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2021年10月25日月曜日

ポネトモダンの日本の住まいーー「すまいの近代化論」 のためのメモ

 日本建築学会大会研究協議会プレシンポジウム:すまいの近代化論ー学際的議論から,青木正夫・鈴木成文・竹下輝和他,由布院,1989080102

ポネトモダンの日本の住まいー住まいの近代化論のためのメモ

布野修司


         0 . いま(さら)なぜ近代化論を問う なのか、などとは言う まい。近代世界の総体を問うこと(近代批判)は、依然として、われわれにとって最大の課題であり続け    ているからである。しかし、 近代以が問れ出して久しい、のであるから、問いの仕方は自 ずと異なるのではないか。すなわち、近代批判の様々な動向への反批判が出発点に置かれるべきで  はないか。近代批判提起近代えてきた諸価値への疑念提示)、近代批判方向の模索、ボストモダン論の開、ポストモダン批判といったダイナミックな議論の過程が 前提として欲しい。特 その学 際的な議論かといのであるから、この問 の、すなわ近代批判の顕在化以降の議論の流れは踏まえ らるべきだと思う。そう考えると、どう考えても、 近代化論を問う ではな ストモダ ン論を ではないのか c そうであれば、かろうじて共通の議論らしきものがなりたつのではないか。なくとも、各ジャ ンルに おけるボ論の位相の差異が明らかにできるのではないか。


       1. すまいの近代 を問いうと、具体的 作業 ジが ある。すなわ 明治以降すまいの近代化                            を主張を てきた論の系を問う、といマであ家屋改良論、生活改善民住居論な、生活改善運動、文化生活運動、農村改善 運動なとの過程で展開 れてき すまいの近代化論の系である。戦後において も、 すまいの近代化論」につ のす 西山卯三 i 本住宅の  ホ)  r すまい (池辺賜)といった著作をとして様々に展開されてきた。そうし すまいの近代化論     建築家に居論の系譜をい直す作 業は議論の前提としてであろ (*) すまいの近代  化論て、何が課題として提起され、何が課題として提起さ れなかったのか、また、その課題のうちどのような課題が達成され、何か残されているのか、すまいの近代化論 のフム全体が再検討されるべきであろう。(* *)

*    戦後におけすまいの近代化論 についてはr 戟後建築論ノート(相模書房1 9 8 1 年)において若干触れた(第三章        近代化記号                 住宅の近代化)。ま 載後住宅論覚戦後家族 (いずれも『スラムとウサギ小屋』  弓社          1 9 8 5 年)所収)といっ た論考において考えてみたことがある。いずれも、建築家が、すまいに対してどのような提案を行い、何をなしえてきたのかを主なテーマとしてる。また、戦前について ジング 計画論ノ   (1-9)    (『 1 ~ 4号、 6 ~ 1 0 号)において、初期住宅問題と建築家文化生活運動の展開家研究の出自        今和次郎と柳田国男戦争と住宅        西山卯三の『国民住居論などについて触れて いる。

** 例えば、 これからのすまい』の冒頭 新日本の住宅建設に必要な十原則 以下のようであるが、戦後の過程において何がどのように具体化したのか。 ふるいいやしいスマ イ観念高い住宅理想 不合理な昔のスマイ様式合理的な スマイ様式などという言葉において イメージさ れていたものはなんなのか。

 ー、ふるいいやしいスマイ観念をあらためて、文明国の人民にふさわしい高い住宅理想  をうちたてる。

二、国民経済の発展に対応する国民住居の標準をうちたてて在来の低い住宅水準を高め   て行く。

三、地方的、陛級的に乱雑不合理な昔のスマイ様式を、働く人民の合理的なスマイ様式に統一していく。

、居住者の器 や家族の構成に応じた住宅を与えるた、住宅は公営を原則  宅の配分を合理化する。

五、生活基地を、細胞となる住戸から、組、町(部落)、住区(村)、都市という、それぞれの性格に応じた共同施設をもつ集団の段階的な構成にととのえて行く

生活基地の合理的な建設をするため、都市の土地制度根本的に改革する。

七、住宅の量の不足と低い住居水準を解決するため、住宅産業の位置を高めて完全雇用  体制の恒久的な一環とする。

住宅生産を封建的親方制度と手工業的技術から解放して合理化工業化する。住宅は定型化され、その中に入る生活用具や家具も、それをつくる建築材料や部品も規格化される。

九、住宅の構造ぱ国産貸源とにらみ合わせて我国の気候風土に適合した形の、新しい燃えない堅ろうな構造にかえて行く。

狭い国土を活用するため、特に都市では集約的な高 い居住密度の得られる複沼集団的な住居形式にかえて行


       2. すまいの近代化論  を問ことと すまいの近代化 そのものを問う ことは決して同じではない。すまいに関わる論や言説の系譜を明らかにし、批判的に検討するこ     とは容易ではないにせよそう困難ではない。しかしすまいの近代化      そのもののプロセスなり実態を明らかにするのはそう容易ではない。例えばすまいの近代化論    において、近代化の目 標な指標と考えられたある限られた側について実態はどうであであっ  たか跡づけるのは面単ではないだろう  いくかのかぎられた2 てを論はいかないのである。 すまいの近代化論 は、建築家等先進事例展開されることがく、より広範なすまいの実 はずれがい。 そのず を明らかことは、 すまいの近代化論 再検討する大きな手掛か (*)

すま いの近代化論 を問う、という問題設定 は、むしろ、そうしたずれが広範に 識されはじたことトとす るのはないのか。(* *)

*    代化の標あるいは 指標と考えられ主張されてきたのは、例えば以のようである。

 接客本位ではなく 家族本位のすまい  居問の重視と南面化 居間中心型住におけ 個人の尊重    公私の分離 プライヴァシーの尊重 椅子座の導入 食寝分離 隔離     公私室分離    個室の確家事働の  省力化      合理化 宅の封建制の追    床の間    座敷   玄関   応接室 畳などの追放?

**しかし、0) 標なり指標は果たして的に実態化してきたのか。ゎすい例をあ げれ床の間の追放がすまいの近代化の条件(狭小な住宅で床の間をのは理的ない) と考えられたにも関わらず床のが日本のすまいか ら消することはなかっ た。それは 故か。 床の間封建制の象徴と単純に規定して、その意味についてのでは続 き座敷は後においも作り続けられてきた て存てきた居間中心型住宅が必ずしも一般的になったわけではない。そう し実態すまいの近 代化論は、どう 捉え返すのか。

はいさ純化し論ではあるがすまいの近代化 の方向と考られたこと いの現在 れは、まず すまいの近代化論  見直せるのではないか。果たして、. 近代化のフレムは揺ぐことはないのか。近代化の標であり つづけているのか。


       3 . すま近代化とはなにか。議論の前提として はっきりさせてお 必要があ3 以上のよな、住様式と平面形式をめぐる論のみでは、充分ではないか。特に学際議論うたうのであるから、より広 く、日 本社会の近代化を規定 するなかで、を規する必 要があるのではないか。すまいは実に多様な側面か論じ能であるフィジカルなすまいのありかたと、家族のありかたとは必ず一水題にはできな いであろう。また、フィカルなすまいのありかた規定するのは、その空間配列(平面形式)のみではない。 (*)(* *)

*  個の確立、個の自立と個室の確立とは同じではないであろう。子供室の閉錢的独立が家庭内暴力を生むわけではないであろう。家族本位であるとはどういうことか。居問が 中心にあればいいということではないだろう。皮相な環境(建築)決定論は実りが少ない だろう。

** 近代化については、様々な規定のしかたがあろうが、以下のような基本的な概念との関連は検討さるべきであろう。

産業化(工業化I ndustria l i za t ion · ・・すまいの近代化 を考える上で第一に検討すべき最も包括的な概念ではないかC   すなわ ち、産業社会の成立と その 展開に即したすまいのありかたを問題にすることが最大のテーマとなるのではないか。その視点は、容器としてのすまい、建物としてのすまいの生産の産業化、住宅産業の成立、住宅生産ヽンステムの産業化といった局面に限定されるわけではない。空間そのものの  産業的生産、すなわち、空間の商品化を中心的な問題とする。また、近代社会を大きく規 定する科学技術のありかたを建築技術のありかたに即して問題にする上で、産業化という概念は極めて重要である。すまいのありかたを大きく変化させてきたのは、建築に関わるテクノロジーであり、家電や家事に関わる電化製品である。すなわち、すまい充たす多くのもの、生活財のありかたは、住生活を決定的に変えてきた。また、様々なサーピス産     業の発達もすまいのありたを大きく変容させてきた。この産業化産業社会の論理の展の具体化すまいの近代化 として第一に捉え られるのではないか。

都市化 Urban i za t io n · · ·発展途上国においては、工業化なき都市化といった現象が注目されるのであるが、先進諸国においては、工業化と都市化は表裏の関係において進  してきた。都市化の進展とともに、すまいのありかたがどう変容してきたのかは、すまいの近代化 を捉える重要な視点である。都市社会におけるすまいの型を生み出してきたのかどうか、がそこでのポイントで 

民主化   Democra tizationあるいは大衆化・・・近代社会を支える民主化の理念は、どのようにすまいのありかたに投影されるか。すまいを等しく所有する権利の主張は、民王化の要求である。個の自立、個人の尊重は民主社会の基本原理である。しかし、一方、そうした民主化の原理と産業主義が結び付いて具体化するのが、大衆社会である。われわれが生活するのは高度な大衆社会であり、消費社会の論理と神話を支えている。

もうすこし、すまいのありかたに即しては、近代家族のありかたが問題となろう。核家族化・・核家族が人間社会に普遅的な集団 であ るかどうか、とい議論はおくとして、また、家族という概念が一般的に成立するかどうかという議論も別として、日本の社会の集団編成に即していえば、甚本的集団単位が家父長的家から核家族へ変化していったことが近代化の歴史的過程である、といっていい。

その過程で 家父長的な家がもっていた様々な重屈的  機能は、社会(市民社会、国家) へと外部化される。その結果、家は核家族化し、小規模化する。そこでは家は、家族の本覧とされる、性、生殖、経済、教育の基本機能のみをもつ集団へと還元される。

また、社会は家間の関係ではなく、基本的に個人問の関係として組織される。家父長的 家のもっていた、いわば共同体的機能は、機能的、合理主義的関係を編成原理とする市民社会や国家の役割へと転換されねばならない。この過程をポジティプに捉えるとすれば、 社会の諸機能が自身を維持していく上で有効かとうかによって、その成熟度、近代化の度合いを測ることができよう。しかし、一方、この過程は、すなわち、家父長的家の機能の  社会化という現象は、まさに近代化、具体的に都市化による社会的分化の進行に強制されたものと捉えることもできる。また、核家族化は、労慟力の編成という点において、資本    にとってより有効であるが故に、近代化、産業化に伴って進行してきたのである。

さらに、くつかの概念に 即し すまいの近代化   題にしておく意味があろう。

西洋化  Wes ternaza ti on  · ・・日本においてはイクォー西洋化であた。すまいに限らず西洋世界の全てがモルとされてきた。すまいの場合、一体何がモデれてきたのか。一西洋化を指す過程で、繰返し、本的なる ものがい直さ もきた。日本的なるもののちに近代性をみる、と構えも採れてきた

合理化 · ・・近代合理主義と一般的に呼ばれる、近代におけるラ ョナリズムのあり かたについては、一般的にも、すまいのありかたに即しても問題とされてきた。さらに、画  ー化、標準化規格化、望産化、等々の概念をめ ぐっ てもすまいの近代化  を問題とできるであろう。

       4. すまいの近代化 の過程において何が問 題なのか。それを明らかにすることが議論の出発点となるのではないか。その場合、日本の現在のすまいのありかたをどうみる  かが大きなテーマとなる。 すまいの近代化 のプロセスを 歴史的に明らかにする視点もそこから得られる筈である。特に、建築計画研究の視点からは、現在の日本のすまいに対して、どのような計画的提案をなしうるかが問われるであろう。以下に思いつくまま、日本のすまいをめぐる問題点を挙げてみよう。

日本のすまいのありかたは、 1 9 6 0 年代を敷居として決定的に変化した。 住宅産業の成立、住宅生産の産業化の流れがそれを象徴するのであるが、それによって大きく規定されるすまいのありかたとは異なったありかたをとうり出すのか、というのが、以下の指  摘の基本である。

住空間の商品化     建てることと住むことの分離  建てるものから買うもの与えられるものを選択するだけのものへ(個の表現、個の主体性)

投蛮としての住宅所有の一般化 住テク     ワンルームリースマンショ 不動産の動産化

スクラップ・アンド ビルドによる住宅更新 すまいの耐久消費財化

蛮産保有の二極分化     陛屈消費    陛磨分化

伝統的住宅生産技術の衰退        木造住宅生産技術

地域住宅生産ヽンステムの解体         地敗密着型の住宅生産、維持管理ヽンステムの変地域産材利用技術の衰退  建築材料の産業的生産の一般化

住宅生産と環境破壊   木材輸入とエコロジーバランステキスト ボックス: ・r▽

場所性の喪失       具体的な場所(土地)との関係の希薄化住宅の容器    地岐社会との関係の希薄化

地域性の喪失       建築形態の画ー化入り母屋御殿の全国画ー的展開

商品化住宅の様式化         表屠デザインの差異の消ボストモダン・デザインのばっこ

n L D K 住戸モデルとn L D K 家族モデルの蔓延 家族像の画

D K    モダンリビングの普及と固定化

ものの所有による住空間の組織化  ものの豊富化と住空間とのずれ 生活財の消安を主体とする生活様式の定着 欲望の無限拡大消

家事労慟の産業代替化     家庭内サービスの商品化

伝統的生活技術の解体     生活の知恵の伝承のシステムの喪失

都市型住宅の未確立都市的集住形式の混乱都市と住宅の分離住宅の孤立化都市的集住に関するルールの未確立

すまいをめぐる相互扶助ヽンステムの未確立 齢化社会におけるヴ ランテ ソシェーション

5 以上のように、産業社会におけるすまいのありかたとその方向性を 確認するとき 、どような計画的提案がとういう匝路で可能か、どのようなすまい論が開可能か。わかりや  すく脱産業社会におけるすまいのありかた、脱近代(ボス モダン におけるすまいのありかたが問題なのではないか。 すま いの近代化論 はなくて、 すまいの脱近代化ストモダ ン)が問だとう所以である。 その場合、すまいのあり かたを根底において問題にしない、皮相なポストモダン(デザイン)論が予め斥けられねばならないこ     とはいうまでもない。また、計画的提案が、単なる住宅像、住宅モデルの提示に止まると すれば不充分である。どういう立場で、どういう回路において、そういう提案を行うかが     明らかにされる必要があ(*)

(*) 一般に、建築家が住宅設計という立場において、どのような指針がありうるについては、以下の論考なとにおいて、論じている。

住宅産業化の流れの中で      建築家の新たな戦略目 楯は何か建築文化1 9 8 5 l 2 月号  特集日 本の住居 1 9 8 5 本特集においては 戦後における日本のすまいのありかたに関わる様々な問題の総括を試みた。また、いくつかのハウジング戦略  のためのキーワードをまとめている)。具体的な論点として、 もうひと つの指針 ウジ ング・ トワ ー クヘと題して以下の項目をあげている

〇ァーキテクト・ ビルダーの原理〇さな回路

 〇地域に固有なジング・ シス テム

 〇住宅=町づくりへ

 〇オールタナティブ・テクノロジ一〇プロセスとしてのハウジング

 〇ハウジング・ネットワーク

         6.   すまいの 近代化を問題とする上では、グローバルな視点が不可欠である。特に、発展途上国における近代化の問 題との比較を含めた視点が必要である。果たして 発展途上国は、先進諸国の近代化の過程を数十年のタイムラグで跡追いしているだけなの か。単線的な進歩史骰、発展史観がそこでは問われるであろう。西欧近代を唯一のモデル  とするのではない 世界史観が そこては 求めれる筈である

2021年10月24日日曜日

国立競技場問題を検証 書評 みんなの建築コンペ論、共同通信、202009

 みんなの建築コンペ論 書評 共同通信 2020年9月

布野修司

 

「建築家・名詞:あなたの家のプラン(平面図)を描き、あなたのお金を浪費するプランを立てるひと」。アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』は皮肉たっぷりに書くのであるが、案外当たっているかもしれない。自分の住宅であれば自分で納得すればいいけれど、市役所や文化センターといった公共建築ではどうか。結局、お金を浪費するだけの建替えだったのではないかと思わせられたのが、新国立競技場コンペ(設計競技)である。新型コロナ問題でオリンピックの開催そのものが危ぶまれ、遠い過去のように思えるが、建築コンペが実に身近な問題であることを力説するのが本書である。

本書は、まず、新国立競技場問題の何が問題であったかを徹底的に検証する。そして最大の問題は、「何のために建築を建てるのか」という理念の欠落だという。続いて、建築コンペの意義をその歴史をはるかルネサンスにも遡って豊富な事例をあげながら明らかにしている。

ひるがえって日本の現状はどうかをみる。設計料の多寡で設計者を決める入札がほとんどで、建築コンペそのものが行われなくなっている。提案(プロポーザル)方式という設計者選定の制度が「提案」を生み出す仕組みになっていない。そこで、「いい建築」を合意する、開かれた、公正な決定プロセスを実現するためのいくつかの具体的な提案を行う。

評者は、機会を得れば、二段階公開ヒヤリング方式という建築コンペを提唱し行ってきたが、概ね本書の主張に沿っている。いささか気になるのは、本書の議論がモニュメンタルな建築に集中し、また、建築界の内に閉じていることである。公共設計発注業務の外部化などというと、建築家のわがままととられかねない。まずは、「タウンアーキテクト」である自治体の首長に読んでほしいが、身近に行われている建築コンペをみんなのものにするために、本書の議論がさらに広がっていくことを願う。