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2024年9月22日日曜日

タウンアーキテクト論ー京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の試行,都市計画234号特集「コミュニティ・ベースト・プランニング・・・地域社会が発意する」,日本都市計画学会,200112

都市計画234号特集「コミュニティ・ベースト・プランニング・・・地域社会が発意する」

 

タウン・アーキテクト論

 京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の試行

 布野修司

 I published a book titled ”The Naked Architect An Introduction to Town Architect System in Japan”in 2000, to discuss the roles and tasks of new profession. I would like to introduce my idea of ‘System of Town Architect’ in Japan with its background and propose a kind of organization named “Kyoto Community Design League” as a case study in this paper. How to solve the issues Japanese architects are facing is the starting point. The conclusion is that we need a new profession as a coordinator, mediator and facilitator between local government and local community. I would like to call the new profession ‘Town Architect’ or ‘Community Architect’ tentatively.

 

 

 タウン・アーキテクト論を『序説』[i]という形で世に問うて一年半になる。もっとも『群居』44号で「タウン・アーキテクトの可能性」[ii]と題した特集を組んで「「タウン・アーキテクト」構想序説」を書いたのは1998年である。それどころか、その構想は、「アーバン・アーキテクト」制の構想[iii]1995年)にまで遡るから、「序説」ばかりで5年以上経過したことになる。実をいうと、構想それ自体については、今のところ付け加えることがない。

手前味噌かも知れないけれど反応は悪くない。第一の批判は、『序説』の「タウン・アーキテクト」像があまりにエリート的過ぎる、というものであろうか。いずれにしても『序説』は『序説』であり、構想は構想である。問題は実践である。そして、その経験を踏まえて構想を鍛え直すことである。

『序説』の最後に「京都デザイン・リーグ」構想について書いた。そして、その構想は、「京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)」設立(2001年4月27日)に結びつき具体化しつつある。その構想の背景、位置づけについては『序説』等[iv]に譲り、京都CDLの活動を具体的に紹介する形で「コミュニティ・ベースト・プランニング」について考えて見たい。「デザイン・リーグ」と「コミュニティ・デザイン・リーグ」という命名の変化の間に、建築家、プランナーの役割をめぐるひとつのテーマがあると思う。

 

京都CDLの概要

 京都CDLとは何か。その謳い文句を並べれば以下のようだ。

 ○京都CDLは、京都で学ぶ学生たちを中心とするチームによって編成されるグループです。

○京都CDLは、京都のまちづくりのお手伝いをするグループです。

○京都CDLは、京都のまちについて様々な角度から調査し、記録します。

○京都CDLは、身近な環境について診断を行い、具体的な提案を行います。

○京都CDLは、その内容・結果(試合結果)を文書(ホームページ・会誌)で一般公開します。

○京都CDLは、継続的に、鍛錬(調査・分析)実戦(提案・提案の競技)を行うグループです。

○京都CDLは、まちの中に入り、まちと共にあり、豊かなまちのくらしをめざすグループです。

 京都CDLは何をするのか。①各チームが、毎年、それぞれ担当地区を歩いて記録する、そして、②年に二度、春夏に集まって、それを報告する、ただそれだけである。もう少し具体的に書けば以下のようだ。

A 地区カルテの作製:担当地区について年に一回調査を行い記録する。共通  のフォーマットを用いる。例えば、1/2500の白地図に建物の種類、構造、階数、その他を記入し、写真撮影を行う。また、地区の問題点などを1枚にまとめる。このデータは原則として研究室が保管するが、GISなどの利用によって、各チームが共有する。また、市民にインターネットを通じて公開する。

B 地区診断および提案:Aをもとに各チームは地区についての診断あるいは提案をまとめる。

C 報告会・シンポジウムの開催:年に二度(4月・10月)集まり、議論する(4月は提案の発表、10月は調査及び分析の報告を行う予定)。

D 一日大行進京都断面調査の実施:年に一日全チームが集って京都の横断面を歩いて議論する。

E まちづくりの実践:それぞれの関係性のなかで具体的な提案、実践活動を展開する。

 Dは、発足後の議論の過程で発想された。もう一日、各チーム共通の作業日を設けようということである。初年度は、八坂神社から松尾大社まで四条通りを歩いた(62日)。その記録はGISを用いて一枚のCD-Romに収められつつある。来年は、鴨川沿いに南北縦断調査が企画されている。

京都CDLは各チームの代表(監督)および幹事(ヘッドコーチ)からなる運営委員会・事務局によって運営されている(図1)。A 参加チーム登録、B 地区割り調整、C 報告会の開催(4月・10月)、D 地区カルテの保管と活用、E アクション・プラン、F 他組織との連携が主な仕事である。設立当初の体制として、コミッショナーに広原盛明(龍谷大学)、事務局長に布野修司、運営委員長に、『序説』に構想案を鮮やかに書いた渡辺菊真(建築家)が就任している。

 

京都CDLの始動[v]

2001427日の京都CDL設立に当たって14大学24チームの参加表明があった。そこで、仮の地区割り案として、京都市全域(全11地区)を48地区に分けた。ベースとしたのは元学区、国勢調査の統計区である。約200区を平均4統計区ずつに分けたことになる。そこで、各チームは大学周辺ともう一地区、あるいは中心部一地区と周辺部一地区の二地区を担当することにした。京都CDL発足の大きなモメントに、京都のまちづくりをめぐる議論と実践がいわゆるハイライト地区(都心部(田の字地区)山鉾町、西陣、東山、嵯峨野)に集中している、ということがあり、かろうじて全域を割当てた格好である。

動き出すと様々な発意がある。まず、自前のメディアを持ちたい、という欲求がすぐさま形となった。『京都げのむ』という名がいつのまにか決まり、設立(大会)を主特集に1019日の秋季リーグ(第2回シンポジウム)開催前に創刊号が刊行された。京都にしかない、かけがえのない遺伝子を探り当てたい、という思いが「京都げのむ」という命名に込められている。永谷真理子編集長(京都精華大学大学院)以下の創刊号編集の手際は眼を見張る。全頁、プロ級の仕事である。是非手に取ってみて欲しい。京都CDLの活動の大きなトゥールになることは間違いない。

1019日、2001年度秋期リーグ・シンポジウムが開催された。発表は6チーム、ポスター発表と合わせて15チームが半年の活動報告を行った。分析あり、すばやい提案あり、ビデオ表現あり、多様な視点、アプローチが浮かび上がったように思う。そして、相互批評が大いなる次の展開を予感させた。京都に対するステレオタイプ化した手法を排し、多様な視点を確保維持し続けることが京都CDLの基本姿勢である。

活動を始めて、問い合わせ、要望という形の市民との接触、行政当局との連携の模索は既に始まっている。1014日には鴨川フェスタに出店を求められ、子どもたちを対象とするまちづくりゲームの企画が評判を集めた。京都市役所は京都まちづくりセンターを窓口とすることを既に決定済みである。市民参加を大々的にうたう京都市のまちづくり行政にとっても京都CDLの活動がしっかり位置づく日もそう遠くないであろう。大学の地域社会への貢献の試みとして、既に評価も得つつある[vi]

 

タウン・アーキテクトとは

「タウンアーキテクト」とは何か、何故、「タウンアーキテクト」か、日本の「タウンアーキテクト」の原型とは何か、について最小限要約すれば以下のようになる。

 「まちづくり」は本来自治体の仕事である。しかし、それぞれの自治体が「まちづくり」の主体として充分その役割を果たしているかどうかは疑問である。地域住民の意向を的確に捉えた「まちづくり」を展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民の「まちづくり」を媒介する役割を果たすことを期待されるのが「タウンアーキテクト」である。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている仕事である。ただ、必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちの「まちづくり」に継続的に関わるのが原則である。そういう意味では、「コミュニティ・アーキテクト」である。

  「建築家」は基本的に施主の代弁者であるが、同時に施主と施工者(建設業者)の間にあって、第三者として相互の利害調整を行う役割をもつ。医者、弁護士などとともにその職能の根拠は西欧世界においては神への告白(プロフェス)である。また、市民社会の論理である。同様に「タウンアーキテクト」は、「コミュニティ(地域社会)」の代弁者であるが、地域べったり(その利益のみを代弁する)ではなく、「コミュニティ(地域社会)」と地方自治体の間の調整を行う役割をももつ。

 ①「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」を推進する仕組みや場の提案者であり、実践者である。「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の仕掛け人(オルガナイザー(組織者))であり、アジテーター(主唱者)であり、コーディネーター(調整者)であり、アドヴォケイター(代弁者))である。

 ②「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の全般に関わる。従って、「建築家」(建築士)である必要は必ずしもない。本来、自治体の首長こそ「タウンアーキテクト」と呼ばれるべきである。具体的に考えるのは「空間計画」(都市計画)の分野だ。とりあえず、フィジカルな「まちのかたち」に関わるのが「タウンアーキテクト」である。こうした限定にまず問題がある。「まちづくり」のハードとソフトは切り離せない。空間の運営、維持管理の仕組みこそが問題である。しかし、「まちづくり」の質は最終的には「まちのかたち」に表現される。その表現、まちの景観に責任をもつのが「タウンアーキテクト」である。もちろん、誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。身近な環境の全てに「建築家」は関わっている。どういう住宅を建てるか(選択するか)が「建築家」の仕事であれば、誰でも「建築家」でありうる。様々な条件をまとめあげ、それを空間的に表現するトレーニングを受け、その能力に優れているのが「建築家」である。

 ③「まちづくり」の仕組みとして、「タウンアーキテクト」のような存在が必要とされる一方、「建築家」の方にも「タウンアーキテクト」たるべき理由がある。「建築家」こそ「まちづくり」に積極的に関わるべきである。第一に、建てては壊す(スクラップ・アンド・ビルド)時代は終わった。新たに建てるよりも、再活用し、維持管理することの重要度が増すのは明らかである。日本の「建築家」はその仕事の内容、役割を代えていかざるを得ないが、ふたつの方向が考えられる。ひとつは、建物の増改築、改修、維持管理を主体としていく方向である。そして、もうひとつが「まちづくり」である。どのような建築をつくればいいのか、当初から地域と関わりを持つことを求められ、建てた後もその維持管理に責任を持たねばならない。いずれにせよ、「建築家」はその存在根拠を地域との関係に求められる。

 ④そもそもの発想において「タウンアーキテクト」の原型となるのは「建築主事」(建築基準法第4条に規定される、都道府県、特定の市町村および特別区の長の任命を受けた者)である。全国の自治体、土木事務所、特定行政庁に、約一七〇〇名の建築主事がいて、建築確認業務に従事している。全国で二千人程度の、あるいは全市町村三六〇〇人程度のすぐれた「タウンアーキテクト」がいて、デザイン指導すれば、相当町並みは違ってくるのではないか。建築確認行政は基本的にはコントロール行政であり、取り締まり行政である。建築確認行政が豊かな都市景観の創出に寄与してきたのか、というとそうは言えない。もしそうだとするなら、地域の「建築家」が手伝う形を考えればいいのではないか。

建築主事を積極的に「タウンアーキテクト」として考える場合、いくつかの形態が考えられる。欧米の「タウンアーキテクト」制がまず思い浮かぶ。最も権限をもつケースだと「建築市(町村)長」置く例がある。一般的には、何人かの建築家からなる委員会が任に当たる。建築コミッショナー・システムである。日本にもいくつか事例がある。「熊本アートポリス」「クリエイティブ・タウン・岡山(CTO)」「富山町の顔づくりプロジェクト」などにおけるコミッショナー・システムである。ただ、いずれも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎない。むしろ近いのは「都市計画審議会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会である。それらには、本来、「タウンアーキテクト」としての役割がある。地方分権一括法案以降、市町村の権限を認める「都市計画審議会」には大いに期待すべきかもしれない。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕しているのであれば、別の仕組みを考える必要がある。

 ⑤しかしいずれにしろ、一人のコミショナー、ひとつのコミッティーが自治体全体に責任を負うには限界がある。「タウンアーキテクト」はコミュニティ単位、地区単位で考える必要がある。あるいは、プロジェクト単位で「タウンアーキテクト」の派遣を考える必要がある。この場合、自治体とコミュニティの双方から依頼を受ける形が考えられる。具体的には、各種アドヴァイザー制度、「まちづくり協議会」方式、「コンサルタント派遣」制度として展開されているところである[vii]

 

「タウンアーキテクト」の仕事

 「タウンアーキテクト」は具体的に何を仕事とするのか。『序説』では、「タウンウォッチング」「百年計画」「公開ヒヤリング」・・・等々各地域で試みられたら面白いであろう手法を思いつくまま列挙している。しかし、そこでの議論は、建築コミッショナーとしての「タウンアーキテクト」の役割に集中しすぎている。やはりベースとすべきは、身近な仕事において、また具体的な地区で何ができるかであろう。京都CDLは、そのための大きなシミュレーションである。問題は、『序説』で繰り返すように権限と報酬である。

 「タウンアーキテクト」制をひとつの制度として構想してみることはできる。建築コミッショナー制を導入するのであれば、権限と報酬の設定、任期と任期中の自治体内での業務禁止は前提とされなければならない。地区アーキテクト制を実施するためには自治体の支援が不可欠である。地区アーキテクトは、個々の建築設計のアドヴァイザーを行う。住宅相談から設計者を紹介する、そうした試みは様々になされている。また、景観アドヴァイザー、あるいは景観モニターといった制度も考えられる。具体的な計画の実施となると、様々な権利関係の調整が必要となる。そうした意味では、「タウンアーキテクト」は、単にデザインする能力だけでなく、法律や収支計画にも通じていなければならない。また、住民、権利者の調整役を務めなければならない。一番近いイメージは再開発コーディネーターである。

 しかし、制度のみを議論しても始まらない。地域毎に固有の「まちづくり」を期待するのであれば一律の制度はむしろ有害かもしれない。どんな小さなプロジェクトであれ、具体的な事例に学ぶことが先行さるべきである。まずは、①身近なディテールから、というのが指針である。また、②持続、が必要である。単発のイヴェントでは弱い。そして持続のためには、③地域社会のコンセンサス、が必要である。合意形成のためには、④参加、が必要であり、⑤情報公開が不可欠である[viii]

 



[i] 拙著、『裸の建築家ータウンアーキテクト論序説』、建築資料研究社、2000年。

[ii] 拙稿、『群居』、群居刊行委員会、19981月。

[iii]「ちぐはぐな町並み開発を防ぐには建築家の継続参加が有効」、『日経アーキテクチャー』巻頭インタビュー、1995410

[iv] 『序説』以降に書いた論考として以下のものがある。

「タウンアーキテクトの組織実践へ向けて」、『群居』50号、200010月/「身近なディテールから・・・タウンアーキテクトの役割と可能性」、『造景』、20011月/The Roles and Tasks of Town Architects in JapanA Proposal for the establishment of Kyoto Community Design League, Traverse 02, Kyoto University, 18 Jun. 2001(『新建築学研究』 第2号)/「京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)の試み・・・すまいの専門家の生きる道」 『住宅』、200110月号

[v]  京都市全体をカヴァーするのにはまだまだチームが足りない。全国からの是非参加をお願いしたい。『京都げのむ』(定価1000円)、京都CDLについてはhttp://www.kyoto-cdl.com/ を参照されたい。

[vi]  2001年4月17日 朝日新聞記事掲載「町づくりに研究者の知恵 地区の個性重視して提案 14大学の24チーム参加 アイデア競い合い」4月28日 京都新聞記事掲載「京滋などの15大学京都CDL設立」10月19日 朝日新聞「京都の街づくり歩いて調査 学生が研究成果報告」

[vii]  京都市も2001年度から「すまい・まちづくり活動支援制度」に係る専門家登録を開始する。

[viii] CBPについて論ずる紙数が尽きた。またの機会に深めたい。 


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