第9回 アジアの建築交流シンポジウム(The 9th International Symposium on Architectural Interchanges in Asia(ISAIA)) 韓国・光州大会 報告「アジア建築学会へ」,建築雑誌,201301
第9回 アジアの建築交流シンポジウム(The 9th International
Symposium on Architectural Interchanges in Asia(ISAIA)) 韓国・光州大会 報告
アジア建築学会へ
10月22日~25日、韓国・光州において、第9回アジアの建築交流シンポジウム(ISAIA)が開催(金大中コンヴェンションセンター)され、和田会長とともに実行委員のひとりとして参加してきた。日本建築学会の100周年を記念して、日本建築学会の提案によって第一回ISAIAが日本(福岡、京都、東京)で開催(1986年9月)されて26年、隔年定期開催となった第2回(神戸、1998年9月)からは14年となる。この間一貫してアジアをフィールドとしてきた筆者は、第3回(済州島、2000年2月)を除いて、全て出席してきた。この間のISAIAの歴史を振り返りながら、第9回ISAIAについて報告したい。
今回の大会テーマは「建築技術の前進Technological Advancements in Architecture」。第2回以降のテーマを並べてみると、「21世紀のアジア建築」(第2回、神戸、1998年)、「新世紀に向けてのアジア建築の挑戦と役割」(第3回、済州島、2000年)、「建築資源と近代技術」(第4回、重慶、2002年)、「地球環境とアジア建築の多様性」(第5回、松江、2004年)、「A+T:アジア建築の新しい価値」(第6回、大邱、2006年)、「都市再開発と建築創造」(第7回、北京、2008年)、「アジアの見方 未来への秩序と知恵」(第8回、北九州、2010年)となる。それぞれに時代を映してきたように思う。第5回松江大会では実行委員長を務めた。第6回では、「地域固有の価値に根差した建築を目指して:アジア都市計画研究のパラダイムについてTowards
an Architecture based on Vernacular Values in the Regions: On Paradigm of Asian
Studies for Architecture and Urban Planning,」と題して基調講演を行わせていただいた。
今回の3人の基調講演を聞いても、まず思うのは時代の流れである。「建築技術の前進」と訳したが、かつての底抜けの技術への信頼をもとにした技術の進歩、技術革新といったニュアンスは受けなかった。特に、中国建築学会を代表して講演した、弱冠40歳を超えたばかりの中国建築界のホープと目されるチャン・リーZhang Li(精華大学教授)による「柔らかな持続性Soft Technology」には新しい中国建築の方向性を見た気がした。彼のプレゼンテーションは、大学キャンパス内に建てられた外国人建築家によるいわゆるエコ・ビルディングを痛烈に批判することによって開始されたのである。若くして巨大なプロジェクトを任されてきたその仕事に中国社会の底力を感じるが、ほんの少し前までの浮ついたバブリー建築の時代は確実に過ぎ去りつつある。チャン・リーの作品は決して洗練されてはいないが、地域文化と技術との融合を目指しているように思えた。韓国のキム・インチョルIn-Cheurl Kim氏による「開かれた空間The Space Open」も、新技術の展開というより、一つ一つの作品の中に新たな技術の在り方を突き詰めようとする地に足のついた積み重ねを強調しているように思えた。そうした意味では、小堀徹氏(日本設計)の「東京スカイツリー:世界最高構築物への挑戦」はいささか素直すぎたかもしれない。ただ、そのアプローチの技術的積み重ねについての丁寧な説明は二人に共通するところがあり多くの聴衆の共感を得たように思う。
初日は基調講演に続く4分野に分かれてのパネル・ディスカッション(「建築デザインにおける技術」「建設工学におけるITと自動化」「ゼロ・エネルギー建築」「次世代新構造システム」)が行われた。2日目は研究発表が行われた。今回の発表題数は全部で283題、うち日本からの発表台数は167題、日中韓の参加国では最も参加者が多かった。ポスター・セッションは44題のうち、日本から11題の発表があった。いくつかの部屋を覗いたが、いずれも熱心に質疑が行われていた。英語の不得手な発表者が懸命にコミュニケーションを図ろうとする姿には、毎回感じることではあるがISAIAという場の大きな意義を確認することになった。
中国を代表して基調講演を行ったチャン・リー氏は研究発表でもモデレーターを務めるなど大活躍であったが、実に英語がうまい。原稿など用意せず、壇上を右に左に移動しながらのまるでスティーブ・ジョブズさながらの基調講演は圧巻であった。どこで勉強したんだと、いうと、留学経験はなく、中国のインターナショナル・スクールで英語を取得したのだという。今はアメリカの大学でも教鞭をとる。そのチャン・リーが、自分の担当したセッションの日本人発表者の発表をしきりにほめる。英語は問題ではない、研究の水準が問題なのだ、というのである。今のところ、日本建築学会が一歩先んじているのは確かにそうかもしれないが、うかうかしていると日本が取り残される日が来ないとも、限らない。
第一日目(23日)には恒例のISAIA実行委員会が開かれた。第一の議題は、2016年の第10回中国大会のテーマ、開催場所、開催次期である。尖閣問題があり、中国開催について若干危惧していたのであるが、中国から特段の発言はなく、中国開催は当然のスケジュールとして議事は進行した。開催についてはホスト国が決定権をもつのが慣例である。最終決定は中国建築学会に委ねられたが、2016年中国東沿岸部(烟台、青島・・・など)、5~6月開催というおよその合意がなされた。テーマは未定であるが、中国では地方における開発と保存の問題が大きな問題になっているという発言があったのが記憶に残っている。
今回の実行委員会で大きかったのは大韓建築学会からABERRAA(Architectural and Building Engineering
Research Association in Asia)なる日中韓のISAIAをアジアに拡大する提案がなされたことである。ABERRAAという名称はともかく、アジアの建築交流を日中韓から広くアジアに拡大することはこれまで建築学会で議論してきており、今回の日本代表団でも話していたところだったから今回の提案はウエルカムであった。そもそも第1回は広くアジアにデレゲーションを出して開催したのである。国際委員会を副会長直属の形に新たに位置づけ直したばかりでもあり、「アジア建築学会」の設立は日本建築学会の国際化に向けての大きな柱になる。
2年に一度集まるだけでなく、恒常的な組織にしていく、さらにアジア全体に拡大していくという提案は、具体的には、①ISAIAの継続拡大を軸に、②JAABEとの連携をベースとし、2年に一度に限定せず、③その時々の共通の課題についてのフォーラム、シンポジウムを開催する。まず、④アジアの都市建築研究のデータ・ベースを構築し、⑤共同研究を展開する、というものである。
いずれも異議なしである。中国建築学会は持ち帰るということであったが、連絡をとりあって構想を煮詰めることとなった。ISAIA20周年となる2016年の第10回中国大会は、第二期ISAIAの出発点となる。
韓国は随分歩いてきたのであるが、光州周辺は初めてであった。最終日のカルチュラル・ツアーに参加して、初秋の光州を楽しんだ。筆巌書院、瀟灑園、楽安邑城、仙巌寺、いずれも一級の文化遺産である。とりわけ観光地化しているとは言え、住民の生活を維持しながらかつての姿を維持する楽安邑城が印象的であった。こうしたツアーもISAIAの楽しみである。
布野修司(本会副会長、国際委員会委員長、滋賀県立大学)

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