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2022年11月25日金曜日

「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

 「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

雑木林の世界23

 飛騨高山木匠塾(仮)構想

                        布野修司

 

 今年の一月末、ある秘かで微かな夢を抱いて、飛騨の高山へ向かった。藤澤好一、安藤正雄の両先生と僕の三人だ。新幹線で名古屋へ、高山線に乗り換えて、高山のひとつ手前の久々野で降りた。道中、例によって賑やかである。ささやかな夢をめぐって期待と懐疑が相半ばする議論が続いた。

 久々野駅で出迎えてくれたのは、上河(久々野営林署)、桜野(高山市)の両氏。飛騨は厳しい寒さの真只中にあった。暖冬の東京からでいささか虚をつかれたのであるが、高山は今年は例年にない大雪だった。久々野の営林署でその概要を聞く。久々野営林署は八〇周年を迎えたばかりであった。上河さんに頂いた、久々野営林署八〇周年記念誌『くぐの 地域と共にあゆんで』(編集 久々野営林署 高山市西之一色町三ー七四七ー三)を読むとその八〇年の歴史をうかがうことができる。また、未来へむけての課題をうかがうことができる。「飛騨の匠はよみがえるか」、「森林の正しい取り扱い方の確立を」、「木を上手に使って緑の再生を」、「久々野営林署の未来を語る」といった記事がそうだ。

 木の文化、森の文化を如何に維持再生するのか。一月の高山行は、大きくはそうした課題に結びつく筈の、ひとつのプログラムを検討するためであった。もったいぶる必要はない。ストレートにはこうだ。上河さんから、使わなくなった製品事業所を払い下げるから、セミナーハウスとして買わないか、どうせなら「木」のことを学ぶ場所になるといいんだけど、という話が藤澤先生にあった。昨年来、しばらく、その情報は、生産組織研究会(今年から10大学に膨れあがった)の酒の肴となった。金額は、七〇〇万円、一五〇坪。いくつかの大学か集まれば、無理な数字ではない。とにかく行ってみてこよう、というのが一月末の高山行だったのである。

 雪の道は遠かった。寒かった。長靴にはきかえて、登山のような雪中行軍であった。中途で道路が工事中だったのである。野麦峠に近い、抜群のロケーションにその山小屋はあった。印象はそう悪くない。当りを真っ白な雪が覆い隠している中でひときわ輝いているように見えた。

 それから、三ケ月、どう具体化するか、折りにふれて議論してきた。しかし、素人の悲しさ、議論してもなかなか具体的な方策が浮かばない。そのうちに、とにかく、わが「日本住宅木材技術センター」の下川理事長に話しをしてみろ、ということになった。頼みの藤澤、安藤の両先生は、ユーゴでの国際会議で出張中。塾長をお願いすることになっている東洋大学の太田邦夫先生と以下の趣旨文を携えて下川理事長にお会いすることになった。

 「主旨はわかります。しかし、どうして大学で「木」のことを教えることができないんですか」

 いきなりのメガトン級の質問に、太田先生と二人でしどろもどろに答える。

 「五億円集めて下さい。維持費が問題なんです。」

 絶句である。七〇〇万円のつもりが五億円である。言われてみれば当然のことである。どうも、いいかげんなのが玉に傷である。あとのことは、払い下げてもらってから考えればいい、なんて気楽に考えていたのだ。プログラムは、立派なつもりなのだけど、どうにもお金のことには弱いし縁もない。

 その後、建設省と農水省にも太田先生と行くことになった。生まれて初めての陳情である。しかし、陳情だろうと思いながら何を頼んでいいのかわからないのだから随分頼りない。

 しかし、乗りかかった船というか、言い出してしまったプログラムである。とにかく、賛同者を募ろう、というので、五月の連休あけに山小屋をまた見に行こうということになった。新緑の状況もみてみたかったのである。

 メンバーは、当初、太田邦夫、古川修(工学院大学)、大野勝彦(大野建築アトリエ)の各先生と藤澤、布野の五人の予定であったのだが、望外に、下川理事長が忙しいスケジュールを開けて下さった。全建連の吉沢建さんがエスコート役である。総勢七人+上河、桜野の九人。大いに構想は盛り上がることとなった。冬には行けなかったのであるが、新緑の野麦峠はさわやかであった。 さて、(仮称)飛騨高山木匠塾のプログラムはどう進んで行くのか。その都度報告することになろう。以下に、その構想の藤澤メモを記す。ご意見をお寄せ頂ければと思う。

 

飛騨高山木匠塾構想

設立の趣旨:わが国の山林と樹木の維持保全と利用のあり方を学ぶ塾を設立する。生産と消費のシステムがバランス良くつりあい、更新のサイクルが持続されることによって山林の環境をはじめ、地域の生活・経済・文化に豊かさをもたらすシステムの再構築を目指す。

設立の場所:岐阜県久々野営林署内・旧野麦製品事業所ならびに同従業員寄宿舎(この建物は、昭和四六年に新築された木造二棟で床面積約四八三㎡。林野合理化事業のため平成元年末に閉鎖され、再利用計画が検討されている。利用目的が適切であれば、借地権つき建物価格七〇〇万円程度で払い下げられる可能性がある)

設立よびかけ人: メンバーが建物購入基金を集めるとともに運営に参加する。また、塾は、しかるべき公的団体(日本住宅・木材技術センターなど)へ移管し、管理を委譲する。

学習の方法: 設立に参加した研究者・ゼミ学生と飛騨地域の工業高校生が棟梁をはじめ実務家から木に関するざまざまな知識と技能を学ぶ。基本的には参加希望者に対してオープンであり、海外との交流も深める。

 ここでの学習成果は、象徴的な建造物の設計・政策活動に反映させ、長期間にわたり継続させる。例えば、営林署管内の樹木の提供を受け、それの極限の用美として「高山祭り」の屋台を参考に、新しい時代の屋台の設計・製作活動を行うことも考えられる。製作に参加した塾生たちが集い、製作中の屋台曳行を行うなど毎年の定例的な行事とすることも考えられる。また、地元・高根村との協力関係による「施設管理業務委託」やさまざまな「地域おこし」も可能である。

開校予定:

 平成3年7月23日から芝浦工業大学藤澤研究室/東洋大学布野・浦江・太田研究室/千葉大学安藤研究室のゼミ合宿をもって開始する。





 


2022年11月23日水曜日

[イスラ-ムの都市性]研究,雑木林の世界21,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199105

 [イスラ-ムの都市性]研究,雑木林の世界21,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199105

雑木林の世界21

 「イスラムの都市性」研究

                        布野修司

 

 この三年間「イスラームの都市性」と称する共同研究に参加してきた。文化系の研究プロジェクトとしては、研究費が年間一億円、総勢百五十人にものぼる大プロジェクトである。正式には「比較の手法によるイスラームの都市性の総合的研究」という。この三月、一応の区切りを迎えた。

 正直に言って、ほとんど何もしなかった。僕の場合、インドネシアのことを少しかじっていたというだけで加えさせて頂いたのであって、中東の本家イスラームとはあまり接点がなかったせいもある。また、歴史学が全体をリードした感があり、知識不足でついていけなかったせいもある。ただ、湾岸戦争もあって、イスラーム世界に対して次第に興味がでてきた。もう少し、勉強すればよかった、と思い始めたころに終わってしまったのは自業自得とはいえ、実に残念であった。

 遅ればせなのであるが、年が明けて随分と研究会に出席した。一月一四日、一五日、下関、一八日、一九日、仙台作並温泉。二月一一日、一二日、東京、三月一五日、一六日、出雲。温泉とうに料理、ふく料理、かき料理が目当てだからえらそうにはいえないのだけれど、分野の違う研究者の話を聞くのは実に楽しい。

 例えば、下関のプログラムはこうだ。

 「ヨーロッパとアフリカにおける金と貨幣交易のネットワーク」 森本芳樹 「西欧中世前期における金と金貨」

 竹沢尚一郎「西アフリカにおける金と交易」

 深沢克巳 「一八世紀のフランス王立アフリカ会社とピアスト       ロ銀貨」

 なんだ???、建築とは関係ないではないか、という感じかもしれない。僕も最初はそうだった。しかし、次第に関心が湧いて来る。特に、ものの流れをグローバルにみる様々な見方は世界史がダイナミックに捉えられてわくわくするのである。

 作並温泉のプログラムは僕の最も興味をもったテーマの締めくくりであった。「続・都城論」という。

 羽田 正 「西アジア年(Ⅰ)」

 横山 正 「イタリア都市」

 林佳世子 「西アジア都市(Ⅱ)」

 竹沢尚一郎「アフリカ都市」

 山形孝夫 「コプト修道院のコスモロジーと都市」

 一昨年、熱海で行った「都城論」の続きである。

 王権の所在地としての「都」としての都市、そして城郭をもった「城」としての都市、二つの性格を合わせ持つ都市、すなわち「都城」について、その「都城」を支えるコスモロジーと具体的な都市形態との関係を、アジアからヨーロッパ、アフリカまでグローバルに見てみたのである。

 二回の議論でいくつかはっきりしたことがある。以下に紹介してみよう。

 第一、王権を根拠づける思想、コスモロジーが具体的な都市のプランに極めて明快に投影されるケースとそうでないケースがある。東アジア、南アジア、そして東南アジアには、王権の所在地としての都城のプランを規定する思想、書が存在する。しかし、西アジア・イスラム世界には、そうした思想や書はない。

 第二、以上のように、都市の理念型として超越的なモデルが存在し、そのメタファーとして現実の都市形態が考えられる場合と、実践的、機能的な論理が支配的な場合がある。前者の場合も理念型がそのまま実現する場合は少ない。理念型と生きられた都市の重層が興味深い。また、都市構造と理念型との関係は時代とともに変化していく。

 第三、都城の形態を規定する思想や理念は、その文明の中心より、周辺地域において、より理念的、理想的に表現される傾向がつよい。例えば、インドの都城の理念を著す『アルタシャストラ』*1を具体的に示す都市は、アンコールワットやアンコールトムのような東南アジアの都市である。

 都市や住居の象徴的意味の次元と実用的機能的側面は必ずしも切然と区別できない。両方はダイナミックに関わり会う。ある条件のもとで、どちらかの側面が強く表現され優位となる。コスモロジーが集落や住居の具体的形態にどう表れるのかというテーマはそれ故興味深いといえるのである*2

 三月二三日には、三年間の研究の総括集会が東大の東洋文化研究所で開かれた。イスラーム研究がこの二〇年の間にどれだけ広がりをみせたかという、プロジェクトの主宰者であった板垣雄三氏のまとめの後、事務局長の原洋之助氏の経済学から見た研究総括があった。ひとつの焦点は後藤明氏の「イスラーム自由都市論」であった。

 メッカは、自由な個人の自由な結び付きを基礎とする都市であったという「自由都市論」は、三年間の話題であった。つい最近出た『メッカ』(後藤明著 中公新書)に詳しい。

 「イスラームの都市性」に関する研究プロジェクトについては、冒頭に述べたようにさぼりにさぼった。終わりの方で後悔したけれど後の祭りである。しかし、さぼりっぱなし、というわけにはいかない。昨年の一二月一日、二日の総括集会では、建築、都市計画の分野を代表して総括をしなさい、ということになった。ただただ、さぼったことをあやまるしかない。僕は「スラムの都市性」については多少しゃべれるんですけど、「イ」がついて「イスラームの都市性」というとどうも、などといって笑われたのが精一杯であった。その時述べたのは以下のようなことだ。

 第一、イスラーム圏の都市、建築について余りにも僕らは認識を欠いてきた。「東洋建築史図集」をつくるといったレヴェルの作業も行われていないのは遺憾である。

 第二、特に歴史研究者のあまりに禁欲な慎重さにはイライラした。「イスラームの都市性」研究の成果は、ディテールのペーパーの量で計られるより、それぞれのジャンルの枠組みがどれだけ揺らいだかによって計られるべきだ。もちろん、こんなにストレートに言ったわけではない。「わたしは○○世紀の□□が専門ですから他はわかりません」という言い方に随分と嫉妬させられたものである。

 第三、東京論が上滑りして収束する中で、この間の都市論の隆盛に深みと広がりを与えた。イスラーム法によって規定される「イスラーム都市」のあり方は、都市計画のあり方に様々な示唆を与える。

 第四、「イスラム都市」については、最近邦訳の出た、ベシーム・S・ハキームの『イスラム都市 アラブのまちづくりの原理』(佐藤次高監約 第三書館)が興味深い。彼が調査対象としたのはチュニスであるが、イスラム世界の都市の構成原理を解きあかす多くのヒントがそこにはある。イスラーム圏の都市についてこうした原理をさぐる研究がなされるべきである。

 少し、次の研究テーマが見えてきた。

 

*1 カウティリア(Kautilya)『アルタシャーストラ』 『実利論』 上村勝彦訳 岩波文庫 一九八四年 王宮、城砦、城砦都市などについて、その建設方法が記述されている。

*2 拙稿 「コスモスとしての家(2) 都市とコスモロジー」    『群居』26号 1991年5月

 







2022年11月21日月曜日

2022年11月20日日曜日

地球環境時代の建築の行方,雑木林の世界20,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199104

 地球環境時代の建築の行方,雑木林の世界20,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199104

雑木林の世界20 「地球環境時代の建築の行方」

                                   布野修司

 

 建築フォーラム(AF)の最初の仕事として、国際シンポジウム「地球環境時代の建築の行方ーーーポストモダン以後 徹底討論」(二月二六日~二八日 東京銀座ヤマハホール)を無事終えた。実に興味深いシンポジウムであった。プログラムは先号に示した通りである*1

 第一日、司会を務めたのであるが、いきなり度肝を抜かれた。C.アレグザンダーがいささかむつかしい性格であることは承知していたのであるが、いきなり、「私の今日のレクチャーのタイトルは『日本の民主主義の危機』である」ときた。僕の場合、前夜の歓迎パーティーの雰囲気から、多少の予感があったからまだいい方かもしれない。聴衆はびっくりしたに違いない。シーンと静まりかえったままである。振り返ってみるとなかなかのパーフォーパンスであった。C.アレグザンダーは役者である。

 時折しも湾岸戦争に決着がつけられようとしていた。東欧の民主化の問題にしても、世界の枠組みが大きく変わろうとしている。そんな時代に建築はどうあるべきなのか考えようというのがシンポジウムの主旨であり、グローバルな大所高所からの基調講演を期待したのであった。しかし、C.アレグザンダーが、結果としてまず指摘したのは、大所高所の議論より問題の根は足元にこそあるということである。

 アレグザンダーが具体的な例として挙げたのは、名古屋市の白鳥地区の計画である。デザイン博の跡地利用について名古屋市からコンサルティングを委託された彼は、ヘクタール当り二〇〇戸の、しかも全戸に駐車場を確保した低層高密度の住宅地の計画を提案した。しかし、その計画が暗黙の内に葬られようとしている。その理由は何か。そこにこそこれからの環境を巡る問題があるのではないか。深く掘り下げて考えてみる必要があるいうのが講演の骨子なのである。C.アレグザンダーは、マシーンという言葉を使った。得体のしれないマシーンが作動し、多くの支持する計画案が否定されていく。「日本の民主主義の危機」というのは、そうした脈絡におけるタイトルであった。

 単に「低層か高層か」というのではない。また、単なる「コーダン(公団)」批判ではない。C.アレグザンダーのいうマシーンというのは、「コーダン」という官僚組織でもあり、法制度でもあり、高層住宅を理念化する思想でもあり、経済原理でもあり、現実に進行していくものを支える全てである。それに彼が繰り返し強調したのは、白鳥地区だけの問題でも、日本だけの問題でもないということである。

 C.アレグザンダーは、「いささか子供地味ているかもしれない」という。確かに、そんなところがある。難しいことを言っているのではない。普通の人のこころの琴線に触れる環境を創りあげることこそが大切なのだ。もう少し、素直になろう。平たく言えば、C.アレグサンダーの基調講演にはそんな響きがあった。

 では、普通の人の心に触れる環境とは何か、それをつかまえる方法とは何か、議論は自然とそういう方向に向かう。その理論については多くの訳書もあるのだが、C.アレグザンダーの熱っぽい主張の背後には、ある普遍的な価値が置かれているように思える。少なくとも、普遍性へ向かう意志が感じられる。それに対して、多様性を許容する原理とはなにか、地域によって異なる環境のあり方を保証する方法論とは何か、原広司、市川浩の両パネラーを加えた議論はそうした方向へと広がりをみせた。

 二日目、基調講演のM.ハッチンソンは、もしかすると日本ではあまり知られていないかもしれない。若い。僕とほぼ同じ年だ。しかし、英国王立建築家協会(RIBA)の会長である。史上最年少の会長ということであるが、老人支配の日本とはえらい違いである。彼我の違いを感じさせられる。そして、M.ハッチンソンは、かのチャールズ皇太子との論争で知られる。チャールズの近代建築批判に対する反批判の一書をものしてもいる。ちなみに、C.アレグザンダーは、このほどチャールズ皇太子から美術館の仕事を受けた。興味深い対比だ。

 M.ハッチンソンの主張は、誤解を恐れず単純化して言うと、過去の歴史や様式を美化しても始まらない、現在の都市にどう住むかが問題であり、未来へ眼を向けることが重要である、ということだ。彼は、観光バスに乗って撮ったロンドンの観光写真を写しながら、ロンドンはツーリストのための都市か、と問いかける。しかし、過去、現在、未来は果して、そう直線的に捉えられるのか、都市は住む場所なのか、メディアなのか、様式や装飾が問題なのか、生活のシステムが問題なのか、等々をめぐって議論は広がりをみせた。

 三日目、二日間の議論は、どちらかというと抽象的であった、というL.クロールは、具体的な映像を多数のスライドを用いて提示した。L.クロールは、ルーバン大学の学生寮で知られる。その後の展開と最近の仕事の多くに直接触れ得たのは貴重であった。もともとファンであったのであるが、三日の間一緒してその真面目な人柄と建築の魅力にますますひかれたのである。

 L.クロールは、徹底して多様性を許容しようとする。単調さ、繰り返し、標準化、一元化を最も嫌う。個々が自由に表現する、あらゆる場所が表情を異にする、そういう空間やランドスケープを創り出すためにはどうすればいいのか。彼は、コンピューターを積極的に使う。単なる手作り派でも住民参加派でもないのである。

 L.クロールの基調講演に対して、一方でグランド・デザインがいるのではないか、コンポーネントが用意されている必要があるのではないか、といった議論の広がりをみせた。ヨーロッパの場合も必ずしもコンポーネントについて安定した市場が成立しているわけではないということである。印象的だったのは、グランドデザインが必要であるという問いかけに対して、それでは東京にグランドデザインは存在するのかときりかえした場面である。L.クロールは近代都市計画を下水道都市計画と呼ぶ。

 とても三日の議論を要約することはできない*2。また、限られた時間で残された議論も多い。建築フォーラム(AF)としては、さらに様々な形で深めていくことになろう。

 議論だけしてても始まらない。「みんな僕の話に拍手はしてくれる。しかし、現実は動かない。何故か。」とC.アレグザンダーはいう。確かにそうだ。しかし、議論をやめるわけにはいかない。問題は、議論によって真実の問題を覆いかくしてしまうことだ。忙しすぎて余りにも議論がなくなった。少しでも議論の場所を確保しよう。先号で触れたように、それが建築フォーラム(AF)出発の初心である。

 

*1

 第一日 「環境のグランドデザイン」

     基調講演 C.アレグザンダー

     パネラー 原広司 市川浩   司会 布野修司

 第二日 「都市のグランドデザイン」       

     基調講演 M.ハッチンソン

     パネラー 木島安史 伊藤俊治 司会 山本理顕

 第三日 「住居のグランドデザイン」

     基調講演 L.クロール

     パネラー 大野勝彦 小松和彦 司会 安藤正雄

 *2 シンポジウムは、『建築文化』誌(6月、7月、8月)に掲載予定である。また、年刊『建築思潮』で取り上げることになろう。