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2021年12月22日水曜日

室内室外 08 職人不足はだれのせい,室内,工作社,199003

 

職人不足はだれのせい,室内,工作社,199003

大工殺しの共犯者たち

                        布野修司

 

 今、建築界で何が問題かというと忙しさである。忙しすぎて考えたり、議論したりする暇がないことである。仕事が多くて多くて建築家はみんな稼ぐのに一所懸命である。稼げるときに稼ごうと、冬場に備えるアリさんをきめこむかのようだ。一段落してみたら、駄作の山ということにならなきゃいいが、と余計な懸念をしてしまう。じっくり考える時間がなくて、じっくり建てる時間がないのだから、いいものなんかできるわけはない、なんて思うのはおかしいのであろうか。ひらめきとセンスで設計し、あっという間に建てる、そして、あっという間に壊してしまう、そんな繰り返しが続いているのだけれど、困ったものだ。

 ところで、この忙しさのなかで深刻なのが職人不足である。あっという間にデザインされても、あっという間に建設することはできないのだ。官公庁の工事は入札不調が続いている。単価が安くて建設会社もやってられないのである。もう一年後の仕事の予定が決まっている建設会社も少なくないのだ。職人不足だから、職人の手間賃は上がる。最も不足しているといわれるコンクリート打設の型枠をつくる型枠大工の場合、日当が数万円にのぼる。それでも足りない。建設費は当然あがる。次から次へと設計しても実際に建設する職人がいない。工事費が予算をオーバーする。日頃、職人を大事にしてこなかった設計事務所や建設会社は大変である。職人を確保できず、工事がストップしてしまったという例も少なくないのだ。 

  東京の場合、新都庁舎の建設が職人不足にさらに拍車をかけたとされる。ひとつの工事現場とはいえ巨大な工事現場である。千五百億円にのぼる建築物としてはこれまでで最大といっていい工事が優先的に職人を確保することによって労働力市場は大きな影響をこうむったのである。しかし、建設労働者の不足はもっと広範で慢性化しつつあるとみてよい。労働省の「技能労働者需給状況調査」によれば、建設業の不足率は一九八六年、六・三㌫、一九八七年、一三・五㌫、一九八八年、二六・七㌫とうなぎのぼりなのである。開国か鎖国かなどという以前に外国人労働者が参入するのは極当然の状況なのだ。

 何故、こんなに深刻な職人不足の事態を迎えたのか。

 もともと建設業界というのは、その日暮しで場当り的である。長期的な視点にかける。好況になるとわっと人買いに走り、不況だと全く求人しない。大学で就職状況をみているとよくわかる。こう求人難だと大きな建設会社の人事部長クラスが美人秘書をつれて日参である。しかし、少し不況になると、こちらがいくら頭をさげても、ふんぞりかえって見向きもしない、そんな体質が業界全体にある。他の産業でも同じようなものだといえるかもしれないのであるが、二重三重の下請けシステムを構造化し、日雇いの労働者を「寄せ場」という形で定常的にプールする仕組みの上に成り立っている建設業界の、その場当り的な体質は本質的なのだ。

 そうしたなかで建設業界もようやく職人不足の対策にのりだしたかのようだ。各企業が、それぞれに職人養成の学校を設立し始めたのである。入社すると給料を払いながら一年ないし二年研修を受ける。それを条件に求人を行うのである。これも場当り的で遅すぎるかもしれないのであるが、やむにやまれずといったところである。しかし、すさまじい。そうした企業の学校の研修生はすぐに引き抜かれるのだという。職人になろうという意志さえあればいいということで高賃金でスカウトするのである。ある建設会社が女性の現場監督を採用したら応募者が増えたという。あの手この手で職人の確保に懸命なのだ。あるいは、一夜にして仕上げる百人からなる石貼り職人の集団が大活躍だといううわさも聞こえてくる。建築家の忙しさも、そんな危うい職人不足の構造の上でのことである。

 3K。汚い、きつい、危険。あるいは6K。上に加えて、給料が安い。気持ちよく働けない、休日がすくない。外食・飲食、製造、建設という業種で求人難が続く。職人不足なのに職人の賃金は安い。賃金が高騰したといってもどこかにピンはねされてしまう構造があるのだ。労働時間は長く、休日も少なく、労働条件は悪い。若者が職人になりたがらないのも無理はない。大学の建築学科の学生も、現場に行きたがらない。設計事務所だって希望者は既に前から少ない。証券会社や銀行、広告代理店が人気の的だ。机上で書類をつくって、物件を動かすだけでもうかるのである。不動産売買の仲介をするだけで三㌫+六万円プラス三㌫+六万円が手にはいる。何枚もの設計図書をつくり、面倒な手続きをして現場を管理する、それでそれだけの設計料をもらえはしない。

 職人がいなくなる、大工がいなくなる、建築界にとって実に大きな問題である。しかし、こうした事態を招いたことの根は深い。建築界全体が職人を軽視し、抹殺する、そういう仕組みを自らつくりあげてきたからである。天に唾することを覚悟で、大工殺し、職人殺しの犯人を挙げてみよう。

 まず、最初に挙げるべき犯人は、大学の建築学科であり、その教師であり、その教育である。最初に頭を下げておいた方がいい。日本の大学の建築学科において教育理念とされるのはアーキテクト教育である。実態と理念はずれるのだが、教育内容はアーキテクトを育てるための設計教育がその中心である。職人を育てるといった理念は亳もない。というより、アーキテクトと職人は対立的とみなされ、後者から前者へと職能を脱皮することが目指されてきたのだ。科目の種類も内容もそのように編成されている。わかりやすい例をだせば、木造建築に関する講義は、大半の大学で今でも無視され続けているのである。

 具体的には、一級建築士とか二級建築士とかいう資格制度が全てを規定している。大学のカリキュラムもそれらに受かることを目指してつくられるのである。一級建築士の試験というのは全くもって机上の試験である。すぐれた現場マンや職人のほうがむしろ通りにくい問題になっている。机上で勉強するほうが、それ故大学に行った方が通りやすいのだ。先頃、工業高校をいくつかまわって、建築科の先生にいろいろと話を聞く機会があったのであるが、いまさらのように驚いた。全く一緒なのだ。大工や職人の育成とは工業高校も無縁である。工業高校をでて、専門学校へ入り、資格をとるという、一本のコースが全体を支配していることは変わりがないのである。職人不足、大工不足を嘆く工務店主は多いのだけれど、そういう工務店主の息子が後を継がない。息子は建築業を選択しても、大学に入って一級建築士をとって親父のやれなかった鉄筋コンクリート造をやりたい、というのが普通なのである。

 さらに驚くのは、職業訓練校(産業技術学院)のような職人養成機関で、大工や左官など建築関連コースが次々に閉鎖されようとしていることだ。志願者がいないからである。さらに、実に問題なのは、大工技能のような分野は遅れており、これからはコンピューターを使う技能者を育成すべきだという考え方が支配的になりつつあるからである。要するに、大工の育成は戦後も一貫して町場の棟梁大工のもとでの徒弟制度に委ねられてきた。大工など建築職人の育成は建築教育の視野外に置かれてきたのである。それどころか、職人の徒弟制度は前近代的で遅れているから解体すべきものと考えてきたのだ。

 建設業界はどう対応しようとしてきたのか。外国人労働者に頼らざるをえないという状況はますます強まりつつあるのであるが、それはイージーといえばイージーである。できるだけ職人、特に大工を使わない工夫をする、というのが一方での発想である。事実、戦後の建設業界は一貫してそういう方向で動いてきた。工業化路線である。住宅を考えてみればわかりやすいだろう。プレハブ住宅やツゥー・バイ・フォー住宅がシェアを伸ばしてきたのも、在来木造住宅を支える大工職人が少なくなり、あるいは変質してきたからである。言うまでもなく、工業化の進展は、すなわち、現場で職人や大工をできるだけ使わないようにすることは、職人をますます追放することにつながる。それを目指しているのだから当り前である。そこにはある循環がある。職人不足に悩む建設業界こそが職人を徐々に抹殺してきたといってもいいのである。

 大工、職人の世界は、今、ほぼ解体されつつある。戦前に修行した大工棟梁は既に高齢であり、戦後修行して大工となった層も高齢化しつつある。いまなら、まだ後継者が育てられるというのであるが、肝心の後継者たらんとするものがいない。まあ、嘆いても、泣きわめいてもしかたないことであろう。大工や職人を生きられないようにしてきたのはわれわれ自身だからである。もし、大工、職人の世界が必要と思うならば、なによりもその職業が魅力的でなければならない。端的にいって、高給を取ることが出来、優雅に暮らせ、尊敬されるものでなければならない。日本がいくらポストモダン建築の最先端を誇ろうともそれは仇花だ。建築を造り上げる人々をないがしろにするようなそんな社会に建築文化の華が咲くわけがない。



 

室内室外

01公開してはどうかコンペの審査記録,面白いのは決定までのプロセス,室内,工作社,198901

02語りのこされた場所「皇居」,昭和が終って浮かんできたもの,室内,工作社,198903

03国際買いだしゼミナ-ル,建築見学どこへやら,室内,工作社,198905

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05山を見あげて木をおもう,どうして割箸なんか持ちだすの?,室内,工作社,198909

06住みにくいのはやむを得ない,そもそも異邦人のための家ではない,室内,工作社,198911

07建築の伝統論議はなぜおきない,日本の建築界にもチャ-ルズがほしい,室内,工作社,199001

08職人不足はだれのせい,室内,工作社,199003

09こんなコンペなら無い方がまし,室内,工作社,199005

10宅地は高いほうがいい,室内,工作社,199007

11秋田杉の町能代を見る,室内,工作社,199009

12再び能代の町に行ってみて,室内,工作社,199011

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