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2022年5月24日火曜日

2022年5月23日月曜日

ポサランの教会,at,デルファイ研究所,199205

ポサランの教会,at,デルファイ研究所,199205 


H.M.ポントのポサランの教会

                布野修司

 

 

 東南アジアの近代建築については日本ではほとんど知られていないのだが、興味深いものが多い。宗主国の近代建築運動に呼応しながら植民地で活躍した建築家が少なくないのである。オランダの建築家、H.M.ポントはそうした建築家のひとりだ。

 H.M.ポントがインドネシアを訪れるのは一九一一年、二七才の時のことである。もともと彼が生まれたのはジャカルタである(一八八四年)。本国で教育を受け、デルフト工科大で建築を学んだのち、いわば帰ってくるのである。

 H.M.ポントは、インドネシアに着いて以来、時間をみつけてはインドネシア中を旅行し、土着の建築について調べている。余程魅せられたのであろう、その探求は徹底していた。やがて、ジャワ建築の研究に仕事のウエイトを移したほどである。H.M.ポントは、ジャワ建築の起源を探り、その本質を明かにしようとする。その架構の原理を解明し、それを現代建築に生かそうとする。伝統的建築の空間構成の方法を読み取り、それを自らの作品に用いようとしたのであった。

 インドネシアでの彼の作品はそうした試みの積み重ねである。代表作は、バンドン工科大学(一九二〇年)であろうか。ミナンカバウ族、バタック族の民家をイメージさせるその屋根の連なりには、いささか度肝を抜かれる。とにかく迫力がある。

 さらに、それを上回る珠玉のような傑作が、東ジャワのクディリ      の近郊、ポサラン         の教会(一九三七年)である。小さな作品だけれど、実に見応えがある。様々な、独特の形態の屋根がリズムをつくって楽しい。石積みのベルタワーやフェンスには丹念に積み上げられた味がある。架構は、伝統的形態をとるかのようで、極めて意欲的に大胆なテンション構造が採用されている。うねるような内部空間は、トップライトからの光で、さらにダイナミックに見える。H.M.ポント自身は、インドネシアン・ゴシックと呼んだのだというが、確かに、伝統の形態と近代的架構方法が緊張関係の中に釣り合っている。

 インドネシアの建築家たちは、H.M.ポントをインドネシアのA.ガウディーという。この作品をみて、なるほどそうかなとも思う。丁寧に手作りで心を込めてつくった気配が濃厚にある。構造と形態の関係についての真摯な追求がそこにある。






2022年5月20日金曜日

2022年5月18日水曜日

東京建築設計厚生年金基金25周年記念出版編:戦後建築の来た道 行く道ー豊かな人間社会を築くための建築の役割ー, 東京建築設計厚生年金基金,1995年3月

 東京建築設計厚生年金基金25周年記念出版編:戦後建築の来た道 行く道ー豊かな人間社会を築くための建築の役割ー, 東京建築設計厚生年金基金,19953
























2022年5月17日火曜日

お願い条例,現代のことば,京都新聞,19970402

 お願い条例,現代のことば,京都新聞,19970402


お願い条例

 「建築物西側のバルコニーの外側の壁面から、建築基準法(昭和二十五年法律第二百一号)第四二条第一項第四号の規定に基づき指定された「都市計画道路○○号線」の境界線までの距離を、五メートル以上確保し、その空地を高木により緑化すること」

 以上のような勧告に対して「当該勧告を受けた者がこれに従わないので、規定によって公表する」との内容が、一月の末、ある県報に載った。景観条例に基づく勧告が公表されたのは、全国で初めてのことである。

 現在建設中の九階建てのそのマンションは、当初一〇階建てで計画され、何故かこの間の経緯の中で一階切り下げられた。一見そう変わったデザインではない。京都でも一般に見かけるマンションだ。当該都市でもとりたてて珍しいわけではない。ただ、そのマンションが建つ敷地が景観条例に基づく景観形成地区に指定されているのが大きな問題であった。

 県の景観審議会は正式の届出がなされて以降議論を重ねてきた。建主や設計者からのヒヤリングも行った。景観審議会は原則として公開である。現在、全国二〇〇にのぼる景観審議会のなかでも先進的といえるだろう。新聞やTVの取材にもオープンである。この間の経緯は全て公表されているが「勧告公表やむなし」というのが、全員一致の結論である。

 景観条例は建築基準法や都市計画法に比べると法的拘束力がほとんどない。「お願い条例」と言われる由縁である。建築基準法上の要件を充たしていれば、確認申請の届出を許可するのは当然である。裁判になれば、行政側が敗訴すると言われる。

 しかし、それにも関わらず勧告公表という事態になったのは、そのマンションがまさに条例の想定する要の地にあり、この一件をうやむやにすれば条例そのものの存在が意味がなくなると判断されたからである。

 県外の建主にとって理不尽な条例に思えたことは想像に難くない。近くには景観形成地区から外れるというだけで七五メートルの高層ビルが同じく建設中なのである。景観形成上極めて重要な場所であり、公的な利用が相応しい敷地である。だから、公共機関が買収するのが最もいい解決であり、審議会もそうした意見であった。県にはそのための景観基金もある。しかし、買収価格をめぐって折り合いがつかなかった。問題は、階数を削ればいいだろうと、建主が着工を強行したことである。その行為は「お願い条例」である景観条例の精神を踏みにじるものであった。地域のコンセンサスを得る姿勢が欲しかった。

 景観条例に基づく勧告公表は不幸なことであった。その結果、景観条例の精神が貶められたのを憂える。しかし、一方、法的根拠をもつより強制力のある景観条例を求める声が高まるのを恐れる。それぞれ地域で、よりよい景観を創り出す努力が行われること、その仕組みを創りあげることが重要であって、条例や法律が問題ではないのである。



2022年5月16日月曜日

エコ・サイクル・ハウス,現代のことば,京都新聞,19970203

 エコ・サイクル・ハウス,現代のことば,京都新聞,19970203


エコ・サイクル・ハウス

 PLEA(パッシブ・アンド・ロウ・エナジー・アーキテクチャー)釧路会議(一月八日~一〇日)に出席する機会があった。最後のシンポジウム「エコロジカルな建築」に討論者として出席しただけだから、全貌はとても把握するところではない。しかし、登録者数が一二〇〇名にもおよぶ大変な国際会議であり、今更ながらであるが、環境問題への関心の高さを思い知った。パッシブとはアクティブに対する言葉で、機械力によらず自然のエネルギーを用いることをいう。

 問題提起者のベルグ氏はノルウエイの建築家で、生物学者も参加するガイア・グループを組織し、エコ・サイクル・ハウス(生態循環住居、環境共生住宅)の実現を目指している。興味深かったのは、モノマテリアル(単一素材)という概念である。一次、二次が区別され、一次は木、藁、土など、要するに生物材料、自然材料、二次は、工業材料である鉄、ガラスなどである。要はリサイクルが容易かどうかで材料を区分するのである。

 自然の生の材料であること、製造にエネルギーがかからないこと、公害を発生しないこと、直接的人間関係を基礎としてつくられること、という基本理念を踏まえて提案された完全木造住宅のモデルも面白い。全て木材でつくられ、手工具だけで組み立てられるのである。

 今回は、寒い地域について考えようということであった。しかし、環境問題には、国際的な連帯が不可欠であり、南北問題を避けては通れない、というベルグ氏の発言もあって、湿潤熱帯では考え方も違うのではないか、といった発言をさせていただいた。高緯度では小さな住居が省資源の上でいいというけれど、湿潤熱帯では、気積を大きくして断熱効果を上げるのが一般的である。実際、湿潤熱帯には伝統的民家には巨大な住宅が少なくない。大きくつくって長く使うのである。地域によって、エコ・サイクル・ハウスのモデルが違うのはその理念からも当然である。

 建材の地域循環はどのような規模において成立するのかも課題である。樹木は育っているけれど、山を手入れする人がいない。輸入材の方が安い。建材をめぐる南北問題、熱帯降雨林の破壊はどうすればいいのか。大きな刺激を受けたのであるが、つい考えるのは東南アジアのことであった。インドネシアの仲間たちとエコ・サイクル・ハウスのモデルを考えようとしているせいである。

 二一世紀をむかえて、爆発的な人口問題を抱え、食糧問題、エネルギー問題、資源問題に直面するのは、熱帯を中心とする発展途上地域である。経済発展とともに東南アジア地域にも急速にクーラーが普及しつつある。一体地球はどうなるのか、というわけであるが、クーラーを目一杯使う日本人の僕らがエコ・サイクル・ハウスを東南アジ諸国に押しつけるなど身勝手の極みだ。まず、隗よりはじめよ、である。