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2025年10月17日金曜日

セヴィージャ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

セヴィージャ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


B46 アル・アンダルスの都―スペイン植民地帝国の中枢

セヴィージャ Sevilla,アンダルシア州 Andalcia,スペイン Spain 


セヴィージャは、イベリア半島の重層的な都市形成の歴史をそのまま示す代表的な都市である。地中海の西端にあって古来メソポタミア、地中海文明とつながりをもち、西ゴート、ローマ、イスラームの支配を受けた。そして、スペイン植民地帝国を束ねた中枢となった。

グアダルキビル川の河口近くに位置するセヴィージャは、肥沃な平野と水利水運に恵まれ,港市としての起源は有史以前に遡る。伝説上ヘラクレスが建設者とされ,また古代タルテソス王国の首都とも考えられている。その後、カディスを拠点とするフェニキアとの交易拠点となり、紀元前6世紀にフェニキアが衰亡するとイビサ島およびカルタゴ・ノヴァ(カルタヘナ)を拠点とするカルタゴの支配下に入る(紀元前348年)が、ポエニ戦争(第2次)時にユリウス・カエサルよって破壊され、焼失する(紀元前216年)。

アウグストゥスの時代に半島は3つの属州に分けられるが、ほぼ今日のアンダルシア地方に相当するバエティカ州(首都コルドバ)の1管区ヒスパリスHispalis(セヴィージャ)と命名されるオピドム(自治都市)となり、「小ローマRomula」と呼ばれる。ヴァンダル族やスエヴィ族の支配を経て,西ゴ-ト王国(首都トレド)成立当初には首都となる(441)

そして、イスラームが半島を襲う。711年以降,わずか数年でイスラーム軍はほぼ全半島を占領する。ウマイヤ朝のカリフは,支配した領域をアル・アンダルスAl-Andalusと呼び最初の拠点をセヴィージャ(イスビリヤIsbiliyaに置く。ローマ時代、西ゴート時代のバジリカの敷地にモスクが建設され、都市は大きく改変される。すなわち、中庭式住居が密集する袋小路を内包するアラブ・イスラーム風の街区が形成されていった(図②)。

アル・アンダルスの首都はまもなくコルドバに移されるが、首都コルドバと経済的繁栄を競い,後ウマイヤ朝が崩壊し,群小王朝が分裂割拠する時代になると,セヴィージャ王国(102393)の首都として,コルドバを凌ぐまでになる。そして,セヴィージャの繁栄は,マグリブ王朝であるムワッヒド朝(11301269)の時代に頂点に達する。人口は8万人に達したとされる。市域は拡張し、新たな市壁が建設された。黄金の塔(13世紀),ヒラルダの塔はムワッヒド朝下の建設であり,アルカサル(王宮)は,レコンキスタReconquita(国土回復)後の14世紀にモサラベmozárabe(言語・文化的にはアラブ化したキリスト教徒)職人によって建てられたものである。セヴィージャの今日に至る都市の骨格は、イスラーム時代に形成されたものである。

レコンキスタが完了する1492年に遡ること2世紀半、フェルナンドⅢ世が1248年にセヴィージャを奪回するが,セヴィージャは,カスティリアCastilla王国でも重要な都市として存続する。そして、コンキスタの時代が開始される。

1503年通商院が設置されてセヴィージャは植民地貿易を独占する。結果として,スペイン最大の商業都市に発展し,スペインの「黄金の世紀」の中心都市となる。すなわち、スペイン植民地帝国の帝都として君臨する。

18世紀初頭のスペイン継承戦争によって、度重なる洪水や飢饉によって、セヴィージャは、その地位をカディスに譲ることになる(1717年)。それとともにセヴィージャの衰退が始まる。18世紀にはパブロ・デ・オラヴィデによって、下水道、清掃システム、街頭の設置、直線道路の建設などの改造が行われる。また、遊歩道や堤防の整備が行われた。 黄金の塔(Torre del Oro)の最頂部が増築され、王立煙草工場、サンテルモ大学なども建設される。パブロ・デ・オラヴィデは、1771年にセヴィージャ最初の地形図を作製したことでも知られる(図③)。

1820年のスペイン立憲革命の際にセヴィージャは自由主義者の拠点となるが、19世紀を通じて人口は緩やかに増加し世紀末には14万人に達する。20世紀に入って、人口増加はさらに加速し、農村部からの流入によって20万人の都市になる。1929年にはラテンアメリカ展覧会を開催している。これをきっかけにセヴィージャの市域は約2倍となる。

スペイン内戦ではフランコ軍に逸早く占領されたが、その後、アンダルシアの州都として、スペイン南部の中心都市として今日に至る。1992年にはセビリア万博が開催された(図④)。











  


2025年10月16日木曜日

コルドバ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


B46 メスキータの街―後ウマイア朝の首都

コルドバCordoba,アンダルシア州 Andalcia,スペイン Spain

 

 


グアダルキビル川の中流域に位置するコルドバは,フェニキア人の植民都市を起源とし,カルタゴの拠点都市ともなり,ローマ,続いて西ゴートの支配を受け、後ウマイア朝の首都となった、イベリア半島の都市の歴史をそのまま重層させるスペインを代表する都市である(図①)。

アッバース革命(750)によってダマスカスを追われたウマイヤ朝の王子、アブド・アル・ラフマーンⅠ世は、後ウマイヤ朝を建て(756)、サン・ヴィセンテ教会を買い取って,モスク建設を開始する(785)。このメスキータは,その後様々に拡張,改築され,西方イスラーム圏を代表するモニュメントとなる。そして,レコンキスタ後には大聖堂に改造される。教会,モスク,カテドラルという数奇な運命をたどったのがコルドバのメスキータである(図②)。

コルドバへ移住したムスリムの多くはシリア出身であり,その初期の都市形態や景観にはシリアの都市の影響があったと考えられる。10世紀には,その周囲の市壁は全長12km,人口は約50万にも達し、「西方の宝石」と呼ばれて,バグダード,コンスタンティノープルと並ぶ三大都市のひとつとなる。4回の拡張工事で収容人員25000人に達したメスキータとそれに隣接する王宮(アルカサル)を中心に,蔵書数40万冊と伝えられる王宮図書館など70の図書館,1600のモスク,800のハンマーム(公衆浴場),多数のマドラサがあったとされる。また,城内はハーラ(街区)に分かれ,キリスト教徒やユダヤ教徒もハーラを形成していた。また,郊外には21のバラートbalāt(郊外居住区)があった。

後ウマイヤ朝は内部に対立を抱え,反乱,紛争が続くが,アブド・アッラフマーンⅢ世がアンダルス各地を平定し,カリフ制が確立されると,その治世(在位912961)に最盛期を迎える。アブド・アッラフマーンⅢ世は,カリフに相応しい新都として,コルドバ北西近郊シエラ・デ・コルドバ山麓に宮廷都市マディーナ・アッザフラーを建設している。東西南北1.5km×0.5kmの長方形をしており,1km四方のコルドバに匹敵する規模をしていた。また,アブド・アッラフマーンⅢ世の孫のヒシャームⅡ世(在位9761009101013)の治世に実権を握ったマンスール(ハージブ(侍従)在位9781002)はコルドバの東郊にマディーナ・ザヒーラを新たに造営し,行政の中心としている。

アブド・アッラフマーンⅢ世以降,後ウマイヤ朝は,北方のキリスト教圏に軍事遠征を繰り返す。キリスト教徒の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを略奪したのは997年である。一方,マグリブにも侵攻,セウタを占領してマグリブ支配の拠点としている。

しかし,11世紀になると,後ウマイヤ朝は衰退を始め,1031年には崩壊してタイファTaifasと呼ばれる小国に分裂する。衰退の原因は,マンスールに遡るアーミル家がその権力の基礎として導入したベルベル人兵士軍団の伸張である。ウマイヤ家とアーミル家の対立に加え,8世紀初頭以降アンダルス社会に溶け込んできたベルベル人の子孫たちと「新ベルベル」人の対立が決定的になるのである。コルドバは,しばしば内乱の戦場と化し,損害を受けている。

レコンキスタが本格化するのはアンダルスが分裂して以降である。1064年,コインブラがカスティージャ=レオン王フェルナンドⅠ世によって征服され,バルバストロもフランス人騎士団によって占領されている。その後,アンダルス全体がムラービト朝の支配下に入るが、その崩壊によって,キリスト教徒のレコンキスタはさらに進む。ムラ-ビト朝にとって代わったムワッヒド朝(11301269)が、カリフのアンダルス滞在中の首都としたのはセヴィージャである。

最終的にコルドバが攻略されるのは、カスティーリャのフェルナンド王の「大レコンキスタ」によってであり、1236年のことである。コルドバは,14の教区に分けられ(図③)、新たに多くの教会が建てられるが、一地方都市となり,次第に衰退して,イスラーム都市の特性も失っていくことになる。18世紀には人口2万人にまで減少し、増加に転ずるのは20世紀に入ってからである(図④)。

市内には数多くの歴史的建造物が残されており、1984年にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。





【参考文献】

布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン(2013)『グリッド都市-スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生』京都大学学術出版会

Trudy Ring, ed. (1996). "Cordoba". Southern Europe. International Dictionary of Historic Places. 3. Fitzroy Dearborn. .

C. Edmund Bosworth, ed. (2007). "Cordova". Historic Cities of the Islamic World. Leiden: Koninklijke Brill.

 

 


グラナダ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

 布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


B44 アルハンブラ宮殿の街―イベリア・イスラーム最後の都市 

グラナダGranada,アンダルシア州 Andalcia,スペイン Spain 


グラナダと言えば、アルハンブラ宮殿である。そして、イベリア半島最後のイスラーム王朝となったナスル朝(12321492)の都が置かれた都市である。

グラナダは、シエラネバダ山脈に囲われた「ベガ」と呼ばれる肥沃な平野を基盤にして栄えた。その起源はローマ時代にさかのぼる。その名はアルハンブラ宮殿のある丘に8世紀に築かれたユダヤ人居住区ガルナータGharnātaに由来する(図①)。

コンスタンティヌス(在位:30637)のキリスト教公認によって,イスパニアは、キリスト教ローマ帝国に組み込まれることになるが,イベリア半島のキリスト教化が一気に進んだわけではない。初期のキリスト教はユダヤ人によって広められ,1世紀のイスパニアの諸都市にもユダヤ人街が形成される。迫害が激化した3世紀にはイスパニアでも殉教者が出て、4世紀には,グラナダ(エルビーラ)でも教会会議が開催されている。

城塞都市としてのアルハンブラの起源は後ウマイヤ朝末期のアルカサーバに遡る。後ウマイヤ朝が分裂すると、「新ベルベル諸族」は,グラナダ,カルモナ,アルコス,モロン,ロンダといったアンダルス南部に拠点を設け,それぞれタイファ諸王朝を形成した。そしてタイファ諸王朝の中で最大の勢力を誇ることになるのがグラナダのジーリー朝であった。

レコンキスタは,イスラームの侵攻直後から開始されるが,本格化するのはアンダルスが分裂して以降である。そして、最終段階では、グラナダのナスル朝(12321492)などわずかな地方王朝がカスティージャ王国と臣従関係を結ぶことで存続するかたちとなる。

グラナダのナスル朝は,カスティージャ王国とマリーン朝の狭間で,相対的自立と繁栄を維持し、ユースフⅠ世(在位133354),ムハンマドⅤ世(在位1354596291)の治世に最盛期を迎える。アルハンブル宮殿(図②)が拡張され、壮麗を極めるのはこの時期である。

グラナダ市街の東南に位置するサビーカの丘には代々城塞が築かれてきたが,ナスル朝の創始者であるムハンマドⅠ世(在位123738)~1257)が宮殿を建設して以来,ナスル朝の歴代王も宮殿を造営してきた。ユースフⅠ世はコマーレス宮をムハンマドⅤ世は「ライオンの間」を増築している。

149216日、最後の王ムハンマド12世によってアルハンブラ宮殿が無血開城されてレコンキスタは完了する。そして同じ年の8月、クリストバル・コロンの船団はバロス港を出港し、10月にはグアナハニ(サン・サルバドル)島(西インド諸島、バハマ)に到達する。レコンキスタの完了とコンキスタの開始は奇しくも同じ年である。そして、1492年は、ヨーロッパ世界が世界を制する記念すべき年となる。グラナダ王国攻略戦(1492)において大砲が威力を発揮したことが知られる。火器による戦争,攻城戦の新局面と西欧列強の海外進出は並行する。植民地建設の直接的な道具となったのは火器である。そして、レコンキスタ完了で、キリスト教徒によるユダヤ人の虐殺が行われ、スペイン異端審問によって、多くのユダヤ人がイベリア半島から去ることになる。

イサベルⅠ世とフェルナンドⅡ世の支配下に入り、グラナダには、カテドラルや王室礼拝堂、カルトゥーハ修道院などが建設されていく。そして、アルハンブラにはカルロスⅤ世宮殿も建てられる。

現在のグラナダには、以上のような歴史的建造物が数多く残されており、アルハンブラ宮殿の川向うの丘にはイスラーム街区アルバイシン(図③)も残されている。グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェGeneralife、アルバイシンは、1984年にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。







 

【参考文献)】

布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン(2013『グリッド都市-スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生』京都大学学術出版会

Trudy Ring, ed. (1996). "Cordoba". Southern Europe. International Dictionary of Historic Places. 3. Fitzroy Dearborn. .

C. Edmund Bosworth, ed. (2007). "Cordova". Historic Cities of the Islamic World. Leiden: Koninklijke Brill.

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...