このブログを検索

2025年7月23日水曜日

書籍紹介 黒沢隆『個室の計画学』鹿島出版会 2016年3月15日、『建築討論』009号:2016年秋(7月ー9月)

 書籍紹介 黒沢隆『個室の計画学』鹿島出版会 2016315日/建築討論』009号:2016年秋(79月)

『建築討論』009号  ◎書評 布野修司 書評009号(2016年秋号(7-9月)) 

── By 布野修司 | 2016/07/20 | 書評, 009号:2016年秋号(7-9月)

黒沢隆『個室の計画学』鹿島出版会、2016315

著者は、黒沢隆というけれど、厳密に言うと、そうではない。黒沢隆のアンソロジーでもない。決して少なくない著作のある黒沢隆の建築論のエッセンスを、黒沢隆の薫陶を受け、直接声咳に接し、教えを受けたひとたちによる黒沢隆研究会編・黒沢隆論考選集というのが本書である。

少子高齢化がますます進行し、介護、認知症、子育てなどの諸問題が日本社会の構造的問題としてクローズアップされる中で、改めて、個人と家族のあり方、地域のあり方、そして都市のあり方を問い直す上で、本書出版の意義は大きい。先日(2016319日)には、2014年に亡くなった黒沢隆の一周忌と本書の刊行記念をかねたシンポジウム(「個室群住居の現在 われわれの居場所を今、あらためて問う」:植田実、山本理顕、西沢太良、山本理奈、田所辰之助)が本会関東支部主催で開かれ、議論が展開されたところである。

黒沢隆と言えば、「個室群住居」論である。

「個室群住居」論が最初に提出されたのは、『都市住宅』創刊号(19685月号)である。本書の帯(キャッチフレーズ)は、「2DKの幻想を打ち破る建築論」という。2DK、すなわち、日本の「近代住宅」のモデルである。逸早い「近代住宅」批判、2DK批判であったといっていい。

DK批判、すなわちそれを組み立てた日本の建築計画学批判である。では、「個室群住居」は、2DKをいかなる意味で超えたのか、それは2DKを超える住居型の提示なのか、また、「個室群住居」の設計手法は近代計画学をどのように超えたのか、ということが問題になる。建築計画学は、2DKを産み出した後、規模(面積)拡大の論理展開として、食寝分離、隔離就寝(就寝分離)、そして公私室分離すなわち個室の独立を主張していく、そして完成するのがnLDK(モデル)である。「個室群住居」は、このnLDKとどう違うのか。

山本理顕は、前述のシンポジウムで、黒沢隆の「個室群住居」論に大いに刺激を受けたという。建築家として、個人、家族、地域と住居の関係を最も先鋭につきつめてきた山本理顕のnLDK批判の問題が「個室群住居」論の提起に直接接続することは言うまでもない。中核にあるのは、近代家族モデル(nLDK家族モデル)と住居の空間モデル(nLDK)との関係であり、その定型化、標準化、均質化の問題である。そして、そこで問われているのは社会の基礎単位である家族のあり方である。

 本書は、冒頭に「専用住宅から併用住宅へー「個室群住居」論、半世紀後の検証」という未発表論文から以下のような一節を引いている。

「・・・社会単位だった「家族」は解体の淵にあり、その単位は「個人」に移ろうとしている。この時、失われたコミュニティ(地域社会)は再結成の機会を得て、拡大する老人層を核にして次世代を育んでゆくだろう。その時、新しい「併用住宅」の姿があろう。しかし、それは「家族単位」の住まいであるというより、「個人」単位の住まいであろう。さて、その時の都市とは-」。

本書を媒介として議論すべきは以上のような方向性である。

全体は、大きく4章に分けられ、「個室群住居」論、「生活技術文化」論、「近代住居」論、「普通の住居」論に関わる論考がそれぞれ選定されている。多くの議論の材料が本書にはある。第三章「日常へ。-2DKの意味、近代住居の内的構造」など、日本の近代(戦後)住居史の趣もある。

「個室群住居」には多くの可能性がある。シンポジウムでは、住居社会学の立場から山本理奈がその可能性について提起していた。しかし、フロアから元倉真琴さんから「個室群住居は既に(ワンルームマンションとして)蔓延しているではないか」という鋭い提起があった。異議なしである。家族論に所有論をリンクさせる必要がある。S.F.










2025年7月22日火曜日

渡辺豊和『縄文スーパーグラフィック文明』ヒカルランド、2016年5月31日、『建築討論』009号 書評 布野修司 建築討論』009号(2016年秋号(7月-9月))

 『建築討論』009号  ◎書評 布野修司 書評009号(2016年秋号(7-9月))

 

── By 布野修司 | 2016/07/20 | 書評, 009号:2016年秋号(7-9月)

http://touron.aij.or.jp/2016/08/2375 

渡辺豊和『縄文スーパーグラフィック文明』ヒカルランド2016531



著者は、1938年生まれだから、今年78歳、建築設計活動を停止してから既に久しいが、その文筆活動は益々旺盛である。

本書は、『縄文夢通信』(徳間書店、1986年)の再考を謳う。『縄文夢通信』の骨子は、日本列島の全土は冬至、夏至、秋分、春分の日の出と日没の太陽光が走る「太陽の道」である一辺ほぼ50km弱の菱形のグリッドで覆われており、その交点には巨石構築物が建てられていて、光を反射して瞬時に伝える通信網となっていた、というものであったが、基底には、「縄文的なるものVS弥生的なるもの」という日本の伝統文化をめぐる対立図式があり、西欧の合理思想に裏打ちされた「迷妄の弥生」「より進歩した高度な弥生」という図式を転倒しようというのが一貫する主題である。著者自身の言葉に拠れば、「縄文の<夢通信>とは、この宇宙に偏在する自然=神と出会う手法だった」のである。

 全体は、序章と終章合わせて全9章からなる。冒頭(序章、第一~三章)に触れられるのが、奈良県山辺郡山添村の神野山の巨石群である。この巨石群の配置が天球図を示している、という。その存在も主張も聞いたことがない。著者は2004年に「イワクラ学会」を設立、その会長として、日本列島の磐座、巨石文化の調査を続けてきているが、この「神野山天球図」の発見は、「イワクラ学会」の成果である。  

あるいは、荒唐無稽あるいは誇大妄想的な説と思われるかもしれない。しかし、精神世界を重視する「超古代史」好きのニューエイジャーの疑似科学というわけにはいかない。宇宙の動き、天文に従って、国土をデザインすることは、古今東西、むしろ普遍的にみられるからである。「スーパーグラフィック」というのは、国土の幾何学、地球の幾何学のことである。それに単に布置のみが問題とされているわけではない。記紀や伝承の解読が合わせて行われる(第二章)。興味深いのは、著者がこれまで触れて来なかった出雲神話に触れていることである(第三章)。

そして、本書で新たに取り上げられているのは、紀元2世紀以前に成立したとされる、洛陽を中心とする地理書である『山海経』であり(第四章、第五章)、最澄と苛烈な論争を行った徳一である(第六章、第七章)。その想像力のめくるめくような飛翔には正直ついていけないところが少なくないが、常識的な思考のフレームは大いに揺さぶられる。

縄文日本の精神(スピリット)なるものへの期待はひしひしと伝わってくる。

 

著者:渡辺豊和:1938年、秋田県角館町(現・仙北市)生まれ。福井大学建築学科卒、工学博士(東京大学)。RIA建築総合研究所勤務を経て、1970年、渡辺豊和アトリエ主宰(1972年、渡辺豊和建築工房に改称)。1977年、「建築美」を創刊。1980年、京都芸術短期大学客員教授、1981年、同短期大学教授。1991年、京都造形芸術大学教授、2007年、退任。作品に「秋田市体育館」「対馬豊玉町文化館」「竜神村体育館」など。著作に『ヤマタイ国は阿蘇にあった』『縄文夢通信』『日本古代のフリーメーソン』など多数。

 






 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年7月21日月曜日

日本建築学会編:『住まいの百科事典』丸善出版,2021年4月

日本建築学会編:『住まいの百科事典』丸善出版,20214

吉武泰水(1916年大分県生れ~2003年)

 

 西山夘三(19111994)とともに建築計画学の設立者として知られる。西山夘三研究室がいわゆる「住み方調査」をもとに住宅の型計画を展開したのに対し、吉武泰水研究室は、住宅計画の方法を学校、図書館、病院など公共施設に拡大、「使われ方調査」をもとに公共施設計画を展開した。住宅計画については、吉武泰水スクールでは鈴木成文19272010)が担当することになるが、戦後日本のプロトタイプとなる「51C」の設計は、吉武泰水の主導によって行われた。

 51Cすなわち公営住宅の標準設計1951C型の設計過程については鈴木成文『五一C白書 私の建築計画学戦後史』(住まいの図書館出版局、2006年)が詳しい。設計は、「国庫補助住宅設計構造審議会」によって1950年の秋に行われれ、実質作業したのは吉武・鈴木・郭茂林の3人である。「51C」は、やがて日本住宅公団1955年設立)の標準設計2DK型として採用され、日本全国で建設されることになった。DK型住戸は戦後最も多く建設された住戸型である。

 吉武泰水は、大蔵省営繕管財局を経て、東京帝国大学助教授に就任(1942年)、戦時体制下において様々な研究に従事するが、戦後目指したのは、建築の設計計画の科学化である。すなわち、建築構造学などのようなエンジニア系の分野に対する建築計画学の創設である。まず手掛けたのは、トイレの便器の数やエレベーターの台数などを数学モデルによって決定する規模算定論である。それを中心とする『建物の使われ方に関する建築計画的研究』よって学位を取得するが(1956年)、設計計画の理論と方法論の展開の基本に置かれたのは平面計画論である。すなわち、建築を身体に例えて、骨組は構造学、循環器は設備工学が担当するとすれば、平面図の白地の部分(空間)を担当するとする。

 吉武計画学研究は、やがて施設=制度前提の縦割り研究であり、標準設計論である、と批判されることになる。しかしもとより、設計計画の理論化の射程はその段階にとどまるわけではない。『建築計画学への試み』(1987)にまとめられるがあくまで「試み」である。その研究の全体は『建築設計計画研究拾遺』Ⅰ、Ⅱ(2004)にまとめられている。筆者は、吉武泰水が57歳で筑波大学副学長に転出する直前吉武研究室に所属したが、研究室の中心テーマは環境心理学であり、精神分析学である。その成果は、『夢の場所・夢の建築』(1997)に求められている。吉武泰水が最終的に目指したのは芸術工学の確立である。筑波大学の後、九州芸術工科大学学長(197888年)、神戸芸術工科大学学長(198998年)を務めた。

 住宅計画学の展開については、吉武泰水を引継いで神戸芸術工科大学第二代学長となった鈴木成文のその後の展開にうかがうことができる。『五一C白書』には、「順応型住宅」の展開、住宅と街を結ぶ領域論の展開などがまとめられている。

 

2025年7月20日日曜日

建築と俳句の狭間 Between Architecture and Haiku 『俳句旅愁―建築と俳句のはざまで』私家本、2016年10月1日 『レントより遅く 無文篇』私家本、2015年8月1日

 『建築討論』010号  ◎書評 布野修司 

── By 布野修司 | 2016/11/12 | 書評, 010号:2016号(10-12月)

 

 

建築と俳句の狭間

Between Architecture and Haiku

『俳句旅愁―建築と俳句のはざまで』私家本、2016101

『レントより遅く 無文篇』私家本、201581

 

建築家は、しばしば、詩人でもある。建築家が、数学や物理学に明るいのは、建築技術を理解する上で必要であり、絵画や彫刻など芸術表現に造詣が深いのも、建築をまとめる上である種の空間(造形)感覚が必要とされるからであるが、言葉による表現もまた建築家にとって極めて親しい。建築のデザインは集団的な作業であり、そのプロセスにはコミュニケーションの手段としての言葉が不可欠であるということもあるが、経済や社会や技術によって規定される「建築」の枠内に収まらない、より豊かな世界を表現しようとして、詩的言語が必要とされるのである。立原道造(1914-1939)は詩人で建築家。建築家で詩人でしかも映画評論家である渡辺武信(1938~)もいる。こんな脈略で引き合いに出すと怒られるけれど、建築都市の数理解析の第一人者であるY.A.先生から詩集を贈られたことがある。

建築家と俳句となるとどうだろう。建築家仲間の連歌の会に加わったことがあるけれど、句会に通う建築家も少なくないと思う。宮崎を拠点にする岩切平もその一人である。昨年に続いて、2冊目の句集を送って頂いた。

句集は、句と2頁ほどの文章(エッセイ)からなる。俳句については、全て書き写すしか能がないが、文章については理解できる。しかも、『俳句旅愁』は「建築と俳句のはざまで」をサブタイトルとするように、建築がテーマとされている。

全体は14章からなるが、元になっているのは、20年前に『西日本新聞』に14回にわたって連載した文章だという。句を読んで、その背景なり、その意味について解説するのではなく、かつて書いた文章に句をつけるという形式である。実に面白い試みである。各章3句ずつ、計42句が読まれている。すなわち、各章は3部構成で、三番目は書き下しの文章である。20年の時間をおいて、文章を再考するという構成である。

連載時のタイトルは「共生空間を求めてーアジア建築の旅」である。各回、写真が添えられていたのであるが、イメージを広げるために写真を外して俳句を添えることにしたのである。

1章は「特定の地域」と題される。冒頭の句は「初茜いづくにも山の祭壇」である。中国の雲南シーサンパンナ、ネパールのキルティプルを訪ねた時の光景である。棚田の光景が目に浮かぶ。二句目は「この星は私の墓場初あかね」。特定の地域とはヴァナキュラーな意である。「ヴァナキュラーなものと私たちが手にする住宅とでは、実は生成のプロセスが違っているということなのだ。気候を読み取り、地形を読み取り、その土地の持っているさまざまな特徴を熟知した作り手と、同様の力量を備えた住み手がいて生み出されるものと、そうでないものの違い。…近代建築理論のまだ届かぬアジアの集落の美しさは、実はその建築の持つ全体性にあったのだ。人々の家を建てる意志が、まだ背後の森や、田畑、そして共存する動物たち、そして多分生きることへの祈りなどと一体化しているうちは、家々のたたずまいが美しいと言えるのだろう」。第1章は、まえがきというか総論である。最後の句は「俳書まとめて虚空ながめて初灯」である。

以下、全て紹介するわけにいかないから、タイトルだけ挙げれば、2 近代技術、3 竹の家、4 風鈴の寺、5風の家、6 織物の調べ、7 大地のぬくもり、8 水の誘い、9 動物たちの住まい、10 祈り、11 民族衣装、12 トイレ、13 デザイン、14 虹である。音、熱、水、生き物、・・地域の風土とともにある建築(住居)のあり方が綴られている。

同世代で、同じようにアジアを歩き回っていて、福岡で開催された日本文化デザイン会議の時に、岩切さんと出会った。その後、宮崎の「竹の会」の何周年かの時に呼ばれていったこともある。その文章には大いに共感するし、故郷宮崎に腰を据えたその仕事と活動に深い尊敬の念を抱いている。

 『俳句旅愁』の表表紙になっているのは、「平和台プロジェクト」と呼ばれ、宮崎市を見下ろす平和台に音楽ホールなどを配した講演をつくろうという提案である。実は、そこには「八紘一宇の塔」(裏表紙)が建っている。紀元2600年(昭和15年、1940年)の奉祝行事の舞台として建設されたものだ。

「…この塔が純粋な造型として、その当時の精神性を象徴するものであったかどうかも疑わしい。筆者の調査によると、この塔の内部には四方八方に銃眼が仕組まれており、外部には縦に細長いスリットがその存在を明らかにしている。これらの銃眼が施工された目的は何だったんだろう。県の資料センターにもこのことに関するデータはなく、謎といえば言える。憶測だが、太平洋戦争に突入する以前に、最後の砦としての用途が目されていたのだろうか。いずれにしても、この塔は歴史の証人として、その建立の本意は周知されるべきであり、今後も残し続けなければならないものだ。

 であるならば、その塔の前に平和のシンボルとして何らかの用途を持つものがあるべきだ、というのがこのプロジェクトの狙いだった。・・・」という。

 

 

 

 

著者

岩切平 いわきり・たいら

●建築家 建築家。1948年 宮崎市に生まれる。1971年 名古屋工業大学建築学科卒業。1977年 福岡市に岩切平建築研究室を設立。1995年 宮崎市に建築家を中心にした竹の会を結成。2006年 宮崎市に建築図書館を開設。

 〒889-4414 宮崎県西諸県郡高原町湯之元72811

 

2025年7月19日土曜日

コミュニティ・アーキテクト、アーキテクト・ビルダー、そして地域建築工房の行方? Whereabouts?: Communiti Architect, Architect Builder, Architectural Studio in the Region 五十嵐太郎編『地方で建築を仕事にする 日常に目を開き、耳を澄ます人たち』学芸出版社、2016年9月5日

 『建築討論』011号  ◎書評 布野修司 

── By 布野修司 書評, 11号:2017号(1-3月)

 

Book Review

コミュニティ・アーキテクト、アーキテクト・ビルダー、そして地域建築工房の行方?

Whereabouts?: Communiti Architect, Architect Builder, Architectural Studio in the Region

五十嵐太郎編『地方で建築を仕事にする 日常に目を開き、耳を澄ます人たち』学芸出版社、201695

 

編者である五十嵐太郎が冒頭の短い「まえがき」に書いているけれど、「メディアはほとんど東京一極集中である」。五十嵐は、東京で建築を学んだけれど、名古屋で3年、仙台で11年教鞭をとることで「日本地図の見え方が大きく変わった」、「3.11の後、東京の建築家の支援プロジェクトはメディアで華々しく紹介されるのに、地元だからこそできる現地の建築家の粘り強く、手厚い行動がほとんどとりあげられない状況」に疑問を抱いた、という。出雲で18年、東京で22年、京都・滋賀で24年居を構え、アジアを飛び回ってきた僕も、かねがねそう思っている。このITCの時代にと思うけれど、メディアの視点が東京に据えられ、そこから発信されているのだから構造はかわらない。

かく言う『建築討論』も日本建築学会のメディアということで敷居が高い、と思う。双方向のメディアを目指しているけれど、わざわざ投稿して、あれこれ東京(中央)目線で批評されるのはたまったものじゃない。実は、各地に50人ほどのレポーターをお願いしているのだけれど、忙しい時間を使って、レポートをするのは相当エネルギーがかかる。ただ、『建築討論』には、最低限、活動や議論を半永久的に記録するアーカイブ機能がある。本書のような原稿が積み重ねられればいいなあと、初心を確認した次第である。姉妹編である、前田茂樹編著『海外で建築を仕事にする』、福岡孝則編著『海外で建築を仕事にする2』も、本メディアにも欲しい企画である。編集者の視点には大いに共感するところである。

 

 本書には1615組の仕事がそれぞれ自身によって綴られている。ただそれだけである、と言えば、それだけである。編者によって、それぞれの仕事が比較されたり、ランク付けされたり、あるフレームの中に位置づけられたりするわけではない。「互いに切磋琢磨し、知見を蓄積・共有し、向上していくために、批評や評価基準が必要になるだろう。この本がその足掛かりになれば、幸いである。」、「建築の空間体験や周辺の環境は、メディア向けの写真だけではすべて伝わらないし、また建築家のはなしを聞いてみないとわからないことが少なくない」、「日本全国津々浦々に、彼らのような建築家が増えたら未来はそう悪くないかもしれない」というだけである。

 

 

 本書を僕に紹介してくれたのは執筆者の一人である魚谷繁礼である。京都大学布野研究室出身で学生の頃から知っていて、今でもフノーゲルズのメンバーだから、A-Cupで毎年顔を合わせてもいる。守山市立図書館(隈研吾設計)の建設委員会の機会に京都五条の事務所を訪問、「ところでどんな仕事をしているの」と聞いたら、いささかムッとした顔で「これ読んでください」と差し出されたのが本書であった。タイトルが「特殊解ではない、社会的な提案を孕む建築」とやけに力みかえっている。いかにも布野研らしいと苦笑いしたが、13年の真摯な京都での取り組みがよくわかる。京都を拠点とする布野研出身の建築家としては、魚谷繁礼のパートナーである正岡みわ子の他、森田一弥、岩崎泰、山本麻子(アルファヴィル、竹口健太郎と共同主催)などもいる。

京都コミュニティ・デザイン・リーグ(CDL)、近江環人コミュニティ・アーキテクトなどで、地域を拠点とする建築家のあり方を考えてきたから、また、若い人の仕事を知りたいと思っているから、本書は願ったり叶ったりであった。引き込まれるように読んだ。面識があったのは、魚谷の他、最年長の芳賀沼整、最年少の辻琢磨、合わせて3人であった。

それぞれの仕事については、是非、本書を手に取ってもらいたい。それぞれに魅力的で可能性に満ちた仕事ぶりである。

ひとつ感じるのは、学んだ研究室(指導教官)、修行を積んだ場所のもつ力が大きい、ということである。もちろん、建築という制度的な枠組みを前提とした話ではない。「建築学」や「建築学科」がすぐれた建築家を育てるわけではない。結局は「建築家」になりたいという本人の意志が重要だということであるが、それを受け止める人、そして場所、環境が大きいということである。片岡八重子の場合、短大を卒業して不動産建設会社に就職し、大学の夜間に編入学、卒業して一級建築士の資格を取り、生まれ故郷とは別の地域に腰を据えて活動する。ものすごいエネルギーだと思う。

 

佐藤欣裕も、野球部で練習に明け暮れ「建築のまとまった建築の勉強をしていない」。祖父が大工で、父が工務店をしていたという環境が大きいというべきか。佐々木徳貢著『バウビオロギー 新しいエコロジー建築の流れ』という一冊の本が方向を導いたというのもドラマチックである。島津臣志もサッカーに明け暮れていたというが、現場で育ったといえるだろうか。徳島唯一の2500人の村を拠点とするのも、僕らに勇気がもらえる。将来の展開が楽しみである。兵庫生まれで、彼について沖縄にわたった蒲池史子は未だ修行中といえるだろうか。しかし、西山夘三とか清家清とかいう名前が出てくるのはタダモノではない。水野太史の場合、建築学科に入学したけれど、休学していきなり設計を始めたのだから、ほとんど独学といってもいい。その力技には感心する。蟻塚学にしても、専らアトリエ事務所のオープンデスクで育ったと言えるのではないか。東京で建物を100個設計するより、青森で100個設計する方が意義は大きい、というのもその通りである。

「建築」の雰囲気のなかで育つという意味では、水谷元もそうである。父は水谷穎介。本書で知って感慨深かった。僕は1991に京都大学に赴任したのであるが、その晩年、渡辺豊和さんと一緒に何度か大阪で酒席をともにしたことがある。大学の建築学科は中退したというが、息子が建築家となり、水谷スクールがそれを見守るというのはいい構図である。能古島を拠点にするのもそれらしい。島といい、村といい、離島寒村での「建築家」のあり方に、原初の「建築家」を見たいと思う。

父親が温泉を掘り当てたという岡昇平も、土木学科を卒業した上で建築を目指した変わり種と言えば変わり種である。まちぐるみ旅館にしよう、という発想が面白い。それに生まれ故郷で「にやにやしながら暮らす」というのがいい。

辻琢磨は「僕が浜松から学んだこと」というが、地域に学ぶ、現場に学ぶ、そして育つというのが共通であろうか。

 

もうひとつ思うのは、おそらく編集の視点がそうだからだと思うけれど、女性と地域社会との関係、夫婦ペアの協力関係が鍵になっているということである。片岡八重子がまさにそうであるが、東京のスター建築家の事務所から札幌に転じた丸田絢子の場合、「気鋭の若手として、メディアでも取り上げられる存在だったのに」、友達一人いないところから出発せざるを得なかった、地域との関係が深まっていくその過程がたくましい。「型」を学んで「型」を破るという、あらたな方向も見定められつつある。齊田武亨・本瀬あゆみのコンビは2拠点をうたう「カッコいい」スタイルである。しかも、女性が東京にいて男性が地方にいるパターンである。岩月美穂は共に学びともにスターアーキテクトのアトリエでともに働いたパートナー栗原健太郎と共同事務所を経営するが、拠点とするのは岩月の生まれ育った町である。芳賀沼整の「はりゅうウッドスタジオ」で修行したという藤野高志は地元の高崎に帰って独立したけれど、ぽっかり仕事がなくなって離婚もしたという。

要するに、家族のあり方、地域との関係のあり方が「建築家」としての生き方として問われるのであり、それをそれぞれに語るのが本書である。

書き起こす時、何をしているか、から始まって、一枚の風景写真が差しはさまれる、編集のゆるやかな共通フォーマットが統一感を与えている。

 

 

 

2025年7月18日金曜日

この国はいったいどこへ行くのか? Quo Vadis This Nation State of Japan? 木村草太編 山本理顕・大澤真幸共著『いま<日本>を考えるということ』河出書房新社、2016年6月30日

 『建築討論』009号  ◎書評 布野修司 

── By 布野修司 | 2016/10/12 | 書評, 010号:2016号(10-12月)

 

この国はいったいどこへ行くのか?

Quo Vadis This Nation State of Japan?

木村草太編 山本理顕・大澤真幸共著『いま<日本>を考えるということ』河出書房新社、2016630

Sohta Kimuraed.,+Riken Yamamoto+Masachi Ohsawa (2006)“What we think over Nation State of ‘Japan’ at present?”, Kawade Shobou Shinsha 

 

  安保法制をめぐって鋭い発言を続ける気鋭の憲法学者木村草太、理論社会学の先鋭として発言を続ける社会学者大澤真幸、そして、制度と空間をめぐって考察を深化させ続ける建築家山本理顕の3人の共著である。それぞれの視点から日本の現在そして未来を問い、議論を戦わせる。議論の平面は大きく共有され、議論が確実にクロスしているのは力強い。

仕掛け人は、編者となった木村草太である。まず、3人がそれぞれの問題意識に基づいたトピックスを報告し、議論するシンポジウムを行い、その後、そこで受け止めたことをそれぞれが執筆するかたちが採られている。すなわち、本書は、Ⅰ シンポジウム(鼎談「<日本>をどう見るか、これからどう生きるか」)、Ⅱ 論考の2部からなる。

 木村草太と山本理顕の出会いは、邑楽町の設計競技をめぐる建築家集団訴訟に遡る。この邑楽町の設計競技をめぐっては、建築計画委員会(布野修司委員長)でシンポジウムを開催したことがある(日本建築学会建築計画委員会,「公共事業と設計者選定のあり方-邑楽町役場庁舎等設計者選定住民参加型設計提案協議を中心として-」,五十嵐敬喜,清水勉,パネリスト:石田敏明,小嶋一浩,藤本壮介,ヨコミゾマコト,山本理顕,於:日本建築学会建築会館大ホ-ル,2007316日(「裁判は建築家の職能を守る最後の砦?」,建築ジャ-ナルNo.112120075月))。この時、若き憲法学者として参加したのが木村草太である。この邑楽町建築家集団訴訟については、本書の補論「公共建築における創造と正統性」(初出 首都大学東京法学会雑誌482号、2007年)にまとめられている。また、日本建築学会は、建築学会復旧復興支援部会(布野修司部会長)のシンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」(2012323日)に木村草太(司会)、山本理顕を招いて議論したことがある。石川健治、駒村圭吾といった錚々たる憲法学者にも参加していただいた山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「第四部 復興と再生 復興の原理としての法、そして建築」別冊法学セミナー 3.11で考える日本社会と国家の現在 駒村圭吾・中島徹編181-224頁、2012年9月、山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「シンポジウム 復興の原理としての法、そして建築Part2」法学セミナー6914251頁、20127月、山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「シンポジウム 復興の原理としての法、そして建築Part1」法学セミナー6902739頁、20126)。

 一方、大澤真幸については、木村草太は、学生の頃からその精緻な人間分析、社会分析に学んできたという。大澤真幸の『不可能性の時代』(岩波新書、2008年)に山本理顕の住居についての言及があり、山本理顕もまた大澤社会学についての関心を持っていることを木村草太が知っていたことが本書成立の背景にある。

 「Ⅰ シンポジウム」では、まず、山本理顕によって(「住宅の起源から考える」)、前著『権力の空間/空間の権力 個人と国家の<あいだ>を設計せよ』講談社(2015年)のエッセンスが語られる。ハンナ・アレントの「ノーマンズ・ランド」が一つの焦点である。ギリシアのポリスに遡って、男女の空間、公私の空間、オイコスとポリス、市民と奴隷、自由と管理をめぐる基本的な問いが整理された上で、「1住宅=1家族」という「近代住宅」批判が展開される。この山本理顕の住宅論の展開は既にわれわれには親しいといっていいだろう。

 木村草太は、「神は細部に宿る」という建築家(ミース)が好むクリシェを枕に、細部に普遍的原理を探し出すことの重要性を問う(「憲法は細部に宿る」)。パリ同時多発テロの報道をめぐって、大澤の、殺戮が日常である戦場とテロが究極の非日常を対比する分析を引きながら、細部にとらわれて物事が見えなくなった事例だという。また、夫婦別姓違憲訴訟の最高裁判決の細部のロジックの隘路を指摘する。さらに、安倍政権における「緊急事態」がヘゲモニー的記号と化し、命令権の首相への集中へ向かう議論を「細部を伴わない神」の議論とする。

 大澤真幸は、ハンナ・アレントの最初の夫であったギュンター・アンデルスが捜索した寓話「無効だった「ノアの警告」」を冒頭にあげて、いくら警告されても耳を傾けようとしない日本人について、現代日本は既に洪水後を生きているのだ!という(「現実をどう乗り越えるか」)。洪水後とは、すなわち、広島、長崎への原爆投下後であり、3.11の「フクシマ」後である。そして、戦後日本を振り返った上で、フランスのテロと日本の集団的自衛権をめぐって、また、「サヨクの限界」をめぐって議論の空転を指摘する。サヨクの批判にも関わらず安倍政権の支持率が下がらないのは何故か。規範/反規範をめぐって、大澤社会学の現代社会分析が展開される。もちろん、批判しっぱなしということではない、現代社会の未来を展望する「スモール・ワールド」理論が紹介される(『不可能性の時代))。「スモール・ワールド」理論とは、無関係の2人の間を知人で埋めようとすれば実際には平均6人程度(6次の隔たり)で結びつくという理論である。

 大澤真幸(『不可能性の時代』)は、日本の戦後史を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」にわけて振り返るが、「不可能性の時代」の現在、政治思想は、多元文化主義(「物語る権利」)と原理主義(「真理への執着」)に引き裂かれている(「Ⅵ 政治的思想空間の現在」)。この2極の分離対立は、実は依存関係にあり同一の地平で通底しているのだが、その地平を成立させる超越的な一者(「第三者の審級」、神、絶対的規範…)は、それを無化する巨大な力学(資本主義、グローバリズム)によって隠蔽されている。この対立葛藤する2者(普遍主義と特殊主義、ナショナリズムとインターナショナリズム、伝統主義と進歩主義、保守主義と自由主義・・・)を俎上に上げ、その両者の隠蔽された不即不離の関係を暴くという論理展開は大澤社会学に一貫するのだが、日本の政治思想におけるこの葛藤をどう克服するか、についてひとつの手掛かりに持ち出されているのが、ダンカン・ワッツおよびスティーブン・ストロガッツの「スモール・ワールド」理論である。すなわち、多文化主義のコミュニタリアリズムと個人の自由に局限化したリバタリアニズムの対立を克服する可能性が、このネットワーク理論にあると示唆する。

 討論は、まず、パブリックと個人をどう結びつけるか、個人と家族の関係をめぐって展開される。個別に差異を持って生まれたきた個人がどう家族を形成し、集団を形成し、都市を形成するかをめぐって、「1住宅1家族」という近代システムを批判しながら「地域社会圏」を構想する山本理顕のヴェクトルが、社会システムそのものの原理を掘り下げる大澤真幸の理論が重なり合うのは当然である。

 大澤真幸が指摘するのは、ギリシアのポリスにおいて、オイコス(家)の問題はポリス(政治)から排除されていたことである。そして、現代社会においては、オイコスの問題、生命過程の問題が政治の問題になっていることである。この点をめぐっては、M.フーコーの「生政治biopolitique」「生権力biopouvoir」の概念をもとにした現代社会論『生権力の思想―事件から読み解く現代社会の転換』(ちくま新書、2013年)で展開されている。

 そして、討論の後半で議論が集中するのは、「アイロニカルな没入」である。大澤現代社会論のキーワードと言っていい「アイロニカルな没入」という概念は、具体的に語られている例を挙げれば、隣人同士が無関心な空間が望ましいとは思っていないのに、選択肢がないために閉じた空間の設計が横行すること、心底から祖国を愛するわけではないけれど、愛する証明として外国人を排除すること(ヘイトスピーチ)、サヨクやリベラルが嫌いだから、彼らが相対化しようとする民族や国家を絶対化してみせるといったことをいう。

 論考は、「19332016」(山本理顕)、「日本人の空威張り」(大澤真幸)、「地域社会圏と未来の他者」(木村草太)と題される。山本理顕は、ヒトラーが政権をとった1933年を起点としてさらに自説「地域社会圏」を展開する。大澤真幸は、日本人の「自信回復」を示す調査データを引き合いに戦後史をさらに振り返っている。

 総括は、木村草太に委ねよう。山本理顕と大澤真幸の思想的営為、理論的施策の同相性が見事に分析されている。そして、結論として、目指すべき社会のありかたについての大きな指針が示されている。

 

編者

木村草太 1980年、横浜生まれ。憲法学、公法学。2003年、東京大学法学部卒。助手。2006年、首都大学東京大学院社会科学研究科法学政治学専攻・都市教養学部法学系准教授、2016年、教授。『平等なき平等条項論――憲法141項とequal protection条項』、『憲法の急所――権利論を組み立てる』、『キヨミズ准教授の法学入門』、『憲法の創造力』『テレビが伝えない憲法の話』、『司法試験論文過去問LIVE解説講義本――木村草太憲法』など。

 

共著者

大澤真幸 1958年、松本市生まれ。数理社会学、理論社会学。社会学博士(東京大学、1990年)。東京大学文学部社会学科卒業。1987年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部助手、千葉大学文学部講師・助教授を経て、1998京都大学人間・環境学研究科助教授、2007年、同研究科教授、2009年辞職。2010年より思想誌「THINKINGO」」主宰]。『行為の代数学――スペンサー=ブラウンから社会システム論へ』、『資本主義のパラドックス――楕円幻想』、『意味と他者性』、『電子メディア論――身体のメディア的変容』、『性愛と資本主義』、『恋愛の不可能性について』、『戦後の思想空間』、『帝国的ナショナリズム――日本とアメリカの変容』、『ナショナリズムの由来』、『不可能性の時代』、『夢よりも深い覚醒へ――311後の哲学』(、『生権力の思想――事件から読み解く現代社会の転換』、『自由という牢獄――責任・公共性・資本主義』、『社会システムの生成』など

 

山本理顕 1945年北京生まれ。建築家。1967年、日本大学理工学部建築学科卒業、1971年、東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修了、東京大学生産技術研究所原広司研究室、1973年、山本理顕設計工場設立、200011年、横浜国立大学大学院Y-GSA教授、2011年客員教授、日本大学大学院特任教授。作品に、山川山荘、GAZEBOROTUNDAHAMLET、熊本県営保田窪第一団地、公立はこだて未来大学、東雲キャナルコートCODAN1街区、北京建外SOHO、横須賀美術館、福生市庁舎、天津図書館など。著書に、『住居論』『新編住居論』『建築の可能性、山本理顕的想像力』『地域社会圏モデル』『地域社会圏主義』『RIKEN YAMAMOTO』『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...