マレー半島のミナンカバウ,at,デルファイ研究所,199212
マレー半島のミナンカバウ
布野修司
ミナンカバウ 族と言えば、西スマトラである。パダンからブキッティンギにかけて三百万人が居住する。現存する世界最大の母系制社会を形成することで知られている。
そのミナンカバウ族の住居もまたよく知られている。多様なインドネシアの住居の中でも代表的なものとしてしばしばとりあげられるところだ。
棟が弓のように曲線を描く。両端はゴンジョング と呼ばれる尖塔である。屋根は切妻もしくは入母屋で、地域によって異なるのであるが、横から見ると水牛の角に見えるというので、水牛の角をシンボライズしたという説がある。ミナンカバウとは、マレー(インドネシア)語で、「勇敢な水牛」(勇敢な 水牛 )という意味なのだがどうか。
平面構成は規模によって異なる。日本のゴンジョングを持つ、九本柱の家、あるいは十二本柱の家が原型であるが、大きい家になるとゴンジョングを四本、さらに六本持つものがある。
ただ、基本的な構成原理は同じで明快である。平入りで中央に入り口が設けられ、前面は家族のための共用スペースとして用いられる。後ろ側がスパン毎に壁で区切られ、それぞれ既婚女性の家族に割り当てられる。大規模な住居では五十室(スパン)に及ぶものもあったという。また、家の前には一対の米倉が置かれるのがフォーマルである。
ところで、ミナンカバウ族というと、もうひとつムランタウ (出稼ぎ、広義には知識、富、名声を求めての出村)慣行で知られる。ジャカルタなど西スマトラ以外に多くが移り住むのであるが、マレーシアのマラッカ近郊、ヌガリ・スンビラン(九つの国の意)州にも出かけている。
興味深いのがその住居である。一見、西スマトラの住居とは全く違うのである。同じ民族でありながら住居形態が違う。地域的な条件が異なれば、住居の形態も異なるのは当然なのであるが、一方、出身地域の住居形態をそのまま建てるということもよくある。ジャカルタやスラバヤへ出てきた地方出身者が田舎と同じ様な住居を建てるのがその例である。
しかし、ミナンカバウの住居が横へ伸びていくパターンであるのに対して、ヌガリ・スンビランのミナンカバウの住居は、前から奥へ縦方向へ伸びていく。いくつかの棟を前から後ろへ並べて行くのである。みるところ、この形式は必ずしもマラッカ周辺の伝統的民家ではなさそうだ。この差異は何によるのか、このへんが面白いところである。
さらに面白いことがある。前面の建物の棟の左右を注意して見て欲しい。少し、斜めに上がっている。本家ように優美な曲線ではなく、ぎこちない直線であるが端部が沿っている。これをどう解釈するか。マレー半島へ移住していったミナンカバウ族はそこに自らのアイデンティティを表そうとしたのではないのか。