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2022年4月30日土曜日

マラッカの住宅地 カンポン・モートン(マレーシア),家とまちなみ,住宅生産振興財団,200303 31

マラッカの住宅地 カンポン・モートン(マレーシア),家とまちなみ,住宅生産振興財団,200303 31 


マラッカのカンポン・モートン

 

布野修司

 

マラッカは古くからの交易都市として知られる。そして、1511年にポルトガルに攻略されて以降は、とりわけ東西交易の拠点として栄えた。オランダ(1641年~1795年)、イギリス(1824年~1957年)と続いたその支配の歴史を町の景観に残している。

セントポールの丘にはザビエルを埋葬したという教会が建ち、その麓にはポルトガル期のサンチャゴ砦がある。市役所などはオランダ時代のものだ。丘を取り囲む要塞部分とはマラッカ川で隔てられる市街には、インド人、マレー人、そして中国人が居住する。トゥカン・エマス通りには中国廟、モスク、ヒンドゥー寺院が並んで建っている。主要な骨格はババニョニャと呼ばれる中国人によってつくられた。トゥン・タン・チェック・ロック(ヘーレン)通りには見事にショップハウス(街屋、店屋)が並んでいる。奥行き100m近くにもなるものもある。

近々世界文化遺産へ登録申請しようかというこのマラッカの旧市街のすぐ北に、カンポン・モートンと呼ばれる不思議な住宅地がある。マラッカ川が丸く蛇行し、丁度島のような一角である。切妻屋根を連ねた高床式のマレー住居が建ち並んでいる。回りには高層ビルが建ち並び始めているから、まるでここだけタイム・スリップして、過去のマラッカに戻ったようである。

マレーシアで最も美しい村のひとつとされる。このカンポン(都市内集落)を愛し、モートンという英国人が住んだのだという。それが名前の由来である。20世紀の初頭にこの地に住み着いた一族の家、セントサ邸は、生きている博物館として観光客にも開放されている。亜鉛塗鉄板はいただけないと思うけれど、保存修景の措置はとられている。

ヌグリ・スンビラン州に西スマトラから移り住んだミナンカバ族の住居がそうであるように、農村では住居は散在するのが一般的である。このように屋根を揃えて密集する形態はかなり珍しい。しかし、カンポンというのはもともとこうした都市的集落をいう。実は英語のコンパウンドはカンポンから来ているのだ(オクスフォード英語辞典)。マラッカ、あるいはバタヴィアで見たこうした集落のあり方から、英領インドで使われるようになり、やがてアフリカの現地人集落をさす言葉にもなったのだという。




 

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