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2022年5月20日金曜日

2022年5月18日水曜日

東京建築設計厚生年金基金25周年記念出版編:戦後建築の来た道 行く道ー豊かな人間社会を築くための建築の役割ー, 東京建築設計厚生年金基金,1995年3月

 東京建築設計厚生年金基金25周年記念出版編:戦後建築の来た道 行く道ー豊かな人間社会を築くための建築の役割ー, 東京建築設計厚生年金基金,19953
























2022年5月17日火曜日

お願い条例,現代のことば,京都新聞,19970402

 お願い条例,現代のことば,京都新聞,19970402


お願い条例

 「建築物西側のバルコニーの外側の壁面から、建築基準法(昭和二十五年法律第二百一号)第四二条第一項第四号の規定に基づき指定された「都市計画道路○○号線」の境界線までの距離を、五メートル以上確保し、その空地を高木により緑化すること」

 以上のような勧告に対して「当該勧告を受けた者がこれに従わないので、規定によって公表する」との内容が、一月の末、ある県報に載った。景観条例に基づく勧告が公表されたのは、全国で初めてのことである。

 現在建設中の九階建てのそのマンションは、当初一〇階建てで計画され、何故かこの間の経緯の中で一階切り下げられた。一見そう変わったデザインではない。京都でも一般に見かけるマンションだ。当該都市でもとりたてて珍しいわけではない。ただ、そのマンションが建つ敷地が景観条例に基づく景観形成地区に指定されているのが大きな問題であった。

 県の景観審議会は正式の届出がなされて以降議論を重ねてきた。建主や設計者からのヒヤリングも行った。景観審議会は原則として公開である。現在、全国二〇〇にのぼる景観審議会のなかでも先進的といえるだろう。新聞やTVの取材にもオープンである。この間の経緯は全て公表されているが「勧告公表やむなし」というのが、全員一致の結論である。

 景観条例は建築基準法や都市計画法に比べると法的拘束力がほとんどない。「お願い条例」と言われる由縁である。建築基準法上の要件を充たしていれば、確認申請の届出を許可するのは当然である。裁判になれば、行政側が敗訴すると言われる。

 しかし、それにも関わらず勧告公表という事態になったのは、そのマンションがまさに条例の想定する要の地にあり、この一件をうやむやにすれば条例そのものの存在が意味がなくなると判断されたからである。

 県外の建主にとって理不尽な条例に思えたことは想像に難くない。近くには景観形成地区から外れるというだけで七五メートルの高層ビルが同じく建設中なのである。景観形成上極めて重要な場所であり、公的な利用が相応しい敷地である。だから、公共機関が買収するのが最もいい解決であり、審議会もそうした意見であった。県にはそのための景観基金もある。しかし、買収価格をめぐって折り合いがつかなかった。問題は、階数を削ればいいだろうと、建主が着工を強行したことである。その行為は「お願い条例」である景観条例の精神を踏みにじるものであった。地域のコンセンサスを得る姿勢が欲しかった。

 景観条例に基づく勧告公表は不幸なことであった。その結果、景観条例の精神が貶められたのを憂える。しかし、一方、法的根拠をもつより強制力のある景観条例を求める声が高まるのを恐れる。それぞれ地域で、よりよい景観を創り出す努力が行われること、その仕組みを創りあげることが重要であって、条例や法律が問題ではないのである。



2022年5月16日月曜日

エコ・サイクル・ハウス,現代のことば,京都新聞,19970203

 エコ・サイクル・ハウス,現代のことば,京都新聞,19970203


エコ・サイクル・ハウス

 PLEA(パッシブ・アンド・ロウ・エナジー・アーキテクチャー)釧路会議(一月八日~一〇日)に出席する機会があった。最後のシンポジウム「エコロジカルな建築」に討論者として出席しただけだから、全貌はとても把握するところではない。しかし、登録者数が一二〇〇名にもおよぶ大変な国際会議であり、今更ながらであるが、環境問題への関心の高さを思い知った。パッシブとはアクティブに対する言葉で、機械力によらず自然のエネルギーを用いることをいう。

 問題提起者のベルグ氏はノルウエイの建築家で、生物学者も参加するガイア・グループを組織し、エコ・サイクル・ハウス(生態循環住居、環境共生住宅)の実現を目指している。興味深かったのは、モノマテリアル(単一素材)という概念である。一次、二次が区別され、一次は木、藁、土など、要するに生物材料、自然材料、二次は、工業材料である鉄、ガラスなどである。要はリサイクルが容易かどうかで材料を区分するのである。

 自然の生の材料であること、製造にエネルギーがかからないこと、公害を発生しないこと、直接的人間関係を基礎としてつくられること、という基本理念を踏まえて提案された完全木造住宅のモデルも面白い。全て木材でつくられ、手工具だけで組み立てられるのである。

 今回は、寒い地域について考えようということであった。しかし、環境問題には、国際的な連帯が不可欠であり、南北問題を避けては通れない、というベルグ氏の発言もあって、湿潤熱帯では考え方も違うのではないか、といった発言をさせていただいた。高緯度では小さな住居が省資源の上でいいというけれど、湿潤熱帯では、気積を大きくして断熱効果を上げるのが一般的である。実際、湿潤熱帯には伝統的民家には巨大な住宅が少なくない。大きくつくって長く使うのである。地域によって、エコ・サイクル・ハウスのモデルが違うのはその理念からも当然である。

 建材の地域循環はどのような規模において成立するのかも課題である。樹木は育っているけれど、山を手入れする人がいない。輸入材の方が安い。建材をめぐる南北問題、熱帯降雨林の破壊はどうすればいいのか。大きな刺激を受けたのであるが、つい考えるのは東南アジアのことであった。インドネシアの仲間たちとエコ・サイクル・ハウスのモデルを考えようとしているせいである。

 二一世紀をむかえて、爆発的な人口問題を抱え、食糧問題、エネルギー問題、資源問題に直面するのは、熱帯を中心とする発展途上地域である。経済発展とともに東南アジア地域にも急速にクーラーが普及しつつある。一体地球はどうなるのか、というわけであるが、クーラーを目一杯使う日本人の僕らがエコ・サイクル・ハウスを東南アジ諸国に押しつけるなど身勝手の極みだ。まず、隗よりはじめよ、である。



2022年5月15日日曜日

村瀬淳一郎 今年を省みて思うこと、週刊建設ニュース、197712第3週








 

村瀬淳一郎 「若さ」を大事に使うことについて、週刊建設ニュース、197711第4週 







 

既存不適格,現代のことば,京都新聞,19961224

 既存不適格,現代のことば,京都新聞,19961224


既存不適格 11

布野修司

 

 既存不適格。何となく嫌な言葉である。既に存在することがよくない、というのである。人間失格といったニュアンスがこの言葉にありはしないか。

 法律が改正(改悪?)されたとする。以前の法律であれば適法であるが、条件が厳しくなって新法だと不法になる。新法は旧に遡って適用しないというのが法理論上の原則ということで、つくり出されるのが既存不適格である。

 この既存不適格という言葉を一躍現代のことばにしたのは、阪神・淡路大震災である。新耐震基準導入以後の建物は比較的被害が少なかった。問題は、旧基準の既存不適格だった建造物である、という。あるいは、マンションが倒壊し、再建しようとすると元の通りには建てられない。建蔽(ぺい)率や容積率が厳しくなっていたためである。既存不適格建物に住んでいたことを震災にあって初めて知らされた人も少なくない。

 既存不適格の建物をどうするのかということは、もちろん、震災以前から問題であった。しかし、公的な施策としてはほとんど手だてが講じられてこなかったように思う。再開発が必要とされる木造住宅密集地区、すなわち、既存不適格の建物が集中する地区は、合意形成に時間がかかり、都市開発における投資効果が少ないということで置き去りにされてきたのである。

 既存不適格が問題であり、何らかの対応が必要とされていることは言うまでもない。しかし、既存不適格が問題だ、だからすぐにでも建て直す必要がある、ということではないだろう。不適格にもいろいろ次元がある。容積率の問題など都市計画次第である。既存不適格だから即建て直せ、という発想に対してはいささか違和感が残る。

 例えば、京都の町家を考えてみる。古い町家が残る京都は日本一既存不適格の建造物が多い都市である。しかし、だからといって、京都が日本一既存不適格な都市ということになるであろうか。仮に、それを受け入れざるを得ないにしても、既存不適格などとレッテルを貼られない、もっと積極的なまちづくりの展開はありえないのか。防災の問題は、必ずしも、個々の建造物の強度の問題ではないであろう。その維持管理の仕組みを含めた社会的なシステムの構築こそが問題なのではないか。

 逆説的に言えば、京都は既存不適格であるから京都らしいのである。あんまり誉められたことではないけれど、京都は全国的に見て違反建築も多いのだという。違反建築が多いのは既存不適格が多い現状ともしかすると関係があるのかもしれない。そこには全国一律の法律によっては統御されない原理がまだ生きていると言えるからである。建て替えによって全国一律の法律に従うことは、京都が京都らしくなくなることである。京都のジレンマである。



2022年5月14日土曜日

生きている世界遺産,現代のことば,京都新聞,19961102

 生きている世界遺産,現代のことば,京都新聞,19961102


都市型住宅:生きている世界遺産 10

 

 天沼俊一先生の『印度仏塔巡礼記』(一九三六年)とモハン・M・パントさんの『バハ・マンダラ』(一九九〇年)を携えてカトマンズの地を初めて踏んだ。バハとは仏教の僧院ヴィハーラからきたネパール語で、中庭を囲んだ住居形式をいう。アジアにおける都市型住宅の比較研究のための調査が目的でネパールの後インドへも足をのばした。ネパールではハディガオンという町の調査とトリブバン大学での特別講義が任務であった。

 カトマンズ盆地は京都盆地のおよそ四倍ほどある。ヒマラヤをはるかに望む雄大な盆地の景観はそこにひとつの完結した宇宙があるかのようである。古来ネワール人が高密度の集住文化を発達させてきた。カトマンズ盆地には、パタン、バクタプル、キルティプルといった珠玉のような都市、集落を見ることができる。カトマンズの王宮、パタンのダルバル・スクエア(王宮前広場)、バクタプルの王宮、そしてスワヤンブナート(ストゥーパ)などが世界文化遺産に登録されたことが、その建築文化の高度な水準を示している。

 カトマンズに着いて、いきなり、インドラ・チョークを抜けて王宮へ向かった。バザールの活気と旧王宮の建築の迫力に圧倒される。パタンのダルバル・スクエアにしても、バクタプルの町にしても同様である。世界遺産といっても遺跡として凍結されているのではなく町は実にいきいきと生きているのである。

 そのひとつの理由はすぐさま理解された。広場や通りに人々が集う空間的仕掛けがきちんと用意されている。具体的にはパティと呼ばれる東屋、ヒティ(水場)が要所要所に配されているのである。様々な用途に今でも使われている。

 そしてもうひとつは、都市型住宅の型がきちんと成立していることである。バハの他にバヒという形式もある。バヒはもともと独身の僧の施設で、バハは妻帯を行うようになってからの施設をいう。中庭式住宅であることは同じである。このバハ、バヒといった住居形式が都市の建築形式として、段階的に展開していく。それをパタンという都市に即して論じたのがパントさんの論文である。

 天沼先生の本を見ると多くの写真が載っていて丁度六〇年前の様子がよく分かる。一九三四年に地震があった直後の訪問で多くの寺院が破壊された様子が生々しいけれど、チャン・ナラヤン寺院、パシュパティナート、チャバヒ・バハ、ボードナートなど、今日の姿とそう変わらない。

 もちろん、カトマンズは急速に変容しつつあり、スクオッター問題も抱えている。しかし、今日までまちの景観を維持してきたきちんとした形式がある。カトマンズ盆地に日本のまちづくりを考える大きなヒントを得たように思う。アジアにも都市型住宅の伝統は息づいきたのである。特に京都には町家の伝統の上に現代的な都市住居の型を生み出す役割があると思う。