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2021年10月12日火曜日

北京激変  オリンピック前夜の狂騒 上

 北京激変  オリンピック前夜の狂騒 上,日刊建設工業新聞,20070629

北京激変  オリンピック前夜の狂騒 下,日刊建設工業新聞,20070706

 

北京激変 オリンピック前夜の狂騒    

 日本建築学会計画委員会の春期学術研究集会で北京へ行ってきた(五月三一日~六月三日)。昨年のソウルに続いての海外開催である。参加者は九四名、国士舘(ジョージ国広引率)、東北大(小野田泰明引率)をはじめとして、滋賀県立大学、東京理科大学、武蔵野大学、首都大学など学生の参加が五〇名にのぼった。大盛況である。アジアは実に身近になった。

北京は四年ぶりであったが、その変貌には、眼を見張った。オリンピック施設を中心に至る所にクレーンが建つ。車が増えて、渋滞につかまる。それに黄砂にスモッグである。

まず、中国建築学会を訪問、アジア建築交流国際シンポジウム(ISAIA)を通じて旧知の張百平事務局次長のセットで、周畅先生の説明(「北京的新建筑」)を受けた。北京中心ではあったけれど、無慮二百を超える中国の新建築の画像を見せられて、その百花繚乱のエネルギーに眩暈を覚えそうであった。中国建築界は、いまや遠い過去のように思えるバブル期の日本を遥かに凌駕している。

北京を車で走ると、街並み景観の層を容易に見て取れる。十八世紀の乾隆帝の時代にも遡る胡同(フートン、路地)は最早風前の灯であるが、表通りの骨格をつくっているのが五十年代末から六十年代にかけての「ソビエト風」の近代建築である。天安門広場の両翼を固める「人民大会堂」と「国立博物館」がその代表であり、随所に建てられた六階建ての共同住宅が北京の景観の「地」を造っている。そして、中国風「帝冠様式」の時代が訪れ、伝統的建築の屋根を模したビルが点々と建っている。北京駅がその代表である。続いて、八〇年代以降、超高層アパートの時代がくる。改革開放の掛声とともに、ポストモダンの建築が移植され、オリンピック(二〇〇八年)と上海環境博(二〇一〇年)を迎える今日の「建築自由」の時代が来る。「十大建築師」の時代は過ぎ去りつつあり、四〇歳代から五〇歳代にかけての建築家がリーディング・アーキテクトとして登場しつつある。

「鳥の巣」(国立競技場)と「泡」(国立水泳競技場)、二つのオリンピック施設の超目玉は、北京の歴史的都市軸線上、「四環(第四環状線)」に、左右に向き合って、ほぼその姿を見せていた。残念ながら、工事現場には入れなかった。レム・コールハウスの中央電子台(CCTV)は、ほぼ鉄骨が組みあがり、空中部分がこれから繋がり始めるところである。人民大会堂に接して巨大な卵形のオペラハウスがほぼ完成している。

単なるバブリーな建築ばかりではない。中国建築の百花繚乱には、可能性に満ちた様々な方向性がある。中でも面白いと思ったのは、「七九八」という「芸術家村」である。もとは地雷を造っていた工場だというが、その工場街区全体をギャラリー、美術館にコンヴァージョンしたプロジェクトである。天井の半ヴォールトに「毛沢東万歳」などという文字がそのまま残されていたりする。世界で最先端の建築デザインを様々なレヴェルで受容する中国の懐の深さを垣間見たような気がした。

一方、中国の環境問題は深刻である。北京大学での講演で、穐原雅人(トウ・イ)君が旱魃や洪水など異常気象を陰の中国の問題として指摘してくれたけれど、北京に数日滞在しただけでもそれは実感できた。とにかく建設ラッシュである。日本で五年かかる工事が五ヶ月でできる、というのはオーヴァーにしても、ものすごい建設量である。日本で鉄が盗まれる、その行き先は明らかに北京なのである。


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