「タウンアーキテクト」制の可能性ー「景観法」の実りある展開をめざして,特集景観まちづくりへのアプローチ,『ガヴァナンス』,ぎょうせい,200406
「タウンアーキテクト」制の可能性―「景観法」の実りある展開を目指して
布野修司
建築文化景観問題研究会[1]座長(1992~95年)、滋賀県景観審議会委員(1994~98年)、島根県景観審議会委員(1996年~)、島根県環境デザイン検討委員会委員(1996年~)、島根景観賞委員会委員(1994年~)、宇治市都市計画審議会会長(1998年~)、京都市公共建築デザイン指針検討委員会委員(1999~2000年)、宇治市景観審議会委員(2002年~)などを務めさせて頂く中で、いわゆる「景観問題」について考えてきた。
痛感させられ続けて来たのは、「景観条例」なり「景観審議会」なるものがほとんど無力であることである。宇治市では、都市計画審議会と景観審議会の委員を兼任しながら効力ある制度手法を考えてきたけれど、容易ではない。条例違反が官報に氏名公表というだけではあまりに弱いのである[2]。また、「景観条例」なり「景観(形成)基準」なるものがあまりにも画一的で固定的なことももどかしい。原色は駄目、曲線は駄目、高さが低ければいい、勾配屋根ならよろしい、というのは余りにも単純で短絡的である。
そこでこの間考えてきたのが、地区の景観形成の責任と権限をある人物なり機関に委ねる、仮に「タウンアーキテクト」制あるいは「コミュニティ・アーキテクト」制と呼ぶ仕組みである。『裸の建築家―――タウンアーキテクト論序説』(建築資料研究社、2000年)にその構想をまとめ、そのシミュレーション、実験として、京都コミュニティ・デザイン・リーグ(CDL)なる活動を始めた(2001年~)。
今回の「景観緑三法」、特に「景観法(仮)」が規定する「景観整備機構」、「景観協議会」、「景観協定」などには、「タウンアーキテクト」制を実現する大きな手掛かりが用意されているように思える。また一方で、不明な点、危惧もある。以下に、思うところをメモしてみたいと思う。
タウンアーキテクトの原型=建築主事
誰が景観を創るのかと問われれば、個々の建築行為である、と答える。無数の建築行為が積み重なって都市景観は成立している。都市景観は、個々の建築行為を支える法的、経済的、社会的仕組みの表現であり、都市住民の集団的歴史的作品である。
日本の都市景観は、西欧の諸都市と比べて、しばしば「無秩序」で「美しくない」と指摘されるが、何も、西欧の、どこかの街のミニチュアのようなテーマパーク的街並みをつくればいい、ということではないだろう。混沌に見えようが、そこに「混沌の美学」があり、景観を生み出す共有化されたルールがあるのであれば問題はないと思う。問題は、個々の建築行為が一定のルールに基づいた街並み景観の創出に繋がっていないことである。
個々の建築行為は、建築基準法や都市計画法などによって、建物の高さや、容積率、建蔽率、・・・などがゾーニング(用途地域性)に従って規制されており、建築主事の「確認」(「許可」制ではない)が要る。単純化すれば、この「確認」に鍵があると思う[3]。
日本ほど建築の自由な国はないという。建築基準法など法制度を守っていれば、何を建てるのも自由である。景観条例の諸規定にもかかわらず、建築確認を行わざるを得ないのは、私権を優先する法体系が確固としてあるからである。そうした意味では、「景観緑三法」における法的拘束力の強化は、大いに評価しうる。
しかし、おそらく問題は一歩も先に進んだことにはならないであろう。どのような景観を創り出すのかについて、何らかの基準を一律に予め設定することは不可能に近いからである。赤は駄目だと言うけれど、お稲荷さんの鳥居の色は緑に映える。曲線は駄目と言っても、自然界は曲線に充ちている。同じ都市でも、旧市街と新たに開発された地区とでは景観は異なるし、地区毎に固有の貌があっていい。勾配屋根を義務づければ、勾配屋根でありさえあれば周辺の環境にいかに不釣り合いでも許可せざるを得ないだろう。基準、規定とはそういうものである。
ヴァナキュラー(土着的)な集落が結晶のように美しいのは、使用する建築材料や、構法などに一定の生産システムやルールがあったからである。産業化の論理が普遍化することによってそうした秩序が解体される中で、どう景観創出のシステムを再構築するのかが問われている。全ての原点は、個々の建築行為のそれぞれが地区の景観創出に資するかどうかを問うことである。飛躍を恐れず言うと、個々の建築行為を確認する、地域の建築事情に最も明るい建築主事さんがそれを判断し、誘導すればいいのではないか、というのが「タウンアーキテクト」制発想の原点である。全国におよそ一八〇〇人いる建築主事が、あるいは約三〇〇〇の自治体に一人ずつのタウンアーキテクトが景観創出に責任をもつのである。
京都CDLの活動=タウンアーキテクトの仕事
ところが、建築主事にはとてもその能力がない、という[4]。それでは、それなりのセンスをもった専門家あるいはそのグループにその役割を委嘱すればいいのではないか。大都市の場合、とても一人というわけにはいかないだろうから、一万人から数万人のコミュニティ(地区)・アーキテクトが地区毎にその景観を誘導していく。本来、景観審議会は、そうした役割を果たすべきである。様々な自治体で設けられている景観アドヴァイザー制度やコンサルタント派遣制度、景観パトロールなどを実質化すればいいのである。
タウンアーキテクトの第一の役割は、個々の建築行為に対して的確な誘導を行うことである。またそのために、担当する町や地区の景観特性を把握し、持続的に記録することである。また、景観行政に関わる情報公開を行うことである。さらに、公共建築の設計者選定などの場合には、ワークショップなど様々な公開の場を組織することである。場合によっては、個別プロジェクトについてマスター・アーキテクトとして、デザイン・コーディネートを行うことである。・・・等々、『裸の建築家―――タウンアーキテクト論序説』には、タウンアーキテクトのイメージや仕事について想像たくましく書いたのであるが、もちろん、絵空事である。問題は、権限であり、任期であり、報酬である。
しかし、とにかく何かやってみようということで、諸先生方と一緒に始めたのが上述の京都CDLである。京都CDLは、現在14大学24チームからなる[5]。京都市全域(上、中、下京区など全11区)を42地区に分け[6]、各チームは大学周辺ともう一地区、あるいは中心部一地区と周辺部一地区の二地区を担当する[7]。
①各チームが、毎年、それぞれ担当地区を歩いて記録する、そして、②年に二度、春夏に集まって、それを報告する、基本的にそれだけである。具体的には以下のようだ。A 地区カルテの作製:担当地区について年に一回調査を行い記録する。共通のフォーマットを用いる。例えば、1/2500の白地図に建物の種類、構造、階数、その他を記入し、写真撮影を行う。また、地区の問題点などを一枚にまとめる。このデータは地理情報システムGISなどの利用によって、各チームが共有する。また、市民にインターネットを通じて公開する。B 地区診断および提案:Aをもとに各チームは地区についての診断あるいは提案をまとめる。C 報告会・シンポジウムの開催:年に二度(四月・十月)集まり、議論する(四月は提案の発表、十月は調査及び分析の報告を行う予定)。D 一日大行進京都断面調査の実施[8]:年に一日全チームが集って京都の横断面を歩いて議論する。E まちづくりの実践:それぞれの関係性のなかで具体的な提案、実践活動を展開する。始めてすぐに、F 地区ビデオコンテスト:というのが加わった。若い世代には映像表現の方がわかりやすいということである。そして、活動を記録するメディアとして機関誌G 『京都げのむ』[9]が創刊された。
まあ、児戯に近いけれど、具体的な活動の手応えはある。京都であれば、十一区それぞれにタウンアーキテクトが張りつけば相当きめ細かい景観創出の試みが可能だというのが実感である。
多彩な景観創出のために
「景観地区」「景観計画区域」の指定は、誰がどのようにして行うのか。「景観重要建造物」は誰がどのような基準で設定するのか。「景観協議会」「景観整備機構」は誰がオルガナイズするのか。「住民」や「NPO法人」による提案を、誰がどういう基準で認めるのか。「景観法」(仮)には、曖昧な点が多い。もちろん、この曖昧さは前向きに捉えた方がいい。現行制度でも、「特別用途地域性」など、やる気になれば使える制度は少なくない。それぞれの自治体で、独自の仕組みを創り上げることが競争的に問われていると思う。
権限と報酬と任期を明確化した上で、個人もしくは一定の集団が都市(地区)の景観形成に責任を負うタウンアーキテクト制は、ひとつの答えになると思う。欧米には、様々な形態はあるが真似をする必要ない。日本独自の、各自治体独自の仕組みを創り上げればいいと思う。
①都市(自治体、景観行政団体)は、まず、都市形成過程、景観資源の評価などをもとに、市域をいくつかの地区に分ける必要がある。同じ都市でも、地区によって景観特性は異なる。また、タウンアーキテクトがきめ細かく担当しうる地区の規模には一定の限界がある。
②全ての地区が「美しく」あるべきである。景観の問題は、「景観地区」「景観計画区域」「景観形成地区」といった地区に限定されるものではない。「景観法」などが規定する地区指定に当たって、住民やNPO法人の発意を尊重するのは当然であるが、それ以前に、自治体(景観行政団体)が、「景観計画」を明らかにし、全市域について地区区分を明確にすべきである。もちろん、住民参加による「景観計画」の策定、地区区分の設定の試みられていい。「景観整備機構」の役割がこの段階に求められることも考えられるが、権限が完全に委譲されることはないのではないか。本来は自治体(景観行政団体)の責任である。
③全ての地区について、望ましい、ありうべき景観が想定されるべきで、全ての建築行為がそうした視点から議論される必要がある。全ての地区が望ましい景観創出のために何らかの規制を受けるという前提でないと、「景観地区」とそれ以外の地区、指定以前と指定後の権利関係をめぐっての調整が困難を極めることは容易に想定できる。
④「景観創出」「景観整備」は都市(自治体)の全体計画(総合計画、都市計画マスタープラン)の中に位置づけられる必要がある。景観行政と建築行政、都市計画行政との緊密な連携が不可欠である。
⑤まず、それぞれの地区について、その将来イメージとともに景観イメージが設定される必要がある。この設定にあたっては、徹底した住民参加によるワークショップの積み重ねが不可欠である[10]。地区の景観についての一定のイメージが共有されることが全ての出発点である。
⑥それぞれの地区の景観イメージの設定以降、地区の景観創出のためのオルガナイザーであり、コーディネーターであり、プロモーターともなりうるのがタウンアーキテクトあるいはコミュニティ・アーキテクトである。地区毎に「景観協議会」を自治体(景観行政団体)が直接組織するのは機動性に欠ける。また、行政手間を考えてもきめ細かい対応は難しいだろう。「景観整備機構」が、各タウンアーキテクトの共同体として、機能することが考えられるが、固定的な機関となるのはおそらく問題である。
⑦問題は、こうして、タウンアーキテクトの権限を建築行政の中でどう位置づけ、保証するかであろう。タウンアーキテクトには、首長や建築行政担当者の任期に関わらない担当年限が保証されるべきであり、一方でその仕事を評価する仕組みが用意される必要がある。
ささやかな経験を基にしても、気になることはつきないが、とにかく創意と工夫に満ちた試みを様々に展開することが先決である。制度が可能性を用意するのではなく、制度の隙間に多くの可能性を見いだすことが大きな意味をもつことはおそらく変わらないと思う。
京都大学大学院工学研究科
建築学専攻:生活空間設計講座
布野修司
Dr.Shuji Funo
Department of Architecture and Environmental Design: Faculty of engineering
Kyoto University
Yoshidahonmati,sakyo-ku: Kyoto,Japan 〒601-8501
E-Mail i53315@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp or funo@archi.kyoto-u.ac.jp
tel.=fax+81-(.0)75ー753ー5776
〒606-8106 京都市左京区高野玉岡町1-144
res. Tel=fax 075-712-3829
布野先生
お世話になっております。
ガバナンスのご執筆要領は研究室ホームページのアドレスに、23日に送信いたしましたが、再送いたします。
何卒よろしくお願い申し上げます。
ぎょうせい 田中
お世話になっております。
お電話で依頼申し上げた月刊「ガバナンス」の原稿ご執筆内容につきまして、メールをお送りします。
弊誌は全国の自治体職員を主な対象とする専門情報誌です(約5万部)。
景観法案が国会に提出されたこともあり、6月号(5月末発売)の特集で『景観まちづくりへのアプローチ』を企画いたしました。企画内容は下記をご参照ください。
法案の内容については、まだ、不確定の部分もあるかと思いますが、住民の景観づくりに対する働きかけを積極的に位置づける方向にあるようです。つきましては、CDLなどの実践を通して、住民やNPOなどが景観形成に積極的に関わり、合意形成、ルール化していくプロセスの新しい提案を行っていただきたく存じます。
下記の構成案では論文3にあたる部分になります。
よろしく 、お願い申し上げます。
記
●特集『景観・まちづくりへのアプローチ』
依頼テーマ「誰が景観を創るのか~市民によるルールづくりの可能性」(仮案)
●文字量/約4800字(顔写真とプロフィールを添付ください)
●締め切り/5月10日(月)
●構成案
(論文)
1 美しい風景をつくるために、自治体への提言
・景観とは何か。歴史的町並み保存や都市景観創造などの自治体の景観行政への取り組みと経緯をふまえ、景観法の制定の意味とこれからの自治体の景観行政を考える。―――東京大学 西村幸夫教授
2 自治体は、景観論争に終止符を打てるのか?
・今回の景観法の位置づけと、都市計画法、建築基準法との関係はどうなのか。自治体の景観条例に法的根拠は与えられるのか。運用上、実効あるものとなるのか。景観計画区域内の開発行為の制限や準景観地区内の建築制限など、先進的な自治体条例が後退を余儀なくされることはないのか。先駆的まちづくりを実践する自治体の現場の視点から、法案の実効性、課題を考える。
―――法政大学 五十嵐敬喜教授
3 誰が景観を創るのか―自治体と住民の関係、住民協議会、合意形成プロセスなどについて。―――布野修司先生
(全国景観まちづくりリポート)全国5~6か所取材予定(調査中)
ぎょうせい・月刊「ガバナンス」
田中 泰
〒104-0061 中央区銀座7-4-12
TEL03-3574-0144
FAX03-3575-9808
以上
[1] 建築教育普及センターによる建設省の若手官僚と建築家(隈研吾、団紀彦、小嶋一浩、山本理顕・・・)による研究会。「アーバン・アーキテクト」制が提起されたが立ち消えになった。仕掛け人森民夫は現長岡市長。団紀彦は軽井沢町のタウンアーキテクトを努める。
[2] 「国立のマンション問題」における階数カットの判決、判例は画期的であるが、条例を優先するという法体系は認められないのではないか。条例で様々な法規定が可能であるとすれば、「景観緑三法」がなくても、各自治体、各地域で、それぞれの実情に即した天界が可能であることは言うまでもない。
[3]
第一にha、建築行為に関わる法・制度が遵守されないという情けない実態がある。遵法度が20%に充たない大都市がある(建築確認通知件数のうち検査済証交付件数を遵法度とすると、大阪(13.7%)、京都(16.7%)、福岡(16.8%)、東京(22.1%)・・である(1996年)。)。充たない建築基準法がザル法と呼ばれ、自治体の建築指導課は、違反建築を取り締まるのに精一杯という状況である。全国一律の法規定の問題など様々な問題はあるが、「法は守るべきもの」という一点を確認した上で、この実態は論外としよう。
[4] 「建築文化景観問題研究会」における当時の建設省の若手官僚の認識であった。
[5] 京都CDLは各チームの代表(監督)および幹事(ヘッドコーチ)からなる運営委員会・事務局によって運営されている。コミッショナー広原盛明、運営委員長渡辺菊真、事務局長布野修司というのが初代の陣容である。
[6] ベースとしたのは元学区、国勢調査の統計区である。約200区を平均4統計区ずつに分けたことになる。
[7] その謳い文句を並べれば以下のようだ。○京都CDLは、京都で学ぶ学生たちを中心とするチームによって編成されるグループです。○京都CDLは、京都のまちづくりのお手伝いをするグループです。○京都CDLは、京都のまちについて様々な角度から調査し、記録します。○京都CDLは、身近な環境について診断を行い、具体的な提案を行います。○京都CDLは、その内容・結果(試合結果)を文書(ホームページ・会誌)で一般公開します。○京都CDLは、継続的に、鍛錬(調査・分析)実戦(提案・提案の競技)を行うグループです。○京都CDLは、まちの中に入り、まちと共にあり、豊かなまちのくらしをめざすグループです。
[8] 初年度は、八坂神社から松尾大社まで四条通りを歩いた。2002年は下鴨神社から鴨川を桂川の合流点まで歩いた。2003年は、平安京の北東端から南西端まで襷掛けに歩いた。
[9] 京都のまちづくりの遺伝子を発見し、維持し続けたいという思いがその名称の由来である。年に一冊4号まで発行されている。
[10] 宇治市(人口18万人)では、都市計画マスタープランの策定に際して、全市を7区に分け、ワークショップを繰り返したが、市民の潜在能力には素晴らしいものがある。