みんなの建築コンペ論 書評 共同通信 2020年9月
布野修司
「建築家・名詞:あなたの家のプラン(平面図)を描き、あなたのお金を浪費するプランを立てるひと」。アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』は皮肉たっぷりに書くのであるが、案外当たっているかもしれない。自分の住宅であれば自分で納得すればいいけれど、市役所や文化センターといった公共建築ではどうか。結局、お金を浪費するだけの建替えだったのではないかと思わせられたのが、新国立競技場コンペ(設計競技)である。新型コロナ問題でオリンピックの開催そのものが危ぶまれ、遠い過去のように思えるが、建築コンペが実に身近な問題であることを力説するのが本書である。
本書は、まず、新国立競技場問題の何が問題であったかを徹底的に検証する。そして最大の問題は、「何のために建築を建てるのか」という理念の欠落だという。続いて、建築コンペの意義をその歴史をはるかルネサンスにも遡って豊富な事例をあげながら明らかにしている。
ひるがえって日本の現状はどうかをみる。設計料の多寡で設計者を決める入札がほとんどで、建築コンペそのものが行われなくなっている。提案(プロポーザル)方式という設計者選定の制度が「提案」を生み出す仕組みになっていない。そこで、「いい建築」を合意する、開かれた、公正な決定プロセスを実現するためのいくつかの具体的な提案を行う。
評者は、機会を得れば、二段階公開ヒヤリング方式という建築コンペを提唱し行ってきたが、概ね本書の主張に沿っている。いささか気になるのは、本書の議論がモニュメンタルな建築に集中し、また、建築界の内に閉じていることである。公共設計発注業務の外部化などというと、建築家のわがままととられかねない。まずは、「タウンアーキテクト」である自治体の首長に読んでほしいが、身近に行われている建築コンペをみんなのものにするために、本書の議論がさらに広がっていくことを願う。
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