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2023年6月23日金曜日

東京論批判の東京論、書評、鈴木博之『東京の地霊』、文化会議、199009

東京論批判の東京論、書評、鈴木博之『東京の地霊』、文化会議、199009

東京論批判の東京論

東京論ブームの去った後で   残されたもの

鈴木博之『東京の地霊』をめぐって                                          布野修司 

 

 『乱歩と東京』の松山巌、『東京の空間人類学』の陣内秀信、『建築探偵の冒険 東京編』の藤森照信を、僕(の周辺で)は秘かに「東京論の三人」と呼んでいた。この間の東京論ブームのなかで読まれた本は多いし、論者も多い。しかし、建築の分野でいうと、東京論は三人が代表である。それに東京論ブームに火をつけたのは建築の分野ではなかったかという気もある。少し先行して川添登の『東京の原風景』があるけれど、八〇年代半ばに相次いで出され、世代も近いことから、なんとなく東京論というと三人がすぐ思い浮かぶのである。しかし、そこにもう一人、もう一冊加わった。『東京の地霊』の鈴木博之である。

 東京論ブームは既に去ったと僕は思う。僕のみるところ、東京論はおよそ三つに分類された(  )。すなわち、レトロスペクティブな東京論、ポストモダンの東京論、そして、東京改造論の三つである。路上観察の東京論、俯瞰する東京論、というような視線の置き方によって分けたり、レヴェルや次元を様々に区別する必要もあろうが、およそ以上の三つで全体の傾向は把握できる。そして、実は、三つは同じ根をもち、東京改造論という大きな流れに収れんしていった。東京論ブームが去ったというのは、そうした脈絡においてである。

 レトロスペクティブな都市論においては、ひたすら、過去の東京が堀り起こされる。東京の過去とは、江戸であり、一九二〇年代である。また、微細な地形であり、水辺であり、緑であり、自然である。そうしたものを失ってしまった東京がノスタルジックに回顧されるのである。一方、ポストモダンの都市論は、ひたすら、現在の東京を愛であげる。いま、東京が面白い、世界で最もエキサイティングな都市、東京というわけだ。路上観察に、タウンウオッチングに、パーフォーマンスである。

 この二つの都市論が同根であることを見るにはポストモダンの建築デザインがわかりやすい。都市の表層を覆うのは過去の建築様式の断片である。安易で皮相な歴史主義のデザインだ。近代都市の単調なファサード(モダン・デザイン)を批判すると称して、すなわち、ポストモダンを標榜して、様式や装飾が実に安易に対置されるのである。レトロな東京論が回顧する過去や自然はいとも容易に掘り起こされて、現在の都市は、そのまがいもので飾りたてられ始めたのである。

 この二つの東京論が結果として覆い隠し、覆い隠すことにおいて支持し、促すのが東京改造の様々な蠢きである。都市の過去や自然、水辺の再発見は、巧妙にウオーターフロント開発や再開発へと直結される。二つの東京論は、結果として、東京改造論の露払いの役割を結果として果たすことになったのである。

 さて、そうした中で、鈴木博之の『東京の地霊』は、どのような位相を提示するのか。レトロな東京論でもなければ、ポストモダンの東京論でもない、まして、東京改造論でもない。東京論ブームが去ったのを見極めた上で書かれただけのことはある。ある意味では、東京論批判の東京論の試みと言えるかもしれない。

 「土地の「運」「不運」を支配するのは何か? 単に地勢だけでは分からない 土地の個性を左右するものーーそれが「ゲニウス・ロキ=地霊」だ。都内  カ所の個性的な土地に潜むゲニウス・ロキを考察した、興趣溢れる新しい「東京物語」」。内容は的確に「帯」にうたわれている。東京の微細な地形、微細な自然を読んでみせたのは陣内秀信なのだけれど、距離が置かれている。もう少し、方法レヴェルで、鈴木の意図を「まえがき」から抜きだせば、以下のようである。

 「どのような土地であれ、土地には固有の可能性が秘められている。その可能性の軌跡が現在の土地の姿をつくり出し、都市をつくり出してゆく。(略)都市の歴史は土地の歴史である。

 本書はその意味で東京という都市の歴史を描いたものである。ところが一般には、都市史研究といわれるものの大半が、じつは都市そのものの歴史ではなく、都市に関する制度の歴史であったり、都市計画やそのヴィジョンの歴史であったりすることに、かねがね私は飽きたらなさを感じていた。都市とは、為政者や権力者たちの構想によって作られたり、有能な専門家たちによる都市計画によって作られたりするだけではない存在なのだ。現実に都市に暮らし、都市の一部分を所有する人たちが、さまざまな可能性を求めて行動する行為の集積として、われわれの都市はつくられてゆくのである」

 要するに、ゲニウス・ロキが土地の歴史を支配している、都市の歴史は、ゲニウス・ロキを読むことによって書かれるべきだ、というのである。港区六本木一丁目の林野町宿舎跡地、千代田区紀尾井町の司法研修所跡地、護国寺、上野、御殿山、三田、新宿御苑、椿山荘、日本橋室町、目黒、東大キャンパス、世田谷区深沢、広尾、読まれているのは、以上の一三ケ所だ。

  東京の鬼門を鎮護するために上野に寛永寺が建てられたというようなよく知られた話もあるが、へぇーという因縁話が多い。東京生まれには、よく知られたエピソードかなとも思うのであるが、出雲生まれの僕には、東京の歴史について学ぶことが多い。護国寺と松平不昧公との関係など、実に興味深かった。まさに、へぇーである。なるほど、土地には土地に固有な物語があるものである。

 しかし、不満もなくはない。幸せな土地、薄幸な土地、売れる土地、売れない土地というのがある。何故だろうと思うと、その奥にひそむのが地霊なのだ、という。はぐらかされたような気がするのだ。ただ、運、不運があるというだけでは、そうか、といって終りである。一方で、地霊は意図的に作り出すこともできるというのだから、その地霊を作り出す秘密に迫ってみたくなるではないか。絶対、売れない土地、必ず不幸になる土地があるとすれば、その理由、その力とはなにかを知りたくなりはしないか。この間一貫して土地の帰趨を支配しているのは、経済原理であり、土地価格上昇のメカニズムである。地霊は消えつつあるのではないか、土地の価格の力が地霊の力を陸駕しつつあるのではないか、そんな状況のなかで、地霊はどうなるのか、いま地霊はどうつくり出されるのか、否応なく考えさせられるのである。『東京の地霊』がつきつけるのはそういうことだ、と僕は思う。

 都市は確かに様々な人々の様々な行為の集積としてつくられる。そして、人々の無限の行為は土地に刻みつけられる。そうした意味で、都市の歴史は土地の歴史である。建物の移り変わりは激しい、建物の歴史だけでは都市の歴史は書けないというフレーズが繰り返されるのであるが、そこには藤森照信の仕事への距離感が表明されているようにも思う。ただ、もうひとつだけ不満を言うとすれば、都市の歴史は必ずしも土地を所有するもののみの歴史ではないのではないか、という点だ。例えば、日本橋室町は、弾左衛門の囲い地のあったところである。その囲い地は、江戸の拡張に従って鳥越へ、そして、新町(今戸)へ移っていく。こうした、追われていくものについて、その物語を綴る視点もいるのではないか。松山巌の仕事には追われていくものへの共感があるように思う。東京大改造の狂騒の裏側で追い立てられつつある人々がある。それ故、余計そう思うのかもしれない。東京論に欠けてきたもののひとつは、東京を愛しきれずに、それでも住み続けざるを得ない人々の眼である。

 

*1 拙稿 「ポストモダン都市・東京」 『早稲田文学』 一九八九年九月号 

 






 

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