布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~2002年4月
丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」 一九六七年 兵庫県福良町(淡路島)
布野修司
今や建築家としてもデビューを遂げた建築探偵藤森照信(東大教授)から、瀬戸内の島に丹下健三の未発表作品があると聞いたのは二年ほど前のことである。スライドを見せられ、へぇーと驚いた。丹下健三と言えば、日本を代表する建築家であり、その作品は常に話題を呼んできたから、未発表作品があるとは俄に信じられなかったのである。
たまたま鳴門大橋を渡っていて思い出した。遠くの山の上に三角形の塔が見える。尋ねると、「「若人の広場」です、丹下さんの設計ですよ」。地元ではよく知られていた。
マッシブ(量塊的)な粗石積みの展示施設は、阪神淡路大震災でダメージを受け、閉鎖中であった。石積みの丹下作品など他にはない、と我が目を疑う。しかし、設計計画は確かに丹下流である。軸線を明確に設定しながら、微妙に視線をずらす仕掛けがある。屋上庭園、広場、モニュメントへ向かう通路が巧みに配されている。
竣工が一九六七年と知って、大いに混乱する。六〇年代は丹下の全盛であり、一方で、代々木の国立屋内競技場(一九六四年)、山梨文化会館(一九六六年)など、建築構造技術を駆使した新たな表現が次々と生み出されているからである。未来都市を目指した大阪万国博の会場設計も既に進められていた。粗石積みの建築は如何にもプリミティブだ。
何故、この動員学徒のための記念碑が建築界で発表されなかったのかは何となくわかる。第二次世界大戦中(一九四二年)の大東亜記念営造物コンペ(設計競技)に一等入選することによってデビューした丹下の戦後の「転向」を告発する論調が当時建築界では支配的であったからである。
しかし、この作品の「発見」によって浮かび上がるのはむしろ、丹下健三における戦前戦後における一貫性ではないか。既にそうした指摘はあるが、日本の近代建築の歴史に一石を投じる「発見」となることは間違いない。
➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007
❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008
❸出島の復元 日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009
❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010
❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011
❻空調を使わないビル エコ・オフィス 見聞録06,共同通信,200012
❼知られざるモニュメント 丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101
❽木匠塾の目指すもの ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08,共同通信,200102
❾笑う住宅 くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103
❿縄文の森を埋め込む 屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104
⓫自然素材の魅力 誰でも建築家になれる 建築探偵の佳作,見聞録11,共同通信,200105
⓬建築の保存再生 建物を大事に使う時代へ 無闇に壊すな,見聞録12,共同通信,200106
⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107
⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109
⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110
⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111
⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112
⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201
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⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201
⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11
㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204