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2023年6月21日水曜日

『建築雑誌』一五〇〇号・・激変の建築界、百家争鳴、室内、

 『建築雑誌』一五〇〇号・・激変の建築界、百家争鳴、室内、

『建築雑誌』一五〇〇号・・激変の建築界

布野修司

 

建築専門誌が元気がない。広告が減って薄くなった。建築も建たないから仕方がない。建築界は暗い。

そうした中で、日本建築学会の会誌『建築雑誌』の編集長を拝命してほぼ二年になる。三万六千部を誇る大雑誌であり、その編集長に指名されたのは実に身に余る光栄であった。また、たまたま、この二月号が一五〇〇号ということで記念特集「アジアのなかの日本建築」を出すことができた。

建築界は今未曾有の難局面を迎えているという実感がある。単に景気が悪いというのではなく、日本の社会の全体が構造改革を求められるなかで、建設業界が最もそのターゲットとなっているのである。昨年一月号では「建築業界に未来はあるか」という特集を組んだ。今年の一月の特集は「設計入札反対!?-公共建築の設計者選定」である。改革には痛みが伴うから、特集もわくわくいきいきというわけにはいかない。

全頁カラー化、頁数の大幅削減、大豆インクの使用、まず行ったのは紙面の構造改革である。カラー化については「よくお金がありますね」と何人かの先生に言われたが誤解である。紙質や総年間頁数などを見直す経費削減の努力の一環であった。

振り返ってみると、一〇〇〇号記念特集号が出たのは一九六八年八月であった。僕が大学一年生の時だ。東京大学は六月から全学ストライキに突入、その収拾をはかるために大河内一男総長の告示が出されたのが八月一〇日、今でも鮮明に覚えている。パリでは五月革命が起こり、世界中スチューデント・パワーが炸裂した年である。磯崎さんなどは、-『建築雑誌』の編集を通じて久し振りにお会いすることができた。多忙を極め、相変わらずエネルギッシュなのに勇気づけられた。これも役得である-、一九六八年以前と以後を未だに決定的な閾(しきい)として振り返るのであるが、確かに、近代建築批判が顕在化するのは六〇年代末以降である。

一〇〇〇号記念特集号は、「日本建築の将来」と題して、世代毎に4本の座談会が組まれている。今では大御所になった、磯崎さんも含めて当時三〇歳代の若手も参加して喧喧諤諤の?議論がなされている。

一五〇〇号もそれにならっていくつかの座談会を組んだが、三〇歳代の若手があがってこない。登場していただいた先生方の歳を平均すると五〇代半ばを越えるのではなかろうか。人選が悪いということになる。団塊の世代が出しゃばりすぎであるが、若い方に元気がないのも事実だ。二〇〇〇号記念の時にはほぼ全員亡くなっているのだからかなり問題である。建築界は暗い。

一〇〇〇号と一五〇〇号との間には、近代建築批判の以前と以後という明確な違いがあるが、もうひとつはっきとした違いはアジアとの関係である。戦後欧米一辺倒できた日本が、アジアの国々と様々な交流に眼を向けだしたのが八〇年代以降である。それで「アジアのなかの日本建築」ということになった。アジアの友人たちからのメッセージがかすかな光明である。

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