講義:建築と景観,宮崎の明日の風景を考える,景観法と建築家タウンアーキテクトの可能性,宮崎県建築士会宮崎支部・同青年部,宮崎市ホテルプラザ,20041120
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2022年10月10日月曜日
2022年10月9日日曜日
2022年10月8日土曜日
今年気になった建築 李祖原の一連のプロジェクト,日経アーキテクチャー,19961216
今年気になった建築 李祖原の一連のプロジェクト,日経アーキテクチャー,19961216
李祖原の一連のプロジェクト
布野修司
今年一番気になった建築と言えば、巨大な壁のように立ち上がったJR京都駅ビルである。毎日のように見るし、一般の人から感想(批評)を求められる。なんとなく非難して欲しい、というまなざしがある。しかし、建設中だ。今年取り上げるわけにはいかないだろう。
といっても他に実際見た建築となるとなかなか浮かんでこない。インドのアーメダバードで見てきたばかりのコルビュジェやカーンの建築の強烈な印象の前には(神谷五男氏の二部作『インドの建築』『インド建築案内』は今年の大収穫である)、建築雑誌のバックナンバーの頁をめくっても、すべての作品が霞んだように見える。韓国の雑誌『空間』を見直していて急逝した飲み友達だった張世洋(空間社主宰)のことを思い出した。アジア大会(釜山)のスタジアムの仕事がとれたという報告が最後の電話であった。彼の師金寿恨と同じく過労死である。僕にとって今年最大の事件である。
続いて台湾の雑誌を手にしてはたと思い当たった。気になるのは李祖原の一連のプロジェクトである。今年三月淡水で四本の花という高層集合住宅をみた。故宮博物館の前にもコンドミニアムが建設中だった。おまけに、IAA(イノーベーティブ・アーキテクチャー・イン・アジア)のシンポジウムで本人と議論する機会があった。超高層建築の頂部を蓮の花で飾る彼の建築の深遠な設計理論「建築=一心之器」を聞いて度肝を抜かれてしまった。いささか神がかっている。アジア建築は一体どこへ行くのであろう。
そういえば、六月に訪れたジャカルタにも頂部を様々に飾り立てた巨大なポストモダン建築の超高層ビルがいくつも建ち出していた。
2022年10月7日金曜日
2022年10月6日木曜日
2022年10月5日水曜日
シンポジウム:京都ーその都市景観の再生, 京都の未来と都市景観,広原,古山,橋爪,樋口,松政,日本建築学会,19970623
パネルディスカッション2
京都の未来と都市景観
文責 布野修司
広原・・・縮小と均衡の時代:一極集中の都市構造
・グランドヴィジョンの資料には、京都の問題点は15項目ほど挙げられているが、都市計画あるいは基本計画、基本構想を作っていく際に人口フレームで将来にこれだけの人口減をはっきり言ったのは最初の例じゃないかと思う。1番目が人口の減少、2番目が高齢化、3番目が地域社会の弱体化、4番目が暮らしの変貌ということでこれは女性と高齢者の就業問題、6番目が都心の空洞化ということで、いってみれば京都の地域構造、人口構造に歴史的な変化が起こっていることを率直に認めていることに強い印象をもった。
・右肩上がりの成長と拡大の都市計画を目指してきたのが20世紀の大変際立った傾向だけれど、20世紀末になって非常にはっきりとした拡大と成長に対して縮小と均衡というものがキーワードになる時代がやっと来たということを痛感する。
・都心4区、いわゆる上京、下京、中京、東山の人口減少がすさまじい。日本全体の減り方に比べても京都の人口減は非常に速度が速いという特徴をもつ。京都で激しい人口減が予測されるのかということは2つの理由がある。1つは京都は歴史的な政治首都で全国でもたぐいまれな一極集中型の都市であったということ。2つ目は高度成長期にさらにこの一極集中型を目指したそういう政策がとられたこと。現在でも、他の指定都市に比べても、京都市は非常に際立った一極集中の都市構造をもっている。
・20世紀にわたって巻続けてきた成長と拡大のバネが今やっと限界点に達して緩やかに歴史の巻きもどしが始まったと。そしてこの21世紀というのはそれは止まらないであろう。地方分権ということもあるし、都市と農村の格差是正ということもある。この極度に集中した京都の都市集積というものは拡散せざるを得ない
古山・・・京都という呪縛
・都市の構想力、景観という観点から、都市の自己表現という問題を問いたい。になるの・京都の場合、京都の表現主題はすでに運命的に与えられている、すなわち京都らしさというものをもって表現が行われる。・西陣の織物にしても、帯を織るということが宿命づけられていて、デザインも京都らしさから離れられない。
・京都らしさというテイストが近代にできあがっていて、それから抜けられない。それが後々風致だとか景観だとか、という風なもののある精神的な中身みたいなものを作っていく。
・京都の場合いくつか盆地がある。山科盆地とか岩倉盆地とか地域が拡大展開していくときに、洛中というものを基本としてそれのコピーコピーを展開する。京都らしさというのは、時代時代で再生産されてきた。京都らしさというのは、どっかに正解の姿があるではなく、いろんな歴史事象を通じて、常に製造されてすり込まれていく。
・近代を考えた時、京都らしさというものが京都人の心の中にあるある種の抑圧として作動する。原先生が京都駅のコンペの後、京都らしさという問題をとらえて、どうしても京都らしさの話をすると、日本らしさとかナショナリティーとかナショナリズムということと結びつきがちなので、そういう話はさけたいと、言われたけれど、卓見というか賢いやり方ではあるが、しかし京都人にはそこに触れていただかないと、琴線に触れた感じがしない。物を食った感じがしない。
・今日の建築計画なり、都市計画なり計画のもっている問題に議論をもっていく前の段階として、精神的バリアーとしての京都らしさという風なものが146万人の心の中にそれぞれあるので、それを乗り越えないと明快な議論の場の土俵に上がっていけない。
布野:京都論には内からか外からか、愛憎合わせて四つの類型がある。
橋爪・・・京都の実像と虚像
・京都は大都市として、日本の大都市固有の問題を抱えている。ところがしばしば語られるのは、京都の町の特殊性である。大都市固有の問題と、京都固有の問題、お互いに相互に影響しあいながら、お互いを見えにくくしているという状況がある。
・京都というのは一大工業都市であることが、全く認識されていない。京都は物づくりの町である。全国第9位の工業都市である。日本最大の内陸型の工業都市である。西陣織とか清水焼のような伝統的な産業だけではなくて、京セラ、オムロン、任天堂、ワコールがある。重工業では、島津製作所、三菱自工などがあり、重たい物から軽い物、最先端から伝統工業までありとあらゆる工業、物づくりでこの町は成り立ってきた。
・実際、京都市明治以降の政策を見ると、ひたすら近代化、工業都市化を果たそうとしてきた。いわゆる三代事業と呼ばれる事業の類に代表されるが、明治維新以降衰えた京都の町を再生させる。京都策というのは、京都固有の町づくりの方針であるが、その根幹にあるのが工業化であった。
・ところが一方でこの本質を覆い隠すように、例えば歴史の町であるとか古都であるとか、あるいは大学の町であるとか、観光で町は成り立っているとかいう風な言説で、この都市が対外的なイメージを醸造してきた。実質と外から見たときの京都像は全くちがう。
・京都市の色々な資料を見ると、至る所に京都は日本人の心のふるさとであるというような文言がある。日本人の誰もが京都を心のふるさとと思っているというような現像を植え付けようとするような文言が行政のと姿勢策の資料のなかに踊っている。一方で、実体としては工業都市として発展してきた。
・一極集中で工業都市として活性化してきた町というのが、今まさに大転換期を迎えようとしている。従来型の発想ではやっていけなくなるのではないか。
・いま工場がどんどん滋賀県に移転し、大学も滋賀県に転出している。京都市だけでは、そのような転出をなかなかくい止められない。
・大都市として京都はかなり先を行っている。高齢化も非常に速い。人口が減る速度も非常に速い。表面だけのイメージ、京都らしさだけの部分だけで京都を語っているのではまるで京都の実質を語り得ていない。
Ⅱ
樋口・・・日本の景観=?京都の景観
・関東の方から参って、東夷が京都の話をするというのは非常に恥ずかしい。地元に住んでいる人は、それなりに地元の問題をそれなりに考えておられて、また幾分かなり鬱屈したところがあるという印象を受けた。私は新潟にいてこのシンポジウムやると、同じような発言をしたのではないかなと思う。
・私自身は外側から京都を見ていて、京都を外側から美化している、そういう人間にはいるのかもしれない。景観の構造とか日本の景観とかも、よそから見たから書けたのかなあと思っている。
・京都で私が一番気に入っているのは、すばらしいなと思うのは、自然というか立地場所だと思う。日本の都市が立地している地形とか調べているが、やはり京都は抜群ではないかと思う。いろんな盆地があるが、その中でかなり一級品ではないか。隣の奈良と比べても、質の高さは違う。特に、山にかなり近いことがある。
・精神的バリアーということでは、天皇が住まわれていた都であったという意味が大きい。これが明治以降なくなったというか、その虚脱感というものから立ち直っていないんじゃないか。お公家さんの文化が基本にあった。それが非常に重要な意味を持っているのではないか。それが作り出した文化と、歴史的な環境が大きい。
・もう一つは、現代都市というか、大都市の問題がある。三つの問題かせめぎあってる。
・盆地からから生まれてきた自然観、季節感というのはかなり特異である。中国の影響を相当受けているけれど、相当洗練してる。人間と自然が一体化する自然観、美意識、倫理感を育ててきた。これをどういう風な形で今後へいかしていくのか。
布野:日本の景観=京都の景観と考えていいのか。飛鳥は扶余を見立てたといわれる。
樋口:私も色々批判されていて、日本という形で一言でいうのは間違いだと思う。いろんな日本があって、そこに地域の名前をいれていかなければならないのではないかと思っている。ただ京都かなり重要な意味をもっている。我々の精神的な構造を支配してきている。
布野:例えば洛中のコピーとは、宮中のコピーということか。ことの旧都が不在になってしまった意味は精神的バリアーに関係があるか。
古山:非常に危ない話なので、避けたい。自然との共生みたいな観点は御所的ではないか。御所の庭園風景を紋様にして自分の着物のデザインにするということはある。名所旧跡みたいなものが、文学になり、デザインになり、生活の中になって浸み込んでいく。和菓子なんかでもそうだ。ある種の風景を映すようなデザインというのは多い。
橋爪:京都はコピーと、準拠する基準というのをどんどんどんどん自己を拡張してきた。
景観の問題の中にも、それが反映してきているというのが実は大事な論点だと思う
陣内・・・京都で実験を
・拡大を前提としない、発展の仕方を徹底的にシミュレーションしてはどうか。中心部のダウンゾーニングという手もある。もしやれれば、京都はまた先端をラディカルに行くということになるのではないか。
・ヨーロッパの場合は、人間があまり環境の良くないところには住みたくないという、わがままがメンタリティーにある。大都市が一般的に嫌われて、イタリアでいえばミラノがもう住むところではないという感じがある。人口一万以下に住んでいる人が半分ぐらい。
・京都らしさのこだわりというかそこから逃れられないという指摘は、ベネチア人も似ているところがある。ベネチアらしさ。ユニークな都市ということで、自分のとこにしかないということをすごくポジティブに誇りにアピールする。それを文化的にもそのプレステージを強調することによって、神話化する。
・京都は底上げ文化であると聞いたことがある。何でも底をうまくあげて、ほんとは中身は何にもなくても、うまくデザインを添付して付加価値をつけて高く売る。いろんなレベルで京都らしさというのがある。
・大勢の人が、京都らしさということにこだわり続けて来ているにも拘わらず、それと違う次元というか、現実には非常に場所と関係ない日本全国あるいはグローバルな経済システムで、京都と関係ない経済構造とかあるいは消費の仕組みの中で、京都が変貌してきた。
・結果的にはあれよあれよと言う間に京都は変わって、顔の見えない町になっている言うことがあって、これはまさに東京や日本の全国の都心に起こっていることと全くそっくりである。
・京都には手がかりが無尽蔵にあるのだから京都というのでやっぱり一つ実験をしていただきたい。グランドビジョンの報告書と深く関係してくるが、ひとつのポイントは情報の文化発信が意外と弱いと書いてあることで大問題だと思う。
布野:ベネチアらしさをめぐって、京都をめぐるような屈折した議論はないか。
陣内:ありますよ。アイデンティティーを強調するという裏には、田舎者で他の世界を知らないという面もある。一方、プライドだけはやたらにもっている。
松政・・・町割街区の提案を
・ジャック・デリダのデコンストラクションは建築のデザインで随分話題になったが、自分は常にパリと日本とを比較して日本にどのようにしてその思想が援用できるかと言うことを考えていた。デリダの根本の思想は意味の組成とその脱構築と私はとらえたい。歴史的な色々な意味が実は忘却され隠蔽されている。いろんなイデオロギーや我々の能力の限界も含めて。都市や建築も本来そういう形で文章と同じようにそうなっているはずである。・歴史的に新しいことをやっている人というのは、忘却され沈殿された意味あいをまず組成させて、それを自分なりに変形する。時代や個人の責任で変形し、脱構築する。それが本来の哲学や建築、芸術の役割であるというとらえかたを、デリダと共に私はしたい。
・町屋も何回も組成させるべき意味としてあると思う。そう考えると、5年間住んだパリと京都が非常によくにている。実際その中には色々な集団記憶が蓄積されている。実は京都もパリも共通するのではないかと考える。
・京都は町中の町割りと、街区を基本体とするそういう新しい類型を提案していくことが非常に大事だと思う。建築と都市計画を日本はどうも分離してしまう。都市と建築を分離させないやり方で京都を考えていくべきではないか。地割り、短冊上の場合はどういう風にやるか、そうでなしに共同化する場合はどうやるのかということをはっきり分けてそれに対処していかないといけない。
陣内:藤井修さんという大変優秀な若い研究者がいて、京都の街区の中の敷地と建物の関係についてデータをたくさん集めて、それがどういう風に歴史的にできてきて、近現代に変容しているかという研究をされた。残念ながら、若くして亡くなっちゃった。そういう研究とかが、非常に重要だと思う。
Ⅲ
広原・・・テーマパークでなく定住環境の再生へ
・京都の将来を考える上でいつも比較になってくるのが大阪、神戸との関係である。大阪市が大阪府の中で突出した地位がもうないということで、どういう形で都市再生の戦略をたてるかという場合、集客都市を目指す。オリンピックやユニバーサルスタジオとかディズニーランドのテーマパークとか。京都の観光産業はどういう絵を描くのか。
・いかにそこに人を定住させ、回復させ、地域を復活し都市を復活させるかということに、戦略がおかれるべきだ。今までの容積性なりゾーニングなり、あるいは大規模施設主義というものをむしろ抑制する。抑制することで定住環境を再生させる。
布野:どうすればいいのか?
広原:都心に住むというのは、ごく普通のことで、そこで子育てが出来て、お年寄りがそこでいつまでも住み着いていけるという条件を作ることだ。
古山・・・南部開発 北部保存???
・基本的には北側と南側の問題というのを徹底して京都市民の頭の中に植え付けて欲しい。要するに構図が必要。一般的には南部というのは新幹線なり京都駅で切られる。
布野:南北の構図をはっきり植え付けろというのは、北部保存的開発、南開発ということですね。それから南は五条から向こうですか京都駅から向こうか。
古山:一応京都駅から向こう。八条から南。
布野:市庁舎建て換えはどうお考えですか。
古山:いやーそれは分からない。
橋爪:京都の実質とイメージとは非常に乖離している。南は開発というのを示すといってきたけれども、もはや南は開発できない。だから南も工業化のシナリオでは開発は不能で、全く別のシナリオをもってして違う形に再編成しなければいけない。だから北部保存、南部開発なんてことはありえない。だからあるとしたら北部保存で南部再編成という壮大な実験が行われるんだろう。その時にその北部の保存のなかで対外的な京都の神話というのを上手く利用しつつ南部の再編成をどうにかしていくかが問題。南の方で新しい京都らしい景観として考えていかねばならない。たとえば伏見であるとか山科であるとかもともと京都ではなかった、京都が拡大するなかで合併吸収していった周辺の市町村の固有の文化とか固有性をもう一度再認識していくということが非常に大事。
樋口・・・どこでも同じ報告書
・京都らしいというけれど、報告書見ると新潟でもこういうの考えているようでだいたいどこでも同じだなという印象だ。で、それは日本の都市が全部抱えているというか、まあ京都はだめだなと思ったんじゃなくて、あの日本の都市全体がだいたい抱えている問題、ある意味で共通している。
Ⅳ
樋口・・・都市景観の再生のロジック
・自然景観については今の施策を続けていけばいい。
・京都はなかなか熱心に農産物をつくるところで実は、すばらしい野菜の産地でもある。自律的な都市が考えられる。ある程度、小麦とかは別だけど野菜等については、だいたい生活していけるくらいのもの、それくらいは生産できるような庭というか畑というか、そんなものがある都市というのをこれから目指してもいいんではないか。
・文化と歴史環境は有り余るほどのテキストがある。
・いわゆる技術社会としての現代都市という中から出てくるものは何か。我々の生活が支えられている現代の社会と歴史伝統文化と自然をどういうふうに調整づけていくかが最大の問題ではないか。
・建築家のレオンクリエは、人が歩いて生活できる、歩いて10分というか、そういう町の中に、出来るだけ働く場所とかすむ場所とか、出来るだけそこに集めていってそういう単位をたくさん作っていこうと、いう話をしている。10分というのは400~500Mで、昔の町という単位が京都にありましたがあれが、60間かける60間だが、大体120Mぐらい、あれが4つ集まったくらい。4つ集まると条坊制の単位になる。そういうスケールでもう一度京都全体を見直していくというのも大事だ。車の問題とか非常に暴力的な形で入ってきている。
・エコエチカ、倫理性、生活のロジックを打ち立てていく必要があるのではないか。人間の住んでいるところは人間の身体の延長線で、そこに住んでいる人たちの体そのものという捉え方でもいいのではないかと思う。
陣内・・・縫い合わせる
・京都の新景観整備制度は外側の自然風致地区が非常にうまくしかも権限を持ってやられてて、むしろ中心が難しい。イタリアの場合、逆でヒストリックセンター、チェントロストリコは、一応問題が片づいちゃった。むしろ京都の風致の制度は逆に外国に輸出したらいい。
・日本では、中心がもうがたがたに開発されちゃってるわけだし、町家も瀕死状態のところも多いが、大きな長期的なビジョンで京都市を魅力的にしていこうということをするときには大きな構想力が必要だと思う。
・建造物修景地区という、べたーっと塗られているだけでは全然見えてこない。町家の調査とかが進んでいった場合に、道筋一本一本尾イメージ、方向付け、そういうものが構図の上でも記されてしかるべきではないか。
・町家を残すためには、バーに変えたり、レストランに変えたり、今の段階ではある種、ジェントリフィケーションというか、町家もちがううんだよというふうにまた価値が現代のフォームを帰ることによって蘇るということを使っていくのも一つの解決として、今の日本の状況で大いにあるのではないかと思う。
・都市型居住の形式が全然提示されない。パリにしてもミラノにしても19世紀に非常にすばらしい都市型居住ができて、その整備とともに町並みがしっかりできているので現代にも通用する。これだけずたずたになると今度は縫い合わせる、あるいは回復するというかあるいはその場所をもう一度コンテクストをつくるという形が、そういう発想の面白い、あるいはプランニングというのがこれから京都のような場所で一番重要な面白い課題になるのでないかと思う。
布野:縫い合わせるというのは。
陣内:敷地と敷地の間、あるいは個々の敷地の中に立ってる建物が重要だと思う。
布野:ゼロロットにするとか。
陣内:それもあり得る。
松政・・・六つの提案
・1 町家は保全活用の材料としてあるが、それ以外の新しいマンションとかそういうものの壁面線それから軒高、最高高さ、中庭、それから外部と一体となった形態、とりわけ壁面線が大事だということを意識する必要がある。
・2 優遇容積率、差別化。それによって一極集中を避けて都心居住をばらまいてどこでも住めるような形のものをとりあえず用意する。
・3 景観保護紡錘帯、フゾー、を取り入れてみてはどうか
・4 フランスの場合、全国で200人の専門の建築家がいて、ABFというフランス建造物建築家がパリの場合は500メートルの景観は最後に支配権を持ってい。そういう主観的なガイドラインの可能性というはあるのではないか。そのためにはそういう人を育てる機関とかそういう制度も必要かと思う。
・5 街区単位の建築基準法の特別措置というのもある。
・6 パリにはアピュールと呼ばれている都市建築アトリエがある。市と国と県が一体となって専門家集団を作っていてそこでグランプロジェのコンペの要項から、今見ました法制度の試乗から全部研究して作る。そういう制度をつくったらどうか。
質疑応答
船越:一番の問題は20世紀の建築を作っていくシステムみたいなものではないか。
橋爪:20世紀的なる都市のあり様の限界というのはあきらかになっている。これからの時代に合わないものはいっぺん全部消去してもう一度構築しなければいけない。僕は従来型のどっかにモデルがあってどうのこうのしなさいとかということに関してはいつも懐疑的である。逆に一般の学生のぽっとした思いつきの中に従来なかったような価値観の転換を含むような意見があれば耳を貸すべきだなと、そういうふうに思っている。
布野:紋切り型の提案、ステレオタイプ化された提案は思考を停止させる。今日もたくさん提案いただいてるわけだけど、なぜ動かないのか。具体的に動かない構造は何か。
そういう仕組みがあってこれはたぶん京都だけではなくて日本の町どこにもある。
船越:東京では19世紀までの建築システムっていうのはあんまり見えてない。東京でそんなこと言い出しても何も動かないだろう、やっぱり京都が大事ではないか。
門内:京都の人達というのは、いろんなことをものすごく深く考えているけれど、なぜかそれが集まってしまうとなにやらよく分からなくなる。そういう京都というトポスの大きな問題と、建築なり都市のシステムの問題がある。システムを作る時に、コントロールという概念でいったらもう駄目なんじゃないか。
・今日この場を設けただけでも大変な努力がいるわけで、こういったことを密度高く繰り返し実現して議論をしていく中で新しいものを作っていく、つまり人間の側のネットワーク主体の問題が重要ではないか。
曽田:京都市は基本構想と都市マスタープランの関係はどう考えているのか。
籾井(京都市):グランドビジョンとの整合ということになると、おそらく同時進行的に調査研究を進めていって、グランドビジョンのかなり重要な部分というか都市景観であるとか、あるいは土地利用の部分はかなり重なってくる。
曽田:ビジョンという場合、じゃあ何だということですよね。その時に空間みたいなものまで含めて、ビジョンになるのか、そっちはマスタープランだよ、というふうに逃げちゃうのか。
籾井:都市レベルっていうか、全体の土地利用方針は、基本構想に入ってくる。もう少しきめ細かな話は、都市計画のマスタープランの中でなされると思う。
布野:グランドビジョンをもとにマスタープランを作っていく。既に基本計画とか新京都市基本計画があって継承しながらということだと思う。
古山:いつもトラブルの原因はどうも基準法にあるのではないか。つまり総論賛成、各論反対で基本的にはくるわけですね。基準法の方が強いというか、基準法と風致の規制とのプライオリティーの問題が非常に難しい。
布野:風致は都計法で根拠ある。建築基準法は融通性がきかない。建設省にねじ込むんだけど、京都だけ例外にしろといっても、絶対に認めない。一国二制度を。条例をやれという。条例の法的根拠がない。
古山:町屋も連帯して建ててですね、基本的には基準法違反なわけでしょ。たんぽぽハウスでもニラハウスでも建てたらいい。
ビジョンという大きな投げかけも必要なんだけれども何かこう個別の小さなコンペというのを50万円コースでいっぱい打っていただくのもあっていい。
谷口(芝浦工大):京都駅を見るときの視点がやはり間違っているのではないか。高架の上から見てみたり、京都タワーの上から見てみるというのは20世紀の都市特有の見方だ。例えば、京都駅より近鉄百貨店の方が大きく見えて目立ってしまう場所もある。視点の問題というのはどういうふうに考えたらいいか。
布野:フゾーを適用するにも視点場の問題が共有されている必要がある。
両角:人口減をどう評価するか。
野口:地区計画の展開はできないか。
布野 :京都市は景観街づくりセンターでもう少し地区単位でやっていこうということだと思う。
橋爪・・・一国二制度を
・京都の景観街づくりセンターの活動っていうのに非常に期待している。
ところがある。大事なことは一国二制度とかいう話があったが、京都だけ特別扱いをするという視点自体が僕は非常に大事な点で、それをどのようにこれか展開していくのかが重要。中から言い出すのは非常に難しい。中からやろうとしたら独立国にですね、京都は自治都市として独立するしかない。日本国から縁を切るしかないわけだけれども、中からの提案よりも全国的な問題として京都っていうのは特別扱いをすべきなんだよという意見が盛り上がる。これからの日本の都市のパラダイムシフトのある部分の先端を行く都市であるとすると、だからこそいろんな面で特例として実験的な試みが認められていく。そういう声は外からこそ、東京から、京都を救ったれと世界中から何とかしてあげようという声を出していただければ中の人間はこんなにも悶々とですね、アイデアとか意見とかは山ほどあるけれども結局形になっていかない。この何10年間の動きをですね、外圧によって救って下さいという、何でこうお願いせなならんのかと思う。
古山:街づくりマップというのがあるが、白抜きの所は作らないでとりあえず何かのインデックスで覆ってしまうといいと思う。
広原: 従来の集中一極型の都市構造は明確に否定されているんですね。京都市自身が。そしてあの21世紀はコンパクトなネットワーク型の都市を作っていこうということで郊外の所それから京都都市圏にあるその衛星都市的な所、そして都心というものをネットワークでつないで、そして全体としてバランスのある構造をやっていこうという、そういう考えを提案しておられるんで、この考え方については非常に積極的なんじゃないかと思ってるわけです。
松政:短いスパンと長いスパン、59年100年先のことと、これから今すぐやらなくてはならないことをはっきり分けて町家の保全とか再生、あるいはその修正に関わることはすぐにやっていかないといけないだろうと思う。
陣内:人口が減っていくっていうパワーがなくなっていくのはいいチャンスではないか。
とにかく実験場として欲しい。
樋口:京都に特別立法作るとかね。そういう形であるべきビジョンというか望ましい京都というのはやっぱり日本全員が考えていかなきゃいけないのではないか。イギリスではチャールズ皇太子がかなりそういう景観問題に積極的な発言をしているわけだが。やはり京都というのは東夷にとってはあこがれの都であるので是非すばらしい都に再生してくれというふうに思う。
布野:どうもありがとうございます。最後の微妙な問題を含めて全部の問題を提起したというわけにはいかないけれど、京都の、ひいては日本の抱えている問題の中心的課題は明らかになったのではないか。
企画の役割,デザイナーになるか,総合者であり続けるか,日経アーキテクチャー,日経BP社,19921123
企画の役割,デザイナーになるか,総合者であり続けるか,日経アーキテクチャー,日経BP社,19921123
企画(者)の役割 布野修司
何故企画か。何故企画者なのか。建築を全体的に統合する主体や職能が今見失われつつあるからだと思う。社会の複雑化に伴い、社会的分業がますます進行する。建築のあり方もそれに伴い複雑となる。建築技術の専門化、細分化が加速するなかで、誰が建築をまとめるのか、わからなくなってきた。要するに、建築の発注システムの変化、あるいは、大きく建築生産システム全体の変化がその背景にあると思う。
建築の全体を総合する役割は、本来、少なくとも理念的には、建築家の役割であった筈だ。しかし、建築家をとりまく状況は激しく変化した。バブルとともに川上から参入してきたのが、広告代理店であり、不動産屋・ディベロッパーであり、銀行であり、保険会社である。もともと建築家というのはお金に弱い。また、法律に弱い。それに加えて川下の技術に弱いときたらまさに「裸の王様」である。状況について行けないのは当然だ。
こうした中で、建築家がとりうる道は二つである。ひとつは「デザイナー」、「アーティスト」に徹することである。その場合、総合の役割は企画者なり、サイト・マネージャーなり、別の主体が担うことになる。もうひとつはあくまで建築全体についての総合者であることに拘ることである。それが如何に可能か、企画者の登場によって建築家に問われているのはかなり決定的なことである。
2022年10月4日火曜日
2022年10月3日月曜日
設計ブーム後の展望,繰り返される推移と変転,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920120
設計ブーム後の展望,繰り返される推移と変転,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920120
設計ブーム後の展望 19920120
布野修司
19911224
建築というものは、できるだけ長持ちするように時間をかけて丁寧にじっくりとつくるもの、という建築観からすれば、設計ブームが去ること自体は何も悲観すべきことではない。むしろ、バブルに翻弄され、じっくりと考える暇もなくただただ忙しかった、この数年が異常というべきだ。
おそらく、ポスト・モダンを標榜するだけの、そしてポスト・ポスト・モダンを口に出さざるを得ないような次元での、ペラペラ、ヒラヒラしたデザインは次第に影を潜めていくことになろう。建築をめぐる舞い上がった言説もまた、建築の生産消費の現実過程がペースダウンするにつれて、空回りを始める筈である。
一方、スクラップ・アンド・ビルドではなく、ライフサイクルを考えた建築のあり方、地球環境にやさしい技術のあり方、エネルギーや資源を浪費するタイプの建築ではなく、リサイクル型の建築のあり方が、それぞれに追求されることになるだろう。既に、そうした趨勢は、様々なスローガンとして示されつつあるところだ。エコロジーは、既にひとつのファッションである。
しかし、以上の推移、変転は、1960年代末から70年代の初頭にかけての推移、変転によく似ているのではないか。設計ブーム後を展望するには、われわれの近い過去の経験をしっかり振り返ってみることである。歴史は繰り返す?。
19911124
2022年10月2日日曜日
コンペ「採点方式」の魅力と限界,建築に採点は馴染まない,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920803
コンペ「採点方式」の魅力と限界,建築に採点は馴染まない,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920803
コンペ「採点方式」の魅力と限界 布野修司
採点などということが建築の評価に馴染むのかとまず思う。確かに設計教育において、建築士の資格試験において、採点ということは日常的に行われているのであるが、得点そのものについては常々疑問である。ランクやレヴェルを分けることは当然あるのであるが、何点ということにさしたる意味はない。様々なクライテリアに照らして総合的に評価がなされるのであって、クライテリアごとの得点を足しても総合評価になるのであろうか。それ以前に、クライテリアというのは共通に絶対的なものして設定できるであろうか。クライテリアの選定そのものが既に評価の範疇ではないのか。
コンペの場合、一作品を選ぶ。何点違いだからというのではなく、やはり総合的な判断が必要だろう。公正ということについても、何をもって公正というのか議論は簡単ではない。問題は公開性である。今度、僕が審査員として関わることになったある町の文化ホールのコンペはエスキス・プロポーザル・コンペで「公開ヒヤリング」方式で審査を行なうことになった。公開の場で(あるいは公開を前提として)どうどうと評価を戦わせ、責任の所在をはっきりさせることさえきちっと行われていれば何も問題はないと思う。
問題は、あまりにも密室のコンペが横行していることであって、採点方式の問題というのは次元の違う問題である。
2022年10月1日土曜日
トラブルへの対応,建築は人を殺す,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920316
トラブルへの対応,建築は人を殺す,日経アーキテクチャー,日経BP社,19920316
トラブルへの対応 布野修司
建築は人を殺す、と心底思ったことがある。僕のところへ持ち込まれたのは住宅をめぐるトラブルであった。いわゆるイージーオーダー住宅(売建住宅)の欠陥問題である。
裁判沙汰になってから、鑑定の依頼があったのであるが、その時既に、施主の怒りにはすさまじいものがあった。いざ建ってみると、家が傾いているような気がする。基礎に手抜きがあった。ひとつの欠陥がみつかると、次々に気に入らないところが出てくる。柱のちょっとした傷さえ重大な欠陥に思えてくるのだ。
業者の非は明かであるが、施主にも問題がある。施主は、後から猛烈に勉強したらしいのだが、そんなに勉強するなら建てる前にすればいい。業者も、最初から誠実な応対を欠いていた。
建築の場合、100%完全無欠ということはありえないことだ。一品生産が基本だから、その出来上がりについては充分な相互理解が必要である。相互にコミュニケーションを欠いては、ちょっとしたトラブルでもどうしようもないことになる。
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