建築学の20人
住居論
●どんな学問領域か
住居を対象とする学問分野はとてつもなく広範囲にわたる。人がいかに住むかというテーマであればほとんど全ての分野が関わるといっていいのではないか。アリストテレスは『政治学』の中で、ポリスを村々の連合体、村をオイコスの共同体と定義し、オイコスすなわち家を社会生活の最小単位とした。このオイコスの学の系譜を考えると、エコノミー、エコロジーといった言葉がオイコスを語源とするように、住居論は政治経済社会の全般に関わってきたことがわかる。
建築学における住居論は、まず住居の物理的な特性を考えることを出発点とする。すなわち、住む場所を形づくる諸要素、物や空間(部屋)の配列にまず関心をもつ。そして、具体的に住居を建てること、居住空間を創り出すこと、計画・設計・建設のための諸技術に関わっている。建築学は、およそ、骨組みの性能に関する構造系、音、熱、光、空気、水などの運動に関わる環境系、間取りや意匠に関わる計画系という三つの分野からなるが、住居論についても三つの系から様々なアプローチが行われている。
住居論は決して個々の住居を対象にするのではない。住居がどう集合するか、そしてどういう町を形づくっていくかも大テーマである。都市計画、地域計画の分野にも必然的に広がりをもつ。さらに特に社会的弱者の住宅問題をどう解決するかは住居論の中心的課題であり続けている。住居論は、住宅政策、社会政策の分野にも当然関わりをもつのである。
●その面白さ 、魅力は
なんといっても面白いのは一筋縄ではいかないことである。とても工学や建築学の枠内におさまりきらない。また、住居は全ての人に身近である。誰もが考えることができ、そして建てることができるのも魅力的である。
住宅の間取りを考えてみる。間取りは一体どうして決まるのか。例えば、家族関係によって異なる。職業によって異なる。親族原理や、生業形態、社会的関係によって様々に規定されている。住宅の形を思い思いに考えるのは実に楽しいことである。住宅の形は、雨や雪、台風といった自然条件によっても規定されるが、個々人の好みにもよる。住居のあり方は住み手の自己表現である。世界中の住居や集落、都市のあり方を調べて、住居をめぐる多様な原理を学ぶのが最大の楽しみである。
住居や集落は地域の生態系に基づいてそれぞれ一定の原理によってつくられてきた。例えば、それぞれ規模や意匠は違うけれど家並みとしては調和のとれた景観をつくりだしてきた。地域で採れる同じ材料でつくるからである。町並み景観は土地の住文化の表現である。そうした地域に固有な住居集落の成り立ちを明らかにすることはまちづくりを考える大きなヒントになる。
住宅を実際建ててみることはさらに楽しい。様々な創意工夫が建築家の一番の楽しみである。誰でも建築家になりうる。ところが、いま、日本で住宅は建てるものではなく、買うものになってしまっている。カタログや展示場で選ぶだけになっている。残念なことである。
●目下のテーマは
この一〇数年間、インドネシアのスラバヤを中心として都市カンポン(集落)について調査研究してきた。人々が密集して住む地区を歩き回って住居の図面を描いたり、インタビューしたりする。文化人類学的手法に近いかもしれない。調査結果をもとに新しいタイプの集合住宅を実験的に建ててみた。スラバヤ工科大学のJ.シラス教授のチームとの共同研究である。
また、都市だけでなく、時間を見つけては山間部など東南アジアの各地に残る民家を調べて回った。日本の住居の伝統と比較するのは実に刺激的である。さらにここしばらく、ロンボク島のチャクラヌガラという都市とインドのジャイプールという都市の比較を試みつつある。ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒がどう棲み分けするかその原理を明らかにするのがテーマである。また、二つの都市は格子状の街路パターンをしており、京都のような日本の都市を含めた中国やインドの都城との比較研究が目的である。もうひとつの視点は、都市型の住居をどう考えるかである。アジアには集合住宅の伝統は比較的希薄であるが、ヨーロッパとは違った伝統がある。そうした研究のためにカトマンドゥ盆地やイスラーム圏にも足をのばしつつある。これからは住居研究も国際的な共同研究が不可欠である。21世紀には危機的な状況を迎えるとされる居住問題、エネルギー問題、環境問題にどう対処するかは大問題である。そうした大テーマに関連しては、湿潤熱帯用の環境共生住宅(エコサイクル・ハウス)についての実験を開始したところである。
私の好きな日本の建築家
新居照和・ヴァサンティ
徳島で活躍する建築家夫妻。といってもまだ住宅作品がいくつかできたところだから無名に近い。石山修武、大野勝彦、山本理顕、渡辺豊和、毛綱毅曠、元倉真琴といった好きな建築家は数多いけれどそれぞれエスタブリッシュメントになってしまった。最近好きなのはこのご夫妻のように地域で頑張る建築家たちである。ヴァサンティさんはインド人。共にアーメダバードの建築学校でドーシに学んだ。ドーシはL.コルビュジェやL.カーンのインドでの仕事を助けたことで知られる。インド第一の建築家といっていい。期待するのは、インドという風土で建築を学んだ体験と培われた眼である。単に地域に埋没するのではなく、世界と地域を同時に視野におさめながら表現する方法である。同じ意味でアジア人に限らず日本で仕事する若い欧米人にも期待したい。新居さんはインドで徹底して絵画を学んだオーソドックスな建築家である。一方、新居夫妻は合併浄化槽の設置運動など環境問題にも積極的に関わる。実にユニークである。
プロフィール
Shuji Funo、 京都大学建築学科助教授、1949年島根県生まれ、東京大学大学院博士課程中退、著書に『スラムとウサギ小屋』『住宅戦争』『カンポンの世界』『住まいの夢と夢の住まい』など
0 件のコメント:
コメントを投稿