エスニック,郵政建築,郵政建築協会,199307
エスニック
布野修司
エスニックあるいはエスニシティー(エスニック・アイデンティティ)という概念に日本人ほど鈍感な民族は世界に珍しいのではないだろうか。
もちろん、日本人というエスニシティーは常に問われてきたといっていい。日本的なるものとは何か、日本精神(やまとごころ)とは何か、近代日本において、ナショナリズムの台頭とともに大きな主題になってきた。国際関係における危機(日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦)において日本のアイデンティティーが問われる度にそうした問いは繰り返されてきたのである。古代史ブームやシルクロード・ブームを見ると、日本人のルーツはどこか、日本語のルーツは何か、日本の民家の源流はどこか、稲作の起源は何か、演歌や民謡の故郷はどこか、将棋や相撲の原型は何か、といった関心は日常的なレヴェルでも根強そうだ。むしろ、日本人はエスニシティーに多大な関心をもっているといっていいのかもしれない。
しかし、日本のアイデンティティー、日本人のエスニシティーが繰り返し問われているということは、逆に、日本人はそれを捜し当てることに常に失敗し続けていることを意味する。日本人が、かなり珍しい民族だというのは、まずはその点にある。単一民族国家のイデオロギーが日本人の意識をすっかり覆っているのである。
一方、他の諸国においては、エスニシティーの問題はより日常的で深刻である。世界のどんな都市をみても、様々な民族が居住するのがむしろ一般的である。植民地の経験をもつ発展途上国の大都市は、それこそ植民の歴史的過程において様々な複合社会を形成してきた。東南アジアの諸都市の場合、マレー人、中国人、インド人の三つの大きなエスニック・グループとそれぞれの民族グループからなるのが一般的である。インドネシアの大学で日本の民家について紹介した際、日本にはどのぐらいの民族がいるのですかと問われて苦笑したことがあるのであるが、苦笑するのは向こうであって、多民族が複合的な社会を形成するのは東南アジア世界ではごく当たり前のことなのである。インドあるいは南アジアの諸都市においては、エスニック・グループによる棲み分け(セグリゲーション)が一般的である。カーストによる区別がある。宗教的対立、特にヒンドゥーとイスラームの対立も根深い。様々な言語が話される。当然、風俗習慣も多様である。
国際的な労働力の移動が一般的な西欧先進諸国においても、様々な民族の混住は当然のことである。日本の場合、80年代において初めて、そうした事態を経験し、エスニシティーの問題を身近に感じ始めたといえるであろうか。エスニック・ブームが巻起こったのも、日本の国際化の動きと無縁ではない。歴史的、民族的、宗教的、文化的背景を異にする人々と同じ町に共に住むという経験は、在日アジア人との不幸な歴史的関係を別とすると、これまでにない歴史的経験である。国際化の問題が日常生活レヴェルで初めて問われ出したのである。
日本人が海外を旅行するとすぐそれと理解される。団体でパックツアーというスタイルであれば当たり前だが、そうでなくても、眼鏡に、カメラ、服装、あるいは立ち居振る舞いですぐ日本人と認識される。日本人はそうした認識については鈍感である。紅毛碧眼の西欧人や黒人については強く意識しても、目や肌の色では区別がつかないアジア人については驚くほど無頓着である。日本という枠組みのなかで日本人だけの世界で生活してきた社会の特異性だろう。海外旅行や海外滞在の経験が増えるに従って様々なエスニシティーを認識する機会は増えつつあるが、パック・ツアーや日本人村を一歩も出ない海外滞在経験では心許ない限りである。
大きな問題は、外国人の居住が日本人の社会と切り離される形で進行しつつあることである。東京の池袋のアジア村や新宿の大久保通りのようにそれぞれの民族毎に棲み分けが行われる形が一般的なのであるが、郊外のマンションやアパートに隔離される形で就労するパターンも多い。スーパーで買い物をして仲間だけで生活する。電話やファックスなど様々なメディアやサービス設備の発達でそれが可能なのである。
外国人の居住に関して、様々なトラブルが報告される。夜中に騒いだり、選択したり、ゴミを決められた日に出さないとか、銭湯に水着ではいるとか、ほとんど生活習慣の違いが原因である。そうしたトラブルはその解決を通じて相互理解の機会とすることもできるのであるが、日常的に日本人が外国人と接触しない形であるとすると、そうした機会もない。日本人の側にエスニシティーに対する理解が欠けているために無批判な拝外主義が醸成されるそんな危険があるのである。
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