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2022年9月1日木曜日

日本の都市 その死と再生,This is 読売,199602

 日本の都市 その死と再生,This is 読売,199602


日本の都市の死と再生

布野修司

 

 「しんどい、疲れた、もう止めた」。懸命に阪神・淡路大震災の復興計画に取り組んできた建築家、都市計画プランナーから苦渋の本音が漏れ出している。区画整理事業やマンション再建事業、住宅地区改良事業といった復旧復興計画は遅々として進まない。世代や収入、地区へのこだわりを異にする人々が一致して事業に当たることは容易ではないとつくづく思い知らされる。権利関係の調整は難しいし、時間もかかる。行政と住民との間で、また住民相互の間で様々な葛藤が生まれ、軋轢が露呈する。剥き出しのエゴがぶつかりあう、その間に入ってまとめあげるのは至難のわざだ。

 自然の力、地区の自律性の必要、重層的な都市構造の大切さ、公園や小学校や病院など公共施設空間の重要性、ヴォランティアの役割、・・・・大震災の教訓について数多くのことがこの一年語られてきた。しかし、大震災の教訓が復興計画に如何に生かされようとしているのか、といなるいささか疑問が湧いてくる。関東大震災後も、戦災復興の時にも、そして、今度の大震災の後も、日本の都市計画は同じようなことを繰り返すだけではないのか。要するに、何も変わらないのではないか。

 阪神・淡路大震災によって一体何が変わったのか。あるいは変わろうとしているのか。

 大震災がローカルな地震であったことは間違いない。国民総生産に対する被害総額を考えても、関東大震災の方がはるかにウエイトが高かった。震災後二ヶ月経つと、特にオウム真理教の事件が露になって、被災地以外では大震災は忘れ去られたように見える。大震災の最大の教訓は、もしかすると、震災の体験は必ずしも蓄積されないということではないのか。

 しかしもちろん、その都市や建築のあり方について与えた意味は決して小さくない。というより、日本のまちづくりや建築のあり方に根源的な疑問を投げかけたという意味で衝撃的であった。日本の都市のどこにも遍在する問題を地震の一揺れが一瞬のうちに露呈させたのである。そうした意味では、大震災のつきつける基本的な問題は、被災地であろうと被災地でなかろうと関係ない。震災の教訓をどう生かしていくのかは、日本のまちづくりにとって大きなテーマであり続けている。

 

 廃棄される都市・・・・幾重もの受難

 被災地を歩くと活気がない。片づけられた更地(さらち)が点々と続いて人気(ひとけ)の無いせいだ。仮設住宅地も元気がない。活気のあるのは、テント村であり、避難所であり、・・・人々が懸命に住み続けようとする場所だ。人々の生き生きとした生活があってはじめて都市は生き生きとする、当然のことだ。

 とにかく一刻も早く元に戻りたい、復旧したい、依然と同様暮らしたい、というのが、被災を受けた人々の願いである。

 生活の基盤を奪われた被災者にとって、苦難は二重、三重である。全ての避難所は閉鎖されたのであるが、避難生活が終わったわけではない。当初、三〇万人もの人が住む場所を奪われ、避難所生活を強いられたのである。今なお圧倒的な数の人々が仮設住宅などに住み、避難所的生活を強いられていることにそう変わりはない。実際、数千の人々は、テント生活を強いられている。その場所に生活の根拠があり、そこに住み続けるしかない人々がいるのは当然のことだ。被災し、なお、避難生活を強いられ続ける、二重の受難である。

 応急仮設住宅の多くが建設されたのは、都市郊外であり、臨海部である。都心に公園や広場が少なく、仮設住宅を建てる余地がないのは致命的なことであった。仮設住宅地の利便性が悪く、空家が出る。戸数だけ建てればいいというわけではないのだ。

 仮設住宅での老人の孤独死がいくつも報じられる。コミュニティが存在せず、近所つきあいがないせいである。入居に当たって高齢者を優先したのはいいけれど、その生活を支える配慮が全くなされなかった。被災を受けて、さらにコミュニティを奪われる、三重の受難である。

 さらに復興計画ということで、区画整理が行われ、土地の減歩を強いられる。四重の受難である。

 そして、誰も声高に指摘しないのであるが、被災した建造物を無償ということで廃棄したのは決定的なことであった。都市を再生する手がかりを失うことにつながるからだ。五重の受難である。

 特に、木造住宅の場合、再生可能であるという、その最大の特性を生かす機会を奪われてしまった。廃材を使ってでも住み続ける意欲の中に再生の最初のきっかけもあった筈である。何故、鉄筋コンクリートや鉄骨造の建物の再生利用が試みられないのかも不思議である。技術的には様々な復旧方法が可能である。そして、関東大震災以降、新潟地震の場合など、かなりの復旧事例もある。阪神・淡路大震災の場合、少なくとも、再生技術の様々な方法が蓄積されるべきではなかったか。

 阪神・淡路大震災は、人々の生活構造を根底から揺るがし、都市そのものを廃棄物と化した。しかし、それ以前に、われわれの都市は廃棄物として建てられているのではないか、という気もしてくる。建てては壊し、壊しては建てる、阪神・淡路大震災は、スクラップ・アンド・ビルドの日本の都市の体質を浮かび上がらせただけではないか。

 

 文化住宅の悲劇・・・暴かれたもの

 阪神・淡路大震災の発生、避難所生活、応急仮設住宅居住、そして復旧・復興へという過程を見てつくづく感じるのは、日本社会の階層性である。すぐさまホテル住まいに入った層がいる一方で、避難所が閉鎖されて猶、避難生活を続けざるを得ない人たちがいる。間もなく出入りの業者や関連企業の社員に倒壊建物を片づけさせる邸宅がある一方、未だ手つかずの建物がある。びくともしなかった高級住宅街のすぐ隣で数多くの死者を出した地区がある。これほどまでに日本社会は階層的であったのか。

 今回の阪神・淡路大震災で最もダメージを受けたのは、高齢者であり、障害者であり、住宅困窮者であり、外国人であり、要するに社会的弱者であった。結果として、浮き彫りになったのは、都市計画の論理や都市開発戦略がそうした社会の階層性の上に組み立てられてきたことだ。

 ひたすらフロンティアを求める都市拡大政策の影で、都心が見捨てられてきた。山を削って宅地をつくり、その土で海を埋め立て土地をつくる。一石二鳥の投資効果のみが求められ、居住環境整備や防災対策など都心への投資は常に後回しにされてきた。

 最も大きな打撃を受けたのが「文化」である。関西で「ブンカ」というと「文化住宅」という一つの住居形式を意味する。もともとは大正期から昭和初期にかけて展開された生活改善運動、文化生活運動を背景に現れた都市に住む中流階級のための洋風住宅(和洋折衷住宅)を「文化住宅」といったのだが、今日の「文化住宅」は、従来の設備共用型のアパートあるいは長屋に対して、各戸に玄関、台所、便所がつく形式を不動産業者が「文化住宅」と称して宣伝し出したことに由来する。もちろん、第二次大戦後、戦後復興期を経て高度成長期にかけてのことだ。一般的に言えば「木賃(もくちん)アパート」だ。正確には、木造賃貸アパートの設備専用のタイプが「文化」である。「アパート」というと、設備共用のタイプをいう。住戸面積は同じようなものだけれど、専用か共用かの差異を「文化」的といって区別するのである。アイロニカルなニュアンスも込められた独特の言い回しだ。

 その「文化住宅」が大きな被害にあった。木造だったからということではない。木造住宅であっても、震災に耐えた住宅は数しれない。木造住宅が潰れて亡くなった方もいるけれど家具が倒れて(飛んで)亡くなった方が数多い。大震災の教訓は数多いけれど、しっかり設計した建物は総じて問題はなかった。

 「文化住宅」は、築後年数が長く、白蟻や腐食で老朽化したものが多かったため大きな被害を受けた。戦後の住宅政策や都市政策の貧困の裏で、「文化住宅」は、日本の社会を支えてきた。それが最もダメージを受けたのである。それにしても「文化住宅」とは皮肉な命名である。阪神・淡路大震災によって、「文化住宅」の存在という日本の住宅文化の一断面が浮き彫りになったのである。

 

 復興計画の袋小路・・・変わらぬ構造

 各地区の復興計画において、建築や都市の防災性能の強化がうたわれ、防災訓練がより真剣に行われるのは当然のことである。しかし、危機管理や防災対策のみが強調され、まちの生き生きとした再生というテーマが見失われてしまっている。阪神淡路大震災の復興計画と、関東大震災後の復興計画や戦災復興とはどう違うのか。この戦後五〇年の日本のまちづくりは一体何であったのか、と顧みる視点がほとんどない。

 戦災によって木造都市の弱点は痛感された。それ故、防火区域を規定し、基準を作り、都市の不燃化に努めてきた。しかし、なお都市が脆弱であった。直下型地震は想定されていなかった。それ故、さらにひたすら防災機能を強化すべきだ、という。地盤改良や耐震基準の強化、既存構築物の補強、防災公園の建設、区画整理・・・が強調される。同じことの繰り返しである。例えば、区画整理において、なぜ、巾一七メートルの道路が必要なのか、誰も説明できないままに決定される、そんなおかしな事が起こっている。防災ファシズムというべきか。

 立案された復興計画をみると、大復興計画というべき巨大プロジェクト主義が見えかくれしている。。震災とは関係ない以前からの大規模プロジェクトの構想がさりげなく復興計画に含められようとしたりする。国家予算をいかに被災地に配分するかがそこでの焦点である。都市拡大政策の延長である。フロンティアを求めてそこに集中的に投資を行う開発戦略は決して方向転換していないのである。

 震災特需は、建設業者にとって僥倖である。壊して建てる、一石二鳥である。一方で、倒壊した建造物をつくり続けてきた責任、その体制を自ら問うことはない。喉元過ぎれば熱さを忘れる。地震も過ぎ去れば、単なる天災である。その体験はみるみる風化し、忘れ去られていく。もう数百年は来ないであろう、自分が生きている間はもう来ない、という必ずしも根拠のない楽天主義が蔓延してしまっている。

 住宅復興にしても何も変わらない。とにかく戸数主義がある。数さえ供給すればいい、という何も考えない怠惰な思考パターンがそこにある。そこには、これまでのまちづくりのあり方についての反省は必ずしも無いのである。事業手法にしても、計画手法にしても、既存の制度的な枠組み、官僚制の前例主義に捕らわれて、臨機応変の対応ができないのである。

 復興計画において必要なのは、フレキシビリティーである。ステップ・バイ・ステップの取り組みである。予算も臨機応変に組み替えることが必要となる。しかし、そのとっかかりもない。被災者の生活の全体性が忘れ去られている。

 

 都市の死と再生

 今度の大震災がわれわれにつきつけたのは都市の死というテーマである。そして、その再生というテーマである。被災直後の街の光景にわれわれがみたのは滅亡する都市のイメージと逞しく再生しようとする都市のイメージの二つである。都市が死ぬことがあるという発見、というにはあまりにも圧倒的な事実は、より原理的に受けとめられなければならないはずである。

 現代都市はひたすらフロンティアを求めて肥大化してきた。ひたすら移動時間を短縮させるメディアを発達させ集積度を高めてきた。郊外へのスプロールが限界に達するや、空へ、地下へ、海へ、さらにフロンティアを求め、巨大化してきた。山を削って宅地をつくり、その土で海を埋め立て土地をつくる。自然をそこまで苛めて拡大を求める必要があったのか。都市や街区の適正な規模について、あまりに無頓着ではなかったか。

 燃える自宅の炎をただ呆然と見つめるだけという居住地システムの欠陥は致命的である。いくら情報メディアが張り巡らされていても、地区レヴェルの自律システムが余りに弱い。水、ガス、水道というライフラインにしても、地区毎に自律的システムが必要ではないか。交通システム、情報システムにしても、重層的なネットワークを組む必要があるのではないか。

 現代都市の死、廃墟を見てしまったからには、これまでとは異なった都市の姿が見えたのでなければならない。復興計画は、当然、これまでにない都市のあり方へと結びついていかねばならない。

 そこで、都市の歴史、都市の記憶をどう考えるのかは、復興計画の大きなテーマである。何を復旧すべきか、何を復興すべきか、何を再生すべきか、必然的には都市の固有性、歴史性をどう考えるかが問われるのである。

 建造物の再生、復旧が、まず建築家にとって大きな問題となる。同じものを復元すればいいのか、という問いを前にして、建築家は基本的な解答を求められる。震災があろうとなかろうと常に問われている問題である。都市の歴史的、文化的コンテクストをどう読むか、それをどう表現するかは、日常的テーマといっていいのである。

 戦災復興でヨーロッパの都市がそう試みたように、全く元通りに復旧すればいいというのであれば簡単である。しかし、そうした復旧の理念は、日本においてどう考えても共有されそうにない。都市が復旧に値する価値を持っているかどうか、ということに関して疑問は多いのである。すなわち、日本の都市は社会的なストックとして意識されてきていないのである。戦後五〇年で、日本の都市はすぐさま復興を遂げ、驚くほどの変貌を遂げた。しかし、この半世紀が造り上げた後世に残すべき町や建築は何かというと実に心許ないのである。

 スクラップ・アンド・ビルド型の都市でいいということであれば、震災による都市の破壊もスクラップの一つの形態ということでいい。必ずしも、まちづくりについてのパラダイムの変更は必要ないだろう。実際、復興都市計画の枠組みに大きな変更はないのである。

 しかし、都市が本来人々の生活の歴史を刻み、しかも、共有化されたイメージや記憶をもつものだとすれば、物理的にもその手がかりをもつのでなければならない。都市のシンボル的建造物のみならず、ここそこの場所に記憶の種が埋め込まれている必要がある。極めて具体的に、ストック型の都市が目指されるとしたら、復興の理念に再生の理念、建造物の再生利用の概念が含まれていなければならない。否、建築の理念そのものに再生の理念が含まれていなければならない。

 果たして、日本の都市はストックー再生型の都市に転換していくことができるのであろうか。

 都市の骨格、すなわち、アイデンティティーをどうつくりだすことができるか。単に、建造物を凍結的に復元保存すればいいのか、歴史的、地域的な建築様式のステレオタイプをただ用いればいいのか、地域で産する建築材料をただ使えばいいのか、・・・・議論は大震災以前からのものである。

 阪神・淡路大震災は、こうして、日本の建築界の抱えている基本的問題を抉り出す。しかし、その解答への何らかの方向性を見い出す契機になるのかどうかはわからない。

 半世紀後の被災地の姿にその答えは明確となる筈だ。しかし、それ以前に、半世紀前から同じ問いの答えが求められているのである。












2022年8月31日水曜日

中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクト,雑木林の世界13,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199009

中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクト,雑木林の世界13,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199009

雑木林の世界13

 中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクト

                        布野修司

  

 昨年度からあるタスクフォース(特殊機動部隊)に参加してきた。中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクトのためのタスクフォース(通称 大野(勝彦)委員会)*1である。今年度から本格的に始動することになったのであるが、以下に概要を紹介してみよう。もちろん、全くの私的なメモである。

 プロジェクトの目的と内容は、誤解を恐れず一言でいえば、中高層共同住宅の生産性向上のためにコンペを行う、というものだ。またか、と思われるかもしれない。過去の様々なコンペがすぐさま想い浮かぶ。コンペのみイヴェントとしてやって何になるのか、お祭りだけではしょうがない。生産性の向上というけれど、一体何を意味するのか。次々に疑問が涌いて来る。コンペはあくまで手段である。議論の出発点は、何のためにコンペを行うかということであった。最初に感じたのは以下のような点である。

 

 1.国民住居論・・・住宅供給の促進、土地の高度利用のために中高層共同住宅の建設が必要性であるという主旨が考えられる。しかし、いくつかの留保が必要である。第一、土地の高度利用の形態、都市開発における住宅開発の位置づけがはっきりしない。第二、第一と関連して、中高層共同住宅という時、住宅専用の中高層住宅をなんとなくイメージしてしまうが、他の都市機能との関連でどういう形態が必要なのか必ずしもはっきりしない。すなわち、中高層共同住宅の建設推進という時に、どのような中高層共同住宅がどういう場所に必要なのかという議論が必要である。コンペをやっても国民にとって魅力的でなければ受け入れられないし、反響も呼ばないであろう。

 2.建築職人育成システム・・・中高層共同住宅の生産性の向上・生産合理化の問題、建設労働者の高齢化・新規参入の減少・労働力不足の問題、建設コストの高騰の問題等がプロジェクトの大きな背景となっている。しかし、このプロジェクトにおいて、それをモデル的に解くというのは、口実としてはあっても過大すぎる目的である。建設労働力の編成の問題はもう少し大きなフレームを要する問題である。建設労働力の編成と育成の問題はそれ自体大テーマとなる。

 3.工業化手法の展開・・・2.の目的を工法・構法の開発というレヴェルでのみ対応しようとするのは1.の具体的イメージがないかぎり、そう有効ではない。このレヴェルで目的となるのが、量産化・画一化手法ではなく、多様化手法、多品種少量生産手法である。というより、中高層共同住宅に関する工業化手法の本格的展開というのが目的となる。この場合、戸建住宅との同一尺度による比較において生産性、建設コストを問題にすることは必ずしもできない。より、トータルな評価システムが必要となる。

 4.リストラクチュアリング・・・3.を目的とする場合、基本的問題がある。工業化手法の本格的展開を担う主体がはっきりと見えていないことである。そこで大きく浮かびあがるのが、住宅生産供給構造のリストラクチュアリングという目的である。このリストラクチュアリングについての方針が前提とならないと、プロジェクトは単なる実験、イヴェントに終わる可能性が高い。実験あるいはデモンストレーション、パイロット・プロジェクトという性格は当然あるとして、リストラクチュアリングの戦略がなければ波及効果は期待できない。

 5.都市住居のプロトタイプ・・・もうひとつ、都市住居の型の創出という目的がある。単に工業化手法による中高層住宅モデルというだけではなく、町並みを形成するモデルとしての都市住居を問題とする必要がある。1.を建築的に問題とした場合、都市型住居のモデルが問題となる。また、このレヴェルでは、都市計画的な諸規制、事業法のありかたも当然問題となる。

 

 議論のなかで次第に明らかになったことがある。中心的な目的は、どうやら、上で言うと、4.のリストラクチュアリングである。中高層住宅の生産供給構造がしっかりと見えてこなければ、都市住居のプロトタイプも根付いていく保証はないのである。また、コンペも一過性のプロジェクトで終わる可能性も高いのである。

 中高層共同住宅の現状での問題点と方策について、建築審議会建築生産分科会小委員会の報告は以下のようにいう。ポイントのみ要約してみよう。

 

 ①中高層共同住宅の生産性は戸建住宅に比して低い。

 ②中高層共同住宅は、ユーザー・ニーズの高級化、個性化、多様化に設計面で対応することが多く、標準部品が使われることが少ない。

 ③中高層共同住宅の建設は、ほとんどゼネコンが担っているが、多くのゼネコンは、部品、部材の自社工場を持たず、材工とも下請業者に依存する形態をとっている。

 ④建築工事の元請と下請の関係は、材工分離発注方式から材工一式発注方式へ進んできた。材工一式発注方式は、単価のアップが労賃のアップに結びつかず、高能率=高賃金といった労働意欲を生むインセンティブが内在されないシステムとなるというきらいがある。

 ⑤中高層共同住宅の生産性向上に当たっては、③④のような供給構造を変革することが基本的に必要である。競争原理の導入による市場形成を目指し、コスト競争の観念が価格に反映されるような供給構造とすることが必要である。市場形成の契機となる新しい仕組みを導入し、これが刺激となって全体に競争原理が段階的にゆきわたるような方式を考えていくことが適切である。

 ⑥建設資材について、海外工場での品質の確保、国内流通システムの整備、許認可制度の整備等をはかる。

 ⑦ディベロッパーは、ユーザー・ニーズを適切に把握し、ユーザーから評価される住宅を計画供給すべきである。ゼネコンは、主要部品・部材の自社工場を持ち、労務の直傭化を図り、一部を直接生産する仕組みをつくるべきである。下請主導型のコスト決定のメカニズムを改善すべきである。

 ⑧低層系プレハブメーカーが中高層共同住宅市場にディベロッパーとしてではなく、生産供給者として参画することが有効である。建材、設備等、サブコンの参画も考慮すべきである。

 ⑨中高層共同住宅についても、多品種少量生産を可能にするシステムを開発する。

 

 住まい手のニーズをフィードバックする回路がないこと、またコストの観念がなく競争市場が形成されていないことが問題点の中心だ。そして、⑥~⑨が具体的な方針である。住宅生産供給構造の変革という課題はもとより容易なことではない。プロジェクトとともに様々な可能性を追求してみたいと思っている。

 

*1 『中高層住宅生産近代化推進検討業務報告書』 1990年3月

 


雑木林のエコロジ-,雑木林の世界01,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,198909

 雑木林のエコロジ-,雑木林の世界01,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,198909


2001年9月 序走・・・第2回編集委員会 『建築雑誌』編集長日誌 2001年4月25日~2003年5月31日

 序走・・・第2回編集委員会

200191

 ほとんど何も決定できなくて少々焦る。焦ってばかりだ(ホントはナルヨウニナルサである)。4日から学会のアジア建築交流委員会主催のタイ・マレーシア視察に出掛けなければならない。以下確認のメールを送る。

 

建築雑誌の編集方針について   布野修司            01092001

0 以下、よろしく作業をお願いします。また、全てについてご意見お願いします。

Ⅰ 建築雑誌 20021月号 について

        A特集

表紙に特集に関わるインパクトある図像、図表を用いる

その解説を特集趣旨と合わせて1p、特集頁内で執筆する。

原稿は図、文字数の比率を指定して発注する。

以上、各号共通。

タイトル案「建築産業のストラテジー」(仮)or「変動する建設産業」←最終案は原稿を読んで決定。

        主旨:ピーク時84兆円(内建築投資●●)に達した建設市場は,2001年度,67兆円程度(内建築投資●●)にまで縮小し,この傾向は今後もさらにすすむとの予測がある.また,国内総支出に占めるその比率も低下傾向にあり,とくに民間設備投資の低迷による非住宅建築の縮小が著しい.住宅についても数年先に年間着工100万戸台を割ることが現実味をおびてきた.・・・以下省略。

 →遠藤、岩松、伊藤委員、最終案を至急提出下さい。

 →座談は、下河辺淳インタビューを第一案として、至急設定してください。9月中旬以降早いうちに。日時をアナウンスしますので、出席できる編集委員は出席してください。

 →表紙に使う図表の候補を鈴木一誌氏に出きるだけ早く提示してください。

B 常置欄・連載企画

目次裏

 建築を考えるための24の言葉 1松山委員  構想をまとめて執筆下さい。

口絵 

 表象としての建築 11月号は高島委員執筆下さい。また、シリーズ趣旨、ラインナップを鈴木隆之委員などと相談の上、提出下さい。

 建築博物館 2→塚本、黒野、勝山委員・・・、シリーズ趣旨、ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 建築のアジア・・・世界の植民地建築 1p →西欧以外の地域を取り上げて、面白い建築を紹介します。いわゆる植民地建築、宗主国の建築と土着の建築の折衷がテーマです。書き手を紹介下さい。第一回は、フィリピンのバハイ・ナ・バト(石の家)---山口潔子(京大AA研)、スペインとメスチーソの生み出した折衷様式ではどうかと思っています。出きるだけ国はダブらないようにしたい。

 まちづくりノート 1→脇田、北沢、土肥委員、シリーズ趣旨、ラインナップを相談の上、提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 歴史のパラメータ 1→ 浅川委員、青井委員・・・、シリーズ趣旨、ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 地域の眼 2p→新居、山根、田中委員・・・ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 Foreign Eyes 2p→ T.Danielを軸にしますが、皆さん推薦下さい。テーマは、Japanese Built Environment

コンピューターソフト2p→大崎さん、石田さん、野口さん、勝山さん、岩松さん、・・・ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

技術ノート 24回x6グループで考える。皆さん提案下さい。岩下、羽山、野口、石田、伊加賀、大崎、八坂・・の各委員、それぞれ最低一案提案下さい

 

隙間頁・・・書きためておいて、空いた頁に適宜挿入します。

用語集→特集に絡む用語を解説。新しい言葉の解説。200字~400字。布野が担当します。

 →1月号について、遠藤、岩松、伊藤委員キーワードをリストアップ下さい。

 →各委員、各自の研究領域のキーワードを5づつ送って下さい。執筆は入りません。また、建築の領域に関して、最近耳にして、気になる言葉を5つ送って下さい。

 

 Ⅱ 2月号特集について

 →塚本委員、至急提案の形にして布野当て送って下さい。即作業を開始してください。922日に決定すべくやり取りしたいと思います。小嶋、古谷委員、貝島委員最終とりまとめの責任よろしく。鈴木隆之委員、小野田、勝山委員・・・積極参加お願いします。

 Ⅲ 3月号、4月号について

 →それぞれ相談の上、大崎委員、伊加賀委員を中心に次回再度企画案提出お願いします。

 Ⅳ 5月号以降について

 →各自最低一案、次回編集委員会前に特集企画ご提案下さい。

 →具体的に提案されています浅川案は、前向きに検討させて頂きます。ご意見下さい。

 

マレーシア・タイ建築交流視察団:多民族共生の知恵-マレーシア・タイ縦断:バスの旅-

200194日~12

 あわただしく日本を発った。今回は編集委員長としての仕事も大いにある。アジアの都市建築については力を入れたいと思う。古谷幹事などからは、「布野さんならアジアでしょう」などと言われている。古谷先生はいまや大教授だけれど、学生の頃から知っている。原(広司)さんのところで勉強会なんぞしていたのがなつかしい。建築交流視察団の趣旨は以下のようだ。

 

「第4回国際アジア建築交流シンポジウムは、20029月に中国・新彊で開催されます。中国、韓国、日本の三学会の協定に基づくこのシンポジウムへの参加を求め、今後のアジアの建築交流をさらに拡大するためにマレーシア、タイの大学、研究機関との交流を行います。

 多民族共生、歴史の重層がテーマでしょうか。ひとつは土着の民家の現況があります。伝統的住宅は急速に姿を消しつつありますが、それでもヌガリ・スンビラン州のミナンカバウの住宅、ペナンの「マレーシアで最も美しい村」などをご案内できます。ポルトガル来航以降の歴史も興味深い点です。マラッカがそのハイライトとなります。また、シンガポールのラッフルズ、マラヤのC.C.リード、ペナンのフランシス・ライトなどの植民都市建設の跡をたどります。現代建築では、世界一の高さを誇るペトロナス・タワー、空調のないオフィスビル(ケン・ヤング)のあるクアラルンプールがびっくりするほどの展開を見せています。バンコクはそう時間がありませんが世界遺産となったアユタヤの古都へは行けると思います。

 布野は植民都市研究の一環として、宇高とともにマラッカの調査を展開中です。また、マレーシア版エコ・ハウスモデルを目指すマレーシアと京都大学との研究プロジェクトに参加しつつあります。宇高は長年にわたって、マレーシアの居住問題に取り組み、近年では歴史的環境の保存の問題を探求しつつあります。バスで地上を移動しながら様々なフィールドをご案内します。」

 

 ターゲットのひとつはケン・ヤングである。彼の作品は結局5つぐらい見た。まるで、ケン・ヤング・ツアーである。クアラルンプールでは彼の事務所を訪問。ちゃんと『建築雑誌』への原稿依頼をしてきた。マラヤ大学では学科をあげて歓迎されたのだけれど、『建築雑誌』の宣伝もしっかりしてきた。

 

2001912

 明日は帰国という夕べ。簡単な打ち上げ会を終えてホテルに戻ると二機目が突っ込むところであった。目の前で超高層ビルが崩れ落ちるという信じられないような光景が起こった。その時のことを以下のように綴った。

 

■見聞録17:世界貿易センター(WTC)の悪夢:呪われた建築家、ミノル・ヤマサキ:現代技術の盲点

布野修司

ミノル・ヤマサきという建築家はよくよく呪われている。一九七〇年代初頭、彼のプルーイット・アイゴー団地(セントルイス)が爆破解体され、近代建築の失敗の象徴とされた。そして今度の、超高層建築技術の象徴、世界貿易センタービルの一瞬の消滅である。

建築学会の視察を終えて明日は帰国という夜、バンコクの宿でテレビをつけると、二機目が突入する直前であった。眼は釘づけだ。まもなく信じられないような光景が出現した。超高層ビルがまるで砂のように崩れ去ったのである。何度見ても一棟が忽然と消えてしまっている。そして二棟目も崩れ落ちた。

こんなことがありうるのか。隣で同じように固唾を飲んで全てを目撃していた建築家に叫んだ。彼は建築構造の専門家だ。咄嗟の答えとして、衝突直後低層部に仕掛けられた爆弾が破裂した、という。しかし、いかに周到に計画されたテロでもそこまではできない。第一、正確に、しかも相次いで二機も、合衆国の象徴、世界資本主義の象徴である世界貿易センターに突っ込んだ段階でテロリストの目的は達成しているのである。

十分ほど考えた後、彼は答えてくれた。飛行機の衝突によって切断された上部がダルマ落としのように巨大な荷重として下部にのしかった。加えてジェット燃料による火災で、鉄骨の温度が六百度以上に上がり強度を失った。その結果、各階の柱と梁が次々に荷重を支えきれなくなり崩れ落ちた。

冷静に考えれば納得するが、誰が、超高層ビルが瞬時に崩れ落ちると思うであろうか。痛ましいのは、救助に向かった消防士、警察官である。彼らは夢にも思わなかったであろう。テロリストですら、ここまでの成果?は想定しなかったに違いない。

起こってしまったことは説明できる。しかし、起こる前にその可能性を専門家でも考えたことがない。巨大な盲点が現代技術の体系には潜んでいる。

 

帰って(乗った飛行機は米国行きであったが関空までは予定通り飛んだ。ものすごく厳しいチェックであったが、手荷物のカッターナイフはフリーパスであった)原稿を送ると、最早鮮度がない、もう少し距離を置いて書いて、と井手和子さん。読み直すと、なんたる駄文か。興奮している割に何も言っていないような気がする。何故超高層ビルが倒壊したかなんて最早みんな知っている、のである。そこで書き直したのが下の原稿。未だに文章修行である。(興味があれば)読み比べられたい。

 

■見聞録17:世界貿易センター(WTC)の悪夢:呪われた建築家、ミノル・ヤマサキ:現代技術の盲点:最適設計の美学

布野修司

ミノル・ヤマサキという建築家はよくよく呪われている。彼が設計したプルーイット・アイゴー団地(セントルイス)が爆破解体されたのは一九七〇年代初頭であった。近代の理想の団地もスラム化がひどく壊すしかなかったのである。その爆破の写真は、近代建築の失敗の象徴としてしばしば取り上げられる。そして世界貿易センタービルの一瞬の消滅である。その設計思想の破綻が白日の下にさらされたのである。

それは信じられないような光景であった。超高層ビルがまるで砂のように崩れ去ったのである。建築のことはひと通り学んだつもりの僕でも、こんなことがありうるのか、と眼を疑った。超高層にジェット機がぶつかることなどそもそも想定されていないと言えばそれまでである。しかし、ぶつかって火焔を上げている超高層ビルが次の瞬間に崩れ落ちると予測した人が何人いたであろうか。

事件からしばらくして、予想通りの美しい壊れ方であったと嘯く専門家がいると聞いた。最も経済的に最も合理的に設計された建築物は全ての部位が同時に破壊されるのが理想だという。最適設計の理論である。そんな理論など一般の人は知らないだろう。超高層ビルがそんな思想で設計されていると知っていたら、多くの消防士や警察官は救助に向かわなかったであろう。そして命を落とすことはなかったであろう。

超高層はそもそも不要だ、あるいは不自然だ、などとは言うまい。それ以前に、何があろうと、建造物があのように崩れてはならないと思う。一本の柱でも一本の梁でも壊れずに残れば多くの命が救われた筈だ。全て同時に壊れるのではなく、わざと弱いところをつくっておいて、他を救うという考え方だってある。問われているのは設計の思想である。

超高層ビルを生んだ二〇世紀の設計思想が恐ろしいのは、それがいかに危ういか、を知りながらそれを隠していることではないか。

 

建築学会大会(本郷)・・・第3回編集委員会

2001913

 帰国早々、神戸芸術工科大学の斎木さんが組織した「新田園都市国際会議2001 神戸会議」に雇われ司会で出席。送ったはずの原稿が掲載されておらず調子狂う。講演者、パネラーの数が多すぎ捌きかねる。さすがに体調悪く早々に失礼する。しかし、来年はE.ハワードが『明日の田園都市』を出版して100年になる。『建築雑誌』で特集を組んでもいい。渡辺俊一先生の日本の田園都市をめぐるキーノート・スピーチは圧巻であった。

 

2001920

 竹下輝和学術理事から、総合論文集に関する委員会にオブザーバーとして出席を求められる。総合論文集と『建築雑誌』の位置づけが問題になるという。確かにそうだ。しかし、僕に言わせると違いは予めはっきりしている。建築雑誌はジャーナルである。論文集と言うからにはアカデミックでなければならない。ジャーナリズムとアカデミズムの違いである。ジャーナリズムはジャーナルの中にエターナルなものを目指すのである。しかし、話を聞くと、なんだか『建築雑誌』と似ている。『建築雑誌』でもやれそうなテーマが並んでいる。これはちょっと違うんじゃないか、というのが直感である。

 竹下理事は、建築学をインターディシプリナリーに開く編集方針のようである。現在の『建築雑誌』=若山委員会でも、建築学の周縁に眼を向ける、のが方針である。一般に開くというのは異議ないけれど、無防備に出ていっていいのか、という気がしないでもない。建築学の武器とは何か、その根底を確認するのが先決ではないか、と僕は思う。

 総合論文集という前に、現在の論文集をきちんとレビューする必要がありはしないか。専門分化している、それでは困るというけれど、総合論文集の刊行によって、その問題点は果たして突破できるのか。審査員名の公開などやることは別にありはしないか。こう見えても、論文集にも論文は書いている。若い世代のプロモーションに要求されるからである。問題の根はわかっているのだからそれを掘り下げるべきだ。

 理事会への提案を引き継ぐといっても止めるのも見識である。担当理事になって止めるというと無能と見なされるからやる、というのはおかしい。まさに、組織が自己増殖する何とかの法則?である。

 竹下理事とは気心が知れているから、以上のようなことを勝手に言わして頂いた。しかし、どうやら、総合論文集の影響は『建築雑誌』を直撃しそうである。

 

2001922

 年の一度の大会である。今年は東京大学が会場だ。久しぶりの本郷である。藤井恵介さんにたまたま会うと、卒業設計作品展を絶対みるように言われて早速見た。なつかしくていつも通った正門前の喫茶店ボンナに行く。30年にもなるからマスターはさすがに歳をとった感じがするけど、ママは変わらない。ジーンズ姿にはびっくりである。「案の定、誰か居ると思った」と愛知工大の曽田先生が入ってきた。

山上会議所で第3回編集委員会。出席は23名。学会大会と言っても、皆さん忙しいから、東大の野口委員、北沢委員と雖も出席できない。というより、本部で忙しいから余計出席できない。大会会場で編集委員会をやるのは、第一に、旅費節約のためである。第二に、大会は、『建築雑誌』のネタの宝庫だからである。議事は以下の通りである。

 

3回編集委員会 議事録

<日 時>2001922日(土)14:0017:00

<会 場>東京大学山上会館 会議室201/202

<出 席>委員長 布野 修司

     幹 事  石田泰一郎・大崎  純・古谷 誠章・松山  巖

     委 員 青井 哲人・浅川 滋男・伊香賀俊治・岩下  剛・岩松  準

         遠藤 和義・貝島 桃代・勝山 里美・黒野 弘靖・小嶋 一浩

         高島 直之・田中 麻里・Thomas C.  Daniel  ・塚本 由晴

         土肥 真人・新居 照和・羽山 広文・福和 伸夫・藤田 香織

         八坂 文子・山根  周・脇田 祥尚

<議 事>

□布野委員長より、議事録をもとに前回議論の確認を行った。

□特集企画について

1月号「建築産業に未来はあるか(仮)」について

 遠藤委員から進行状況が報告された。主旨文に、建設市場の金額うち建築分野の占める金額を併記することとした。また、関連文献・資料の充実を図ることとし、特集末尾の「データ集」に組み入れることとした。

2月号「買える、読める、カスタマイズできるデザイン(仮)」について

 塚本委員からの企画案をもとに、古谷幹事から説明された。塚本委員、小嶋委員、貝島委員から補足説明がされた。企画案が40ページの構成になっているが、2月号は小特集につき24ページに再編することを念頭に、議論した。その結果、「買える、読める、カスタマイズできるデザイン」はいずれ改めて特集とすることとし、今回は、身の回りを構成する要素でありながら使う人への配慮に欠けた「ダメなデザイン」を中心に構成することとした。今後関係委員を中心に企画を固めていただき、依頼原稿ではなく、ルポ的な作業を通じて誌面構成をしていただくととした。

3月号「情報技術と建築の将来(仮)」について

 大崎幹事から企画案が提出され、議論した。次回委員会で最終決定する。

4月号「京都議定書と建築(仮)」について

 前回委員会に提出した資料が再提出され、伊香賀委員より再度説明された。アフガン攻撃で京都議定書の行方が定まらなくなっているなかで、現在の動向をきちんと押さえることにも配慮すべきではといった意見が出された。また、行政の宣伝臭があまりに強くならないように、全体のバランスを見て配慮することとした。

5月号以降の特集テーマについて

 浅川委員から「古代世界」の説明がされた。

 鈴木委員から「思考の実験場としての建築」「芸術の一ジャンルとしての建築」の案が提

        出されたが、鈴木委員が御欠席につき、議論は次回に持ち越しとした。

 脇田委員から「市民社会の計画論」が説明された。

 田中委員から「子どもと住環境教育シリーズ」が説明された。

□連載について

  下記の連載について、担当委員より執筆候補のラインナップを揃えて頂くこととした。

●目次裏

<建築を考えるための24の言葉>

 →松山委員が2年間を通じて依頼

●口絵

<表象としての建築>

 →1月号は、高島委員が執筆

<建築のアジア>

 →1月号は、山口潔子氏に依頼

●記事中連載

<建築博物館が欲しい!>

 →黒野委員からのメモをもとに議論した。最初はおもに海外の博物館におけるプログラ

  ム紹介などが中心になりそうだとのことで、カラーではなくモノクロ掲載の方針とし

  た(2ページ)。また、仙田会長から提案されている作品紹介ページ(資料6)に対応

  する役割も担うこととする。さらに、日本の建築博物館に納めるべき作品とその位置

  づけ、学会が進める「建築博物館構想」の紹介なども紹介していくこととした。

<技術ノート>

 →14月号に「建築教育の情報化委員会」からの提案を連載

<遺跡漫遊>

 →1月号は、浅川委員が執筆

<建築史のパラメータ>

 →2月号は、青井委員が執筆

<建築のためのソフトウェア紹介>

 →大崎委員が順次打診

<地域の眼>

 →1月号は新居委員(徳島)、田中委員(群馬)

 →2月号は黒野委員(新潟)、末吉栄三氏(沖縄)

Foreign Eyes> テーマ: Japanese Built Environment

 →1月号は、ダニエル委員が執筆

 →2月号は、Michael Webb氏に依頼

<まちづくりノート>

 →脇田委員から候補者が挙げられたが、決定にいたらず。

<用語集>→連載枠とは別枠として、誌面の空いたスペースに随時掲載することも検討する。

*<世界の住宅事情>は、全体ページ数の関係で見送ることとした。

□仙田会長からの提案について

 資料6による仙田会長の提案について、布野編集委員長が仙田会長と面談した結果をふまえ、下記のような方針が報告された。

・英文誌名の略称「JABS」は、ないがしろにはしないが、前面には出さない。

・建築設計に携わる会員に対しては、個々の特集で配慮するとともに、作品紹介的な連載

 として建築博物館を充てる。コンテンポラリーな作品紹介は難しいとの判断。

・情報ネットワークのあり方は全面的に見直し、分かりやすいデザインに改めるとともに、

 情報収集機能を強化し、記事の多様性を図る。

RILEM小委員会から、紹介記事の掲載依頼について

 野口委員の意見を伺ったのち考慮することとした。

□総合論文誌構想について

 布野委員長から、総合論文誌検討小委員会への出席報告が、次のようにされた。

 ①来年の刊行を目標に上記論文誌の構想が進んでいること、②テーマ別主集方式を採るので『建築雑誌』との棲み分けが問題になること、③刊行形態は『建築雑誌』の臨時増刊となる可能性が高いこと。また、予算が限られていることから、「建築年報」の見直しを行うことで対処する可能性もあることが説明された。

 

 懇親会には12名、環境系の伊加賀、羽山、岩下先生が参加。環境系のテーマについてすこし突っ込んで議論できたのが収穫。二次会、三次会、最後は、松山さんと高島の三人、新宿だった。松山さんが火災で焼けた雑居ビルを見たい、と言いだして夜の新宿を彷徨った。最後に入った飲み屋で、西部邁先生と佐伯啓思先生とばったり。何かの研究会の流れらしかった。西部先生はテレビでお馴染み。なんと佐伯啓思先生は僕の同級生だ。18で上京して入った寮で前の部屋だった。いま、京都大学で一緒だけれど、なかなか会う機会はない。東京で会うとは面白い。

 松山さんは僕のデジカメをもって夜の街へ飛び出しては撮れない、と言って戻ってくる。酔っても好奇心旺盛である。

 

2001929

 尼ヶ崎でグループ・ハウスを見学。三浦研(京都大学)さんの案内でいくつかのコレクティブ・ハウスを見せてもらう。阪神淡路大震災後はどうなっているのか、また、介護の問題高齢社会の問題、『建築雑誌』でとりあげる必要があるのではないか、と思う。しかし、コレクティブ・ハウスには問題が多い。以下感想である。

 

見聞録18:コレクティブ・ハウスの行方:新しい共同住宅のあり方を求めて:使われない共用空間!?

布野修司

 

阪神淡路大震災以後、コレクティブ・ハウスと呼ばれる共同住宅のあり方が追求されつつある。ヨーロッパでは、血縁関係のない単身者が台所、食堂、居間などを共用する住宅のことである。同世代が一緒に住む場合が多いが、シェア・ハウスと呼ばれる形式もある。日本の場合、今のところ、独居老人が一緒に住む形式が一般的である。

この「グループ・ハウス尼崎」は中でも先進的な一例である。個室が九つずつ左右にあり、真ん中に共用の居間、台所、浴室が配されるだけのシンプルな間取りであるが、居住者が実に生き生きとしている印象を受けた。面白いと思ったのは、僕がインドネシアで手掛けたコレクティブ・ハウスの間取りとよく似ていることだ。

もともと二つのケアつき仮設住宅を統合してつくられたのがこの施設である。知られるように震災後の仮設住宅では独居老人の孤独死が相次いだ。こうした共同施設の必要性が痛感されたのである。しかし、これはあくまで仮設住宅でその存続は危ういという。一方、厚生労働省が制度化したグループ・ホームは痴呆性高齢者に限定されている。

問題はこうした新たな共同住宅が必要なのは高齢の単身者に限らないことだ。女性の社会進出、少子化もあり、日本の家族のあり方は遥かに多様化しつつある。

いくつかのコレクティブ・ハウスを見せて頂いていささか暗然とすることがあった。いわゆる共用空間が全く使われていないのである。極端なところでは、共益費にお金がかかるというので共用室の蛍光灯が取り外されていた。そして、何よりも活気がない。全く状況は異なるが、インドネシアの場合、共用室は子供たちの遊び場でもあり、実に賑やかである。

高齢社会とはいえ、各世代がともに棲むのが街だ。各世代が棲む共同住宅の形が我が国にも欲しい。

 

世界の中の日本建築,磯崎新インタビュー「世界の中の日本の現代建築」聞き手 布野修司、建築雑誌,198709

 世界の中の日本建築,磯崎新インタビュー「世界の中の日本の現代建築」聞き手 布野修司、建築雑誌,198709










2022年8月30日火曜日

2022年8月29日月曜日

2001年8月30日 『建築雑誌』編集長日誌 2001年4月25日~2003年5月31日

 2回編集委員会

2001830

2回編集委員会。帰国後、ばたばたと貯まった仕事を片づけるまもなく、大学院の入試、採点、その合間を縫って上京。出席は20名。夏休みのせいか。しかし、デザイナーの鈴木一誌さんが参加して下さる。議事は以下の通り。やはり時間が足りない。しかし、3時間は超えない、というのは鉄則にしているから、強引に議事を進行する。ゆっくり議論したい、というのは本音だが、懇親会に期待しよう。建築家の将来は、①国際化、②メンテナンス、③まちづくり・都市計画ではないか、というのは僕の発言である。

 

2回編集委員会 議事録

<日 時>2001830日(月)15:0018:00

<会 場>学会会議室202

<出 席>委員長 布野 修司

     幹 事  石田泰一郎・大崎  純・松山  巖

     委 員 浅川 滋男・伊香賀俊治・岩松  準・遠藤 和義・鈴木 隆之

                  高島 直之・田中 麻里・Thomas C.  Daniel  ・塚本 由晴

         新居 照和・野口 貴文・羽山 広文・八坂 文子・山根  周

         脇田 祥尚

   デザイナー 鈴木 一誌

議 事

□布野委員長より、議事録をもとに前回議論の確認を行った。

□特集企画について

1月号「建築産業のストラテジー(仮)」について

 遠藤委員から最終企画案が提出され、次のような説明がされた。

 建設業の問題は、『建築雑誌』19988月号(特集:建設業の将来)当時に比べ、いまや大きな政治問題になっている。公庫や公団の民営化など具体的な動きもあるなかで、新鮮な特集にできるかどうか。学会でも「建築市場・建築産業の現状と展望特別研究委員会」が発足した。特集の対象は建築分野“建築業”とし、土木分野は外す方針として立案した。出された意見は下記のとおり。

<全般について>

 ・建築業の将来は、①国際化、②メンテナンス、③まちづくり・都市計画ではないか。

 ・技能の問題(ものつくり大学など)は機会を改めて特集したい。

<対談について>

  ・対談は、下河辺淳氏・平島治氏で進める。→その後、下記の日時で対談が成立しました。(事務局)

    1115日(木)14:0015:00 建築会館にて

<論考について>

 ・「建築教育界の再構築」は今回外したらどうか(→教育問題は改めて特集する)。

 ・日本と海外の構造の違いは何か。

  →日本は無駄が多く生産性が低い。建設人口は労働人口の1割でITも進みにくい。

 ・近い将来ヨーロッパ型になることは自明。論考テーマのレベルをもう少し上げたらどうか。

  →現実の具体的な動向(数値)は意外に知られていないのではないか。広く一般会員に現状を明らかにするような特集のほうが良いのではないか。

<誌面について>

 ・顔写真の掲載は止めたい。

 ・字数は少な目に依頼して、レイアウトで見せる誌面にしたらどうか。

<デザイナー・鈴木一誌氏から)

 ・現在の『建築雑誌』は見開き進行で、しかも図・文比がどこを見ても似ているので、単調な印象を受ける。2468ページを織り交ぜ記事にメリハリをつるなど、特集のどこに重点があるかを明確にしたらどうか。

 ・仕上がりイメージを想定しながら、企画立案を心がけたらどうか。

 <タイトルについて>

  ・“動揺している建築業”が感じられるようなタイトルにしたらどうか。

   →「建築産業に未来はあるか」「建築産業をどうするか」「建築産業の未来を考える」「動き出した建築業」「どうする建築業」「建築産業はどうあるべきか」など

   →最終的には「建築業界に未来はあるか(仮題)」で依頼しました。(事務局)

 

2月号「建築デザインの最前線(仮)」について

 塚本委員から、古谷幹事、小嶋委員、貝島委員とのブレーンストーミングの内容として次のような報告がされた。

 全体方針として、「どういうデザインが最前線か」よりも、「どういう状況で出てくると最前線になるか」といった切り口の特集にしたい。最近は、一般雑誌が建築を大々的に扱っていて、建築デザインと一般人との距離が近くなっている状況もある。そこで、デザインの最前線を次のように分類できるのではないか。

  1)「買える」デザイン、2)建築の使い手が「読める」デザイン3)「ガスタマイズできる」デザイン

 具体的には、身の回りにあるウキウキ「しない」デザインを写真で示し、その発注者とデザイナーを明らかにすることを中心に据えたい。編集方法としては、デザイン・サーベイ的な手法を取り入れることも検討したい。

 以上を具体的な企画案にまとめていただき、関係委員でメールの議論を重ねていただくこととした。次回委員会で最終決定し、原稿発注を行う予定です。

3月号「IT革命は建築を変えるか(仮)」について

 大崎幹事から企画案が提出され、議論した。出された意見は下記のとおり。

 ・IT革命とは何ぞや。

 ・IT革命によって、変わるものと変わらないものを示せないか。

 ・CADやGISによってできるようになったことを示せないか。

 ・ITの社会では、「つくる」よりも、「使う」「買う」のほうが大事ではないか。

4月号「京都議定書と建築(仮)」について

 石田幹事、伊香賀委員から企画案が提出され、議論した。出された意見は下記のとおり。

 ・京都議定書になぜアメリカが反対するか。

 ・我々がとるべき具体的な行動が示されると良い。

5月号以降の特集テーマについて

 浅川委員から「考古学と建築史」が提出された。今後議論を継続する。

□連載について

  下記の連載について、担当委員は執筆候補のラインナップを揃えることとした。

<建築を考えるための24の言葉>

<表象としての建築>

<未完のプロジェクト><建築博物館> →扱いは未定。

 →建築博物館について、黒野委員からのメモをもとに議論した。学会が進めている「建築博物館構想」の紹介をしたらどうか、という案については、事務局が可能性を打診

  することとした。また、塚本委員から、海外の建築博物館を紹介するような連載の可能性も指摘された。

<建築のアジア>

<技術ノート>

 →「建築教育の情報化委員会」からの提案を4回程度連載することとした。

<遺跡漫遊><建築史のパラメータ>

 →浅川委員と青井委員が隔月交代で担当。

<地域の眼>

 →1月号は新居委員(徳島)、田中委員(群馬)が執筆することとした。

Foreign Eyes

 →1月号はダニエル委員、2月号はMichael Webb氏に依頼。執筆テーマは、Japanese Built Environment について。掲載は英文本文に抄訳をつける。アジアやアフリカの執筆者も積極的に探すこととした。

<用語集>

 →連載枠とは別枠として、誌面の空いたスペースに随時掲載することも検討する。

そのほか、<世界の住宅事情>は実現の可能性がある連載とされた。

□表紙デザインについて

<JABSの扱いについて>

 議論の結果、「いまさら横文字を使うのは、古い印象を受ける」という意見が大勢を占めた。ただ、完全に廃止することもどうかという意見が出され、JABSを前面に出さないような掲載を工夫する方針とした。

 関連して、デザイナーの鈴木一誌氏より、次の意見が出された。

 特集企画の議論を聞いていると、全体的に資料性を重んじるような編集方針のようだ。そうであれば、表紙にも思い切って資料性を出したらどうか。1月号に出てくる建築業を象徴的するような図(グラフ、数値)をグラフィックにデザインする方法もある。また、その読み解きを誌面で解説したらどうか。内容的には常識的な図(グラフ、数値)でも、グラフィックに見せることによって新鮮な印象になることもある。

□委員会ホームページについて

 公開は来年を目標にするも、出来れば早めに公開する方針とした。編集委員長の「委員長日記」は、編集後記代わりに毎月掲載する方針とした。今後は、管理、メンテナンスの問題をクリアにする必要性が指摘された。

 

例によって懇親会。議論はつきない。結局、新幹線の最終2118分の、のぞみに間に合わなかった。一体、何軒梯子したであろうか。結局、小野寺さんは朝までつきあってくださった。そのやさしさに言葉がない。