宅地は高いほうがいい,室内,工作社,199007
住宅一揆のすすめーーー住宅無策を笑う前に
われらのうちなるじゅうたくもんだい
布野修司
誘われて、柄にもなく、「こんにゃく座」のオペラ『ハムレットの時間』(林光・萩京子作曲 加藤直台本演出)を見に行く日の午後、時間がぽっかり空いたので、ふと日仏会館で開かれているシンポジウムを覗いてみる気になった。土地・住宅市民フォーラム主催の〈緊急フォーラム〉「日米構造協議と土地・住宅問題のゆくえ」である。タイトルにひかれたのかもしれない。二人の若い友人が事務局にいて、熱心にフォーラムを準備しているのを知っていたのも大きい。なかなかに盛況であった。住宅・土地問題となると興奮を誘うのであろうか。いささか脱線気味の熱気にみちた主張が飛び交っていた。
ハムレットの方は、それこそ関曠野さんの『ハムレットの方へ』(北斗出版)がある。「こんにゃく座」の公演でも、なんらかの形で、関流のハムレット解釈が参照されたのであろう。関さんがパンフレットに期待の一文を寄せていた。「エリザベス朝時代という英国史上最大の転換期に生きたこの地球座の座付き作者は、呑兵衛で歌と踊りが大好きな陽気なイングランドが、偽善と虚栄と規律と権勢欲にみちた大英帝国へと変貌してゆく過程の、悲しみと怒りにみちた証人だった。」と、いかにも関さんらしい。
何を隠そう、その昔、僕はできの悪い演劇少年であった。しかし、それなりに数だけは見たし、とある場所で、黒テントとか大駱駝鑑のプロデュース(?)をしたこともある。それに驚くなかれ、日本シェイクスピア学会というたいへんな学会主催の、「地球座の謎」をめぐるパネル・ディスカッションにパネラーとして出て、つるしあげられたこともある。時ならぬシェイクスピアブームにひとこととも思ったのであるが、「こんにゃく座」の熱演にその気は失せた。劇場論はできても、劇評はやっぱりおこがましい。加藤直台本の『ハムレットの時間』は、ハムレットの時間と日常の時間を入れ子にした劇中劇の構成であった。日常のどうしようもない時間を問題とするのがやっぱり似合ってる。『住宅戦争』などという本を書いたことでもあるし。
日本の住宅政策の駄目さ加減にはいい加減愛想がつきる。住宅問題、土地問題、都市問題をめぐっては多くの提言がなされてきている。しかし、いずれも実行を伴わない。結果として無策である。無策のままで何もしないでいるうちに、土地と住宅は、バブル経済の渦の中で蹂躙され続けている。民間活力導入、規制緩和に始まった空前の地価狂乱、地上げ騒動、住テクブームの狂騒はとどまることを知らないかのようだ。あきれながらも頭にくる。頭にきながらあきれてしまう。
そうした中での日米構造協議である。日米構造協議において、貿易不均衡是正のために主に問題となっているのは、およそ五つ、流通機構の問題、談合など排他的取引慣行の問題、重層的下請構造など企業の系列化の問題、投資と貯蓄のギャップの問題、そして住宅土地問題である。そのうち、最も重要なものが住宅土地問題だという。米側は、一体何を要求し、何が争点となっているのか。
土地の税制を改革し、ニュートラルで合理的なものとしなさい。公有地や農地など大都市圏の空間を高度利用するため規制緩和しなさい。十を超える省庁にまたがって体系をもたない土地住宅行政を一元化しなさい。住宅建設のための都市基盤整備にもっと公共投資をしなさい。先のシンポジウムを覗いて理解したところによれば、米側の主張はおよそ以上のようである。
農地の宅地並み課税を実施し、買い換え特例を廃止する。土地の公的評価のシステムを実状に合うように合理化し、譲渡税や固定資産税を明快なものとする。容積率をアップするよう、建築基準法や都市計画法を改正する。要するに、最も効率的に土地を配分するために、各種規制や保護策を全て撤廃し、完全に自由な市場原理に宅地の供給を委ねればいいというのが米の主張らしい。とにかく、日本には不合理で不透明な慣行や規制や組織が多すぎる。極めて素朴には、ニュートラルに、透明に、合理的に、ということである。
この米側の主張に対する日本側の反応が面白い。期待と疑念が相半ばするのである。余計なお世話だ、内政干渉だという、反射的な反発がまずある。民族主義的心情がくすぐられると、すぐさま排外主義が醸成されるのだ。あるいは、理念としておかしい、住宅土地はローカルなものだから、ローカルに解決するのがよいという主張もある。一方、日本が変わるためには外圧が必要だ、という期待がある。アメリカは、日本の野党の役割を果たしている、という評価もそうだ。また、アメリカの言っている規制緩和、民間活力導入は、日本政府を後押しするものに過ぎないという説もあれば、実は、日本の官僚が外圧とみせかけて勢力争いをしているのだという説がでる。アメリカは、日本の企業を弱体化させようとするのが本音だろうというものがあれば、市場原理に委ねれば企業が優遇されるだけだというものがいる。市場原理に委ねたってうまくいかない、やはり規制は必要である、都市計画がなくては駄目だ、という声もあがる。先のシンポジウムのみならず、TV討論など実に議論だけは喧しい。
しかし、実にもどかしい。なんか本音が隠されているような気がしてならない。議論だけで一向に事態が進行しないところをみると、誰も何も困っていないのではないか、本気で頭にきてはいないのではないか、と思えてくるのだ。あるいは、本当は、どうしたらいいのかわからないのではないかと思えてくるのである。
宅地の供給のためには、土地税制が問題である。市街化区域内の農地に対する宅地並課税の問題など、譲渡益課税、土地保有税の強化をめぐって、アメリカに指摘されなくたって、もうかなり以前から議論だけはある。しかし、現実の力関係、政治力学のなかでいっこうに手がつけられない。現実を支配しているのは金融政策であり、金融機関である。そこで、土地債権の発行、土地の証券化なども提案されるけれど、果してどうか。市場メカニズムを税制によってコントロールしようという手法で、地価の抑制や宅地の供給増加がどのように可能か、これぞという法制について国民的合意はない。シュミレーションなんてものより、自分の資産にとって何が有利なのかという思惑だけだ。都市の空間をどの様に配分し、利用するのか、基本的な合意がない。基本的合意がないところに、ラディカルな変革などできるわけがない。
韓国の土地公概念関連四法案をみよ、わが国の土地基本法は題目だけだ、などという前に、住宅問題は自らの問題である。住宅土地問題に対して、国の無策を一方的に非難することは誤りだと思う。アメリカに期待するのも同じことである。住宅を手にすることができない、ひどいといいながら、その怒りの声は何故ひとつの声として結集されないのか。年収の十倍を超える価格に、大規模な「住宅よこせ」のデモンストレーションが起こっても不思議はないのに何故起きないのか。ローン地獄というのであれば、ローンの支払いの一斉拒否といった事態が何故起きないのか。空前の住テクブームを見よ。不動産マネーゲームを支えているのは誰か。土地住宅の取得を財産形成の手段と考え、その値上がりを前提としてきたのはわれわれ一般庶民も同じではないか。
日本の住宅土地問題は、資産を持つ層と資産を持たない層とではっきりと二分化されつつある。階層毎に問題が異なりつつある。一方で、低所得者、高齢者、障害者など社会的弱者に対する施策の貧困は、徹底的に批判しなければならない。無策のつけは、社会的弱者に大きく、その声が封殺されていることは大きな問題だ。即実施すべき施策は多い。しかし、ワンルーム・リース・マンションへの投資や買い換えのブームは、資産を持つか持たないかに必ずしも関わらない。そこにまず問題の根がある。住宅問題の根は自らの内にもある。そうした視点がなくて、ただ住宅政策の貧困を嘆くだけでは片手落ちなのだ。
私的で個別的な利益を争うところに糸口はない。住まいについての個別の欲望が無限に実現することはあり得ないことだ。社会資本として、住まいの環境をどう編成するのか。公と私の空間をどのように配分していくのか。公平、公正な論理、共有共用の論理は確かに求められている。住宅政策はあまりにも理念と体系に欠けており、ずさんである。土地や住まいを投機の対象とみることをやめること、土地や住宅を一個の商品とみるのをやめること、ごく当り前に生活の場として都市を考え直すこと、住宅問題、都市問題を考える都市生活者の素朴な出発点であり、原点である。しかし、そう思っているだけでは埓があかない。あとは住宅一揆しかないではないか。果してターゲットは、銀行か、大企業か、国家政府か、あるいはそれとも、自分自身なのか。
室内室外
◎01公開してはどうかコンペの審査記録,面白いのは決定までのプロセス,室内,工作社,198901
◎02語りのこされた場所「皇居」,昭和が終って浮かんできたもの,室内,工作社,198903
◎03国際買いだしゼミナ-ル,建築見学どこへやら,室内,工作社,198905
◎04博覧会というよりいっそ縁日,建築が主役だったのは今は昔,室内,工作社,198907
◎05山を見あげて木をおもう,どうして割箸なんか持ちだすの?,室内,工作社,198909
◎06住みにくいのはやむを得ない,そもそも異邦人のための家ではない,室内,工作社,198911
◎07建築の伝統論議はなぜおきない,日本の建築界にもチャ-ルズがほしい,室内,工作社,199001
◎08職人不足はだれのせい,室内,工作社,199003
◎09こんなコンペなら無い方がまし,室内,工作社,199005
◎10宅地は高いほうがいい,室内,工作社,199007
◎11秋田杉の町能代を見る,室内,工作社,199009
◎12再び能代の町に行ってみて,室内,工作社,199011
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