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2021年10月15日金曜日

ロンボク島の都市・集落・住居の構成原理とコスモロジー 目次 はじめに

 ロンボク島の都市・集落・住居の構成原理とコスモロジー(主査 布野修司 応地利明,脇田祥尚,牧紀男,佐藤浩司他, 全体総括,分担執筆),住総研研究年報191992

 

ロンボク島の都市・集落・住居の構成原理とコスモロジー

COSMOLOGY AND SPACE ORGANIZATION IN LOMBOK ISLAND(INDONESIA)

HOUSE FORM , VILLAGE PATTERN AND CITY PLAN

 

  本研究は、空間の形態とそれを規定するコスモロジーとの関係を視点に、都市・住居・集落の構成原理を考察することを目的とする。具体的には、インドネシアのロンボク島を対象とし、都市や住居集落の構成原理に関わる宇宙観、思想、理念を明らかにすることをテーマとする。

 ロンボク島は様々な意味で興味深い島である。知られるように、ロンボク島と西に隣接するバリ島との間にはウオーレス線が通る。動植物の生態は東西でがらりとかわるのである。また、宗教の面でも特異である。イスラームが支配的なインドネシアでバリ島だけはヒンドゥー教が信仰されている。ロンボク島はイスラーム化されているのであるが、バリ島に近接するその西部にはヒンドゥー教の強い影響が残されている。同じ小さな島にイスラームの影響とヒンドゥーの影響の両方をみることができるのである。

 住居のあり方もロンボク島は興味深い。高床式住居が支配的な東南アジアの島嶼部で、ジャワ、バリ、ロンボクは地床式である。一方、ロンボク島には、スンバワ人、ブギス人の高床式住居も見られ、二つの文化の境界域でもある。本研究は、ロンボク島の住居集落の地域的パターンを明らかにするとともに、デサ・バヤンについて詳細な考察を展開した。

 本研究が初めて本格的に焦点を当てたのがチャクラヌガラである。18世紀にバリのカランガセム王国の植民都市として建設されたチャクラヌガラは、インド文明の東端にあって、すなわち、ヒンドゥー文化の最周縁にあって、その理念を最も忠実に実現しようとした都市である。本研究は、街路パターンと宅地割、住区構成、祭祀施設等施設分布、住区組織、住み分けの構図、居住空間の構成等様々な視点から、チャクラヌガラの空間構造とコスモロジーとの関係を立体的に明らかにした。

 本報告書は、ロンボク島に関する様々な文献資料を可能な限りまとめ、今後の学際的研究の展開に資するよう配慮するとともに、アジア地域、イスラーム圏における都市、集落、住居研究へのひとつの展望を開くものである。

 


ロンボク島の都市・集落・住居の構成原理とコスモロジー

 

目次 

 

はじめに

 1.研究の目的

  2.研究の経緯

 3.調査概要

 

Ⅰ ロンボク島の概要

 1.自然と生態

 2.歴史

 3.民族と社会

 4.生活習慣

 5.既往の研究

 

Ⅱ ロンボク島の住居集落

 1.ロンボク島の住居集落

  11 ササック族の住居

  12 ササック族の集落

 2.住居集落の地域類型

  2-1 住棟形式

  2-2 集落形式

 3.デサ・バヤンの空間構造とその構成原理

  31 デサ・バヤンの集落構成

   311 モスク

   312 マカム

   313 カンプ

  32 バヤン・ティモール・グブック・テンガの構成

   321 住居の空間構成

   322 建物の所有関係

   323 日常時のブルガの空間利用

   324 儀礼時の空間利用

 

Ⅲ チャクラヌガラの構成原理

 1.ロンボク島の都市とチャクラヌガラ

  11 マタラム

  12 チャクラヌガラ

 2.チャクラヌガラの空間構成

  2-1 街路パターンと宅地割

   22 住区構成ーーーカラン

  23 祭祀施設と住区構成

  2-4 王宮の構成

 3.チャクラヌガラの住み分けの構造

  3-1  人口構成と住区組織

  3-2  住民構成と施設分布

  3-3  住み分けの構図

  3-4  居住空間の構成

 4.チャクラヌガラの空間構造とコスモロジー

 

Ⅳ ロンボクの都市・集落・住居の構成原理

     ヒンドゥー原理とイスラーム原理

 1.ロンボク島のコスモロジー

  1-1 プラの構成とオリエンテーション

  1-2 プラ

 2.住居集落とコスモロジー

 3.インドージャワ都市比較

 

COSMOLOGY AND SPACE ORGANIZATION IN LOMBOK ISLAND(INDONESIA)

HOUSE FORM , VILLAGE PATTERN AND CITY PLAN

 

Contents

 

Introduction

 1.Purpose of the Studies

  2.Process of the Studies

 3.Outline of the Field Survey

 

Ⅰ Lombok Island

 1.Nature and Ecological Background

 2.History

 3.Tribes and Societies

 4.Customs

 5.Review of the Studies

 

Ⅱ Houses and Villages in Lombok Island

 1.Houses and Villages in Lombok Island

  11 Sasak Houses

  12 Sasak Villages

 2.Typology of House Form and Village Pattern

  2-1 House Form

  2-2 Village Pattern

 3.Principles of Space Organization of Desa BAYAN

  31 Space Organization of Desa BAYAN

   311 Masjid

   312 Makam

   313 Kampu

  32 Bayan Timur Gubuk Tengah

   321 House Plan

   322 Ownership of the Buildings

   323 The Way of Use of Berugak

   324 The Way of Use of Space during Ceremony

 

Ⅲ Principles of Space Organization of Cakranegara City

 1.Cities in Lombok and Cakranegara

  11 Mataram

  12 Cakranegara

 2.Space Organization of Cakranegara     

  2-1  Street Pattern and Lot Pattern        

   22  Organization of CommunitiesーーーKarang

  23  Religious Facilities and Communities  

  2-4  Space Organization of Palace(Puri)    

 3.Distribution of the Population                   

  3-1  Community and Population                     

  3-2  Distribution of the Facilities and Communities

  3-3  Structure of Segregation                     

  3-4  Space Organization of Living Quarter          

 4.Space Structure of Cakranegara and Cosmology

 

Ⅳ House Form , Village Pattern and City Plan in Lombok

  :Hindu Principles and Islam Principles

 1.Cosmology in Lombok

  1-1 Layout of Pura and its Orientation

  1-2 Puras

 2.Village Pattern , House Form and Cosmology

 3.Hindu City and Jawa City

 


はじめに

 

 . 研究の目的

  本研究は、空間の形態とコスモロジーの関係を視点に、都市・住居・集落の構成原理について考察することを大きな目的としている。すなわち、都市や住居集落の構成原理に関わる宇宙観、思想、理念を問題とし、そのフィジカルな形態や様々な形象への具体的な表れ方をテーマとする。焦点を当てるのは、インドネシアのロンボク島であり、比較のための圏域として、インドネシアを含めて広くイスラーム圏を考慮する。何故、ロンボクなのかは以下の理由による。

 住居はひとつのコスモスである、あるいは、各地域の住居にはそれぞれの民族のもつコスモロジーが様々なかたちで投影される、と一般にいわれる*[1]。しかし、必ずしもそうは思えない地域も多い。つまり、コスモロジーは、必ずしも、具体的な形態や物の配置に示されるとは限らない。コスモロジーが形象として強く表れる場合と極めて稀薄な場合があるのである。

 インドネシア、とりわけ、ジャワ、バリ、東インドネシアにおいては、住居集落の構成とコスモロジーの強い結び付きを見ることができる*[2]。一方、一般に、イスラーム圏においては、住居集落の構成とコスモロジーとの結び付きは稀薄である。その差異は何に起因するのか。

 インドネシアは、今日、イスラーム圏の中で、少なくともムスリム人口の比重において大きな位置を占める。しかし、住居集落の構成を規定するのはイスラームの原理*[3]というより、土着的な基層文化のコスモロジーであるように見える。

 中でも、ロンボク島は極めて注目すべき特性を持っている。知られるように、イスラームが支配的なインドネシアでバリ島だけはヒンドゥー教が現在でも支配的である。バリ島の東に近接するロンボク島は、イスラーム化されているのであるが、一方その西部にはヒンドゥー教の強い影響が残されている。同じ小さな島にイスラームの影響とヒンドゥーの影響の両方をみることができるのである。そうした意味で、本研究の目的にとってロンボク島は極めて興味深い地域である。

  また、ロンボク島は様々な意味で興味深い島である。知られるように、ロンボク島と西に隣接するバリ島との間にはウォーレス線が通る。動植物の生態は東西でがらりとかわるのである。

 住居のあり方についてもロンボク島は興味深い。高床式住居が支配的な東南アジアの島嶼部で、ジャワ、バリ、ロンボクは地床式である(他にブル島がある)。一方、ロンボク島には、スンバワ人、ブギス人の高床式住居も見られ、二つの文化の境界域でもある。

 さらに、おそらく本研究が初めて本格的に焦点を当てるチャクラヌガラ Cakranegara の存在がある。18世紀にバリのカランガセム Karangasem 王国の植民都市として建設されたチャクラヌガラは、インド文明の東端にあって、すなわち、ヒンドゥー文化の最周縁にあって、その理念を最も忠実に実現しようとした都市なのである。 

 

 2.研究の経緯

 研究メンバーのほとんどは、1988年から1990年までの三年間、文部省科学研究費の助成を受けた重点領域研究「イスラームの都市性」に関する研究(比較の手法によるイスラームの都市性の総合的研究*[4]に参加してきた(C班 都市の形態と景観)。その研究会は、形態と景観についてイスラーム都市の特性を明らかにしようというものであったが、その結果を大胆に要約すると、必ずしもイスラーム都市に固有な特性はないというものであった。そこでテーマとして浮かび上がったのが都市とコスモロジーの関係である。

 具体的には「都城」(王権の所在地としての「都」そして城郭をもった都市、その二つの性格を合わせ持つ都市)について、それを支えるコスモロジーと具体的な都市形態との関係を、アジアからヨーロッパ、アフリカまでグローバルに見てみたのであるが、幾つかはっきりしたことがある。

 第一、王権を根拠づける思想、コスモロジーが具体的な都市のプランに極めて明快に投影されるケースとそうでないケースがある。東アジア、南アジア、そして東南アジアには、王権の所在地としての都城のプランを規定する思想、書が存在する。しかし、西アジア・イスラム世界には、そうした思想や書はない。

 第二、都市の理念型として超越的なモデルが存在し、そのメタファーとして現実の都市形態が考えられる場合と、実践的、機能的な論理が支配的な場合がある。前者の場合も理念型がそのまま実現する場合は少ない。理念型と生きられた都市の重層が興味深い。また、都市構造と理念型との関係は時代とともに変化していく。

 第三、都城の形態を規定する思想や理念は、その文明の中心より、周辺地域において、より理念的、理想的に表現される傾向がつよい。例えば、インドの都城の理念を著す『アルタシャストラ』*[5]や『マナサラ』*[6]を具体的に実現したと思われる都市は、アンコールワットやアンコールトムのような東南アジアの都市である。

 都市や住居集落の象徴的意味の次元と実用的機能的側面は必ずしも切然と区別できない。両方はダイナミックに関わり会う。ある条件のもとで、どちらかの側面が強く表現され優位となる。時代によって地域によって異なる様々な都市や住居集落の形態を統一的に考える大きな手掛かりになるのが、その形態とコスモロジーの関係である。本研究には、コスモロジー、より広く、人間の様々な象徴的実践が住居や集落の具体的形態にどう表れるのかというテーマをさらに深化させ、住居集落の構成原理に関する研究に寄与しようとするものである。

  3.調査概要

 第一次ロンボク島調査(1991126日~1224日 調査メンバー   応地利明、坂本 勉、金坂清則、布野修司、佐藤浩司、Josef Prijotomo、脇田祥尚、牧 紀男)。

 調査準備において、可能な限りの資料収集を行ったのは当然であるが、その過程で入手した六葉の地図*[7]によって、極めて整然としたグリッドパターンの都市の存在がわかった(図Ⅰー①)。チャクラヌガラである。歴史書によれば、バリ・ヒンドゥーによる計画都市であることがわかる。バリのカランガセム王国の植民都市であり、ヒンドゥーの都市理念がバリの諸都市よりもよく表されているのである。調査のひとつの焦点としてチャクラヌガラが浮かび上がった。また、第一次調査としては、島全体の都市、集落の把握にウエイトを置いた。港町としてのアンペナン、北部山間部、南部丘陵部、東部とおよその地域区分をもとに住居集落パターンの把握を行った。さらに、ヒンドゥーとイスラームの差異を窺う上で実に興味深い対象として、双方の聖地となっている場所、寺院があることがわかった。プラ・リンサールがそうである。そこで、ロンボク島西部を中心にプラの、特にオリエンテーションに関する調査を行うこととした。

 その後、分析考察を深めながら、第二次から第四次まで調査を行った。その概要は以下の通りである。

 第二次ロンボク島調査(199296日~103日 調査メンバー:布野、牧、脇田、松井宣明、青井哲人、堀喜幸、神吉優美):

 ○チャクラヌガラ調査:現地研究者や古老への都市史に関するヒヤリング調査。宅地割り寸法及び住区構成、住み分けの構造に関するフィールド調査。

 ○集落調査:住居・集落形式の類型に関する全島調査。デサ・バヤンを中心とする住居・集落の空間構成に関する調査。

 第三次ロンボク島調査(19931124日~1994120日 調査メンバー:応地、牧、脇田、吉井康純、山本直彦):

 ○チャクラヌガラ調査:コミュニティー組織に関する調査。宅地割り調査。一部カースト調査。

 ○集落調査:住居集落の地域類型調査。デサ・バヤンに関する約1ヶ月間の住み込み調査。住居の空間構成、建物の所有形態、ブルガの利用状況等。

 第四次ロンボク等調査(199452日~518日 調査メンバー:布野、応地) ○チャクラヌガラ調査:各住戸の民族・宗教・カーストに関する悉皆調査。

 



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