難波和彦著 建築的無意識 書評
布野修司
先端技術(ハイテクノロジー)を積極的に用い、表現しようとする建築をハイテック・スタイルの建築という。ポストモダンのデザインと言えば、様式や装飾の復活を唱う歴史主義的なデザインが主流となってきたのであるが、ハイテック・スタイルもその一翼を占めている。しかし、ハイテック・スタイルといっても、それこそスタイルだけ、形態だけがもてはやされてきただけのような気がしないでもない。世にばっこするのは、きらきらと金属パネルを多用しただけの「ハイテック」風・デザインである。
著者は、そうした風潮を批判しながら、建築とテクノロジーの関係を基本的に問おうとする。建築生産の技術、設計計画の技術、生活環境の技術と、いくつかの回路について考察が深められるのであるが、著者の力点は、感性や意識、あるいは身体のありようとテクノロジーの関係に置かれているようにみえる。SF映画と建築をめぐる論考が生き生きしている。
「建築的無意識」というのは、無意識が言語によって構造化されているように、空間やモノによっても構造化されているという前提に基づいた著者の造語である。建築と人間との相互作用のシステムを深層において明らかにし、設計計画の方法論として展開するのが著者のプログラムである。
極くわずかな例外を除いて、建築家の書く文章はわかりにくいとよく言われる。文章の能力はそれぞれのものとして、どうも、専門の枠の内に議論を閉じる癖があるのである。あるいは、建設の仕事に追われて忙しく、あまり考える暇がないのを糊塗するために、ことさら難しく書くという説もある。
そうした建築論が氾濫する中で、本書はいささか趣を異にする。決してわかりやすいというのではないけれど、建築とテクノロジーの関係を真摯に考え抜こうとした本だ。好感がもてる。
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