主催・主旨説明:建築計画委員会春季学術研究集会・ハノイ: 「ハノイの変貌Changing VietnumーHanoi:its History & Environment Symbiosis for Architectural Planning 歴史・環境・共生と建築計画」,司会 内海佐和子(昭和女子大学)講演1 「ヴェトナム現代建築の動向」 ファン・ダオ・キン 建築家協会副会長,講演2 「ハノイ旧市街の保存活動」 ファン・トゥイ・ロアン ハノイ建設大学都市建築研究所副所長,2009年6月5日~7日
2009年度 建築計画委員会春季学術研究会報告
ハノイの変貌:歴史・環境・共生と建築計画
建築計画委員会
2009年6月5日、6日の2日間ベトナムのハノイにて2009年度建築計画委員会春季学術研究会が開催された。2006年ソウル、2007年北京、2008年台湾と続き国外アジアでの開催は4度目である。
ベトナムは、今、来年(2010年)の建国1000年を前にして、ハノイのタンロン(昇竜)城の発掘が急ピッチで進められており、ホイアンに続く世界文化遺産への登録を目指している。また、建国の祖先たちの出身とされるドンラム村の整備が進められている。この事業にはホイアンの歴史的町並み整備事業に続いて日本も協力体制をとっている。
開催にあたって今回も参加者に配布する冊子を作成した。初めにハノイ、ホイアン、ミーソンの歴史的概要、歴史的建造物、現代建築そしてベトナムに関する論文を系統別に掲載した。冊子づくりにあたって昭和女子大学の内海佐和子先生の協力が大きかった。ベトナムの保存修景事業に長年携わってこられた内海先生から、ハノイ36通り地区、ドンラム村に関してわかりやすくまとめられた冊子を頂き、配布用冊子を作成する私たちにとって大きな手助けとなった。
例年、他大学の学生も含め大所帯での開催となってきたのだが、今年は大会前に日本が新型インフルエンザの感染国となる事態で参加できない大学がでたため、参加者数は例年よりも少ない43人であった。
6月5日/シンポジウム「ハノイの変貌」
シンポジウムは、ハノイ建設大学都市建築研究所所長・ドアン・ミン・クォイ先生の開会の辞で始まり、昭和女子大学・内海佐和子先生の司会で進められ、建築計画委員会委員長・布野修司先生の閉会の辞で締めくくられた。また、通訳としてノ・ダン・ベト氏に御協力を頂いた。プログラムは以下の通りである。
・16:00 ~17:00「ベトナムの現代建築の動向」
講師:ウェン・ロン氏(ベトナム建築家協会広報部部長)
・17:15 ~18:15「ハノイ旧市街の保存活動」
講師:ファン・トゥイ・ロアン(ハノイ建設大学都市建築研究所副所長)
1――『ベトナムの現代建築の動向』
前半はベトナムの現代建築の動向についてお話をしていただいた。予定ではベトナム建築家協会副会長のファン・ダオ・キン先生からお話をしていただくはずであったが、ファン・ダオ・キン先生はベトナム南部でベトナム建築家協会によるベトナム建築展覧会に出席されていたため、ベトナム建築家協会広報部部長であるウェン・ロン氏が代行で講演されることになった。ベトナムの現代建築はまだ最初期の時代であり、現在大きく動き始めている。研究集会の会場ハノイ建設大学では、昨年、安藤忠雄や藤本壮介等の日本人建築家を招くなど、アメリカの建築家とも交流がある。今年には、ベトナム建築家協会による第1回ベトナム建築展覧会が開かれた。
レクチャーは、ベトナム戦終結(1975年)後から現在に至る動向を大きく総括的に示すものであった。ベトナム戦争後10年は、ホーチミン廟に代表される社会主義リアリズム(装飾を欠いた古典主義)建築が支配的であり、ソ連の影響が強い。しかし、ドイモイ政策導入(1986年)以後、多様な傾向が現れる。ウェン・ロン氏は、伝統志向、地域志向、近代主義、ポストモダン志向、擬似古典主義の5つの傾向に分けて、紹介してくれた。地域産材を用いた若い建築家の作品にはすぐれたものも見られた。
ウェン・ロン氏 ベトナムの現代建築
2――『ハノイ旧市街の保存活動』
後半はハノイの旧市街の保存について、ファン・トゥイ・ロアン先生にお話していただいた。ロアン先生はハノイ36通り地区の保存に関する日本の調査グループのカウンターパートであり、1996年以降、地区の保存活動に取り組まれている。
講演ではハノイ36通り地区の歴史・文化から、現在の問題・取り組みについても詳しくお話いただき、スライドや写真により旧市街の構造の変容とともに、現在の街の状況がよく理解できるものであった。ハノイ36通りは、歴史的な街区として、経済的な中心として、また、観光地として発展し続けている。2004年に国家文化財に指定された。しかし、人口が一貫して増加することによって、地区は大きく変容しつつあり、歴史的建造物は大幅な減少している。そうした変化とともに、保存活動の取り組みも対応し変化してきている。ロアン先生は、36通り地区は街の側を流れるホン河との強い結びつきにより形成されているという周辺環境も踏まえ、当該地区に於いては有形の建築物だけではなく、無形文化財であるコミュニティの仕組みや様々な活動とともに保存していきたいと考えておられる。
ファン・トゥイ・ロアン氏 会場風景
6月6日/都市建築視察
研究会の2日目はバスをチャーターして、ハノイ周辺の視察を行った。当日は午前8時に出発、まず「ドンラム村」に向かい、次に「ハノイ36通り地区」を視察、最後に「ベトナム民族学博物館」を訪れた。
1――ドンラム村
ドンラム村に向かう道程で交通渋滞に見まわれ、予定より約1時間遅れの到着となった。ドンラム村は、池や水田に囲まれたベトナム北部を代表する農村集落である。モンフーのディン→ザンバンミン祀堂→ハン邸近くの井戸→ハン邸→ザ邸→ミア寺の順に徒歩で巡回した。村内は青年海外協力隊員の宇都光恵さんに案内していただいた。
ベトナムのコミュニティにはディンと呼ばれる村の集会所があり、そこには村の守護神も祀られている。モンフー集落には最も高い場所にディンがある。1859年に建築されたもので、旧暦の1月4日には盛大な祭りが行なわれる。床や建具等の保存状態も良く、建物に施された彫刻が華麗であった。モンフー集落内には祖先(江氏、阮氏、藩氏、河氏等)をまつる祀堂がある。ザンバンミン祀堂は、江氏の祀堂であり、17世紀に中国に正使として派遣されたベトナムの英雄ザンバンミンを祀っている。敷地内には、拝殿と本殿があり、拝殿は1943年の建築で、本殿は老朽化により1845年に再建したと伝えられる。本殿は行事を行なうため広々とした軒下空間を持ち、華麗な小屋組みを見せていた。ドンラム村の住まいは閉鎖的である。敷地を建物や塀で囲われているので街路からは内部を見ることはできない。敷地中央には中庭を配し、主屋は中庭を正面とし、街路に対して開口部を持たない。庭の脇には井戸を配置している。概観正面は、重厚な平瓦葺き屋根と、軒下の丸柱の列、木造間仕切りと建具が特徴的である。中庭には多数の大きな壷があり、一年間発酵させて味噌を作る伝統的な生活様式が見られた。ドンラム村の生活には井戸が必要不可欠である。古くは共同井戸を利用していた。現在では各家に井戸があり、洗濯や入浴、料理などに使用されている。ミア寺は、寺に残る石碑によると1694年に創建した。広場に面して門が開き、前方に石塔が建つ庭があり、その奥に大伽藍を構える。伽藍は下寺と上寺からなり、それらは回廊でつながれる。両寺は17世紀後半の建築と考えられ、低い軒で異常に太い柱を使用し、洞穴を模した仏壇が置かれ、重厚な空間をつくっている。
ベトナム北部は湿度が高く、蒸し暑かった。しかし、ディンや住宅などの建物内は涼しく気持ちの良い空間であった。人々はディンに集まり、なにげない会話を楽しんでいる。私たちが通りかかると挨拶をし、暖かく迎えてくれた。
2――ハノイ36通り地区
バスツアーによりドンラム村を視察した後の午後1時半頃、ハノイの旧市街「36通り」に到着。人々が道にあふれ、商店は道に向かって商品を広げる。歩道に置かれた低い椅子とテーブル、薄暗い店の奥から運ばれてくるフォーは格別に美味そうである。天秤棒を担いだ行商人が行き来し、歩道のそこここに即席の店舗が展開される。建物の入口付近には近所の人が集まって何やら話をしている。36通りには独得の生活感が漂っていた。
ハノイ36通り地区とは、首都ハノイにあるホアンキエム湖の北側に位置する商業地区のことである。その歴史は古く、1010年のハノイ遷都の際、宮廷への貢物を作らせるために近郊の村々からの職人を集め、居住させたことに端を発する。その長い歴史の中で、ハノイ36通り地区は中国やフランスの影響を受けながら独自の文化を持つ都市として発展してきた。一方、近年においては経済発展や観光客の増加に伴い、ミニホテルや店舗、現代的住居への建替えや改造が急速に進行。さらに人口密度は年々増加し662人/haに達しているなど、現在はこれらの問題の解消が急務とされている。
36通り地区の歴史的価値は、歴史的な都市の遺構や古い建物が残されていることだけではない。街路パターンや地割、町並み、そして無形の文化遺産。これら多くの文化遺産が人々の日常に包まれながら、その長い歴史を物語っている。この地区を特徴付けている非常に細長い住宅はチューブハウスと呼ばれ、間口2~4mに対し奥行きが深い場合は70mにも達する。それによって地区全体のプランが埋め尽くされている様相には圧倒される。またこの地区は同業者町で、同じ業種がひとつの通りに集まっている。角を曲がるごとに変化する通りの雰囲気は非常に印象深かった。36通り地区内には古跡や寺社などの文化財も分布している。それらは仏教寺院、神社、ディン(集落の祭殿・集会所)などである。ベトナムの寺社は、守護神や土地神、歴史上の人物などを祀っている。ディンはベトナム村落の土地神や職業神を祀った建物で、集落の寄合の場でもあった。各集落が自分たちの祭神を祀る場を持ったため、コミュニティの数だけディンが存在していた。現在においてその数は減ったものの、残存する多くの宗教施設では行事や儀式が行われており、本来の機能はあまり失われていない。ハノイの人々の生活は常に町とともにあった。現在においてもハノイ36通りは生きた町として、千年の時を経て尚もその人々の暮らしを現代に伝えている。
道に並べられた商品 間口の狭い建物が並ぶ
3――ベトナム民族学博物館
2日目の午後3時頃、ハノイ市中心部からバスで西へ20分、カウザイ地区にあるベトナム民族学博物館に到着。1997年に開館、3ヘクタールを超える広大な敷地に建設された博物館は屋内展示だけではなく広々とした野外展示があるのも大きな魅力のひとつである。ここには約1万5000点にも及ぶ少数民族の生活道具や衣装が展示され、ベトナムに暮らす54の民族の風習、風俗などが紹介されている。
屋内展示は地理的、言語的に近い民族ごとに分類されている。1階はベトナム国内で大多数を占めているキン族と、北部とベトナム平野部から山岳部に暮らすムオン族の紹介。2階は北西部山岳地帯に暮らすモン族、ザオ族の紹介をはじめ、様々な民族の日常着や婚礼衣装、祭り道具などが展示されている。特に色取り豊かな民族衣装には目を見張った。
野外にはベトナム諸民族の特徴ある10棟の民家が展示されている。これらは移築されものだけではなく、現地の職人によってオリジナルと同じものが作られたものもある。いずれの建物も内部に入ることができるが、そのなかでもとりわけ印象深かったのはバナ族の集会所とエデ族の民家、ザライ族の集団墓地である。バナ族の集会所は高さが19mもある。堂々とした巨大な屋根は圧倒的である。「ニャー・ゾン」と呼ばれるこの集会所は各村に1つしかなく、その巨大さは村の豊かさを象徴していた。床までの高さは約2.5mもあり、梯子を上り中に入る。竹で編まれた床から下が透けて見え若干怖い。室内中央には何本もの竹柱が立っているが、祭り時に酒瓶や肉料理をくくりつけるために使われる。エデ族の民家は42.5mもの長さをもつ、いわゆるロングハウスである。規則的に開口が配置された側面が印象的である。エデ族は女性上位の民族で、家の入り口には女性の胸と月をかたどった木製の階段があるが、それが立派であるほど富のある家と見なされる。家の中にはドラ、太鼓、1mほどもある酒瓶などが置かれている。梁には異形な動物たちが彫られている。ザライ族の集団墓地は、墓を囲むようにして木彫り人形が装飾されている。これらの彫刻は性的象徴を示すものが多い。男性・女性・それに妊婦も含まれており、生命感に満ち溢れたポーズをとっている。これらは豊かさや誕生を象徴しているようだが、死者のためのその特異な表現方法には驚いた。
まともに見学するならば丸一日を要する展示規模であり、じっくりと見回ることができなかったのは残念だが、その展示密度からもベトナムがいかに多様な文化を保っているかを実感できた。
まとめ
ハノイは現在、大きな発展の最中にある。人口の増加や社会・経済・文化の中心がハノイに集中してきた。そこには経済発展に飲まれ歴史的建造物や生活様式を消失させている地区もあれば、積極的に保存活動が行われその価値を保っている地区もある。それらの風景は、かつて高度経済成長を経験した日本とは異なり、将来をつくる選択肢に満ちているように感じる。
講演中、日本人建築家の名前が幾らか挙げられたが、それらは少なくともハノイに生きる人たちがハノイの前途を危惧し、積極的に海外の意見を取り入れようとする姿勢を示している。
生活の豊かさをどの様に理解すべきなのかが問われ始めている現代に於いて、高度経済成長とともに多くのものを失ってきた日本は、これから大きな発展を遂げようとするハノイに対して如何なる役割を果たすべきなのであろうか。2日間に亘って行なわれた本研究集会はそれら考えるための貴重な時間を与えてくれた。
飯田敏史、外池実咲、中島圭一、若松堅太郎
/滋賀県立大学大学院



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