居住と住居のあいだ, 対談 石山修武×布野修司,建築雑誌,日本建築学会,200704
『建築雑誌』4月号特集「住むための機械の未来」
対談
居住と住居のあいだ
石山修武[早稲田大学教授]
いしやま・おさむ
1944年生まれ/早稲田大学卒業/同大学院修了/著書に『建築家、突如雑貨商となり至極満足に生きる』ほか、共著に『都市・建築の現在』ほか/作品に「観音寺」ほか/「伊豆の長八美術館」で1985年吉田五十八賞、「リアスアーク美術館」で1995年学会賞(作品)受賞ほか
布野修司[滋賀県立大学教授]
ふの・しゅうじ
1949年生まれ/東京大学卒業/同大学院修了/建築計画/工学博士/著書に『曼荼羅都市――ヒンドゥー都市の空間理念とその変容』『世界住居誌』『近代世界システムと植民都市』ほか/作品に「スラバヤ・エコ・ハウス」ほか/1991年学会賞(論文)受賞 2006年都市計画学会論文賞受賞
[司会]
新堀 学[編集委員会幹事/新堀アトリエ主宰]
松村秀一[編集委員会委員長/東京大学教授]
「未来」への視線
新堀――今回の特集は「住むための機械の未来」と題しましたが、まず住宅というところをスタートラインにさせていただきます。
今回の特集の動機自体を先にお話しさせていただきますと、住宅といった瞬間に思考停止状態に陥ってしまうようなところに少し危機感を持っています。
例えば、ステレオタイプではない住み方の話、あるいは逆に住宅本来が持っていた考え方の可能性のようなものが見失われているところがあれば、それを発見したいし、あるいは「もう住宅じゃないんだ。生きるという現場でありさえすればいいんだ」という根本的な話でもかまいません。今日は住宅をめぐる現状の輪郭のようなものを押さえていければと思っております。
石山――最近住宅に関して書かれた本のなかで感銘を受けたのは、面と向かって言いますが、松村さんの本[1]でして、非常に面白かった。未来ということに関してこの本が傑作だったのは、最後の未来というところでガンツ構法というのがあるのかなと思ったら、これはないわけで、歴史的に書いているけれども非常にバーチャルな、でも非常にリアルなことを書いておられることですね。
私はあの本のなかで、未来に関しての考えが非常にリアルだということに逆にびっくりしましたが、本誌でやるべきことは、意識的に楽観性を帯びてどれだけ語り合えるかということに尽きるのではないかと思っています。
松村――人の借り物で恐縮ですけど、ガンツ構法というのはSFに出てくるある種のバイオで、菌の粉のようなものを混ぜると勝手にかたちができていくアリ塚のようなものです。それを自由に操れるおじさんが出てきて、それがガンツと言います。その技術が広がって、森林のなかに入っていき、ブルドーザーで土をかき分けて、その粉を混ぜるとある種のシェルターができていくという構法の話です。
石山――これまでの評論やアカデミックな論述の枠に入っていないのです。今のバーチャルとリアルという大テーマの境界線を、かなり的確にスタイルをつかんでいたと思います。
布野――基本的に私は建築を学んだ最初から住宅にこだわって考えてきたつもりです。いま松村さんと石山さんがお話しされたことで多少関係がありそうだと思うのは、500年ぐらいのスケールで見たときに住宅とその集合、あるいは都市でもいいですが、どう見えるのかということですね。リモートセンシングでインテルサットから俯瞰すると、500年間の人類の居住の実験を見ることができるきた。人類は、住居の形、都市の形をさまざまにうみだしてきたわけです。そこにさまざまな可能性を見る必要がある。
そのかたちに可能性がないとすると未来はないのではないか。人類が生まれてから住居や集落、都市をつくってきて、そのかたちに答えがないとしたら、未来も読めないのではないか。私はこの間、街区組織とか都市組織、都市型住宅のかたちがどうなるか、ヨーロッパよりアジアについて、ずっと関心をシフトさせていったわけです。
最大の問題はやはり工業化で、人類の壮大な実験をゴチャゴチャにしてしまったのがこの150年ですね。
石山――先ほどの話とつなぐと、布野さんの考え方は、リアリズムのようなことからおっしゃっていますが、私はそれはもう限界だと思っています。飛躍といったことではなくて、意識したノン(?)フィクションのようなことをどうやって書いていけるかということに尽きると思うのです。それでガンツ構法ということを申し上げたわけです。
例えば、住むための機械というと、普通われわれ古いインテリゲンチャたちはル・コルビュジエや、せいぜいダイマキシオンハウスなどを考えますが、その系列のなかでいま布野さんがおっしゃったようなことのなかだけで考えていくと、おそらくもう未来がない。
一番とんがった機械というのは、例えば宇宙船で、地球から離れてフッと浮いて孤立してやっているわけですから、あれに住宅のスタイルを重ね合わせることに意味があるかといったら、これは全然ない。
宇宙船というものに大変な意味があるとしたら、少し不思議な言い方になってしまいますが、初めて宇宙船で宇宙に出ていったときに宇宙飛行士たちやシステムエンジニアが感じたであろう地球との一体感だと思います。離れてみて、初めて「やっぱり、ちょっとヤバいぜ」という感じになる。それは地球環境や、そういう空疎な概念ではなくて、体や思想そのものでわかってしまったようなことを、おそらく宇宙船があの人たちにもたらしたのだろうと思います。私はああいうものの意味を認めるとしたら、機械というものの未来の可能性はあるのではないかと思います。
だから松村さんがガンツ構法のリアルとアン・リアルの境目のことを書こうとした意欲と、宇宙船の意味のようなものは、意外と近寄っているのではないかと思いますね。例えば、われわれの共通の友人である大野勝彦さんの仕事(セキスイハイムM1[以下、M1])も非常に大事な仕事でしたが、「工業化の果てに」という捕まえ方ではなくて、もう少し視点をずらしてみると、社会的に共有化されるハコをつくれるのかどうかです。これははっきり言って、資本主義ではつくれないですね。
でも、あのビジョンは一瞬のビジョンだったと思いますが、今でもそれは追いかける可能性は十分にありすぎる。それは彼が言っているガンツ構法と同じなのでしょうね。要するに希望の先としては、ああいうものが共有できるかどうかで、おそらく見果てぬ夢に終わるけれども、そういうものを共有できるかということに、今は焦点が絞られているのではないかと思います。
技術とビジョンの射程
松村――石山さんの開放系技術の世田谷村というのは、今のお考えのなかではどのような位置づけになるのでしょうか。
石山――ベースは剣持伶の規格構成材理論です。でも、それのリアリティは今はものすごくありすぎるので、私はもう少しビジョンの方に行こうと思って、それで開放系技術だと考えています。
それをクローズドシステムなのかオープンシステムなのかという議論に行ってしまうと、もう何も生まないから、私はひとつの理想として「すでにあるものであるのだ」ということを言おうとしました。
布野――『群居』の出発点は、大野さんのハコ(セキスイハイムM1)ですね。都市組織、街区組織と言いましたが、おそらくそちらに行かないといけないという感じはあったわけです。だから「群居」なんです。
石山さんの話をすると、社会的に共有されるハコへ行きたかったけれど、自分のうちを村にしてしまわざるを得なかったんじゃないですか。古い言い方だけど、個から全体へか、システムか、という議論はずっとあったけれど、結局、自分の家を村にせざるを得なかった、行くところに行ってしまったなという感じがある。そうすると、あえて開放と言わないといけなくなる。世界が閉じてしまっては困る。そういうふうに見えていたのですね。
しかし、ハコのシステムで世界を覆うというのは原理的には無理ですが、ハコが「群居」する、そのさまざまなかたちにまだ可能性があるという言い方をもう少し議論する必要があると思います。
日本の住宅はどうか、世界の住宅はどうなっていくかという話だと、個々の建築家のイリュージョンやビジョンといったことで完結しない話がおそらくあるわけでしょう、今回の特集でもね。だから社会主義リアリズムでもなんでもいいけれど(笑)、システム的に考えたときに、例えば、宇宙船の話でいうと、それが本当に完結、自立するのかという問題があるわけです。
石山――そうではなくて、宇宙船という即物をイメージしたら、もうそれでお終いなのですよ。宇宙船というメディアをきちんと思わないと。メディアというよりも、それを使っている人間、宇宙船という機械を使っている人間の方に主体を持っていって、彼にとって宇宙船とか地球はなんなんだろうかという視点がないと、布野さんが抽象的だと感じているようなビジョンは絶対に生まれない。
松村――石山さんがそういう考えになったのはいつごろですか。何か変わったんですか。
石山――最近ではないですが、21世紀になってからではないでしょうか。
松村――『群居』が終わってからですか。
石山――そうですね。自分でキーワードとして開放系と言ってみて、逆に、それに考え方がついていったというか。それとバーチャルなビジョンと両方を等価に見ていかないと、一番最初に申し上げたように可能性は見えてこないだろうということです。
住宅とは何かとか、都市型住居の可能性といっても、日本で戸建て住宅の未来なんてありっこないのですから。でも、そうではないビジョンを得ようと思ったら、違う方法で見ていかないといけない。だから、先ほど私が「どうしても意図的に楽天的にならざるを得ない」と申し上げたのは、そういうことではないかと思っています。
機械と世界と
新堀――少しM1の話をさせてもらいます。今回の特集で中村政人さんという芸術家の方にインタビューしましたが、彼はM1をもう一度使いたいと言っているアーチストで、先ほど言われた話に戻りますと、「M1は無目的なハコというコンセプトの部分に立ち返れる。その自由さがすごく大事だ。なおかつ、それで世界を覆っていくというビジョンが明確に見えるじゃないか」とおっしゃるのです。M1ができ上がってからこれだけ経って、そこにもう一度立ち返ってくる人がいるということは、私にとってはすごくエキサイティングなことです。
私たちは住宅といったときに、敷地が当たり前にあって、そこに対してお金を出して、買い物をしますというサイクルを前提にすること自体に、いま石山先生が言われたように限界感を感じている。そうではない、それこそ、もともとコルビュジエが「住むための機械」と言われたときにパッと広がった世界というのは、その機械を通じて私たちは世界に出ていけるのだという期待感があったような気がするのです。
石山――今おっしゃっている機械というのはもう少し具体的に言うと、コルビュジエのドミノみたいなことを言っているのですか。それともコルビュジエが言っているように、飛行機とか自動車というスタイルを言っているのですか。
新堀――それはコルビュジエ自体が両義的なので、私も厳密に「どちら」と言い切れないのですが、人間は裸でいるとただの裸のサルでも、例えば、裸のサルと世界の間に機械を置くことでこちら側が人間になるというような、先ほど言った一種のイマジナリーなひとつのレイヤーがある。バーチャルと言ってもいいかもしれませんが、それがいま言っている機械というものに一番近いのかもしれないと思います。少し苦しいのですが。
松村――住むための機械という、先ほどから石山さんがおっしゃっているようなビジョンと、その後、現実に進んでいったパッケージした住宅が商品化されていくということと込みで表現されているのではないですか。
新堀――そういうイメージはかなりありますね。「機械」のなかにすでに分裂があるというところはたしかにあります。
石山――私は「じゃあ機械って何だろうか」と言ったら、正確に繰り返しができる、生産できる、その機械をいうのであって、そのラインでいったら可能性はそれほどありません。
機械はバーチャルなものを生むかもしれないし、要するに未来というのはある種のプロトタイプですね。それがビジョンじゃないとわれわれは生きていけないから、そのときにコルビュジエが言ったような飛行機やドミノなど、そういうものが相変わらず頭のなかにあったり、失礼な言い方にならなければいいですが、ハコとかそういうものがまずプロトタイプとしてあるということは、私はそれほど大事なことではないと思います。
布野――それは私も一緒ですね。大野さん自身も、はっきりおっしゃるかはわかりませんが、早い段階である種転向したわけですよね。地域工房のネットワークと言われ出したときには、おそらく限界をわかっていたからそういう攻め方をしようとされたと思っています。
石山――例えば、コンテナはコンテナリゼーションというシステム、流通というシステムで世界中覆い尽くしてしまっているわけですよ。
ハコを超えていく住居
布野――私はこの2,3年間は山本理顕や鈴木成文先生の51Cの議論に付き合わされてきましたが、そのレベルでは家族や社会的な編成が問題になります。国内的には今の高齢化の問題や少子化の問題のなかで、今のハコでよいのかという議論が大きいのですが、基本的に、一人の建築家が回答できる問題ではありません。
新堀――私もあまりないです(笑)。
布野――建築家が用意できるのは、空間の骨格、住区組織や街区組織の方です。空間は、住み手によって、簡単に乗り越えられるものです。建築家という職能の議論になるかもしれませんが、やはり何かを用意する役割がある。もしかすると、それが、新堀さんがおっしゃっている機械かなという気がします。
もう少しわかりやすく言うと、例えば、スケルトンーインフィルのスケルトンでしょうか。インフラといってもいいですが、、要するに住宅的なある種のストラクチャーを提示する必要性があるでのはないか。スケールはいろいろあって、それは集合住宅だったり、街区レベルだったり、都市全体だったりしますけれど。
だから「ひとつの住居のプロトタイプをつくって」という議論にはあまり乗りたくないというか、「そんなもの、好きに住めばいいんじゃない?」と思う。それこそ500年間を見ていたら、みんなそこで生きて死ぬわけです。一番大事なのは境界をめぐる所有の争いですよ。地形(ジガタ)が大事で、土地、建物の所有関係をどうセットするかによって上のスケルトンや空間形式が違ってくる。その型で新しい手があるかどうかは興味があります。
松村――布野さんはインドネシアの都市カンポン(密集市街地)を調べられたり、コアハウスやビルディング・トゥギャザーなどをやっていらした頃から、もう……。
布野――問題意識はほとんど変わりませんね。カンポンのように所有関係が「近代法」化されていない世界で、使用と所有がかなりグチャグチャで、家族関係にしてもかなりフレキシブルな場合には、要するにハコではない、M1ではないプロトタイプのようなものをいくらでも思いつくわけです。それは一体どういうものがあるんだろうという興味がずっとある。
石山――私も布野さんに連れていってもらってアジアのそういう地域を見たけれども、外れたところに行くと本当にインフラも何もなくて、例えば、チベットのようなところでは、皆モバイルとコンピュータを持って、変な、われわれより全然新しい生活をしています。インフラがないから、すごくフリーですよ。
それがいいかどうかはまだわからない。でも、遅れて近代化を十分に達しなかった国の具体的な道というのは結構あるのではないかと思います。
これは松村先生の理論というか、教えてもらっているデータで、要するにもうスペースは十分にあるわけですね。それを住宅と呼ぶか呼ばないかということだけであって、住宅とわざわざ呼んでみても可能性が全然ないと。
違う呼び方はどうなのかわかりませんが、そういうバーチャルな概念のようなものを出さないと、私は住宅という言葉はそれほど未来を示していないのではないかと思います。「日本の場合は戸建て住宅がちょっとおかしいな」ぐらいのことは、誰でも常識で知っています。だからもし未来があるとしたら、住むための機械というより、古い言い方ですが、住宅という言葉を解体していかないと、本当にわれわれは未来が見えてこない。住宅と言った途端に何かイメージしてしまうのですね。
居住世界の変化と職能
松村――いわゆる建築の設計で生きていこうとする人たちは、今までのパターンですと、ほぼ必ず最初は住宅ですよね。例えば、『新建築』住宅特集であったり、最近では『カーサ
ブルータス』など、住宅作家というのか何と言うのかわからないけれど、住宅というものを極めてはっきり対象としてとらえているでしょう。
むしろ住んでいる人よりもはるかにパッケージしたものとしてとらえて、自分が育っていこうという、建築家の世界の方に非常に保守的に残ってくる概念のような気がしますね。それをやって次に行くぞという意味でも、その職能のあり方があるとしたら、そういうことではないかもしれないのに、職業として成立していくときの仕方がそうなるでしょう。
布野――東京の学生はわからないですが、京都あたりで見ていると、まず住宅の設計のちゃんすがあるかどうかという問題があって、例えば、滋賀県立大学の学生は内装や改造を頼まれて、セルフビルドで楽しそうにやっています。
松村――住宅を建てる前に、まず改造から入る。
布野――そういうところでトレーニングをしながら、地域と付き合うという方向には可能性があるかな。私が言っているタウンアーキテクトが地域の世話をするなかで、「建て替えをしますよ」といった住宅の仕事が転がり込むかもしれないという予感はある。
石山――教育のなかからでも絶対に生まれないですね。社会学を教えればそういう人が出てくるかというと、そうでもないと思いますし、私は基本的には教育の問題がものすごくあると思いますよ。住宅の教え方、生活の仕方。要するに教え方というか、伝達の仕方がどうもうまく行っていないというか、もう現実に抜かれてしまっているのに。教える側の問題でしょうね。当然学生も含めて、その循環がありますからね。だからアナザウェイではないですが、違うものを提示しないとだめなんだろうと思います。例えば、これは教えられて非常にびっくりしましたが、機械と思っていた、要するにバッキー・フラーの設計した家がもうすでに古色蒼然として見えるのはなんなんだろうか。ドミノを見ても「なに、このポンチ絵は?」と。そういう感じがすごく大事ではないかと思います。
松村――そういう感じはなんとなくわかりますね。
布野――『群居』で考えてきたことと、そんなにずれていなくて、例えば、東洋大学にいたときは学生が地域ビルダーとして生きていこうとする層が多くて、大野さんの地域工房ネットワークという発想が強かったのです。京都大学では、地域生活空間計画という講座に行ったのでコミュニティデザインリーグというものを始めました。そこではコンバージョンや需要の話もでてくる。建たなくなって建築家が生き延びるために三つぐらいの道がある。ひとつはコンバージョンや改造、メンテナンス、設備、そちらの方向に行くという手ですね。もうひとつは海外に行くことです。中国、インドはこれから市場が開く。これは学生に本気で言っていますが、「設計をやりたければ中国へ行け」と。事実、松原弘典君や迫慶一郎君はバンバン食えるようになっている。インドへ行ったほうがいいと思いますが、最後は「まちの面倒を見ることですよ」と。これがタウン・アーキテクト、あるいはコミュニティアーキテクトの道です。
要するに地域社会が壊れてしまっている。地域社会と自治体をつなぐ役割が建築家にある。正直、そこで仕事を取らないと飯の食い上げですね。日本の産業構造が変わる大きな転換の過渡期に、一級建築士が何人いるか、建築学科の学生が何人出るか、それを考えると、まちづくりを担う職能としてなんとか食えないかという発想になっているのです。
石山――私はある意味で「住むための機械の未来」という設問の仕方が非常によいと思いました。例えば、環境の未来というと、「明るい未来」「環境が大事だ」って、誰でも言えますよね。でも全部浅いのです。次に構造の未来というと、いま構造は花盛りですよ。とんでもない変な構造が出てきて、なんでもありだという。能力のある構造家はワクワクしていると思いますよ。自分の計算能力をフルに使えるから。
それから材料の未来というと自然だとか何とか言って、これも結構明るいです。われわれは明るく演技をしないとなかなかできないという、先ほど言いかけましたが、そのあたり分野の問題があるでのはないでしょうか。これは考えすぎているのか……。考えすぎたほうがいいと思いますが、環境の未来という言い方からは絶対未来は出てこない。地球環境って、誰でも気楽に言うのですが。
プロトタイプの使命
松村――最後にひとこと「やっぱりこれだ」という結びの言葉をおっしゃっていただきたいと思います。
布野――機械をシステムや空間的な装置と広げてもらえば、やることはいろいろあると思います。セルフビルドで自前で建てられる仕組みさえあれば、それはそれぞれでやればいいし、勝手にやってそれが非常に美しい秩序を持っていれば、例えば、きれいな集落ができるわけですよ。人類はそういうものをつくってきた。それがいびつだから変てこなものができてくる。そのいびつさは何かというと今の仕組みのすべてで、法律にしても、税制にしても、そのいびつな表現がそのままになっているわけだから、街や住まいがいびつになるのは当然といえば当然であるということですね。
だから未来というのは「そこを変えましょう」ということになるけれど、それだと凡庸な結論だからおもしろくない。(笑)ちょっと考えさせて。これで負けるんだよ、いつも石山さんに。ようするに、どうやったら変えられるかが問題なんです、最初から。
石山――私は自分で実験住宅というか、住宅をつくったわけです。しかも自宅で。それを世田谷村と呼んでいます。これは理屈の固まりみたいにしてつくりましたが、生活し始めたらどうしても修正せざるを得ないのです。
でもやってみると、私にとっては土をほじくり返してホウレンソウをつくって食べたりするリアリティというのは、理屈のリアリティを超えているのです。つまらない生活学や、そういうことの重要性を言っているのはないですが、私がいま痛感しているのは、未来があるとすれば、やはり私自身のそういうコモンセンスを変えていかなければいけないと。
だから機械から有機体へとといったようなことではだめなのです。こちらががついていかないわけですから。日常生活が大事だということを言っているわけではなくて、私たちのほうに巣くっている、そういう性向です。住宅を論じていくと、日本に独特の、日本だけにしか通用しない論理でおそらくいろいろな議論がなされてしまっている。日常的にいろいろな国の人と会ったり、いろいろな国の若い人と会ったりすると、今までピュアなものとして感じてきた論理や歴史観が、日本の特殊例だったということを逆に教えられるというか、私はそちらのほうが重要だという気がしますね。
布野――結局、これも紋切り型ですが、やはりやれるところからやるということですね。
『群居』でずっと考えていたようなことですが、「世田谷村」でもなんでも、その1戸が2戸になって、2戸が4戸になるところのルールで何か実践的なテーマを見つけてということですね。抽象的に環境問題といっても、なかなかかたちにならない。やはり何かモデルをつくって、失敗して、また失敗して、それでもまだやるべきなんでしょうね。
プロトタイプというのは評判が悪いのですが、何か実験的につくって、それをまねする人が出ればプロトタイプになるわけでしょう。やはり若い人はそういう提案に挑戦してほしい。
新堀――本日はどうもありがとうございました。
2007年2月9日 建築会館にて
参考文献
1――松村秀一/『住に纏わる建築の夢――ダイマキシオン居住機械からガンツ構法まで』/東洋書店/2006.12