日本建築学会大会研究協議会プレシンポジウム:すまいの近代化論ー学際的議論から,青木正夫・鈴木成文・竹下輝和他,由布院,19890801ー02
ポネトモダンの日本の住まいー住まいの近代化論のためのメモ
布野修司
● 1. 「すまいの近代 化論」を問う、というと、具体的 な作業 イメージが ある。すなわ ち、明治以降、「すまいの近代化 」を主張を してきた論の系譜を問う、というテーマである。家屋改良論、生活改善論、国民住居論など、生活改善運動、文化生活運動、農村改善 運動なとの過程で展開 されてきた「 すまいの近代化論」の系譜である。戦後において も、「 すまいの近代化論」については 、『 これからのすまい』( 西山卯三)や i 日 本住宅の封; 建性ょ ( 浜ロミホ) や r すまい 』 (池辺賜)といった著作をはじめとして様々に展開されてきた。そうした「 すまいの近代化論 」、広くは 建築家による住居論の系譜を問い直す作 業は議論の前提として必要であろ う。(*) すまいの近代 化論」として、何が課題として提起され、何が課題として提起さ れなかったのか、また、その課題のうちどのような課題が達成され、何か残されているのか、すまいの近代化論 」のフレーム全体が再検討されるべきであろう。(* *)
* 戦後における「すまいの近代化論 」については、 r 戟後建築論ノート』 (相模書房1 9 8 1 年)において若干触れた(第三章 二.近代化という記号 住宅の近代化)。また、「 載後住宅論覚書」、「戦後家族と住居」 (いずれも『スラムとウサギ小屋』 (青弓社 1 9 8 5 年)所収)といっ た論考において考えてみたことがある。いずれも、建築家が、すまいに対してどのような提案を行い、何をなしえてきたのかを主なテーマとしている。また、戦前については、「 ハウジング 計画論ノート」 (1-9) (『群居』 1 ~ 4号、 6 ~ 1 0 号)において、「初期住宅問題と建築家」、「文化生活運動の展開」、「民家研究の出自 今和次郎と柳田国男」、「戦争と住宅 西山卯三の『国民住居論攻』」などについて触れて いる。
** 例えば、 『これからのすまい』の冒頭 「新日本の住宅建設に必要な十原則 」は以下のようであるが、戦後の過程において何がどのように具体化したのか。 「 ふるいいやしいスマ イ観念」、「高い住宅理想 」、「 不合理な昔のスマイ様式」、「合理的な スマイ様式」などという言葉において イメージさ れていたものはなんなのか。
ー、ふるいいやしいスマイ観念をあらためて、文明国の人民にふさわしい高い住宅理想 をうちたてる。
二、国民経済の発展に対応する国民住居の標準をうちたてて在来の低い住宅水準を高め て行く。
三、地方的、陛級的に乱雑不合理な昔のスマイ様式を、働く人民の合理的なスマイ様式に統一していく。
四、居住者の器 業や家族の構成に応じた住宅を与えるため、住宅は公営を原則として住 宅の配分を合理化する。
五、生活基地を、細胞となる住戸から、組、町(部落)、住区(村)、都市という、それぞれの性格に応じた共同施設をもつ集団の段階的な構成にととのえて行く
六、生活基地の合理的な建設をするため、都市の土地制度を根本的に改革する。
七、住宅の量の不足と低い住居水準を解決するため、住宅産業の位置を高めて完全雇用 体制の恒久的な一環とする。
八、住宅生産を封建的親方制度と手工業的技術から解放して合理化工業化する。住宅は定型化され、その中に入る生活用具や家具も、それをつくる建築材料や部品も規格化される。
九、住宅の構造ぱ国産貸源とにらみ合わせて我国の気候風土に適合した形の、新しい燃えない堅ろうな構造にかえて行く。
十、狭い国土を活用するため、特に都市では集約的な高 い居住密度の得られる複沼集団的な住居形式にかえて行く。
● 2. 「すまいの近代化論 」を問うことと、「 すまいの近代化 」そのものを問う ことは決して同じではない。すまいに関わる論や言説の系譜を明らかにし、批判的に検討するこ とは容易ではないにせよそう困難ではない。しかし、「すまいの近代化 」そのもののプロセスなり実態を明らかにするのはそう容易ではない。例えば、「すまいの近代化論 」において、近代化の目 標なり指標と考えられたある限られた側面についても、実態はどうであるか、またどうであっ たかを跡づけるのは面単ではないだろう 。いくつかのかぎられた事2 例のみで全てを論ずるわけにはいかないのである。 「すまいの近代化論 」は、建築家等に, よる「先進的」事例に即して展開されることが多く、より広範なすまいの実 態とはずれが多い。 そのず れを明らかにすることは、 「 すまいの近代化論 」を再検討する大きな手掛かりとなろう。 (*)
「 すま いの近代化論 」を問う、という問題設定 は、むしろ、そうしたずれが広範に 意識されはじめたことをモメントとす るのではないのか。(* *)
* 近代化の目標あるいは 指標と考えられ主張されてきたのは、例えば以下のようである。
接客本位ではなく 家族本位のすまい 居問の重視と南面化 居間中心型住宅すまいにおける個の確立 個人の尊重 公私の分離 プライヴァシーの尊重 椅子座の導入 食寝分離 隔離就寝 公私室分離 個室の確立家事労働の低減 省力化 能率化 合理化 日本住宅の封建制の追 放 床の間 座敷 玄関 応接室 畳などの追放?
**しかし、以上0) ような目標なり指標は果たして具体的に実態化してきたのか。ゎかりやすい例をあ げれば、床の間の追放がすまいの近代化の条件(狭小な住宅で床の間をもつのは合理的でない) と考えられたにも関わらず床の間が日本のすまいか ら消失することはなかっ た。それは 何故か。 床の間を封建制の象徴と単純に規定して、その意味についての理解が不充分ではなかったか。続 き問座敷は、単文後においても作り続けられてきた。; .中廊下型住宅も一貫して存読してきた。居間中心型住宅が必ずしも一般的になったわけではない。そう した実態を「 すまいの近 代化論」は、どう 捉え返すのか。
以上はいささか単純化した議論ではあるが、「すまいの近代化 」の方向と考えられたことと「す まいの現在 」とのずれは、まずは「 すまいの近代化論 」を見直させるのではないか。果たして、. 「 すまいの近代化論」のフレームは揺らぐことはないのか。近代化の目標は依然として目標であり つづけているのか。
● 3 . 「 すまいの近代化」とはなにか。議論の前提として はっきりさせてお く必要があろう3 以上のような、住様式と平面形式をめぐる議論のみでは、不充分ではないか。特に「学際的議論」をうたうのであるから、より広 く、日 本社会の近代化を規定 するなかで、「すまいの近代化」を規定する必 要があるのではないか。すまいは実に多様な側面から、論じることが可能である。フィジカルなすまいのありかたと、家族のありかたとは必ずしも同一水準で問題にはできな いであろう。また、フィジカルなすまいのありかたを規定するのは、その空間配列(平面形式)のみではない。 (*)(* *)
* 個の確立、個の自立と個室の確立とは同じではないであろう。子供室の閉錢的独立が家庭内暴力を生むわけではないであろう。家族本位であるとはどういうことか。居問が 中心にあればいいということではないだろう。皮相な環境(建築)決定論は実りが少ない だろう。
** 近代化については、様々な規定のしかたがあろうが、以下のような基本的な概念との関連は検討さるべきであろう。
産業化(工業化)I ndustria l i za t ion · ・・「 すまいの近代化 」を考える上で第一に検討すべき最も包括的な概念ではないかC すなわ ち、産業社会の成立と その 展開に即したすまいのありかたを問題にすることが最大のテーマとなるのではないか。その視点は、容器としてのすまい、建物としてのすまいの生産の産業化、住宅産業の成立、住宅生産ヽンステムの産業化といった局面に限定されるわけではない。空間そのものの 産業的生産、すなわち、空間の商品化を中心的な問題とする。また、近代社会を大きく規 定する科学技術のありかたを建築技術のありかたに即して問題にする上で、産業化という概念は極めて重要である。すまいのありかたを大きく変化させてきたのは、建築に関わるテクノロジーであり、家電や家事に関わる電化製品である。すなわち、すまい充たす多くのもの、生活財のありかたは、住生活を決定的に変えてきた。また、様々なサーピス産 業の発達もすまいのありかたを大きく変容させてきた。この産業化、産業社会の論理の展開の具体化が「すまいの近代化 」として第一に捉え られるのではないか。
都市化 Urban i za t io n · · ·発展途上国においては、工業化なき都市化といった現象が注目されるのであるが、先進諸国においては、工業化と都市化は表裏の関係において進展 してきた。都市化の進展とともに、すまいのありかたがどう変容してきたのかは、「すまいの近代化 」を捉える重要な視点である。都市社会におけるすまいの型を生み出してきたのかどうか、がそこでのポイントで ある.。
民主化 Democra tizationあるいは大衆化・・・近代社会を支える民主化の理念は、どのようにすまいのありかたに投影されるか。すまいを等しく所有する権利の主張は、民王化の要求である。個の自立、個人の尊重は民主社会の基本原理である。しかし、一方、そうした民主化の原理と産業主義が結び付いて具体化するのが、大衆社会である。われわれが生活するのは高度な大衆社会であり、消費社会の論理と神話を支えている。
もうすこし、すまいのありかたに即しては、近代家族のありかたが問題となろう。核家族化・・・核家族が人間社会に普遅的な集団 であ るかどうか、という議論はおくとして、また、家族という概念が一般的に成立するかどうかという議論も別として、日本の社会の集団編成に即していえば、甚本的集団単位が家父長的家から核家族へ変化していったことが近代化の歴史的過程である、といっていい。
その過程で 、家父長的な家がもっていた様々な重屈的 機能は、社会(市民社会、国家) へと外部化される。その結果、家は核家族化し、小規模化する。そこでは家は、家族の本覧とされる、性、生殖、経済、教育の基本機能のみをもつ集団へと還元される。
また、社会は家間の関係ではなく、基本的に個人問の関係として組織される。家父長的 家のもっていた、いわば共同体的機能は、機能的、合理主義的関係を編成原理とする市民社会や国家の役割へと転換されねばならない。この過程をポジティプに捉えるとすれば、 社会の諸機能が自身を維持していく上で有効かとうかによって、その成熟度、近代化の度合いを測ることができよう。しかし、一方、この過程は、すなわち、家父長的家の機能の 社会化という現象は、まさに近代化、具体的に都市化による社会的分化の進行に強制されたものと捉えることもできる。また、核家族化は、労慟力の編成という点において、資本 にとってより有効であるが故に、近代化、産業化に伴って進行してきたのである。
さらに、いくつかの概念に 即して「 すまいの近代化 」を問題にしておく意味があろう。
西洋化 Wes ternaza ti on · ・・日本においてはイクォール西洋化であった。すまいに限らず西洋世界の全てがモデルとされてきた。すまいの場合、一体何がモデル.とされてきたのか。一方、西洋化を目指す過程で、繰り返し、日本的なる ものが問い直さ れてもきた。日本的なるもののうちに近代性をみる、という構えも採られてきた。
合理化 · ・・近代合理主義と一般的に呼ばれる、近代におけるラ ショナリズムのあり かたについては、一般的にも、すまいのありかたに即しても問題とされてきた。さらに、画 ー化、標準化、規格化、望産化、等々の概念をめ ぐっ ても、「 すまいの近代化 」を問題とできるであろう。
● 4. 「すまいの近代化 」の過程において何が問 題なのか。それを明らかにすることが議論の出発点となるのではないか。その場合、日本の現在のすまいのありかたをどうみる かが大きなテーマとなる。 「 すまいの近代化 」のプロセスを 歴史的に明らかにする視点もそこから得られる筈である。特に、建築計画研究の視点からは、現在の日本のすまいに対して、どのような計画的提案をなしうるかが問われるであろう。以下に思いつくまま、日本のすまいをめぐる問題点を挙げてみよう。
日本のすまいのありかたは、 1 9 6 0 年代を敷居として決定的に変化した。 住宅産業の成立、住宅生産の産業化の流れがそれを象徴するのであるが、それによって大きく規定されるすまいのありかたとは異なったありかたをとう作り出すのか、というのが、以下の指 摘の基本である。
◎住空間の商品化 建てることと住むことの分離 建てるものから買うものヘ与えられるものを選択するだけのものへ(個の表現、個の主体性)
◎投蛮としての住宅所有の一般化 住テク ワンルームリースマンション 不動産の動産化
◎スクラップ・アンド ・ビルドによる住宅更新 すまいの耐久消費財化
◎蛮産保有の二極分化 陛屈消費 陛磨分化
◎伝統的住宅生産技術の衰退 木造住宅生産技術
地域住宅生産ヽンステムの解体 地敗密着型の住宅生産、維持管理ヽンステムの変容地域産材利用技術の衰退 建築材料の産業的生産の一般化
◎住宅生産と環境破壊 木材輸入とエコロジーバランス
◎場所性の喪失 具体的な場所(土地)との関係の希薄化住宅の容器化 地岐社会との関係の希薄化
◎地域性の喪失 建築形態の画ー化入り母屋御殿の全国画ー的展開
◎商品化住宅の様式化 ファッ ション化 表屠デザインの差異の消費ボストモダン・デザインのばっこ
◎ n L D K 住戸モデルとn L D K 家族モデルの蔓延 家族像の画ー化
◎ D K モダンリビングの普及と固定化
◎ものの所有による住空間の組織化 ものの豊富化と住空間とのずれ 生活財の消安を主体とする生活様式の定着 欲望の無限拡大消費
◎家事労慟の産業代替化 家庭内サービスの商品化
◎伝統的生活技術の解体 生活の知恵の伝承のシステムの喪失
◎都市型住宅の未確立都市的集住形式の混乱都市と住宅の分離住宅の孤立化都市的集住に関するルールの未確立
◎すまいをめぐる相互扶助ヽンステムの未確立 高齢化社会におけるヴ ォ ランテ ィ ア・アソシェーション
5 . 以上のように、産業社会におけるすまいのありかたとその方向性を 確認するとき 、どのような計画的提案がとういう匝路で可能か、どのようなすまい論が展開可能か。わかりや すく、脱産業社会におけるすまいのありかた、脱近代(ボス トモダン) におけるすまいのありかたが問題なのではないか。 「 すま いの近代化論 」ではなくて、 「 すまいの脱近代化(ポストモダ ン) 論」が問題だという所以である。 その場合、すまいのあり かたを根底において問題にしない、皮相なポストモダン(デザイン)論が予め斥けられねばならないこ とはいうまでもない。また、計画的提案が、単なる住宅像、住宅モデルの提示に止まると すれば不充分である。どういう立場で、どういう回路において、そういう提案を行うかが 明らかにされる必要がある。 (*)
(*) 一般に、建築家が住宅設計という立場において、どのような指針がありうるかについては、以下の論考なとにおいて、論じている。
「住宅産業化の流れの中で 建築家の新たな戦略目 楯は何か」(『 建築文化』 1 9 8 5 年 l 2 月号 特集「日 本の住居 1 9 8 5 」 本特集においては 、戦後における日本のすまいのありかたに関わる様々な問題の総括を試みた。また、いくつかのハウジング戦略 のためのキーワードをまとめている)。具体的な論点として、 「 もうひと つの指針 ハウジ ング・ ネッ トワ ー クヘ」と題して以下の項目をあげている。
〇ァーキテクト・ ビルダーの原理〇小さな回路
〇地域に固有なハウジング・ シス テム
〇住宅=町づくりへ
〇オールタナティブ・テクノロジ一〇プロセスとしてのハウジング
〇ハウジング・ネットワーク
● 6. 「 すまいの 近代化」を問題とする上では、グローバルな視点が不可欠である。特に、発展途上国における近代化の問 題との比較を含めた視点が必要である。果たして 、発展途上国は、先進諸国の近代化の過程を数十年のタイムラグで跡追いしているだけなの か。単線的な進歩史骰、発展史観がそこでは問われるであろう。西欧近代を唯一のモデル とするのではない 、世界史観が そこては 求められる筈である。