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2022年12月8日木曜日

ロンボク島調査,雑木林の世界30,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199202

 ロンボク島調査,雑木林の世界30,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199202

雑木林の世界30

ロンボク島調査

                        布野修司

 

 昨年の師走は実に忙しかった。といっても、贅沢な忙しさだ。一二月六日に日本を発って、帰国したのがクリスマスの二五日、ほとんどを暖かいインドネシアで過ごしたのである。随分と優雅に思われるに違いない。忙しい最中、周囲の迷惑を顧みず出かけるだけでも我が侭である。真っ黒になって帰国したから、スキー焼けに間違えられて、言い訳も大変であった。帰国した翌日、東京には初雪が降った。常夏の島から雪の島へ、その落差はさすがに身に応えた。

 今回のインドネシア行はロンボク島の住居集落についての調査が目的であった。ロンボク島と言えば、バリ島のすぐ東に接する島だ。間にウオーレス線が走り、動植物の生態ががらっと変わるので知られる。話はそれるが、A.R.ウオーレスの『マレー諸島』の翻訳(宮田彬訳 思索社)が昨年出たのだが、それを読むとダーウィンの進化論のアイディアはもともとはウオーレスによるらしい。

 調査研究の方は、住宅総合研究財団の研究助成で、いささか大げさなのだけれど、研究題目を「イスラーム世界の住居集落の形態とその構成原理に関する比較研究ーーインドネシア(ロンボク島)の住居集落とコスモロジー」という。以前この欄で触れたのであるが(雑木林の世界25 一九九一年五月)、「イスラムの都市性」に関する研究が母体となった研究である。メンバーは、応地利明(京都大学文学部 教授  地域環境学)、堀 直  (甲南大学文学部 教授  中央アジア史)、金坂清則(大阪大学教養部 助教授 都市・歴史地理学)、坂本 勉(慶応大学文学部 教授 イスラム社会史)、佐藤浩司(国立民族博物館 助手  建築史)である。残念ながら、堀先生は参加できなかったのであるが、他分野の先生との本格的な共同調査は初めての経験である。実に刺激的な三週間であった。

 白状すれば、どのような方法で、どのような調査を行うかについて、きちんと議論をつめて出かけたわけではない。実際に、都市や集落をみて、具体的な方法を考えようという、そうした意味では予備的な調査の構えであった。しかし、結果的にかなり本格的な調査を行うことになったのは、チャクラヌガラ(Cakranegara)という極めて興味深い都市に出会ったからである。チャクラヌガラというのは、実に整然としたグリッド・パターンの都市であった。明らかにヒンドゥー都市のパターンをしている。バリにも、あるいはインドにも、こうきれいなパターンはないのである。

 知られるように、ロンボク島は、その西部はバリの影響でヒンドゥー教の影響が強く、東部はイスラーム教が支配的であるというように、インドネシアでも特異な島である。イスラームとヒンドゥーの違いによって、集落や都市ののパターンはどう異なるか、平たく言えば、そうした関心からロンボク島を調査対象として選択したのであった。

 「住居はひとつのコスモスである。あるいは、住居にはそれぞれの民族のもつコスモロジーが様々なかたちで投影される、といわれる。しかし、必ずしもそうは思えない地域も多い。つまり、コスモロジーは、必ずしも、幾何学的な形態や物の配置に示されるとは限らない。宇宙観が形象として強く現れる場合と極めて希薄な場合がある。

  本研究は、住居集落のフィジカルな構成原理を明らかにすることを大きな目的とし、住居集落の形態とコスモロジーの関係について考察する。すなわち、住居集落の構成原理に関わる思想、理念を問題とし、その具体的内容、地域における差異などを明らかにする。具体的に焦点を当てるのは、インドネシアであり、比較のための圏域としてイスラム圏を選定する。

 一般に、インドネシア、とりわけ、ジャワ、バリ、東インドネシアにおいては、住居集落の構成とコスモロジーの強い結び付きを見ることができる。一方、一般に、イスラーム圏においては、住居集落の構成とコスモロジーとの結び付きは希薄であるように思える。その差異は何に起因するのか考察したい。インドネシアは、今日、イスラーム圏のなかで少なくともそのムスリム人口の比重において大きな位置を占めるのであるが、住居集落の構成を規定するコスモロジーはより土着的な基層文化である。住居集落の形態は多様な原理によって規定される。自然環境、社会組織、建築技術、などの差異によって住居集落の形態は地域によって多様である。本研究は、住居集落の形態とそれに影響を与える思想や理念、すなわちコスモロジーに焦点を当てることによって、その多様性について考察を深めるねらいをもつ。すなわち、住文化の複合性について明らかにすることが大きな目的となる。」

 と、研究目的にうたったのであるが、具体的に対象となる都市や集落が存在するかどうかについては、事前の文献調査では必ずしも検討がついてはいなかった。チャクラヌガラの発見で、議論ははずみ、調査に熱がはいったのである。毎日、手分けをして、町を歩測しながら歩いた。全歩行距離数はかなりのものになる。

 われわれにはひとつの仮説があった。それはおよそこうだ。

 都市の理念型として超越的なモデルが存在し、そのメタファーとして現実の都市形態が考えられる場合と、実践的、機能的な論理が支配的な場合がある。前者の場合も理念型がそのまま実現する場合は少ない。都市の形態を規定する思想や理念は、その文明の中心より、周辺地域において、より理念的、理想的に表現される傾向が強い。

 チャクラヌガラをどう解釈するかはこれからの課題なのであるが、バリ・ヒンドゥーのコスモロジーを基礎にしているのはまず間違いが無い。ここでも、バリ文化の周辺により理想の都市モデルをみることができるのである。

 チャクラヌガラの南北東西の大通りの南は右京、左京(仮にそう名づけた)とも四×四の一六ブロックからなる。一ブロックは一辺約二百メートル、南北に四分割され、各区画は背割りの形で十づつの宅地に分けられていたと思われる。個々の宅地は東西からアプローチがとられるている。東北の角には、サンガ(屋敷神)が置かれ、ヒンドゥーの住まいとすぐわかる。ムスリムは今では都市周縁部に居住する。そのかっての骨格はきちんと保存されているのである。

 ロンボク島での調査は、チャクラヌガラが中心となったのであるが、その外港であるアンペナンについても若干の調査を試みた。カンポン・ムラユ、カンポン・ブギス、カンポン・アラブ、カンポン・チノなど、植民都市の歴史を残して、いまでも棲み分けがみられる。また、南部の山間部、北部の山麓には、ワクトゥー・ティガと呼ばれる(それに対して、厳格にイスラームの教えを守るムスリムをワクトゥー・リマという)、ムスリムでも土着の文化も保持する人々の集落がある。小さな島だけれど、様々な文化の重層をみることができる。実に興味深い島である。

 


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