃないかっていう勘もあるんですけど、そういうテーマを大きな態度で扱いたいっていう思いがありますね。

 それって高層ビルとか住宅よりももっと大きな開発、床の問題に集約していくような気がしているんです。最近「渋谷ストリーム」について「建築討論」で取り上げたんですけど、今まではファサードだけ建築をやってあとは資本の論理でつくられてきていた高層ビルが、もうちょっと下に降りてきて、低層部は建築家がやって高層部は東急設計がやるっていう枠組みができてきた。そういう点が、あのプロジェクトに関しては評価されるべきことなんじゃないかということを委員のなかで話していました。設計のあり方の話もそうですけど、空間や資本の捉え方も、同じような地平で考えたいっていうのはあります。

 要するに、根本的にもう床はそんなに必要ないっていうことと、そんなに急ぐ必要はないっていうところ。誇れることではないですが、僕ら403architecture [dajiba]は設計しててすごい遅いです。リノベーションで設計料も知れている世界で、何年もかけてたら全然回らない。だけど、一方で遅さ自体にはすごく価値があると思っていて、時間がずれていくなかで、単一の建築家の脳みそだけではないいろいろな枠組みや要素を巻き込めるというか。じっくり考えて、合理性みたいな価値観じゃないところで考えないと均質空間の範疇からはちょっと出れないのかなというのは、根本的にはありますね。

 設計施工のほうが稼げるとかいうのは大事だとは思うんですけど、結局それって設計の、たとえば工務店やるとしても「2,000万で受けないといけない」とか「リスクどうすんだ」って話になって、保険をどこで取ろうって考える。設計者加入の賠償責任保険も、紛争が起こる前提の対応になるので、施主や施工者との距離感は近づきにくい。自分たちの話をすると、僕らは結構ミスるんですよ。雨漏りしたり不具合が見つかるときもあるんだけど、地域でやっていて一見さんじゃないから、問題が見つかった時点ですぐに「すみません」って工務店の人と謝りに行く。まあ仁義的な話だけでもちろん解決しないと思うんですけど、施主と設計と工務店がそれぞれがぶつ切りでやっていると、やっぱり責任問題に発展してドライにやらないといけない。こういう職能と人間関係の話と、原さんの均質空間論っていうのが、なんとなく僕のなかではリンクしています。空間に変わる座標みたいな話を含めて、設計施工の話を考えたいです。

秋吉 超わかります。設計施工ってあるスコープのなかの一部でしかないんで。特に僕たちが最近建築に着手しはじめたなかでハックしてる領域だと、建築物自体を所有するところまで入っています。「SDレビュー」に出していた「まれびとの家」っていうプロジェクトは、僕たちも出資して所有者にもなっているんですよ。そうしないと維持管理とか雨漏りみたいなときに、お客さんに対して「ごめんなさい」みたいな関わり方しかできない。それはなんかちょっと面白くないなと思って。自分たちもコミットするっていうこと、どこまでコミットできるのかっていうこと。設計して終わりっていうのはちょっと、「なんだかな」と思っています。

 そういう意味では、住宅に限らず何らかの建築物をつくるっていうときのハックしどころってかなりいっぱいあると思うんです。たとえば規模によっては分離発注でうちが部材加工で大断面材を加工する。一回工務店の下請けになってそっち側からも収益をもらうとかいうことも、今、実際に200平米〜1500平米くらいのプロジェクトでやっていますが、それぞれの規模で関わり方が違います。そういうことも含めて、まさに辻さんが言っていたみたいに設計施工じゃないところ。「流通」もそうだし「消費者をどうデザインするか」とか、「生産体系をどうデザインするのか」とかを、長期的なスコープでいろいろと考えていきたいですね。どうやって稼ぐかと対応したところとして、僕がいろいろやっているのは、「契約書」とか「リーガル面」をどうハックしてデザインできるかっていうことです。こういう部分が結構重要だと思うんです。

 そうだよね。本当にそう思う。

秋吉 さっきの所有の問題も、「まれびとの家」では1つの家を建てるために実際に組合(LLP)を作っているんですよ。「責任管理をどうするか」ってこととかにも、デザインの余白がある。そういうところを議論していくと、単にコンピュテーショナルとかテクノロジーの面だけでデザインが変わっていくのではなくて、デザインの領域のフロンティアが見えてきたんじゃないかって思います。そこが今の時代の面白さなんじゃないかなって。

 たとえばtomito architectureが「地域新聞」を作って発行していることなんかは、建築家がやってる設計の領域のなかではかなり最先端なことだと僕は思っています。それが最終的には地域通貨とか暗号通貨・ブロックチェーンみたいな話と多分つながってくるんですよね。1つの建物をデザインしてコミュニテイをつくって、その先にどうやって収益化するかというときに、今だと「勝手にやってるアイツら」みたいな感じに見ている人もいるかもしれないんですが、自分だったら地域通貨とかそういうところにぶっ込めば、かなりすごいことできるかなと思う。そこまでデザインしていることが感謝されて収益化されて、それが設計料なのかなんらかのかたちで回ってくるっていうところを含めて、新しい領域をデザインしているような気がします。

 建築家が職能を広げようとしているなかで、面白いアイデアがいっぱい出てきているなって時代感を、群居っていうテーマ、あるいは今辻さんが言っていたテーマで扱えたら面白いなって思います。

運動体とメディア──その運営方法

布野 そういうの、ぜひやったら。議論は住宅に限定しなくてもいい。住宅イコールまちづくりって、多分(『群居』の)創刊の言葉に書いたんだけど、それは、「住宅からすべてに拡げていく」ということなんだ。今だったらきっとリノベーションから出発するんだと思う。それから論考は、みんなそれぞれが書いて、それぞれ本にしていけばいい。渡辺豊和さんなんか豊臣秀吉の話を書いたりしていた。メディアとしてはガンガン議論する。

 『群居』はだんだん細ってきて、所有の問題とかそこまでいけなかった。メディアを出すのに精一杯になっちゃった。それからまあそれぞれ、石山は先生になっちゃったり、アーティストになってなんか変なもの売り出したり、いろいろあった。君達も年取っていったらどうなるんだろう。今こういう集まりがあって出発して、ここからなんかやってほしいっていう気がしてきた、だんだん。

 そういう意味でも、メディアも発信する側と受ける側にスパッと分けるっていうよりは、秋吉くんが最初に説明していたように「とりあえずnoteでいこう」っていうのはいいと思いますね。両者のぶつ切りをなるべくなだらかにするっていうか、誰でも発信する側やそれを周知する側に回れるっていう。

 今日ここにこれだけの人が集まってくれるっていうことに、東京でやるってのはすごいなと思ったんですよ。正直言ってそんなに告知もしてなかったと思うんですけど、テーマ設定と座組だけでこんなに集まっている。これをどういうふうにインフルーエンスしていくか。今までのぶつ切りの考え方ではできないようなアプローチで、それが気付いたらマスに届く--マスと呼べるかわからないんですけど--、気付いたらメディアになっているという状況がベストだなとは思っていますね。

市川 「note」って個別売りなんですか。束にして売ることもできるのかな。

秋吉 月額でもバラ売りでも、限定でもできますね。

布野 ハードコピーは前提なんですか。

秋吉 一旦はトライアルとして、既存のサービスを使っていくつかやってみたらいいんじゃないかなって思っています。

布野 ネットで課金ってことですか。

秋吉 課金ができるブログみたいなサービスがあるんです。それで1本、たとえば500円で300人に売れるかっていうテストが今回の会です。

布野 僕は平良さんに「最後のハードコピーの建築雑誌を布野がやれ」って言われているんですよ。どうしようかなって思ってるんだけど、そうしているうちに死にそうなんだけど。期待します。

秋吉 そこでプールしたものをちゃんと書籍化したいとはなんとなく思っています。

布野 書籍にしておいたほうがいいと思う。『群居』は基本的にプリントアウトしたやつを切り貼りして、印刷して製本してもらったものを、みんなで封筒詰めして2,000人に送っていたんですよ。3か月に一度ね。石山も詰めてた。手作りだよね。いろんなやり方があって、椎名誠の『本の雑誌』みたいに、学生が今日会場に集まっているくらい人数がいたら全部本屋に置いてこいっていうやり方もある。置いてもらって、回収も3か月にいっぺん行く。手渡すというのがベースです。知ってるかどうかわからないけど僕が滋賀県立大にいたときに『雑口罵乱』を出すのをサポートしたんです。手渡しで言いたいことを届けるっていう、オールドファッションかわかりませんけど。いろんなやり方がある。

市川 ウェブサービスが充実している一方で、逆に『アーギュメンツ』という、手渡しに限定して売っている同人誌もありますよね。最終的に信じられるのはそういうリアルなレイヤーのものになるんですかね。

布野 問題は事務局。みんな忙しいから頑張って活躍してもらわなきゃいけないんだけど、事務局をやる事務所とか人が必要。たまたま『群居』は、オプコード研究所の野辺公一というのがいて、大野さんとも一緒に仕事をしてた。

市川 ああ、本にちゃんと書いてありますね。

布野 事務局を仕事にしながらやってくれたんだよ。ボランティアじゃなく、それを仕事にしてくれる人がいるといい、と思う。

市川 この運動体では、運営の方法は絶対に考えないといけないところですね。僕が同人誌を作っていたときも、僕らに直接注目してきてくれた人や、本屋への発送とかを自分たちでやっていて、それが本当に日々めんどかった(笑い)。ウェブで課金でまずやる、というのは、そのあたりのコストを縮減できるので、良さそう。

名前について

市川 あと、この運動体を的確に表す名前を付けないといけませんね。ある程度大雑把な枠組みでもいいですけど。「群居」はその点、とても良いですね。

布野 名前付けるのには4時間かかったよ。

秋吉 市川 佐藤 辻 4時間ですか(笑い)!

布野 みんな知らないと思うけど、丸山健二っていう芥川賞作家がいてね、『群居せず』って小説があるんだよ。僕らは束になるぞ、ってそういうノリがあった。いやまあいろいろあった、決定するときは。

市川 この会を4時間やったら妙案が出るかな。

布野 そんなの別にスパッといけばいいじゃない。「群居」使っていただけるならどうぞ、再生していただければ光栄。バトンタッチできればそれはいい。

 住宅でいこうっていうのはどれくらい思い入れがあったんですか。

布野 僕は吉武研の出身だから、戦後の51Cを設計した方法をどうやって突破するかというのが出発点なんですよ。2DKを積み重ねただけでいいのか。アジアのフィールドではいろんなやり方をやってる。都市組織研究と言いはじめるんだけど、街区くらいまでは設計するぞ、ということです。山本理顕さんとは学生時代からそれは共有しているんですよ、住居集合を考えるのが原点なんです。

 原さんのですね。

布野 原研究室の住居集合論ですね。

市川 日本だとハブラーケンの議論が参照されるとき「サポート」と「インフィル」の2項で考えられている気がするんだけど、本当は「サポート」の上に「アーバン・ティッシュ」という都市の問題があるんですよね。布野さんのご活動はそれをカバーしている。

布野 部品から世界をつくっていく、それをどう理論化して現実化するのかということですね。

佐藤 『群居』の「居」は、山本理顕さんが言っているようないわゆる住まい方だったり、集まって住むっていう群居ではないんじゃないかなと思うんですよね。なんかもっとこう、ある種の意味合いや含みをもった箱。そんな箱が群れを成していて、その群れも建築空間上で捉えられるような群れではなくて、もっとネットワーク化された群れというか。そういう含みが『群居』という名前にはあるから、結構そのあたりの射程の向きと幅は、この活動が引き継ぐべき要素なんじゃないかと思っています。

布野 季刊だったからテーマは4サイクルでやっていたんです。技術や構法、生産の問題は4分の1。1号は住み手の問題。住まうことの特集をやろう、4回に1号は建築家の表現としての住宅作品的なものもやろう、もう1号は住宅メーカー、住宅産業に関するテーマと考えていました。みんな気付いてなかったかもね。

新しい住み方と住まい手

秋吉 住まい手の意思ってここ数年、5年間くらいでかなり変わってきている感じがしています。たとえば、僕も一枚噛んでいるサービスで「月額5万円でどこの全国の部屋でも住める」というのが明日発表されるんですけど、そういうのとかがどんどん出てきているんですね。

布野 シェアカーの住宅版みたいなものかな、それいいね。

秋吉 「それいいねー」でみんな食いついて、事前予約がすごいことになっていたりしていて、それでもう資金調達もできているんですよ。

布野 大学の先生として、僕は、国公私立5つの大学を異動したんだけど、教員のゲストハウスが完備されてないから、住み替えすごろくですよ。また元に戻ってまたやるみたいな。そのサービスはいい。

秋吉 つまり「住み手の柔軟さ、住み手の変化に関して、建築を設計している側や建築学を学んでいる側がどれだけアプローチしてそこになんらかの接点を見つけるか」というところも、ここのメディアでは扱いたいテーマだなと思っています。ソーシャル系のコミュニティデザインとか、地域系のメディアはそういうことを扱っているんですけど、ライフスタイル論で終わっていて、それ以上になっていない。まさに今回テーマとして扱いたい、意匠の外側ではあるんだけれど、意匠とか生産流通とかそういう話とどうやって結びつけられるのかなというのは一本扱ってみたいと思っています。

市川 その月額4万でいろんな場所に住める権利を借りられる、というサービスは、ハコ自体はどういうふうにつくられているんですか。

秋吉 R不動産とかに載ってる物件のなかで運営会社がそのレンジに合うものを探してきて、一軒一軒オーナーに交渉して借りちゃうんですよ。それでクラウドファンディングのように会員の母数を確保してしまえば、それが与信にもなるし、ペイできちゃうっていう。事業計画も立てやすいモデルです。

布野 首都圏では4万じゃダメでしょ。

秋吉 最初の5拠点のなかに千葉とか鎌倉とか都心もあるんですよ。

布野 でも下手するとレオパレスにならないかな。

秋吉 ちゃんと空き家を選んでいます。そういう動きや、モバイルハウスとか、そういう若い子たちの動きがいろいろあるんですけど、そのなかで一方で……

布野 モバイルハウスはやっぱりその、拠点にするには制度の壁があってさ。

秋吉 そうですね、住民票をどうするかとかそういう話もある。

布野 水道や電気の接続の問題とか。

秋吉 そうですね。そういうふうに変わっていっているところで、逆に今ハウスメーカーとかも住宅の着工数が減っているのであればそういうふうにスイッチしたらいいか、というのを、もう結構いろんな人たちをコンサルで入れて考えはじめているんです。なので、たとえばここのメディアでもいくつか、僕らアーキテクトというか建築家で……

布野 攻めるところわかってるねえ。

秋吉 まあじつはわかってるんですけどね。

布野 それ行けー、とか言って。ハウジング計画ユニオンはそれだったよ。

秋吉 それをまあやりたいなっていうのでこの3人をお誘いをしたんですけど。

布野 それで稼いで、メディアでガンガン議論をふっかける。

秋吉 まあそういうとことからお金を引っ張ってきたいなあって。

市川 あ、そこからお金が拠出されるんですか。

秋吉 いやー、いけるでしょ。

市川 それなら言うことないですね。

秋吉 だって普通コンサル料で支払うところの話じゃないですか。本来研究とかメディアってそういうものだと思ってはいるんですけどね。

布野 ちょっと年上だけど、ブルースタジオの大島くんがそういう感じで動いているんじゃないの。

秋吉 リノベスクールとかの話ですか。

布野 僕はあんまりわかんないけど。

秋吉 ちょっと違うか。

布野 モクチン企画はそこまでビジョンもってないんじゃないの。

 いや、モクチンはビジョンですよ。あそこは。

布野 所有の問題は大きい。

秋吉 まあつまりは大企業はインフラを持っているので、たとえば商材もそうですし発電パネルとかそういう受け皿を持っているので、その提供のされ方が変わるべきだと思っていて、そこの部分をこっち側から投げていく必要があるなというのが最近感じていることです。それこそハウスメーカーとか商社側からいろいろ相談を受けることもあるんですけど、それを自分の会社だけでやっていてもしょうがないなと思っていて、こういう場のなかでメディアも機能して、仕事にもなって、ってなるといいなと思っていますね。

住宅は施主の表現か

佐藤 あえて発言しますが、今話されていた事業によって、家のあり方が変わっていったときに、かつて建築生産などと結び付いていた「住宅は施主の表現である」という、設計者とは別の表現論がどういうふうに変容していくか、というのは議論してもいいのではという気がしています。「住宅は施主の表現である」というのは、剣持昤などがやろうとしていたような分離分割発注で、それは究極的には「設計屋はいらない」っていうような家の組み立て方の探求がかつてあった。施主、つまりその住宅に金を出す、その住宅に住む人のコントロールによって住宅が出来上がり、そうした人々の生活と住宅の作り方がどのような関係になるのか。住まい方が著しく変容している現代において、住宅というハードなものがなんらかの表現になるのか、それとも表現という言葉自体が時代錯誤なものなのか。生産と、生活と、そして表現の関係について、議論すべきだとあえてここで言いたいです。

布野 佐藤くんはどう考えるの。

佐藤 住宅という枠組みが拡がっていくかたちで、表現であり続けると思っています。多分、それは所有のあり方と関わっていて、誰が何を所有するのか、あるいは誰の所有なのか曖昧なモノが何らかの表現になり得るのかという。それはライフスタイルの表現ではなくて、モノがその実存として帯びてしまう表現性はなんとなく金が絡んだとしてもどこかに残りそうだし、所有という制度が複雑に絡み合うのとは別次元において存在し得るのではと思っています。というか存在させる方向に僕は向かいたいなと。

秋吉 それって、さっきもメインとサブみたいな話をしていたけど、たとえば集落があって、20棟とか建物があったときに、その外装を100人で所有するみたいな話ですか。

佐藤 うーん、まあそういうコモンズみたいな資本の共有の方法もあるのかもしれない。だから個人の表現ではなくなる可能性はあるけど、そうした景観みたいなのものも関わってきたときに、多分、地域というある具体的な領域で考える視座が必要になってきて、そのへんがまた具体的なモノを扱う建築生産につながり得る話なのかなと。

 その100人に、そこに住んでいない人も入っちゃったほうがいいんじゃないかな。その4万円でどこでも住めるって話もそうなんですけど、場所性とかももっと溶けていった方が面白いなと思っています。

 たとえば今はSNSがあるじゃないですか。僕たちが今鹿児島でプロジェクトをやっていたり、東北に行って「せんだい」の審査をしたりとかして、その場所場所でプロジェクトをやると、なかにはより多くの関係が作れる類のプロジェクトっていうのがある。単なる請負で終わらない、い言ってみれば巻き込み型というか。それでまれびとなんだけど根を張ろうとやっていると、SNS上の風景がちょっと変わるんですよ。「鹿児島はもう俺の場所だ」ってちょっと思えたり、TLにいろんな都市がひょこひょこ出てくるわけです。僕はベースとしては浜松なんだけど、ちゃんと相対化して、明らかに仲良い人や気を許せる人が物理的に集まっている特殊な場所みたいな感じで都市を見ることができて。それは鹿児島もそうだしストックホルムにもいるし、それが自分が媒介になって場所性っていうのを溶かしていく。このこと自体にはさして大きなことでないかもしれないけど、この意識の変化自体にはすごく可能性があるなっていうのはずっと思っています。

 ひとつの地域でビルダーとして設計施工でやっていくっていうのは、どこかで行き詰まると思うんですよ。そこで違う回路を見つけるっていうのは、今の時代の僕らがもっている価値観をどういうふうに自分自身で評価するかっていうことだと思うんです。『群居』にしても、30年前にはわからなかったことだけど、でもすごくテーマは共感できるわけじゃないですか。それを自分たちで強化して、どういうかたちだったら現代における建築のあり方や、まちの考え方、捉え方に還元できるかが大事だと思います。原さんの座標と対峙した時に、何か新しい拠り所を発見してそれをうまく使って乗り越えるというよりも、すでに自分たちに内在している思考や認識の変化を捉えて、そこを足がかりにしたい。

 そもそも論にはなっちゃうかもしれないんですけど、システムをつくるっていうこと──それは俯瞰的に行われると思うんですけど──それ自体、ちょっと自分と他者を線引きしているような感じがして、僕はあんまり実感できないんですよね。ぶつ切りになっていくような価値観でシステムっていう言葉があるような気がするから。その住宅生産を考えるときも、なんて言うか普遍的なシステムを作るということではないアプローチで──自分もそのシステムの一部だっていうようなアプローチで──まちとか建築とかを捉えていくと、単なる対象ではなくなってくる。自分の延長で社会とか建築の学問っていう大きな枠組みを捉えられるような気がしています。願わくばそれが、今まで培ってきた専門領域の延長にあってほしいっていうか、そういうことで歴史に参加したいって思いがあるかな。自分の身の回りだけ幸せならそれでOKということでは全然ないですが。

「プロジェクト」としての建築

秋吉 いや、あの、超わかります。さっきの「群居が住居なのかみんなで動いているネットワークなのか」という話にも関わると思うんですけど、名詞なのか動詞なのかって結構重要だと思っています。建築物よりは建築するっていう動詞のほうに僕はやっぱり興味があります。今クライアントとやっている仕事で、プロジェクトベーストアーキテクチャーって概念で設計をやっているんですけど。つまり、プロジェクトなんですよね、建築って。

 そうね。

秋吉 たとえばさっきも話した富山県南砺市でやっている「まれびとの家」ってプロジェクトだと、SDレビューとかSNSで出したら、新潟大学の建築学科の4年生が手伝いに来てくれたりとか。「浜松でバス停建ててます」って言ったら浜松の大工さんが手伝ってくれたりとか、なんかそういうふうにプロジェクトで、「俺これ建てたいんだけどどうしたらいいかわかんない」とか「こんなのやりたいんだけど」、って言ったときに、そこで勝手に組成されて解散していくみたいな、中世的なあり方も、やっぱり今の時代って起こりやすくなってきていると思うんです。建築っていうことの尊さが、そういう動詞的なところに見えてきているなというのが、個人的には今ありますね。

 そうですね。だから、佐藤くんが言っていた「住宅は施主の表現である」ってときに、まあ表現は必要だと思うんですけど、住宅も施主ももうちょっと溶けていっていいっていうかね。やっぱり自分たちが相手にするべきは「ぶつ切りになってしまう価値観」っていうか。ぶつ切りにした方が考えやすいんだけど、そうじゃないかたちでズルズルつながっている建築みたいなものとかプロジェクトみたいなものっていうのを、どうやって掴めるか、その一部になれるかっていうことなのかな。僕としてはこのメディアを作るっていうプロジェクトもその延長にあって然るべきで、やっぱりどこまでが自分のプロジェクトかよくわからなくなるのがいいなと。たまたま僕らは4人で集まっているけど、布野さんがきてくれたら布野さんも入っているなとか、このあと質疑もあるし、どんどん広がって溶けていってほしい。

1980年代の住宅メーカー

秋吉 ところで、もう1時間以上経ったので、そろそろオープンにしていきましょう。

布野 そうだよ。これだけいたらすごいことができると思う。

 誰かに口火を切ってほしいですね。

秋吉 あ、びっくりした、谷繁くんが手を挙げてるかと思った。家具の棒がかぶっていて手を挙げてるように見えたよ。

谷繁玲央|学生 不意打ちですね。挙げてないんですけど(笑い)。

秋吉 挙げてないけど言いたいことはある。質問でもいいですよ。俺より絶対『群居』のこと詳しいから。

谷繁 東大の谷繁と申します。僕も『群居』を読んでいて、今同世代で「批評書を作ろう」ということをやっていて、今日は勉強しに来ました。僕は今80年代の住宅メーカーの構法史みたいなことを研究しています。これは自己批判でもあるんですけど、布野先生や大野先生がされていた頃と、住宅産業が指すものがかなり変わってきていて、僕が今80年代の住宅メーカーの構法史をやりながら矛盾しているのが、今住宅産業のなかで、もはや住宅メーカーが占める存在感というのがほとんどなくなって斜陽産業になっているという問題があって、どちらかというと再開発やディベロッパーの役割が大きくなっている。

布野 ダイワハウスは?

谷繁 もちろん地方ではダイワハウスはまだ元気ですし、地方の若い方なんかは住宅メーカーを買いますけど。もちろん都心ではそんなことはなくて、もはやマイホーム神話とか家族が家をもつという感覚、もはや結婚という制度すらも危うくなりつつある。どちらかというと我々のアクチュアルな問題としてはレオパレスとかタワーマンションとかですよね。住宅産業というものがもっている問題意識というかアクチュアルな問題自体がもはやそういうものに移行しているんじゃないかなというのがあります。もし現代の群居を考えると、サブリースとかタワーマンションみたいなものをどうするかという視点も入ると、ガッと今の若いちょっとお金のある家族に言葉が届くんじゃないかなと思いました。それは大野先生たちがされていた頃と時代の切実さとか世知辛さが変わってきている。まだ最後の希望というのが大野先生だったんじゃないかな。

布野 大野さんは、住宅産業に未来がないっていうところから、始めたんじゃないかなあ。

谷繁 それはそうですよね。方向としては今斜陽のハウスメーカーを僕も扱ってしまっているので、どうすればいいのかなと。

布野 松村秀一くんじゃないの、そんなテーマでやってるのは。

谷繁 はい。

布野 斜陽って言う前に、空き家がいっぱい出ていて、それをどうするのかっていうのを、ちゃんとやってくださいよ。責任取ってくださいよ。僕は、51Cを責任取って考えているんですから。

谷繁 今なぜ80年代を選んでいるかというと、今まさに改修する対象として80年代が一番いいなと。そして新耐震以降がいいな、というのを狙っています。

 そのアクチュアリティが変わっているという対象に、住宅自体がないような感じが僕はしています。まあレオパレスは、「住宅」だからっていうよりはコンプライアンスが守られていない企業として槍玉に上がっていると感じていますし、高層マンションは投機の対象になっている。今のアクチュアリティのなかに住宅がどれくらい入っているのか。建築には期待するんですけど住宅っていう枠組みがどこまで批評性をもつかっていうのは、そこまで実感できていないですかね、僕は。住宅のなかに批評性があるトピックもあるかもしれないけど、住宅っていう時点で今の社会と温度差があるような感じが個人的にはしています。だから、ここで扱うテーマも──住まうこと、住まう箱がどうあるべきかっていうのはもちろん建築的な主題ではあるんだけど──「住宅」を扱うべきかっていうのはちょっと考えたいかな、という感じです。

建てること、住むこと、生きること

佐藤 住まうことがいわゆる一般向けメディアではカルチャーのひとつとして取り上げられると思いますが、それがたとえば『ソトコト』とか『コンフォルト』とかそのへんに限られちゃっているところがあって、それとサブリースや登記といった問題や、他方の建築家のような人たちが話していることとも乖離してしまっている。もしかすると昔の──谷繁さんが研究されている80年代のハウスメーカーがどういう状況だったか僕はちゃんとわかっていないけど──住宅生産と建築家と一般向けメディアとのあいだにも乖離があったのかもしれない。そうした乖離ゆえの余白、改めて組み立てる余地があるんじゃないかなって思うんですよね。

 その話はわかりますね。乖離があるっていうのはね。

秋吉 あ、建築系じゃない子が手を挙げている。

陶山佳陽|学生 あの、簡単な質問なんですけど、「施主の表現」っていう言葉があったんですけど、それは施主が意図して表現したのか、意図しない部分での表れ、というような割と受動態な感じの表現なのか、もし重きがあれば教えてほしいです。

佐藤 それは多分、それぞれの当事者が考える価値観と、周囲をも含めたそれぞれの関係性によるのではないでしょうか。設計屋が「住宅は施主の表現である」として組み立てることもあれば、施主自身が自分の表現物であると考えることもあるだろうし、もちろんそれが絶対ではないんだけど。

 少なくとも、かつての「マイホームを手に入れるぞ」という時代には──持家政策も含めて──、マイホームっていうのが住まい手の夢であり表現であったと思うんですよ。「マイホーム幻想」なんて揶揄されることもあるけど、少なくともその人にとっては確かなリアリティがあった。そういうリアリティ、住宅が何によって具体的に生み出されるのかという、問題の所在を現代においてどこに見つけ出すのか。それを考えるときに「表現」というのが時代錯誤なモノとして議論からずり落ちてしまうことに若干の違和感を感じています。

 住まい手とその人を包む箱──それは持ち家であるかどうか賃貸であるかどうかは関係なく──その両者の関係において、何らかの夢があるか?表現というものがあるのか?その問題の系を、どう現代で問い直すかっていうかたちは考え続けるべきかなと。

陶山 施主が主体的に表現したいんだっていう場合と、ハウスメーカーとかが「こういう表現がありますよ」って提案して、そこを都合いい感じで消費者が買っていくっていう場合など、いろいろなかたちがある、っていう解釈で合っていますか?

佐藤 まあ、たとえばハウスメーカーと施主との関係を良しとするか否かという議論において、その家は表現であるかどうかということもまた問われるべきではないかと。先ほどはそんな議論の偏りを感じて問題提起をしたつもりです。

陶山 はい、わかりました。ありがとうございます。

布野 え、わかったの? 建築家の自己表現というのが、だいたい問題なんですよ。「芸術としての住宅」と言わなくても、「住宅作品」といえば、建築家が、勝手に、人の、施主の金使って自己表現してるっていうのが一般の人たちの感覚ですよね。佐藤さんはそれについて石山先生と議論したことがあるの?

佐藤 石山さんとはないですよ。石山さんってやっぱり矛盾する人じゃないですか。その矛盾が総体として、何らかの表現というものになっていると思うんですよ。ただ、その表現が誰のものになっているかわからない形になり、もしかしたらみんなの表現かもしれないというものが、石山さんが関わっている家づくりやまちづくりだと思います。だから、なんとなく僕はそういう風に合点をして、わざわざ石山さんと議論をしたことはないです。

布野 佐藤さんが言っていることがさっきからうまく僕なりに咀嚼できないんだけど、総体が表現というのはわかる。建築家の表現のことはちょっとおいておきますけど、建売について僕は若い頃いろいろ調べたんだけど、隣と違っていないと売れないっていうことがある。差異がないと売れないというのは、建売業者でも、ディベロッパーでも絶対の原理なんです。隣と同じものじゃなく、ちょっとは違っていてほしい。タワーマンションの話が出たけど、やっぱり高いほうがいい、という需要がある。タワーマンションにおいて、建築家は一体どういう表現を成り立たせるのかという問題もある。辻くんに言わせるとタワーマンションってみんな均質空間の表現ということになるけど、建築家は、どこまで責任持って、責任というか、何を意図して設計するのか、ということが問われる。なんか『群居』的になってきた。

再び、住宅は施主の表現か

市川 佐藤さんが言われている「住宅は施主の表現である」というのは、一般的に言われていることですか? それとも誰かが具体的に論を展開していた?

佐藤 『群居』でも言っている人がいたし、少なくとも石山さんは言っていることだと。

布野 「99%社会が建築をつくる」といったのは村野藤吾さんだけど、石山さんは、1%に建築家の役割がある、とは思っていなくて、もっと全体的な創造主体を考えていたんだよね。僕も石山さんも、セルフビルドの世界、ハイデッガーの「建てることと、住むことと、生きること」が同一の位相にある世界を理念型として考えることはあった、と思う。先日、坂本一成さんと公に話す機会があったんだけれど、僕が昔書いた「制度と空間 建売住宅文化請考」(『見える家と見えない家』所収)のコピーをわざわざもってきて、ほとんど読んでるものは一緒だったとえらく褒めてくれたんだけど、僕はフォルマリズム、建てることにこだわったんだけど、布野は住むことにこだわったんだよなあ、と結局批判された。石山さんにしても、渡辺さんにしても『群居』周辺では、「建築」に閉じた議論はほとんど問題にしなかった。

市川 セルフビルドだと「住まい手=作り手」の図式になりますね。ちなみに住まい手と作り手が分かれ、その表現が分かれるとき、佐藤さんはどのようなスタンスなんでしょう? インドなどでも住宅をつくられていると聞いていますけど、そのあたりの具体的な実践との関係でうまくわかりやすく解いてくれませんか。

佐藤 なんかそれは、「住宅のは施主の表現である」の言葉の後に、「そして、施主だけの表現ではない」というようにさらに続く言葉ががあると思うんですよ。それは別に新しい考えでもないと思うんですけど、僕はそう思っています。

 誰の表現なのかというときに、っていう主体が特定されてしまうのか、あるいはそこに場所性だったり歴史とかがもしかしたら入ってくるかもしれない。先ほど布野先生が指摘された建築家の表現論をやりたいのではなく、けれども家の表現論は今後もやっていくべきなのではないか、やりたいなと思っています。これから考えていこうとしている『群居』は、もしかするとそういうことを生産という──あの僕ちょっと生産にこだわり過ぎかもしれないんですけど──、住宅の具体的なつくり方の議論を通して見つめ直せるのではないかと思っています。

布野 佐藤さんが今言おうとしていることは『群居』のテーマとしてずーっとあった。そういうところも議論し続けたらいい。

市川 佐藤さんはいわゆる表現、意匠の問題もけっこう重要だということが言いたいわけですよね。意匠の外側だけではなく、意匠そのものもここでは扱うべきだと。

佐藤 そうそう。ただ、それは建築家の意匠の話だけではない、ということです。

布野 辻くんの言っているテーマもそうだし、僕が聞いている範囲では、全部議論してきたような気がする。メディアの上で表現できていたかはわからないけれど、50号出した。

秋吉 さすが50号出したという話ですね(笑い)。

市川 我々はもうすることがないのでは(笑い)。

布野 そんなことはないでしょう。『群居』は歴史的に総括してくれればいい。じつは、ああもういいや、やめとくわ。

佐藤 総括はちょっと宙吊りにしておいたほうが、この「現代の『群居』を考える」は進むべき方向に進むのでは。

 まあ施主の表現っていうのが意識されてないことのほうが現状かなと思います。洋服はまだ「私はこういう格好しています」というのがあるけど、住宅を人に見せるっていう意識でDIYしたりするっていうのは僕はまだアクチュアルに感じられてないですね。家開きの事例もあるにはあるけど、まだまだ住宅は見せるものではない。もうひとつは建築家も普通にやっぱり表現してるっていうか、表現してない部分もあるし、してる部分もある。ずっと僕が考えているのは主体が人間としての主語じゃなくて、まちだったりとか場所だったりとか違うアプローチで、「これがまちの表現だ」っていうふうに認識できる考え方っていうか、それはデザインできる余地があるんじゃないかなって思っています。

 教育的には、僕の大学なんかでは「表現はダメだ」ってずっと言われていて。北山恒っていう建築家が先生なんですけど、「建築は設計者のエゴの表現ではない」ってずっと口酸っぱく言われてたんですよね。

布野 北山さんがそんなこと言ってるの?

 表現しちゃダメということではなくて、建築はオブジェ、彫刻ではいけないと。社会的な存在なんで、エゴを表現するってことはダメだって。

秋吉 なんかそのロジックは微妙ですよね。

 でも、北山さんの魅力って、その自分勝手に表現しちゃダメだっていうのが北山さんの社会的な表現になってみんなを巻き込んでいくっていう、その推進力だと思うんですけど、それは悪くないことだと僕は思っていて、むしろ表現したほうがいいと思うんです。エゴの表現ではいけないと僕も思うけど、何かを形にして表現することによってしか周囲に影響は及ぼせないわけだから。ただ、そのときに単に人の、誰々の表現ってことだけだと主語が入れ替え可能で話が前に進まないから、主語を人間以外のところにずらせるかというのが考え方として重要なのかなって思っています。北山さんの言う社会的な存在たり得る建築の主語はきっと設計者個人ではなく、まちや地域、場所や環境といった複合的な要素の集合体だと思う。

陶山 それではその「表れる」っていう意味で言うと、施主と設計する方の他に、やっぱり山間部に建てるか都市部に建てるかっていう地形とか地域の有限性みたいなのがあるじゃないですか。今の話をざっくりで聞くと、広告で言う、広告主が施主でコピーライターが設計士で、地形とか地域が新聞でやるとかメディアは「note」を使うとか、そんな感じで勝手に類比しました。

市川 その通りだと思います。

陶山 主体的なメッセージがあって手段があって、そこに技術が加わると味が出てくる。

秋吉 そんな単純な議論なのか。

市川 メディア論的にはメディアがメッセージなので、伝達内容と伝達の方法は厳密には分けられませんね。紙面もまたメッセージ。この運動体もそれそのものがパフォーマティブな意味をもちます。

どのように地域に入るか

福田泰之|学生 僕は今、東大で修士の2年生なんですけど、実際に地方に入って設計をやっていて、そのときにどのくらいその地域にコミットするのかっていうのが難しくて自分のなかで悩んでいます。今は月に2回ほど、計10日間くらい入り込んで実際に設計活動をしているんですけど、そのコミットする具合というのが、今はもちろん学校のひとつの自分のなかのプロジェクトとして入っているんですけど、たとえば卒業後もやるのか、というところ。そのあたりについて、地方でやられている秋吉さんと辻さんに、先ほども話があったと思うんですけど、もう少し詳しくお聞きしたいです。

秋吉 まあそれでいうと「コミットする」っていうのは「責任を取る」っていうことなんで、どこまで自分が責任をもって行動するかっていう誠実さに依存すると思っています。そういう意味でいうと時間じゃないですね。質っていうか、どこまで自分がそれをよしとするのかっていう誠実さの問題っていうか。

 どのポジションでもいいと思うんですけど、ちゃんとコミットしたらその分、できることとか責任が広がるっていうことだから、リスクは自分で取らないといけないっていうトレードオフがある。まあ落とし前をどうつけるかってだけの話になっちゃうと面白くないけど、適切なコミットメントの距離っていうのは人とその対象によってやっぱり違うし、それをひとところでやらないといけないのかというと別にそうじゃないから、自分の枠組みをどういう風にデザインするかっていうことだと思いますけどね。

秋吉 あとはそれによって自分は何を得たいかっていうことも結構重要だと思っています。それがいわゆる資本主義経済で言うと、それにコミットすることによってお金が欲しいのか、それ以外の何かなのかっていうのは考えないといけないと思っていますね。地方に入ることの尊さって、その資本主義経済ではないところの、ある意味で贈与経済的な部分で、何か自分がやった行動が──直接自分にブーメランみたいには返ってこないんだけども──その文化にどこまで変えられ得る可能性をあげられるのかっていうのも一方で重要で。それはとにかく潜り込んでいて地に根を張っている人にしか見えない部分ももちろんあるんですけど、そうじゃない人の関わり方とかその人にしか見えない建築的な視点でやれることっていうのはあると思うんです。それは「お前、よそ者が来やがって」、「お前酒飲めや」みたいな話の世界の一方で、自分が正しいと思っていることをして、ちゃんと誠実にコミットすれば、そこに信頼が生まれて、それが仕事にもなるし将来的な何らかの還元になるんじゃないかなって思って自分は仕事しています。だからそういう意味では「その後どうすればいいのか」っていうのは、自分がどこまで──今、研究なのか何なのかわからないけど、先生から何か言われたっていうきっかけでも何でも構わないけれども──責任を取ってどこまで何をしたいのかっていう、結局は自分が全部判断するしかないと思います。

市川 誠実とか信頼とか、秋吉さんがそういう言葉を言うのは意外。熱いなあと

 (笑い)秋吉くん熱い。

市川 なんというか、もうちょっとシステマチックに行動しているのかと思ってました。

秋吉 いやいや、もうそういう種蒔いといたら。たとえば今日ここにきている宮田くんなんかは九州から来てくれてるんですけど、九州でやったワークショップで──こいつ面白くて──自分で森の中にハンディBotって機械を持って行って勝手に小屋建てたりとか、自転車の駐輪場に勝手にShopBotで小屋建てたりとかいろいろやってる。そういうような人たちの活動がバーって出てくると、なんか面白いなと思って。

市川 日本の地域とかだとそれなりに想像できるんですけど、たとえば海外でやるとかどうなんでしょう。辻さんもやってるし佐藤さんもやってますね。自分が外国人として、よそ者として振る舞うときの責任の取り方について、いま秋吉さんはある意味極めて人間的に答えたけど、もうちょっとアーキテクトという職能として応える、いうのはどういうことなんでしょうか。

秋吉 結局それもさっきの質問で、施主とは何なのかということと同じで、結局はアーキテクトっていうのは代理人なので、それをどうやって巫女的に受け入れるかっていう吸収力とかそういう部分にあると思っていて……

 確かに。

秋吉 施主がなんか表現であるとかのときに僕はコメントしませんでしたけど、それって一対一対応じゃないと思うんですよ。施主っていう人と住宅っていうところじゃないところも、巫女的な、代理人力っていうか、そういう部分。そこにプロレベルが、アーキテクト力が問われているんじゃないかなって僕は思いますね。

市川 僕は研究者として中国とかアジアのことをやっているから、よそ者としてあっちでは振舞っていざるを得ないわけです。僕は研究者や評論家としては彼らから得た「何か」を文章や研究というかたちでアウトプットすることでお金を稼いでいるわけですが、では彼らに対してどうやって責任を取ればいいのか、みたいなことはやはり考えるんですよね。超基本的なことで言えば、「日本語だしあいつら読めないから適当に書いてもOK」と思わないようにするとか、外国人なりの視点を提供するとか、そういうことなんですが。たとえば中国ウォッチャーという人種には、中国ではいい顔をして日本では中国の悪口書く、みたいな裏表の顔を使い分けることがあったりするんですが、そういうことはしたくない。現地と外地で研究者として一貫して振る舞いたい、ということなんですが、えーと、何を言いたかったか忘れちゃいましたが……

 それは研究者としてはそうだけど建築家としてはどうなのってことかな。

市川 あ、そうそう。そういう倫理的な問題は、建築家がどこか特定の場所にコミットするときにも出てくるよね、ということ。

布野 僕もアジアでそれなりの仕事をしてきたから、市川くんの問いはよくわかる。基本的にはコミュニティとコミュニティがネットワークでつながった土俵で組み立てるべきだと思う。ベースは共同研究。学位論文を書くというのも、制度的な枠組みが前提になっているわけでしょう。だけど、建築家が動くときには必ずしもそうはいかない、建築市場が建築家を呼んだりする。グローバル資本主義が必要とする表現もあるし、グローバルな建築家ネットワーク、建築マフィアの世界もある。日本でも外国でも、建築家が勝手にやる「やり逃げ」ではなく、現地のコミュニティときちんと付き合う、相互に経験交流するというスタンスが基本です。日本でも一緒でしょう。

市川 それはとてもよくわかります。

布野 僕が言い出したわけじゃないけど、コミュニティアーキテクトをめぐる議論で、「地の人・火の人・風の人」っていうのがある。火の人っていうのは、マッチポンプですね。焚き付けておいて責任を取らない。風の人は、他の地域の知恵をもってきて、議論する。地の人というのはその土地に住み着く人。コミュニティ・アーキテクトがすべてその土地に住まないといけないとなったら、秋吉くんが100万人いても世界は変わらない。結局、どこかに拠点をもって、ネットワーク上で行き来するのがいい。国家の枠を超えて地域と地域が結びつく。

市川 秋吉くんが100万人いたら変わりそうですけどね(笑い)。

 秋吉くんがいたら変わりそうだね。

布野 100万人いたら世界革命が起こるか。

 秋吉くんがちょっと教育目線っていうか、そういう人を増やしたいっていうのはすごく新鮮でしたね。起業家に近いようなマインドをもった人を増やしたいっていうか、インフルエンスさせたいっていう、まあこういうメディアをつくるのもそうですけど。

秋吉 それはありますよ。インターンとかで、地方に建築学科ってクソあるじゃないですか、それをなんでアトリエか就職かみたいな話で、都心に来るか来ないかみたいなくだらない話しているよりは、むしろそこで起業させて、ちゃんとこういう仕組みの中で、ある種ベーシックな何か、稼ぎ方、契約書の作り方といったような、建築で稼ぐための土台をつくる、そういうメディアを作りたいなと思ってて。

布野 すごい。

秋吉 で、それがあると自立して自分たちで仕事もでき、メーカーとも共同もでき、みたいなことになったほうが、それこそ一人の建築家が──僕なのかこの4人なのかが──100万人いるよりは絶対いい世の中になるし、建築家の能力ってそこですごく高いと思っていて。そういう教育を受けたのであれば、そういうふうに還元していくべきなのではないかなっていうのは、最近地方に行けば行くほど思う。もちろん都心の話は別ですけど。

布野 さっきも言ったけど四半世紀ぶりに東京に帰ってきて、東京圏の先生方は何をしてたんだと思った。Y-GSAは頑張ってるみたいだけど。

 Y-GSAにも組織に行く人もいるし、別に学力の問題ではないですよね。なんていうか、アプローチの問題というか。

布野 佐藤さんが一番真面目に見えるからおかしいよ。

市川 いや僕だって真面目ですよ!

秋吉 いや僕も真面目ですよ。

布野 みんな真面目。

原動力になるのは探究心

佐藤 先ほどの地域あるいは海外にどう関わるかという話ですが、僕は圧倒的な主体的探究心だと思うんですよね、必要なのは。初めての場所には何がペイされるかペイするかとか皮算用なしで向かって、結果として何かが生まれるみたいな感じではないだろうか。でなければ地域と対話はできない。

 モチベーションがまずあるみたいなね。そりゃそうだね、最初は。

佐藤 探究心がまずあって、そういった入り方をした後に責任が生まれて……

 事後的にね。

佐藤 で、その責任に対して何で応えるかっていうのは、ひとつやはりあるのは、僕は時間だと思うんですよね。

 時間を割くっていうこと?

佐藤 そうです。その地域を自分の生活の欠かせない一部とすること。それが別に、月に一回行っただけじゃんっていうのが10年続いたら時間を割いているってことになるかもしれないし……

 どこまで長期的に見れるかっていうことだね。

佐藤 そこで──じつは僕がよくわかっていないのが──別にここで話すことじゃないのかもしれないけど、アーキテクトとしての使命感みたいなものが果たして必要なのか。

 ちなみに僕はそこまで背負ってないですね。僕もどちらかといえば探究心というか、街場に出て何を学べるかっていうのが大事。何を学べるかっていうことのほうが、このまちをどうしたいか、どう良くなるかっていうことより優先順位高いです。職人とかと話していてもとりあえず下からいくっていうか、「学ばせてください」って感じで。

佐藤 屈託のない入り方、付き合い方っていうのが多分あるべきなんですよね。

 だから入り方にアドバイスがあるとしたら、まあ偉そうにしない、っていうか、へりくだって。まあ僕たちも、普通に考えたら国立大学を出て、大学院まで出て、それで浜松で独立して起業しましたって言ったら「意味わかんない」って反応されるんですよ。「え、SUZUKIじゃないの」「YAMAHAじゃないの」とかそういうレベルの認識の差から始まっていて。自分が建築でどういう教育を受けたかとかどういうメディアに掲載されたかとか全然関係なくて。それが僕にとっては一番いいところっていうか。誰かが自分のことを専門家として見ないというか、僕の文脈の建築のことは知らないから「辻くんがなんかやってるね」みたいな感じでやれるのはすごくいい。それをもう一回専門性にどうやって還元できるのかっていうことを今考えていて、そっちは使命感あるかな。建築家にとってどう歴史につなげられるかっていうのは。

 でもまちを自分がどうにかできるかっていうのは、やればやるほど無理っていうか。無理じゃないと思うんだけど、今の自分がコントロールするにはあまりにも複雑すぎて、政治力も欲しいし、いろんな自分のネットワークももっと増やさないと動かせないことたくさんあって、みんな全然違うこと考えていて、入れば入るほど解像度が上がって難しくなっていくから、そこは今のところモチベーションではないですね。入ることが面白いから入っているだけで、だからさっきのコミットメントするかってことの先にはやっぱり自分がどうしたいかっていうことがとりあえずないと続かないからね。まちがこういうふうに良くなるとかだと「何様だ」ってなるじゃないですか。そういうのは伝えたいですね。ただ、同時に自分も確かにまちに影響を与える存在であることは実感できる。その間をどうにか溶かしたいというモチベーションはあります。

ストラクチュアとオーディナリー──そのあいだ

門脇耕三|明治大学専任講師 あの、ちょっとコメントしてもいいですか。

 あ、どうぞ!

門脇 みなさんの議論を僕は今日すごく楽しみにしていました。現代版の『群居』にはとても大きな期待を寄せています。今日の感想ですが、僕は議論を聞きながら、建築的なバイナリの問題についてずっと考えていました。

秋吉 バイナリですか。

門脇 二項対立と言ってもいいかもしれません。建築には構造的な部分とそこからはみ出る余剰の部分があって、どちらも見過ごすことはできないという問題です。ジョン・ハブラーケンの言葉を借りれば「ストラクチャーとオーディナリー」という対比になります。建築的な構築性と住まい手の日常の問題ですね。この対比はさまざまに言い換えられて、特に住まいの問題では繰り返し出てくるんですよ。たとえば「スケルトンとインフィル」だったり、「様式建築とヴァナキュラー建築」だったり。日本独特の話で言うと、「コンクリートと木造」の関係もこれに近い。建築家がつくろうとする理性的で構築的な世界と、生活する肉体がナメクジのぬめりのようにつくり出してしまう身体の残余のようなもの。このふたつはどちらか一方があれば良いというものではない。その意味で、最後の辻さんの言い方は一貫して建築家的だと思った一方で、後者のみに肩入れしているようでちょっと共感できなかった。

 ところで、この二項対立を工業化の技術を使って乗り越えようとしたのが、たとえば剣持昤だったり『群居』以前の大野勝彦だったりするわけですが、彼らが「部品論」として描いた世界は、要するにユーザーによる部品の選択を通じて、ユーザーが思い描くとおりの建築がつくれるのではないかという世界だった。ところが部品論は理論的にはすごく大きな矛盾に行き当たるんです。剣持は、そういう世界で建築家は選択型の設計者になると予想した。それは正しくて、さっき秋吉さんも言っていたように、実際にそうなったんだけれども、そうすると「全体環境の質を担保するのは誰だ」という話に陥ってしまう。だから剣持は、生産システムに踏み込む「支配型設計者」という超越的な設計者が現れるだろうと予想した。ところがこれは理論的にも無理筋で、結局そのような設計者像が一般化することはなかったわけです。

 ところが、このバイナリあるいは二項対立の線引きがどこにあるかは、技術的な状況や社会的な状況によって変化します。当然、「現在の技術をもってすれば二項対立の境界さえあやふやになって、境界自体の見直しが起こるのではないか」という議論になるでしょう。だからこそ『群居』の議論の見直しがいま必要なのだと思います。たとえば木造の話はすごく興味深くて、在来木造という世界は、先ほどの二項対立でいうと、理性的な近代技術の体系から疎外され続けてきたという点で、構築の側ではなく余剰の側に位置するんですよね。とはいえ、すべてをいきなり近代技術で置き換えるのは無理なので、戦後の法制でいうと4号建築として、まあ基本的にはないものとするんだけど、例外的で一時的な措置として木造は残すということになって生き延びる。そういう意味ではRC造の集合住宅や工業化住宅こそが本来は建築家の世界だったし、実際に両者とも黎明期には建築家が関わっている。けれども、生産システムが高度化するにつれて建築家自身がそこから疎外されて、今ではむしろ在来木造の世界に若手の建築家が希望を見いだすような転倒が起きている。そしてこうした転倒は、『群居』でもかなり積極的に意識されていたのではないかと思っています。

 秋吉さんに『群居』を紹介したのはそういう感覚が僕の中にあったからで、秋吉さんは『群居』の議論を現在の技術を使ってリライトしているように見えなくもない。つまり、木造的な世界から出発して、権威のための建築 vs 庶民のための建築=ハイテクな建築 vs ローテクな建築=RC vs 木造といったかたちで固定化された近代的二項対立を乗り越えようとしているように見える。とはいえ、前者はいまやタワーマンションのような世界を構築するまでに強大化しているので、木造による自律分散的な世界観ですべてが塗り替えられるというのもロマンチック過ぎる。『群居』では転倒が意識されていたはずだと言いましたが、確かに「群居」には今で言う自律分散的な響きが感じられて、この言葉から出発するという問題設定の仕方はとても良いと思っています。けれども、じゃあ「群居」から出発してどこに向かうのか、何を問題にするのかは、しっかり議論しておくべきではないか。たとえば先ほどの谷繁さんの話は、すべての住まいが資本に飲み込まれつつあるという話に聞こえましたが、だとするとだと「転倒」を企てる意味も『群居』の時代から変質しているかもしれない。

谷繁 基本的にサブリースとかは何の問題かというと、渋谷で起こっている再開発が田舎の田畑で起こっている。どんどん空間が資本化されて細分化されていく。さっき秋吉さんがおっしゃった4万円払えばどこでも住めるというのも、面白いし楽しいし刺激的だけど、じつはどんどん資本化されていると言える。どこも自分の場所じゃない、でも自由だ、みたいな。それは家族の解体もそうだし、裏では「そういう資本主義のなかでそう暮らしていくのは楽しいからいいじゃない」というリアリズムもある。住まいとか住宅という問題が、30年前40年前と変わってる。

門脇 それはまさにさっきのバイナリの境界が変わっているという話なんだと思います。バイナリという問題構成自体が有効ではなくなっている可能性もじつはあり得るとは思っているのですが、いずれにしても、ボトムアップ万歳では済まないでしょう。みなさんそれをどうやって考えるのかなと。

秋吉 僕の感覚で言うと、バイナリが0と1の境界をコンピューティングできるようになっているのが面白いと思っていて、0.1なのか0.9なのかっていう。

門脇 そうそう。

秋吉 そこの陣取りの問題で、契約書とかもそういう感じで、たとえば所有は90%施主が持つけど10%は建築家が持ちますみたいな。そういうバイナリのコンピューティングができるっていうところが今の時代の面白さですね。資本的な面、さっきの4万円のやつってサブスクリプションってビジネスモデルなんですけど、あれも提供者側の完全な経済資本主義、合理的なシステムで、まさに言っているように資本主義上の話なんですけど、それが資本主義的な金銭感覚の問題で9割ペイするのか1割贈与経済的に払うのかっていうところをいろいろ決めていけるのが今の時代の面白さ。

門脇 それは極めてよくわかる話なんだけど、そうした見方からすると、今までの問題系がどのようの再構築できるのかという点検作業が必要なのではないか。たとえばハブラーケンはこうやって言い換えられるとか、コンクリートと木造の対立はこうやって乗り越えられるとか、丁寧に議論する余地がある。そういうところに、今『群居』を再読する意義があるのかなと思います。

『群居』の継承と乗り越え

秋吉 日埜さんも、コメントいただいていいですか。

日埜直彦|日埜建築設計事務所 『群居』って2000年までですか。『群居』っていつまででしたっけ。

布野 2000年ぐらいですね。

日埜 そんなに昔の話じゃないんですよね。それが今、なんだか「『群居』って偉大な前例があって云々」みたいな大げさな見え方になってるようにも聞こえて、ちょっと僕は違和感を感じました。要するに、今やるなら『群居』は、学ぶべき前例というよりは、むしろライバルというか乗り越える標的でしょう。確かに『群居』はあれだけ持続した。蓄積としても分厚い。号によってはピンとこないのもあったけど、やはり面白いものもある。だけどそれは結局のところ、たとえば秋吉さんの世代がまったく認知してなかった、っていうような広がりでしかなかった。

布野 うん。

日埜 で、それは、やっぱり乗り超えないといけない。『群居』もまた、超えるべきものを持っていたんだけどそこ止まりだった。そういう意味で、我々はそれを越えなくちゃ意味がない。

布野 もちろん。

日埜 そもそも人間っていうのは生きてると建物をつくっちゃう。つくらざるを得ないし、実際つくってる。誰でもつくっちゃう、どうかするとすごい建築うっかりつくっちゃうっていうぐらいのもんで、でもそういう当たり前が今どうも見当たらない。『群居』には、そういう境地を取り返したいという基本的な願いみたいなものがあったと思うんです。

 だけど『群居』の限界ってのもあった。厳しく言えば、それは「建築の専門家が建築について専門性を背負って語る」っていう枠から出ることができなかったことだと僕は思う。それがある壁となって、それ以上に広がらない現実に結果したんじゃないか。建築プロパーの人間が、その枠の中で「本当はこういう可能性があるんだ」という話をして、そしてそこで止まってしまった。今日のお話は面白かったんだけど、そういう意味ではその枠にはすっぽりはまってしまいそうな気がする。

 たとえば秋吉さんが言われていた4万円シェアハウスの話、あるいは所有の問題、契約の問題、ロールモデルの問題、責任の問題。そういったものが論点として出てきたときに、それは本質的には、その専門性みたいな枠組みも含むかなりスタティックな社会の前提のなかに無駄だったり本当は必要のない制限があって、そういったものをブレークアウトできる、って話でしょう。そこをひっくり返せるんじゃないか?ってことだと思うんです。だとしたら、もはや建築家とか専門家、ということから始まるのではない、何か違う前提を見たい。

 とはいえ、こうやって改めて議論するのはまあいいねという感じもします。というのは、ある種フレッシュなものとして『群居』に触れることができる。僕が大学を卒業したときには『群居』が普通に本屋に置いてあった。それはどこかもう終わった問題にも見えました。でもあらためてやり直して良いわけですよね。先ほどの建築家の表現とか施主の表現とか、『群居』でも議論されてた気がしますが、それは本来どうでもいい話で、どうしたって建築にはなにか形を与えるしかないし、外から見ればそれが表現に見える、ってだけのことでしょう。そんなとこに拘泥するよりも、そこに介入する違うやり方が問題だと思う。それを『群居』も気持ちとしてはやろうとしてたし、今みなさんが議論して作ろうとしているものも本当はそうなんじゃないか。そこらへんが核心なんじゃないかと思いました。すみません、勝手な意見を申し上げました。

秋吉 ありがとうございます。

 ありがとうございます。

秋吉 中村さんにも一言いただいてもいいですか。

中村謙太郎|編集者 僕は平良敬一の下で建築雑誌の編集をずっとやってきましたので、まずは「新しいメディアをつくる」という皆さんの決意に、敬意を表したいと思います。確かに、インターネットの普及で建築の情報が容易に得られるようになり、「建築メディアの使命は終わったのではないか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、平良がやってきたことが建築雑誌を通した、ある種の運動だったことを考えれば、そういった面での建築メディアの使命は、まだまだ終わっていないのではないでしょうか。皆さんの今後の展開を大いに期待します。

秋吉 ありがとうございました。えーっと、一回ここで締めたいなと思います。このあとちょっと編集して記事にするというのを1か月以内に行うので、記事が公開されたらみなさん拡散にご協力いただけると嬉しいです。300人目標ですか。

市川 はい。

秋吉 300人にシェアされると嬉しいっていうのを目標に、ぜひご協力いただけると。

市川 今日来られている方がそれぞれ5人くらに勧めてもらえれるといいのか。

秋吉 一人5人を目標に、「買え」って言うといいんじゃないかという。では本日はありがとうございました。

Photos by Hayato Kurobe

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