旧朝鮮総督府の解体と日帝断脈説,室内,199602
韓国・中央国立博物館(旧朝鮮総督府)の解体と日帝断脈説
昨年は、三月、中国(天津、北京、大連)に始まって、九月、例年のように、インドネシア、シンガポール、韓国(ソウル、全州、順天、蔚山)を廻り、一一月には、ヴェトナム・カンボジアを初めて訪れた。京都という盆地を拠点にアジアを飛び回るパターンがもう五年にもなる。暮れは済州島で家族と過ごした。普段、忙しさにかまけて家族を顧みない罪滅ぼしである。
済州島は実にいい島である。火山と強風のせいで独特の景観がつくり出されている。冬には雪が降ったり、気候は日本とそう変わらないと思えるのであるが、韓国では一番南の島で、椰子や蘇鉄が植えられていて、トロピカル・ムードもある。
北朝鮮にも行った(一九九三年五月)し、韓国も少しづつ回って今回済州島も見た。朝鮮半島の都市や建築、住居や集落について随分親しくなりつつあるが、日本との関係でいつも気になることがある。
ひとつは秀吉の壬辰倭乱(文禄の役)における破壊活動であり、ひとつは植民地時代の様々な建設活動である。ソウルの景福宮とその前に建つ中央国立博物館(旧朝鮮総督府)がその象徴だ。
光復(解放)五〇周年を迎えた昨年八月一五日に旧朝鮮総督府の解体は開始された。爆破解体されるというショッキングなニュースが流れていたが、中央の宝輪の部分を取り外して、地上に降ろすにとどめられた。現在、全体は工事用のシートで覆われているが、博物館としての機能は残されている。前面に工事現場を隠すように韓国美術協会によって大きな壁画が描かれている。
壬辰倭乱の際、秀吉によって焼かれ(実際には逃亡した王に怒った民衆が焼いた)、一八六七年に復元された景福宮を、日本は再び解体し、その地に総督府を建てた。旧朝鮮総督府は一九一六年に着工され、二五年に竣工。設計は、ゲオルグ・デ・ラランデ、プロシャ生まれで一九〇三年に来日、京都YMCA会館、三井銀行大阪支店、神戸の旧トーマス邸などを手がけている。彼は設計を終える直前急死し、日本人技師によって完成された。
何度か訪れてみたのであるが、いく度にすぐれた建築だと思う。少なくとも力作である。しかし、その建設そのものはそうした評価以前の大きな問題をはらんでいた。そして、その問題は、少なくとも建物が存在し続ける限り、決して消え去ることはないのである。七〇年を経て解体さるべき建築とは一体なんなのか。
総督府の建設が景福宮の地に決定されたのは何故か。朝鮮人民が反抗するのを恐れ、気脈を断つために風水説にいう要所に杭を打ち込んだり、建物を建設したというのが「日帝断脈」説である。朝鮮総督府や朝鮮神社は気脈を断つために建設されたというのである。
その説はともかく、景福宮という、ソウルの、朝鮮のシンボルというべき敷地に植民地支配の拠点を建てる行為はいかにも戦略的である。偉容を誇る、とてつもない傑作を景福宮に対置すること、それこそ侵略者の露骨な意図であったことは否定できないだろう。
どんなに傑作であろうと、解体移築にいくら費用がかかろうと、消え去るべき建築がある。PC(ポリティカル・コレクトネス)のいい例だ。
新しい中央博物館の設計者が決まったと、済州島滞在中に聞いた。
『室内』布野修司原稿
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