日本文化デザインフォーラム編:時感都市計画,栄光教育文化研究社,1995年
時間メディア都市
布野修司・上野俊也・大江匡・内藤廣・長谷川逸子
私の環境学:地域の生態系に基づく住居システムに関する研究,環境科学部年報第10号,2006
布野修司
「51C(ゴジュウイチ・シー)」という暗号?をご存じであろうか?鉄道ファンに愛されている蒸気機関車の型番D51(デゴイチ)ならぬ「51C」である。一般には耳慣れない「51C」であるが、公営(村営、町営、市営、府営、都営)住宅の平面型(間取り)の1951年のC型という型番である。他にA型、B型があった。
住宅の間取りというと誰にも身近である。あれこれ考えるのは楽しい(筈である)。ところが、日本の住宅の間取りを大きく規定してきたのがこの「51C」である。わかりやすく言えば、「51C」とは2DK(ニー・ディー・ケー)の原型である。すなわち、DK=ダイニング・キッチンという日本独特の空間、ひいては日本全国画一的にnLDKというパターンが定着していく元になったのが「51C」なのである。
実は、この「51C」を設計した研究室(吉武泰水・鈴木成文研究室)の出身である。以来今日に至るまで、建築計画学の分野でも住居(居住環境)の設計計画の問題に拘り続けてきた。「51C」をめぐって、つい最近も議論にひっぱり出された[1]が、「51C」をどう乗り越えるかは大きなテーマであり続けている。
「51C」がどのように生み出されたのかについて、『国民住居論攷』(西山夘三)[2]などその理論的背景[3]についてここで詳述する余裕はないが、要するに、ある制約条件(35㎡という限られた面積)において、「食べる場所と寝る場所を分ける」(食寝分離)、「寝室を分ける(二部屋確保する)」(就寝分離)という単純な二つのルールをもとに設計されたのが「51C」型平面(間取り)である。時代の制約あったとは言え、他に解答があったのではないか、というのが学を志した当初の直感である。建築計画学については、「「建築学」の系譜---近代日本におけるその史的展開」[4](1982年)で総括しているが、その「型」計画の方法は行き詰まっているように思えたのである。
手探りではあったが、住戸計画をひとつはセルフ・エイド系(居住者の設計参加))を組み込んだかたちで考えること、ひとつは地域における住宅生産を考えることを軸として研究の出発点とした。初期には公共住宅の増改築に関する研究、地域住宅生産システムに関する研究で成果をあげている。今、振り返って手前味噌に言えば、コンヴァージョンやリフォームをいち早く手がけていたことになる。
東洋大学に移って、(故)磯村英一学長(都市社会学)から「東南アジアの居住問題に関する理論的実証的研究」(1978~1983)と題する研究プロジェクトを展開する機会を与えられたことが、以上の関心をより広くアジアのフィールドで展開するきっかけとなった。以降、広くアジアの都市環境、住環境を一貫するテーマ領域としてきた。アジア研究に携わるにあたって、当初の二年、京都大学東南アジア研究センターの夏期セミナーに参加、高谷好一(京都大学・滋賀県立大学名誉教授)など多くの先生から東南アジア地域研究の手ほどきを受けた。まず、フィリピン、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアを対象地域として、それぞれ都市と農村の住環境についてフィールドワークを展開した。その成果をまとめたのが『地域の生態系に基づく住居システムに関する研究』(Ⅰ)(1981年)(Ⅱ)(1991年)[5]である。
平行して、インテンシブなフィールドワークの対象としたのはスラバヤ(インドネシア)のカンポンkampung(都市内集落)である。カンポンとは、日本語で言うとカタカナでいう「ムラ」というニュアンスである。都市なのにムラという。そのあり方に興味を持った。その立地、民族構成、居住密度、形成史を考慮することによって4つのカンポンを選定、住居平面などそのフィジカルな形態を詳細に図面化する作業(デザイン・サーヴェイ)と居住者のライフヒストリーの聞き取り調査をベースに、カンポンの居住地としての特性を様々な視点から立体的に明らかにした。ほぼ10年に及ぶ研究成果をまとめたのが学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究---ハウジング・システムに関する方法論的考察』(東京大学、1987年:1991年日本建築学会賞論文賞受賞)であり、そのエッセンスを一般に公開する機会を得たのが『カンポンの世界』(1991年)である。
スラバヤの調査カンポンについては、カウンターパートであるスラバヤ工科大学のJ.シラス教授(東南アジア研究センター客員教授1998年)との共同研究として今日にいたるまで定点観測を続けている。1996~98年には『スラバヤ・エコハウス』という実験モデル住宅を建設するという実践的機会も得た。椰子の繊維を断熱材に使うアイディアは極めて効果的であることが実証された。また、井水をソーラー・バッテリーによって循環させる天井輻射冷房の可能性は高く評価されたと自負している。
研究展開の次のステップになったのは、「イスラームの都市性」に関する重点領域研究への参加である。インドネシアをやっているのだからと共同研究への参加を求められた。都市景観を主テーマとする第三班に属し、班長であった京都大学の応地利明先生(立命館大学、京都大学名誉教授、地域研究)から大きな刺激を受けた。研究のネットワークが広がるなかで京都大学に拠点を移すことになった。建築計画学の西の拠点としてより広い視点から研究展開がなされており、「地域生活空間計画」講座という(故)西山叩三先生が創設された研究領域に惹かれたことが大きい。
京都大学に移って、最初に手掛けたのは、インドネシアのロンボク島の調査である。特にチャクラヌガラという18世紀にバリのカランガスム王国の植民都市として建設された興味深い都市について、その構成原理を解明する研究に集中することになった。その成果はいくつかの論文にまとめることになったが、ライデン大学が出版した“Indonesian Town”のシリーズの三冊目(Peter J.M. Nas (ed.):Indonesian
town revisited, Muenster/Berlin, LitVerlag, 2002)に収められた‘The Spatial Formation in Cakranegara, Lombok’が大きな成果である。
チャクラヌガラ研究においてテーマとして大きく浮かび上がったのが、都市構成におけるヒンドゥー原理とイスラーム原理の差異、そしてヒンドゥー教徒とムスリムの棲み分けの問題である。チャクラヌガラを18世紀に建設されたヒンドゥー都市の東端とすると同時代にその西端に建設されたのがジャイプル(ラージャスタン、インド)である。チャクラヌガラとの比較を大きな目的として、ジャイプルにおいてフィールドワークを展開することとなった。カトマンドゥ盆地のパタン、ティミ、ハディガオンについての調査研究もヒンドゥー教的コスモロージーと都市形態に関する研究の延長である。また、比較のためにインド・イスラーム都市としてアーメダバード、ラホールについてもフィールドワークを展開した。
都市組織urban
tissue, urban fabricと街区構成、都市型住宅についてのその後の研究展開については、「Urban Housing in Asia:Research on Community Model of
Metropolis in Developing Regions (Humid Tropics):アジアの都市住居:発展途上地域の大都市における居住地モデルに関する研究」[6]に総括する通りである。
この間、Roxana
Waterson の“The Living
House: An Anthropology of Architecture in South-East Asia”[7]を翻訳する機会を得た。また、平行して20年に及ぶフィールドワークの経験をもとに『住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論』[8]をまとめる機会を得た。
カンポンという言葉は、実は英語のコンパウンドcompoundの語源であるとされる(OED)。ヨーロッパ人がマラッカやバタヴィア(ジャカルタ)の住宅地を見て、カンポンという現地人の言葉を知り、インドでも同じような居住地をそう呼ぶようになったのだという。そして、大英帝国が植民地とした地域で一般的に用いられるようになる。アフリカでは囲われた集落のことをコンパウンドというのである。インドネシアのカンポンに導かれながら、関心は世界に広がることになった。さらに新たな研究展開に繋がったのが「植民都市研究」である。「植民都市の形成と土着化に関する研究」(1997~98)「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(1999~2001)として5年にわたって科学研究費(国際学術研究)を得ることが出来た。植民都市研究は、基本的に〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容の研究である。都市の空間生態学に視点を置きながらこの間フィールドワークを展開しつつあるのが、マラッカ、ヴィガン(フィリピン)、バンコク、そしてスラバヤである。東南アジアの諸都市において、その植民都市遺産をどう位置づけるかは、今日大きなテーマである。この成果は、文部科学省の研究成果公表促進助成を受けた『近代世界システムと植民都市』[9]にまとめた。また、平行してつい最近『世界住居誌』[10]を上梓することができた。
以上のように、この四半世紀、発展途上地域の大都市の居住地のあり方を中心に考えている。具体的に焦点を当て研究対象としてきたのは東南アジアの大都市であり、続いて南アジアであり、それぞれの気候風土に相応しい居住地を構成する都市型住居モデルの開発を主題としてきた。東アジアについては、韓国、台湾、北京について、主として都市形成史、都市組織について研究してきている。近年は、韓国研究者との共同研究として「植民地期における韓国の日本人移住漁村の形成と変容に関する研究」を展開中である。
21世紀を迎えて「地球環境問題」がますます深刻なものとして意識されつつある。そこで、グローバルに大きな焦点となっているのは、発展途上地域の大都市の居住問題である。人口問題、食糧問題、エネルギー問題、資源問題など地球環境全体に関わる様々な問題は既に先進諸国よりもアジア、アフリカ、ラテン・アメリカの大都市においてクリティカルに顕在化しつつあるのである。発展途上地域の大都市の居住問題に対してどういう解答を与えるかは、都市計画・地域計画の大きな課題であり続けている。
日本においては、阪神淡路大震災は、大きな衝撃であり、都市地域計画を見直す大きなきっかけとなったことはいうまでもない。阪神淡路大震災に先立ってまとめたのが、『町家再生に係る防火手法に関する調査研究』[11]である。伝統的な京町家の保存と防火規定、伝統的なまちなみ景観と防災をめぐるテーマは、京都に限らない歴史的都市に共通の課題であるが、「町家再生」「まちなみ景観再生」の立場から、その制度・手法をまとめた。阪神淡路大震災の直後は、復興支援から被災度調査に携わった。日本建築学会による被災度調査については、尼崎市(約15万戸)を担当し、東園田地区を中心として復興計画に実践的に関わった。また、後方支援として、研究組織を立ち上げ、各地の復興計画立案の支援を行った。その結果は、『阪神大震災研究の復旧・復興過程に関する研究』[12]にまとめている。また、その経験をもとに、日本の都市計画・地域計画のあり方について考え、主張してきたのはタウンアーキテクト制である。その構想をまとめたのが、『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』である[13]。
おおよそ以上のような研究活動と平行して、『戦後建築論ノート』(『戦後建築の終焉』)をはじめとして、建築論に関わる論考を発表してきた。また、建築批評を展開してきた。それをある程度まとめたのが、布野修司建築論集Ⅰ~Ⅲ『廃墟とバラック・・・建築のアジア』、『都市と劇場・・・都市計画という幻想』、『国家・様式・テクノロジー・・・建築のアジア』である。
環境科学という新たなフレームを与えられて、「地域の生態系に基づく住居システム」という当初のテーマが鮮やかに蘇った思いがしている。これまでのささやかな蓄積を大事にしながらも、諸先生との共同研究を大いなる刺激・糧として、さらに一仕事、二仕事、新たな研究展開を図りたいと思っている。
[1] 『「51C」 家族を容れるハコの戦後と現在』、平凡社、鈴木成文・上野千鶴子・山本理顕他、2004年
[2] 伊藤書店、1944年
[3]
拙稿、「西山夘三論序説」、『国家・様式・テクノロジー―建築の昭和―』(布野修司建築論集Ⅲ)、彰国社、1九九八年
[4] :新建築学体系1『建築概論』、大江宏編,彰国社, 1982年
[5] 住宅総合研究財団,1981年, 1991年
[6] traverse03、新建築学研究、京都大学建築学教室、2002年
[7] 『生きている住まいー東南アジア建築人類学』 布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会1997年
[8] 朝日選書、1997年
[9] 京都大学学術出版会、2005年2月
[10] 布野修司編、昭和堂、2005年
[11] 主査 西川幸治 分担執筆,町家防火手法研究会,1994年3月
[12] 主査 室崎益輝 分担執筆,日本住宅総合研究所,1996年
[13] 建築資料研究社,2000年
『図書新聞』読書アンケート 2021上半期 下半期
2021年上半期
布野修司
❶山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって 原発事故とコロナ・パンデミックから見直す』みすず書房2021年4月
❷神田順『小さな声からはじまる建築思想』現代書館2021年2月
❸松村淳『建築家として生きる 職業としての建築家の社会学』晃洋書房2021年3月
❹辻泰岳『鈍色の戦後 芸術運動と展示空間の歴史』水声社2021年2月
❺日埜直彦『日本近現代建築の歴史』講談社選書メチエ2021年3月
❶は、「フクシマ」後、「コロナ・パンデミック」後の日本の採るべき指針を明快に指し示す緻密な論考。ローカル線が潰れていくなかでリニア中央新幹線の建設に突き進むのは日本の破滅への道である。❷は、「建築基本法」制定運動を粘り強く展開する建築構造家の自らの歩みを振り返る建築論。阪神淡路大震災、耐震偽装問題、東日本大震災を鋭く問う。❸は、文化欄では「建築家」しかしその他の欄では建築業者に過ぎない、そうした建築家「界」の重層的差別の構造を鋭く抉る。ありうべき建築家について考える必読書。❹は、展覧会を軸に戦後建築を問う。フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルの工事管理で来日して以来、日本の近代建築の歩みに大きな影響を与えたとされるアントニン・レイモンドの占領期の仕事(戦時中は焼夷弾の延焼実験のために木造住宅地を設計(1942)、戦後は政商として動いた)が冒頭論じられる。❺は、日本の近代建築の歴史を、明治維新に遡って、「戦後」を含んだかたちで叙述するはじめての通史の試み。これまで書かれた日本の近代建築史は、何故か敗戦までの歴史であった。『戦後建築論ノート』(1981)を書いた評者としては、我が意を得たりである。
個人的な収穫としては、❻布野修司『スラバヤーコスモスとしてのカンポン』京都大学出版会2021年2月を上梓した。『カンポンの世界』(1991)以降のアジア都市組織研究の集大成である。起承転結の学術書のスタイルを超える?重層的な構成を試み、QRコードでカンポンの生活風景を映した動画も組み込んだ。(建築批評)
2021年下半期
布野修司
❶高島直之『イメージかモノか―日本現代美術のアポリア』武蔵野美術大学出版局2021年11月
❷小野田泰明・佃悠・鈴木さち『復興を実装する 東日本大震災からの建築・地域再生』鹿島出版界2021年7月
❸ JCAABE日本建築まちづくり適正支援機構『建築系のためのまちづくり入門 ファシリテーション・不動産の知識とノウハウ』学芸出版社2021年9月
❹松村秀一『建築の明日へ 生活者の希望を耕す』平凡社新書2021年7月
❶は、『芸術の不可能性 滝口修造 中井正一 岡本太郎 針生一郎 中平卓馬』(2017)に続く日本現代美術論。前著同様、芸術の成立根拠を執拗に問う。イメージ(観念)かモノ(物質)か、本書のテーマはタイトルに端的に示されるが、日本美術の1970年前後、「もの派」そして「アンチ・フォーム」と呼ばれる系譜、反芸術、芸術解体、無芸術の系譜を追っている。❷は、東日本大震災以後、仙台を拠点に東北各地の復旧復興活動に建築都市計画の分野から最も深くかかわったグループによるその記録であり、総括であり、それに基づく地域再生論である。大震災によって東北地方は一気に2050年段階の人口に減少したとされる。少子高齢化の行き着く日本の地域社会の抱える問題が抉り出される。「復興を実装する」というタイトルは?
❸は、あえて「建築系のための」をうたって、日本各地のまちづくりの経験を伝えようとするマニュアルである。連ヨウスケによるマンガ「まちファシ物語」も巻末にある。ファシとはファシリテーターのことである。❷❸は一方で建築の明日は必ずしも明るくはない実態を説いている。❹は、「希望を耕す」という。「箱の産業より場の産業へ」「ひらかれる建築」など建築界の未来をめぐって発言を続けてきた著者の総まとめの感がある。(建築批評)
『図書新聞』読書アンケート 2020上半期 下半期
布野修司
①『三島由紀夫1970』文芸別冊、河出書房新社
②竹山聖+京都大学竹山研究室編『庭 のびやかな建築の思考』エイアンドエフ
③逃げ地図づくりプロジェクトチーム編著『災害から命を守る「逃げ地図」づくり』ぎょうせい
①は、映画(監督豊島圭介)『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」に合わせた刊行。TBSが異例ともいえるほどTVCMを緊急事態宣言解除以降も流すが、観客数は如何。自らの来し方を振り返るべく封切り直後に見たが、半世紀の歴史を貫く、また日本の戦前戦後に通底する深層に迫る。本書のなかで、『三島由紀夫と』を書いた菅孝行は、三島由紀夫と亀井文夫(映画監督『日本の悲劇』)のを歴史上のさらしものにしたままでは「歴史に後から立ち会ったわれわれの沽券は台無しである』という(「憂国忌五〇年 自刃の再審へ」)。
②は、建築家竹山聖とその仲間たちの思索と活動の記録である。巻頭には、原広司、隈研吾との鼎談「庭をめぐる想像力」が置かれている。竹山と隈は原研究室の同級生で最初の大学院生である。隈研吾は、今や日本のリーディングアーキテクトとして国際的に最も著名な建築家のひとりとなったが、竹山の営為は隈に勝るとも劣らない。建築家の寿命は長い。これからの二人が楽しみである。
③は、少なくとも全自治体首長、防災担当者の必読書である。地球温暖化のせいであろう。日本列島を次々に大災害が襲う。ハザードマップなるものがあるが(そもそも未作成のところが少なくない)、肝心なのは命をなくさないことである。そのためには、逃げる、ことである。
COVID-19は、国、自治体、地域、家族…など集団関係の全てを根底的問い直すことを要求しつつあるが、高気密高断熱を推し進めてきた建築そして都市空間には、それこそ革命的変化(ウイルスとの共生)が必要である。布野修司(都市建築批評)
2020下半期
①藤森照信『藤森照信作品集』写真増田彰久、TOTO出版、2020年6月
②山本想太郎・倉方俊輔『みんなの建築コンペ論 新国立競技場問題をこえて』NTT出版、2020年7月
③松村秀一・服部岑生編『和室学』平凡社、2020年10月
①は、建築史学を出自として、建築探偵を自称して路上観察学などの展開してきた後、40歳を過ぎて建築家に転じた藤森照信の建築作品の集大成、その決定版である。建築家に転じたというが、建築を志して以来、一貫するものがこの作品集に込められているといっていい。この30年間の作品61が網羅されているが、日本のみならず台湾、モルディブ、ヨーロッパに足跡を刻んでいる。屋根にタンポポやニラが生えた、あるいは、室内に植えられた樹がそのまま屋根を突き抜ける作品でしられるが、藤森作品に一貫するのは素材に対する拘り、徹底した探求である。素材が織りなす世界が作品集冒頭の数葉の写真が示唆している。
②は、新国立競技場問題によって露呈した建築設計界の問題、特にコンペ(設計競技)の問題に焦点を当て、建築がみんなのものであるために、コンペの重要性を説く。東京オリンピックの開催そのものが危ぶまれる中で、新国立競技場問題は遠い過去のように思えるが、建築コンペは何もモニュメンタルな建築だけのものではない。少なくとも、全ての公共建築はコンペによってみんなでつくるものである。
③は、世界で日本にしかない空間として和室の「新生」をうたう。先頃、日本建築を支えてきた建築職人技術が無形文化財に指定されたが、裏を返せば、日本建築の伝統的建築技術がこの間衰退してきたことを示している。「和室学」を関する本書は、その起源、素材としての畳、茶の湯など12本の論考からなっている。
布野修司(都市建築批評)
2008年度日本建築学会技術部門設計競技
「公共建築の再構成と更新のための計画技術」
主催 日本建築学会建築計画委員会
21世紀をむかえ、3,000以上あった日本の地方自治体の数は、1千数百に再編された。自治体の合併にあたって、各自治体は既存公共建築の統廃合を検討推進している。今後、新築される公共建築は半減することが予想され、また財政上の理由からも、既存公共建築機能の有効な再配置、再構成、更新が求められている。その際、魅力ある建築再生のためには、1)計画技術(住宅系、施設系、基礎系)および2)構法計画技術のコンビネーションが必要不可欠である。
国、地方自治体、公共事業体などが保有する既存の公共建築をとありあげて、上記1)、2)のコンビネーションによる、市民と自治体から支持される持続可能で魅力的な改築の計画技術提案を募るものである。
応募要領
1|公共建築の再構成と更新のための計画技術
2|応募資格
本会個人会員(準会員を含む)、または会員のみで構成するグループとする。なお、同一の個人または代表名で複数の応募をすることはできない。
3|条件
1―公共建築の再構成と更新の設計計画方針と実施過程が具体的に表現されていること。
2―応募者が自由に条件を設定してよい。例えば次のような提案が考えられる。
a)市町村合併に伴って、既存の庁舎をどう再構成、再利用するか。
b)少子化に伴って統廃合される教育施設をどう再構成、再利用するか。
c)建築計画・プログラムと実態との不整合により、うまく機能していない施設をどう再利用するか
d)点在する公共施設を防災ネットワークのサテライトとしてどう再構成するか
e)公共建築として建設された駅舎、郵便局、電話局舎などを、新たな機能を導入してどう活用するか。
3―対象とする建築物は実在のものとする。以下についての革新性、独創性、魅力度などを評価軸とする。
a)地方自治体と市民へのリアリティ b) 計画技術c) 構法技術
4|審査員(敬称略、五十音順)
委員長 南 一誠(芝浦工業大学)
幹事 布野修司(滋賀県立大学、建築計画委員会委員長)
宇野 求(東京理科大学、建築計画委員会幹事)
委員 岡垣 晃(日建設計総合研究所)
金田充宏(東京芸大)
加茂紀和子(みかんぐみ)
杉本俊多(広島大学)
宿谷昌則(武蔵工大)
竹下輝和(九州大学)
長澤 悟(東洋大学)
深尾精一(首都大学)
六鹿正治(日本設計社長)
専門委員(第一次審査)
大原一興(横浜国大)/小野田泰明(東北大学)/菊地成朋(九州大学)/清水裕之(名古屋大学)/広田直之(日本大学)/藤井晴行(東京工業大学)/野城智也(東京大学)
5|提出物(使用する言語は、日本語または英語とする)
1―応募申込書
下記内容をA4判1枚に明記すること。書式は自由。
①提案名(提案内容を的確に表す簡潔なタイトル)
②代表者および共同制作者全員の氏名・ふりがな・会員番号・所属
③上記中の事務連絡担当者の氏名・ふりがな・会員番号・所属・電話番号・E-mailアドレス
2―計画提案
A1判1枚に以下の内容をおさめる。用紙は縦使いとし、パネル化しないこと。
①提案名(提案内容を的確に表す簡潔なタイトル)
②対象とする地域と建築物の概要(地域計画図、建築図など)
③公共建築の再構成と更新の意図と概要(計画方針とその評価、環境、省エネルギー、機能性、経済性、施工性への配慮)
④再構成・更新後の主要建築物のデザイン(再構成・更新過程図、設計図など)
⑤上記図面のPDFファイル
◎注意:提出図面には、氏名・所属など応募者が特定できる情報を記載しないこと。
6|提出期限2008年6月20日(金)
(当日の受付締切は17時。郵送の場合は当日消印有効。ただし宅配便は不可)
7|審査会
審査は二段階で行う。
1―一次審査会(公開)2008年7月上旬の予定
入選作品を選定する。
2―二次審査会(公開)2008年9月の日本建築学会大会
候補者による10分程度のプレゼンテーションを実施し、その後各賞を決定する。
◎詳細は後日、本会ホームページに掲載する。
8|表彰
最優秀賞―1点:賞状および副賞50万円
優秀賞―2点以内:賞状および副賞15万円
佳作―若干:賞状および副賞5万円
ただし、審査結果において該当作品なしとする場合がある。
9|審査結果の公表等
入選作品は2008年9月の日本建築学会大会で表彰する。入選作品は講評とともに日本建築学会大会および建築会館で展示し、審査経過とともに『建築雑誌』および本会ホームページに掲載する予定である。
10|その他
1―応募図面および関係書類は返却しない。
2―応募作品の著作権・特許権は応募者に帰属するが『建築雑誌』・本会ホームページへの掲載や日本建築学会編の出版物に用いる場合は、無償でその使用を認めることとする。
3―課題に関する質問は受け付けない。
11|提出先
(社)日本建築学会事務局「技術部門設計競技」係
〒108-8414 東京都港区芝5-26-20
TEL03-3456-2057/FAX03-3456-2058/E-mail: imai@aij.or.jp
『図書新聞』読書アンケート 2017上半期 下半期
2017年度上半期読書アンケート
①平良敬一、平良敬一建築論集 機能主義を超えるもの、風土社。
②松隈洋、建築の前夜 前川國男論 、みすず書房。
③種田元晴、立原道造が夢見た建築、鹿島出版会。
①は、『国際建築』『新建築』『建築』『SD』『都市住宅』『住宅建築』など、戦後の主要な建築雑誌の発刊、編集のほとんど全てに関わってきた建築ジャーナリズムの「神様」、平良敬一初の建築論集である。今年、91歳。一線を退いたとは言え、建築界の問題をめぐって発言を続けている。初の建築論集とは意外であるが、編集者に徹してきたということである。大論文は少ないが、編集や特集に寄せた小論考は鋭く、戦後建築の初心を生き続けてきたその主張には驚くべき一貫性がある。②は、戦後建築をリードし続けた前川國男の戦前戦中を丹念に問う。前川國男の戦前戦後の連続・非連続、転向・非転向をめぐってはこれまでも議論されてきたが、その実相に深く迫っている。③は、夭折の詩人であり建築家であった立原道造の「建築の夢」を問う。立原道造もその日本浪漫派との関係が議論されてきたが、昭和末期生まれの若い建築家がその夢の可能性を問う。いずれも戦後建築の基層をさらに深く問う真摯な信頼すべき論考である。時代が要請しているのである。
布野修司(建築批評)
『図書新聞』読書アンケート 2016上半期 下半期
2016年度上半期
① 磯崎新、偶有性操縦法、青土社
②黒沢隆、個室の計画学、鹿島出版会
③河江肖剰、ピラミッド・タウンを発掘する、新潮社。
①のサブタイトルは「何が新国立競技場問題を迷走させたのか」。ザハ・ハディドを見出した世界的建築家による怒りの追悼書である。女性、イスラーム圏出身ということで「魔女狩り」にあったと言うが、その批判は建築界さらに日本の政財界のディープな深層に及ぶ。「ハイパー談合システム」「「日の丸」排外主義」…その告発は鋭く重い。東京オリンピックに向けていくつかの施設建設が進められつつあるが、建設業界の空洞化は覆うべくもない。②は、2014年に亡くなった建築家の論集。薫陶を受けてきたものたちがそのエッセンスを編みなおした。個室が集まって一軒の家になる、そして・・・都市になる。その組み立てを今問う意味は大きい。③は、ピラミッドをめぐる考古学的知見の最新情報を知ることが出来る。著者によればニューエイジャーの疑似科学ということになろうが、渡辺豊和『縄文スーパーグラフィック文明』(ヒカルランド)は、建築家の溢れ出る創造力の顕在を示す。
布野修司(建築批評)