イスラーム都市の袋小路,ネパールーインド紀行②アーメダバード,日刊建設工業新聞,19961129(布野修司建築論集Ⅰ収録)
②アーメダバード イスラーム都市の袋小路
カトマンズからデリーへ。二年前と同じコンノートの北のホテルにチェックイン。早速、ジャンタル・マンタル(天文台)の周辺を歩く。スクオッターが公園を占拠していて、貧富の差はむしろ拡大している印象をもった。昼は華やかなコンノート・サークルの裏側にも貧困者の居住区がある。インドは数百万のホームレスを抱え、世紀末には四一〇〇万戸の住居が不足するとされる*1。
デリーからアーメダバードへ。何故、アーメダバードか。テーマとしてはイスラーム的な迷路状の都市と都市住居を調べたいということがあったのだが、実は徳島の建築家新居照和さんとの出会いが大きい。徳島の建築家新居さんはここで学び、ドーシのもとで仕事をしたことがあり、インドに行くなら是非アーメダバードに行くべしというのに心を動かされたのである。ドーシはコルビュジェの弟子でインドを代表する近代建築家である。アーメダバードにはコルビュジェの四つの作品があり、ルイ・カーンのIIT(インド経営学院)がある。チャンディガールとともにインド近代建築のメッカなのである。
ジャーマ・マスジッドを中心に旧市街を歩き回った後、建築学校(スクール・オブ・アーキテクチャー)へ行く。予め手紙を書いておいたインドで有名な画家ピラジ・サガラさんが待っており、主任のヴァーキー教授を紹介してくれた。というか、既に全てがセットされており、僕らの関心に適う論文を数多く用意してくれていた。
建築学校は、ドーシによってつくられた学校で実に密度の高い建築教育を実践している。名城大学出身の石田さんが新居さんの後輩として学んでいた。日本の多くの大学の建築教育は足下にも及ばないのではないか。
アーメダバードは、一五世紀の初頭にアームド・シャーによってつくられたイスラーム都市である。一七世紀にはインドで最も美しい都市のひとつと評された。その旧市街を歩くと、都市住居の密集形態に圧倒される。カトマンズと違う魅力がある。カトマンズ盆地の町のヒンドゥー原理とイスラーム原理との違いと果たして言えるであろうか。興味深いのは、イスラームがつくった街区にヒンドゥー教徒やジャイナ教徒が住んでいることである。
しかし、ここにも一貫する空間の秩序があることがすぐわかった。同じようにチョウク(中庭)が重要な役割を果たしているのである。オティアーカドゥキーチョウクーパーサルーオルドというようにコミュニティー(ポル)はヒエラルキカルに構成されるのである。都市に集まって住むためには、しかるべき秩序と空間の形式が必要なのである。
調査の合間にコルビュジェの綿業会館、美術館、ショーダン邸を見た。ショダーン邸だけは見たかったという傑作であるが、素晴らしい状態でメンテナンスされていた。やはりコルビュジェはただ者ではない。
建築学校で紹介された資料を見ていると、北一二〇キロの所にアーメダバードとそっくりな形をしたパタンという町がある。いずれじっくり比較してみたいと思う。そのパタンへ行く途中にアダラジの階段井戸とモデラの太陽神殿を見る。必見である。グジャラート一帯には多くの迫力ある階段井戸が残されている。
*1 Shelters and Cities,"Survey of the Environment '96", Sri. S. Rangarajan, Maduras, 1996
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