昭和設計の造形を語る,日刊建設工業新聞,19971009
昭和設計の造形を語る
布野修司
「なみはやドーム」は不思議な空間であった。丁度、国体のリハーサルの最中でレーザービームが飛び交い、幻想的雰囲気が溢れていた。周囲には日本の大都市近郊のありふれた住宅地の風景が拡がる。そこへ楕円球が舞い降りる。いかにも異質である。雑然とした日常風景から心地よい胎内空間へ、何とも言えない体験であった。
組織事務所が組織事務所であるために、その組織力を売り物にするのは当然である。しかし、どんな組織でも組織の形があり、その編成の仕方が建築表現にも自ずと現れる筈だ、というのが僕の信念である。だから、組織事務所にも個性ある顔が欲しい、といつも思う。そして、こういう機会にはいうことにしている。どこのどの事務所がやったのかわからないようじゃ困まりますよと。
実際、組織が巨大になればなるほどその表現は無名性を帯びる。個性の主張は好悪の評価を分裂させる。よけいなコンフリクトを避けたければ無難なデザインに落ち着く。無駄なエネルギーは組織の利益に反する、というのが凡庸な組織の論理である。
「なみはやドーム」「ワールド記念ホール」「神戸ファッションマート」「神戸ファッション美術館」を今回見せて頂いて、ある一貫するものを感じて組織表現のひとつのあり方を思った。この一貫性は、果たして、川口衛という構造設計家のものかというと、おそらくそうではあるまい。昭和設計内部にこの一貫性を支える論理がなければ、また人が居なければ、こうまで意欲的デザインは展開できないはずだ。
六〇年代から七〇年万博にかけての表現主義の時代とはいささか違う。街づくりあるいは再開発の複雑な関係を解く組織力とそれをひとつにまとめる際に果たす構造デザインの力の幸福な共同関係を垣間見た気がしないでもない。
大阪湾の楕円形を写すとか、大阪城をすっぽり納める弾道形のアトリウムとか、UFOが舞い降りた形のオーディトリアムとか、いささかイージーなシンボリズムに頼り過ぎなのは愛嬌か。しかし、その一貫性を組織力とすぐれた構造家の天才で支えれば、才気走った若い建築家の出番はないだろう、と思わせる。
昭和設計は果たして外部との共同を組織論として戦略化しているのであろうか。宝塚駅前(花の道周辺)再開発事業のコンペではたまたま審査員を努めた。永田祐三とのジョイント提案であり、群を抜いていた。能力あるタレントとの共同はひとつの可能性を示している。しかし、昭和設計のアイデンティティとは何か、ということは常に問われる。
四〇年というのは既に歴史である。その創立から現在に至る堅実な仕事には心底敬意を覚える。しかし、どんな組織でも新陳代謝は避けられないだろう。昭和設計の組織論としての評価が画定するの次のサイクルにおいてである。大いに期待したいと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿