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2022年12月25日日曜日

土木と建築,雑木林の世界34,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199206

 土木と建築,雑木林の世界34,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199206

雑木林の世界34

土木と建築

「土建屋国家」日本の変貌

 

                         布野修司

 

 茨城県木造住宅センターハウジングアカデミーの開校式が華々しく行われた。第一期入校生八名。定員通りである。紆余曲折はあったものの、とにかく開校にこぎつけたのはめでたい。長い間、そのお手伝いをしてきたものとしてはひとしお感慨深いところだ。その発展を心から期待したい。

 SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)は、2年目を迎えて模索が続く。SSA(サイト・スペシャルズ・アカデミー)設立を大きな車輪の軸にして、その基盤づくりが当面の目標となるが、その推進役として新たに日本大学理工学部の三浦先生(交通土木)を理事として迎えた。最初の一年は建築の分野を中心に講師を招いてフォーラムを続けて来たのであるが、今年は、土木の分野も含めた展開がはかられることになる。

 今年に入って、フォーラムが既に二度開かれたのであるが、一回目(三月二四日)は、鈴木忠義(東京農大)先生、二度目(四月二二日)は花安繁郎(労働省産業安全研究所)先生が講師であった。

 「今、なぜ「技」なのか」と題した鈴木忠義先生の講演は、長年の経験を踏まえて「芸」と「技」の重要性を力説され、「職人大好き人間」の面目躍如たるものがあった。面白かったのは「飯場リゾート論」である。飯場をリゾート施設としてつくり、工事が終わった時に地元に運営を委ねたらどうかというのである。一石二鳥にも三鳥にもなる。なるほどと思う。

 「建設工事労働災害の発生特性について」と題した花安繁郎先生の講演は、いささか深刻なものであった。建設工事において事故は一定の確率で起こっているというのである。様々なデータをもとにした実証的な研究がもとになっていて迫力があった。建設業界に置いて安全の問題が極めて重要である実態を今更のように思い知らされたのである。

 

 土木と建築というと近いようでいて遠い。僕なども土木の世界というと全く縁がなかった。土木と建築ではまず第一にスケールが違う。ということは扱う金額が違う。それだけでも話が合わないという先入観がある。しかし、今度、SSFを通じて土木の世界の一端に触れてみて思うのは、土木というのが気の遠くなるような手作業を基本としていることである。少なくとも、同じ土俵で考え、取り組むべきことが多いということはSSFに参加して痛感するところである。

 土木と建築とは本来相互乗り入れできる分野は少なくない。しかし、両分野には、様々な理由から、歴史的、社会的に壁が設けられてきたようにみえる。縄張り争いもある。都市や国土の基盤整備を担当する土木の分野と、そうした基盤を前提にして空間をデザインする建築の分野には発想や方法の上で違いがあることも事実である。

 そこで問題となるのは都市計画や地域計画を考える場合である。全体として考えられ、検討さるべき都市が全く連携を欠いた形で計画されることが多いのである。日本の都市の景観が雑然としてまとまりがない原因の一端は土木と建築の両分野が連携を欠いてきたことにもあるのである。

 そうした歴史への反省からであろう。都市景観の問題をめぐって新たな動きが展開されつつある。そのひとつが橋梁のデザインがコンペ(設計競技)によって決定される例が増えてきたことである。はっきりいって、デザインについては、建築の分野に一日の長がある。建築家が橋梁や高速道路のデザインに大いに腕を奮ってもおかしくないし、大いに可能性のあることである。また、デザインのみならず、両分野が連携をとることによって都市に対する新たなアプローチが様々に見つかる筈である。

 

 四月に入って、京都大学で授業を始めたのだが、最初の講義が「建築工学概論」という土木の四年生向けの授業だったせいであろうか、なんとなく、建築と土木の関係について考えさせられる。今、全国の大学の工学部ではその再編成の問題が議論されつつあり、土木、建築の建設系を統合しようという動きも現実にある。

 土木の学生に話すのに土木のことを全く知らないというのでは心許ないからと、高橋裕先生の『現代日本土木史』(彰国社 一九九〇年)をざっと読んでみた。「現代日本」というのだけれど、明治以前の記述も三分の一を占めており、しっかりした歴史的パースペクティブに基づいたいい教科書である。近年、各大学で「土木史」の講義が行われ始めたという。土木の世界が変わりつつあるひとつの証左かもしれない。

 『現代土木史』を通読してみてつくづく思うのは土木工学がその出自において工学の中心であったという今更のような事実である。シビル・エンジニアリングが何故「土木」と訳されたのかは不明であるが、シビル・エンジニアリングと言えば「土木」のことであったのである。イギリスなどにおいても、シビル・エンジニアの職能団体や学会の設立は建築の場合よりはるかに早い。

 お雇外国人のリードで始まる近代日本の土木の展開は、建築の場合とよく似ているが、明治国家にとっての重要度という点では土木の方がはるかに高かった。殖産工業のための産業基盤整備に大きなウエイトが置かれるのは必然である。鉄道、道路、ダム、トンネル、治水、上下水、・・・土木技術が日本の「近代化」を支えてきたことは紛れもない事実である。『現代土木史』がその軌跡を跡づけるところである。

 ところが、そうした土木の分野も大きな転換点を迎えつつあるようである。「職人不足」に関わる問題もその転換のひとつの要因である。また、土木技術が自然環境を傷つけ乱してきたという反省もその一因となっている。土木技術に内在する問題が真剣に問われ始めているのである。高橋裕先生は「土木工学は本来土木事業を施工することによって新たな環境を創造するための工学であった。開発行為が拡大し巨大化するにつれ、その行為自体が原環境に与える影響が大きくなると、開発と自然環境との共存を深く考慮することが、土木工学の基本原理として顕在化してきたのである。環境創造の基礎としての土木技術は新たな段階に入ったといえる」と書く。

 土木学会は、「地球工学」、「自然工学」、「社会基盤工学」などその改称を考えたのであるが、結局、土木の名を残す事になったという。土木景観への関心から土や木など自然材料が見直されているからでもあろう。

 地球環境全体が問われるなかで「土建屋国家」日本は変貌しつつあるし、また、変貌して行かざるを得ない。そのためには、建築、土木の両分野は、垣根をとっぱらう前提としても、まず基本原理を共有する必要があるだろう。景観、自然、サイト・スペシャルズ、・・・キーワードは用意されつつある。

 


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