『建築雑誌』編集長日誌 布野修司
2002年7月
二年目突入!
1500号記念特集へ
2002年7月1日
第13回編集委員会。いよいよ2年目に突入である。
11月号特集テーマ「都市の行方」の最終決定、そして1月号をめぐる議論がメイン。
11月号については企画の中心である肝心の北澤委員が欠席であったため盛り上がらず。大筋了承されているのでOK出す。ただ、タイトルと座談について再検討の意見が出る。「都市空間の新しい論理を描く」はサブタイトルぐらいではどうか。松山さんから、対談は、磯崎新×植田実という手もあるのでは。心は、伊藤さんだと話が大きすぎて、「系譜」「ビジュアルスケッチ」との乖離がありすぎないか心配だ。植田さんでなくても、「ビジュアルスケッチ」の人を誰かもってくる手もある(宇野さん、みかん組??)。
「都市空間のスケッチの系譜」については、東大と京大で作業をすることが決まっており、研究室の丹羽哲矢君のメモとレイアウト案があったのだけれど委員会に出し忘れた。もちろん、北澤先生には伝えた。その内容は以下の通り。
建築雑誌11月号企画 都市の行方
都市空間のスケッチの系譜のためのメモ 20020701 布野研究室
○ 特集の中での位置づけ
特集では、縮小都市化の現象を軸に「パラダイム転換後の都市空間」を改めてヴィジュアルに提示することに主眼がおかれている、その布石として、これまでの「都市空間のスケッチの系譜」を対比的に示すことを求められている。つまり、過去に示された都市像と、その背景となった時代背景や思想の流れが、いかにして現在の都市へとつながっているのかが浮かび上がってくるような系譜図である必要があろう。
また、この系譜図に基づき磯崎新—伊藤滋対談が行われる予定であるので、2人の対談を活性化させる(あるいは当時の状況を対談の中に引き出させる)内容がほしい。
○ ページ構成
6/18付企画案では関東関西でそれぞれ6ページづつにわけて全12ページとなっていたが、見開き2ページで10年分の系譜がわかるレイアウトとし、40’S〜90’Sの60年分で全12ページとすることを提案する。これは都市のスケッチを示す場合、その提案者である建築家がその立脚する場所に依らず各地に対して提案を行っていること、また、関東関西という地域に限定されず、日本全国あるいは海外などに対しても提案をおこなっていることをふまえると、地域での区分をすることよりも、時代による区分の方が系譜図としてまとまりのあるものとなると考えるからである。
見開き2ページの誌面の構成としては、誌面のヴィジュアル面を強化することを考え、上段にはスケッチを並べることとし、系譜図を下段にレイアウトする。系譜図は横軸に時間軸を縦軸にはプロジェクトの主体(施主)を軸としてとり、年代を経るごとにそれら都市プロジェクトの主体が変化していく様相をヴィジュアルに示すことを試みる。また、それら計画が発案され普及していく様子を文字の大きさや項目数により表現する。また最下段には政治・経済・文化の欄を設け各事象と都市計画との関連性を示すことを試みる。
12月号「光環境-科学と設計の接点を探る」(仮)については問題がない。石田幹事より、最終企画案が提出され、原稿発注することが確認された。
1月号「公共建築の設計入札と設計者選定」(仮)については、争点を整理。理論武装に時間をかけた。脇田委員が、設計入札の背景について、「基本的な考え方」「行政はなぜ設計入札を行うか」「設計者はなぜ設計入札に参加するか」「設計入札を考える基本的視点」を中心に詳細な説明がされた。また特集企画案が提出された。伊藤委員から、「公共建築の設計者選定」(『公共建築』2002.4より)が提出された。『建築雑誌』として、設計入札反対をアピールしたい、と思う。「良い建築と環境をつくるための社会システム検討特別調査委員会」が設けられているのでその検討にも期待したいところだ。
2月号(1500号記念)は担当を決めかねていて、というか全員参加ということで、フレームのみを仮の提案する。タイトルは、「アジアのなかの日本建築」(仮)。企画の背景には、仙田学会長のアジア重視の方針、英文論文集の刊行、9月にアジアの建築交流国際シンポジウム(重慶)が開催されることもある。また、WTO(世界貿易機構)を背景にした国際資格の問題が大きなテーマとなっている。1,000号記念号は「日本建築の将来」をテーマに5本の座談会を中心に、「建築雑誌の歩み」「建築雑誌論文再録」「“建築と社会”“建築士”のあゆみ」という構成である。1000号は1968年8月号だから、約35年スケールでの総括が必要だ。過去には「大東亜建築特集」(1942.9)もあった。各界アンケートは、例えば「10年後の日本建築界はどうなるか」などひとつテーマを決めて、なるべく多くの意見を集めたらどうか、という意見がでた。
3月号「巨大地震を前にして」については、福和先生より、さらに煮詰めた企画案が提出された。現在、東南海地震・南海地震を想定して国(地震調査研究推進本部、中央防災会議)が大きく動いている。今国会でも上記地震に関する「地震防災対策の推進に関する特別措置法」の審議がされている。しかし防災対策や住民の意識は十分ではなく、自治体や企業、大学でも防災対策に手をつける余裕はない。そこで理学的・工学的・防災的・行政的観点から、現状と問題点を出来うる限り本音で書いていただきたい、との説明がなされた。
今後の特集についてチェックする。現在確定している特集分野は1月号~3月号および8月号である。9月号は建築年報となる。残り少ないので、委員各位には希望の特集の提案をお願いする。
常設欄「博物館が欲しい」は、建築博物館が実現することから模様替え。来年1月号から、学会の建築博物館に収蔵する建築を念頭に作品レビューを行うことになっているが、選定方法について、黒野委員から案が提出された。正式な選定方法の確定までは至らなかったが、先に編集委員会内でアンケートを実施することとした。
京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の機関誌『京都げのむ』第2号』発刊された。なかなかの出来映えだ。
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╋╋╋╋┻ 京都げのむ第2号発刊のお知らせ(転送歓迎)
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お待たせしました
京都げのむ第2号ついに発刊!!! 定価 800円(創刊号より2割値下げ)
今後、創刊号と同様に各大学および京都の書店にて販売いたしますが、現在は事務局にて販売をしています。
購入希望の方は、氏名、住所、電話、希望冊数を明記の上、メールにてお申し込み下さい。折り返し御連絡いたします。 京都CDLのこの一年間の活動がぎゅっと詰まった、濃厚な一冊です。ぜひご一読を。
(内容紹介)
■ 巻頭 ■
グラビア:「あの『問題物件』は現在?」
巻頭論考:「京都のまちづくりの歴史的争点を顧みて~都市再生特別措置法と日本建築学会提言の狭間で思うこと~」 広原盛明
■ 特集 ■
京都売ります!
あなたは身銭を削って、この「京都」の、どこを、なにを買いますか?
[PART1] 鑑定・発掘「問題物件」
「問題物件食い尽くしツアー」
「寒風鼎談 ~辺境に佇む神獣と三人の凍結イタコ~」
「問題物件マップ&クロニクル」 ほか
[PART2] 京都「買います?」
「京都まるごとHOW MUCH!?」
「京都家賃・格差検証マップ」
「京都家探し体験ルポ」 ほか
■ 京都CDL ■
「2001年秋季シンポジウムレビュー」
「地区調査分析2001」
「地区イチオシ第一弾」 ほか
■ 連載 ■
京都CDL都市・建築設計競技(予告編):
「『京都人だけが知らない』建て売り住宅小史」 小林大祐
「KYOTO on Books:京都文学アーカイブス100」
「京都データベース:[銭湯左京・北・上京・中京区編]」
「コンペの墓場:新T美術館コンペ」
「げのむギャラリー:建築畑」
「京都私的探求」、「通りゃんせ(六条通)」、
「京都黒穴(鴨川横穴潜入)」、「京都やま企画(大文字山)」 ほか
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<京都CDL事務局>
at.cdl@archi.kyoto-u.ac.jp
2002年7月2日
1月号特集に絡んで、パネルディスカッション「横須賀型資産評価方針による設計者選定について」
開催(拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。さて、日本建築家協会(JIA)より2002年7月10日(火)15:00~17:30開催の標記パネルディスカッションをご案内いただきましたのでお知らせ申し上げます。つきましては、御多忙中とは存じますが、ご参加いただきたくご案内申し上げます。また、身近におられる方々にもお知らせいただければ幸甚に存じます。なお、詳細は下記をご参照下さい。よろしくお願い申し上げます。)のお知らせを委員各位に回覧。参加を要望する。
京都CDLに絡んで、神戸芸術工科大学の永橋先生からメール。
こんにちは、永橋為介@NPO法人コミュニティー・デザイン・センターです。ご無沙汰いたしております。このメールでは、UCバークレー校環境デザイン学部のランディ・ヘスター教授のパートナーであり、同校準教授でもあるマーシャ・マクナリーさんの件で、書かせていただいています。マーシャさんは現在、UCの助成金に申請して、この秋に再度日本で、2ヶ月ほどNeighborhood Landscapeの調査を行おうと準備されています。(彼女は、バークレーや西海岸でも現在、Neighborhood Landscapeについての調査方法論の開発や実践を行っています)。
その際、布野先生をはじめとするCDLのプロジェクトと連携をとることができたら、と願っておられます。そうした連携が可能かどうか、布野先生に連絡をとりたいとおっしゃられたので、取り急ぎ、私の方から、その旨をお伝えさせていただいています。
もし、連携が可能であれば、マーシャさんはUCの助成金申請にその旨を記し、布野先生との連携をUCのオフィシャルなプロジェクトとして実施したいとおっしゃっています。
マーシャさんは、野嶋政和さん、そして私の3人で昨年のCDLの立ち上げ会のとき参加され、彼女が研究している方法論についてCDLのみなさんの実践とエクスチェンジしたいと思われたとのことです。 CDLの最近の状況は、私がホームページの内容を伝えました。また、先生の英語のご論考もマーシャさんに送りました。
調査計画の詳細については、マーシャさんの方から直接、布野先生の方にお伝えしたいとのことです。FAX、メールのうち、どういう手段がよいのか、教えていただきたいとおっしゃっています。
私も、またコミュニティー・デザイン・センターの方でも、マーシャさんの日本での活動に最大限協力するつもりですので、先生との連絡についても、私自身、できることを最大限お手伝いさせていただきたいと思っております。
実は、マーシャさんからは1ヶ月前から「布野先生と連絡をとりたい」と言われており、私がバタバタしているうちに日がたってしまい、昨日、電話がありまして、このようにメールさせていただいている次第です。・・・2002年7月2日
もちろん異議ない。前向きに対応しますと返事する。
8月号の特集「インドの建築世界」の用語解説が急テンポで進行中である。山根、青井の両委員が大張り切りである。年報の座談会原稿が小野寺さんから送ってくる。「この原稿で出席者への加筆を依頼し、その結果を見ながら再調整+再度校閲をいたします。」
黒野先生から問い合わせ。
「昨日の編集委員会に出られず、申し訳ありません。お聞きしたいことがあります。
建築学会「情報社会ビジョン小委員会」の「環境情報ワーキンググループ」の渡邊朗子主査から問い合わせがありました。 「環境情報ワーキンググループで活動している内容を、出版したいと思っています。もし、建築雑誌で執筆させていただけるなら、ありがたいのですが、いかがでしょうか。」ということです。
小野寺さんが回答。「黒野先生。委員会活動報告を会員に伝えるのは、会誌の義務です。ぜひ成果報告をしてください、というのが原則です。以下、「活動レポート」への掲載を念頭に回答します。
1 WGは本来作業部会ですから、WGが独立して成果報告を行うのは変な印象を受けます。上部組織の小委員会として成果報告すべきではないでしょうか。
2 やはり情報の質は気になります。多くの会員にとって有益な情報かどうか……ここはぜひ黒野先生のご判断を仰ぎたいところです。
3 分量はどの程度になるのでしょうか? 本として出版の可能性が低いので『建築雑誌』に……と言われると、ちょっと難しい印象です。
最も無難なのは、「こんな成果が出ました」という概要紹介を「活動レポート」で紹介していただき、「詳細はホームページを見てください」とするのが現実的かもしれません。
あるいは、「技術ノート」1~4月号が空いていて、大崎先生に検討頂いているところです。それだけの価値があれば、「技術ノート」への掲載も考えられます。宜しくご検討をお願いします。建築学会 小野寺」
2002年7月3日
この日のメールのやりとり。
京都大学の大崎です
技術ノートの1月号から4回は,鋼構造地球環境小委員会主査の岩田先生(神奈川大)にお願いしました。
とりあえず,1回目は岩田先生に依頼してください。岩田先生は全て自分で書いてもいいといわれていますが,そのような例は過去にはないですね。
遠藤先生。
お世話様です。2回連続で、編集委員会失礼しました。すみません。学内の会議(月と木の3時にあります)と重なっておりました。今後も以下のような予定で、出席の方は十分にできませんが、メールベースで参加させていただきます。脇田さんの企画についてはメールでフォローしていますが。よろしくお願いいたします。
京都大学の大崎です
活動報告的なものではなくて,鋼構造の分野で,地球環境問題に取り組むための技術を書いていただくことでいかがでしょうか。活動報告ではまずいですね。今年の大会で,鋼構造部門のPDを企画されていますので,内容は十分にそろっている と思います。他に注意すべき点がありましたら教えていただけないでしょうか。私から岩田先生に内容について間違いのないように確認しておきます。
小野寺さん→活動報告ではなく、技術を書いて頂くことでお願いします。あとは私から申し上げることはありません。布野先生からご異存がなければ、お進め願います。
小野寺さん。
福和先生:先日の編集委員会で、伊香賀先生がおっしゃっていたシンポジウムは下記です。8月号の会告に掲載します。
サステナブル・ビルディング連続ワークショップ
全地球的視点から 第5回「サステナビリティを支えるテクノロジー」
サステナビリティを支える基盤となる技術について、討論を行う。建築のみの技術に限定せず、金融工学技術および情報基盤技術等を含めたサステナビリティに関わる幅広い側面について話題の提供を行い、今後の関連産業のあり方、および研究の方向性をつかむヒントとする。
<主催> サステナブル・ビルディング小委員会
日 時 9月9日(月)13:30~16:30
会 場 建築学会ホール
内 容 司会:吉田倬郎(工学院大学)
1.省エネ技術
2.長寿命建築技術(100年建築)
3.耐震診断と補強技術
4.地震保険と都市のサステナビリティ
5.セキュリティと都市のサステナビリティ
質疑応答まとめ 三田 彰(慶應義塾大学)
定 員 200名(申込み先着順)
参加費 会員1,000円、会員外1,500円、学生500円(資料代含む)
伊藤圭子さん。
ご連絡ありがとうございます。出席申し込みます。
北沢です.
先日は,失礼しました。ご意見を踏まえて最終案を作成します.
小野寺さん。
布野先生
思いつきで恐縮ですが、下記の案はいかがでしょうか?
・中国・韓国・日本の建築家による座談会は……無謀でしょうか?
・「技術援助と技術移転」とも関係しますが、APECエンジニアが動き出していますし、APECアーキテクトも構想が具体化していると思います。APECによる技術者交流の光と陰、各国の思惑と戦略などを紹介できると意味があるような気がします。
・アジア各国の建築システム(設計方法、施工方法、建築家の位置づけと役割)を比較するようなことは意味がないでしょうか?
是非やりたいと思う。
布野→9月に中国で、というのが唯一の可能性でしょうか???
小野寺さん
もしやるとすれば、絶好の機会ですね。実現できたら非常に画期的ですが、ちょっとしんどい気もして、判断つきかねています。
2002年7月4日
山根委員からバリクリシュナ・ドーシさんの8月号巻頭論考改訳「持続可能な都市をこえて-持続可能な地域、持続可能な地球への戦略」が届く。
京都CDL関連でコンペの打ち合わせ。建売住宅開発に建築家、購入希望者らが参加するという珍しい試み。
今年出版予定の『アジア都市建築史』(仮)の校正刷り(第二校)が届く。
重慶第4回アジア国際建築交流シンポジウムの原稿締め切りも近づいた。研究室はパニック状態である。
2002年7月8日
「建築博物館がほしい」 紹介作品に関するアンケートが回る。
編集委員各位
6/18の編集委員会で、2003年1月号から「建築博物館がほしい」の連載として、建築学会が進めています建築博物館を意識した建築作品を紹介していくことになりました。7/1の編集委員会では、編集委員の皆さんにとりあげたい作品を推薦していただき、委員会で12作品に集約していくという方向で進めることになりました。
お手数ですが、7月15日(月)までに、以下の連載方針にかなう建築作品を、10作品までの範囲でお知らせいただけませんか。お返事は、事務局までお願いします(onodera@aij.or.jp)。集計結果は、8月6日の編集委員会でご報告します。お忙しい中恐縮です。よろしくお願いいたします。
例・代々木オリンピックプール(丹下健三、東京)
連載の方針
1. 12作品を編集委員会の責任で選ぶ。選択基準は重要性と掲載可能性の高さ。
2. 選んだ作品に対して、関係した人の話を聞きに行く(設計者に限定しない)。
現状写真の撮影許可と、図面や竣工写真の転載許可を得る。
3. 編集委員会で写真と資料とヒアリングを編集する。
2002年7月9日
2002年 日本建築学会賞(作品)受賞者記念講演会(広島会場)に参加。記念講演は、山本理顕、渡辺誠の両氏。それに今年から選考委員が加わると言うことで僕が呼ばれた。司会は宇野求先生。宇野君は、僕が東大で二年ほど助手をした時の学生である。頼まれれば嫌とは言えない。それに日本建築学会の仕事である。さらに広島大学には二年間、客員でお邪魔したことがある。杉本俊多先生はクラスメイトである。
渡辺誠さんとは審査の時に初対面で、本格的に話すのは初めて。同世代で、やっていることに共感はある。その作品については以下のように書いた。
剥き出しの地下空間 土木デザインの新展開 何にお金を使うのか
地下鉄都営大江戸線・飯田橋駅 設計:渡辺誠/アーキテクツ・オフィス
布野修司
東京へは度々出掛けるけれど用事をこなすのが精一杯だから町を歩く機会はほとんどない。行ったといっても移動は地下鉄であり、歩くのは地下街だ。東京駅から地下街を辿ればほとんど雨に濡れずに歩ける。東京は既に一大地下都市と化している。
都営・大江戸線の飯田橋駅をたまたま通りかかって驚いた。打ち放しコンクリートの肌が剥き出しのままなのである。そして、天井を蜘蛛の巣のように、所々照明灯が組み込まれた緑色のパイプが這っている。新鮮だ。
地下鉄のホームや通路というと天井が低く、背を折って歩く重苦しい閉塞感がある。しかし、この駅は何よりも天井が高く伸び伸びしている。それに地上のように随分明るい。普通は天井を貼って様々な設備を隠してしまうけれど、ここでは全て剥き出しにして、その分大きな空間が確保されている。そして、緑のパイプも現代彫刻のようで斬新だ。
同じような通路やホームで地下街にはアクセントが少ないから個性豊かな駅の誕生は歓迎である。大江戸線の駅のデザインには他にも何人かの建築家が関わったという。いくつか見て歩いたけれど最も挑戦的なのがこの飯田橋駅だ。そっけなかった橋梁や高速道路など土木構築物のデザインを見直す貴重な試みのひとといっていい。制度的な枠組みが強くて思うようにいかなかったというが、その悪戦苦闘を評価したい。
出来たものは素っ気ないトンネルにすぎない。素材をそのままに表現する1960年代初頭のブルータリズム(野蛮主義)のデザインのようだ。利用客の評価は果たしてどうであろうか。賛否相半ばするかもしれない。設計者は渡辺誠、ポストモダンの旗手とも目された建築家だ。その溢れる表現意欲を押さえたある種の欲求不満を解消するかのように地上の入口には異形の排気筒が建っている。この排気筒は必要なのか。何にお金を使うのか、デザインとは何か、大いに考えさせる作品だ。
理顕さんとは長年の仲だ。学会賞の作品評価の基準は何か、といきなり宇野君に聞かれてドギマギしたけれど、作品賞の意義を僕なりに説明した。多少の裏話も含めた。宇野君の作品も最終審査作品にいま一歩だったのである。
会のあと、広島工業大学の村上徹先生も加わって、みんなで楽しく飲んだ。杉本とは久々話した。持つべきものは友である。NHKのBSの番組でベルリン取材、薬師丸ひろ子と共演したというのが自慢であった。山本、渡辺の議論は深夜まで熾烈を極めた。宇野君はいまや大教授だけど永遠の建築少年の趣が相変わらずでうれしかった。
2002年7月10日
台風で、新幹線が新大阪で止まる。京都には問題ないが、宇野君は12時間以上缶詰になったという(布野さん 宇野です.広島,ありがとうございました.楽しいひとときでした.僕は次の日,台風のせいで,なんと12時間以上新幹線に缶詰という目にあいました.岐阜の揖斐川の氾濫を目の当たりにしましたが,テレビとは違う迫力でした.家や工場の屋根が泥の濁流の中に見えるといったさまで,大洪水のこわさに遭遇したというわけでした.今度,京都あそびにいきます.おくさんの美智子さんによろしくお伝え下さい.また,金沢で.)。
カリフォルニア大学のMarcia J. McNally先生からメール。
July 9, 2002
Dear Professor Funo:
I write hoping this letter finds you well. As you have learned from Dr. Tamesuke
Nagahashi I have launched a three-year research agenda to study the
neighborhood landscape. The core of the
research is developing and testing a method for measurement of the physical
characteristics of the neighborhood so that activists and local government
officials can collect the data necessary to make change. I have already started to test this method in
the U.S. In hopes of creating a tool
that will improve neighborhood design practices and have broad application, it
is my desire to test this method in other urban areas in the Pacific Rim. To that end I hope to do so in Kyoto and
Taipei, Taiwan.
The ability to understand the physical structure of a neighborhood
so as to manage change is a challenge in the United States as well as Japan and
Taiwan. Knowing from past experience
that activists can be very effective when they have tangible tools, I have
begun work on a field guide. The guide
includes a taxonomy that organizes and classifies the neighborhood landscape in
a way that allows the reader to identify and understand it in a precise
way. The document is based on a course I
developed several years ago at UC Berkeley called The Neighborhood Landscape,
and a conference I convened on the subject in 2000. The method, which is the one I would like to
present to you and your colleagues for consideration, includes the best field
practices of many disciplines, repackaged to suit the neighborhood scale.
You will remember that while in Kyoto last year I attended an
organizing meeting of the Kyoto Community Design League. At the time I was very impressed by the
ambitious and critical mission of the League.
Nagahashi-san tells me that since that time your team conducted a trial
project, inventorying the buildings and land uses from east to west along Shijo
Street, which was a success. It is my
understanding that you are looking for ways to broaden the field inventory to
capture Kyoto’s essential landscape qualities.
I hope to meet with the League within the next six months to
determine if it would be mutually beneficial to apply the method to select
Kyoto neighborhoods. It seems there are
a number of positive outcomes to anticipate: new methodology and teaching
tools, advanced understanding of successful neighborhoods and their landscapes,
design and planning interventions, possibly publications available to broad
spectrum of readers and users, and on-going research collaborations between
Kyoto University, National Taiwan University, and Berkeley.
I am sending you via mail a copy of the case studies of seven
Berkeley neighborhoods prepared during the most recent semester, as well as an
article describing the course. If you
and your colleagues are interested, I would propose we meet within the next few
months. At that time I could present the
method, some examples of case studies prepared to date, and how it might be
applied to Kyoto using the Shugakuin neighborhood as an example.
It is likely that I can secure a mini-grant to support my travel to
Japan. If we can find a project and
approach of mutual interest, I would then be able to apply for larger funding
from a research project targeted at collaboration in the Pacific Rim. The deadline for the mini-grant is August 1st. The deadline for the full proposal is late
November. I would propose we meet in
mid-November.
At this point all I need from you is 1.
confirmation of your interest and 2. an indication that mid-November is a good
time to meet (or when might be a better time).
With this information I can apply for the travel funds from the
mini-grant program.
It has been one year since my husband, Randy Hester, and I left
Kyoto. Our six months there were
wonderful and we miss the place, our friends, and colleagues very much. I look forward to hearing from you and to the
opportunity to expand the community design network.
Sincerely, Marcia
J. McNally
『京都げのむ』第3号、第三代編集長が竹山聖研究室の長野良亮君に決まった。
こんにちは、長野です。次号「京都げのむ3号」の編集長をやらせていただきます。よろしくお願いします。
先日、2号の打ち上げと準備委員会を行いました。20名(立命平尾研、リム研、龍谷、文教、京女、滋賀県大、池坊、阪大、京大)の参加があり、半分以上は顔ぶれ新たにといった感じです。とくに新メンバーに女性が加わったという印象です。
今回は顔見せということもあり、次号の記事内容に関してあまり深いところまで話はいかなかったのですが、なによりも多く参加があったことに感激しました。(とはいっても、断面調査をもう一度まとめ直す/「京都らしい」の再評価/もう少しかみくだいた文章で/日本中を旅するので各地の「小京都」を自分なりにレポートしてみたい、などの意見がありました。―
2次会ではもうすこしつっこんだ意見も出ました。そこでは、3号は「セクシィー京都」(仮)でいこうということで話が広がりました。過去二回の断面調査の特集を基本的な柱にするにして、そこでCDL独自の視点で京都の魅力、セクシーさを発見していこうというコンセプトです。都市は魅惑的なものであるはずですから、CDL的な視点での様々な「セクシーさ」を京都に見出すことも可能であろうと思います。(当然、観光雑誌、タウンマガジン的なものを目ざすものではないです。)全体のイメージに関して次回編集委員会でさらに議論を進めていきます。今回はより多くの大学からの編集者が集まりそうですし、各自の独自の視点に期待したいと思っています。
早速メーリングリストを新たに作成して、次回会議の日程調整をすると共に、7月中はそこでのやりとりで3号の構想に関して意見を交換できればと考えています。また、第1回編集委員会ですが、7月には大学の試験が多くあると聞いたので、早めに招集したいこともありますが、7月最終週で調整しようと考えています。
大まかな日程ですが、8月_構想、9-11月_取材、編集、11月末_原稿締め、来年1月_発行と考えております。
3号の荷の重さを感じていますが、初代、2代の経験を生かしつつ(編集長のサポートをうけつつ)、新メンバーでさらに多彩な紙面を目ざし挑戦をしていきたいと思いますので、よろしくご指導ください。
長野良亮
建築雑誌も若い感覚は参考にしなくてはと思う。
2002年7月11日
北澤先生からメール。
11月号原稿依頼発注。「建築雑誌」2002年11月号 企画案 version 3.0
特集 都市の行方 都市空間のスケッチ
1,趣旨
近代都市の計画やデザインの系譜は短いと言え,都市社会像と空間像をともに構想した「田園都市」などの議論を発端とすれば,すでに100年という歴史と蓄積がある。来年は,東京が都市としての歩みを始めた「江戸開府」から400年という節目の都市でもある。
そして現代の都市は,現在大きな転換期を迎えている。
産業の構造的な転換や人口の減少がもたらす都市活動の停滞,高齢化や少子化がもたらす生活自体の変容,地球規模の環境保全など,都市を取り巻く状況は大きく変化している。成長・拡張の時代から,非成長・非拡張,そして収縮・周密の時代へと都市は向かっている。この大きなパラダイムシフトの中で,どう都市は変容していくのだろうか。現に,都心の荒廃から郊外部でも空洞化が始まっている。一方で,バブル崩壊後の不良債権処理,供給過多とも言われながらも続く大規模開発など,都市の構造や手法に関する新しい展開は見られない。「都市の行方」を誰もが知らないまま,日々都市は変貌している。
将来の都市を語ることは多い。産業は,人口は,住宅は,福祉は,教育は,分析されればされるほどに,都市は断片化していく。結果として、経済や制度という見えざる手が動かす都市となっている。ここでは,将来の都市を空間から再度考えてみようと思う。都市の断片化の要因の一つは、空間から都市の論理を組み立ててみる機会が,少ないことではないだろうか。断片化する都市を総合化し、可視化してみせるのは、常に空間であった。
転機にある都市には,構想が必要である。今描く空間の構想は,これまでのものとは違うものになるであろう。対象も,方向も,描き方も違うかもしれない。そこに,現在の、そして将来の都市の新しい論理の展開を見い出せると考えている。
2,構成
(1)対談
この特集では,まず,60年代以降の空間の構想について,建築家の磯崎新氏と都市計画家の伊藤滋氏がその流れを描き出し、加えて今後の都市の空間のあり方、その方向性を論じる。都市への視線や関わり方において,全く違う位置にあった二人の議論は,都市の現在を鮮明なものとする。
(2)構想計画の系譜(対談の論点となる資料編)
1960年5月、東京で「世界デザイン会議」が開催された。都市という主題,メタボリズムグループの活躍で強く記憶されるこの会議で、西山夘三は、「事態の進路を人びとに正視させ、どうしてもとらねばならない地表の構成・環境の造成のさまざまな原則を空間的イメージによって承認させてゆく役割を果たす」「構想計画」の必要性を主張した。それは、「「空間」をみつめる責任を感じているものが、鋭く感じとることのできる空間的な問題点を、その社会的責任として国民の前に提示する仕事」である。60年代以降も、多くの建築家、都市計画家がこの仕事に挑んできた。その流れを整理し,背後にある論理を整理する。
(3)新しい空間の論理(何人かの建築家や都市計画家らが描く都市空間)
都市を巡るパラダイムが大きく転換しようとしているが、バブル期以後は,「都市経済の論理」による空間の構想計画が主となってはいないだろうか。
世紀末には「都市のビジョン」が語られ、都市に対する提案も方々から提出されている。しかし、多くの人に理解され、共有されるような空間を明確に描いた「構想計画」となっているだろうか。都市が備えるべき要件は多岐にわたるが、それらを並列的に書き並べる以上に、一つの空間像として総合し、分かりやすく提示してみせることが望まれている。
これまでに都市に対して積極的に取り組み、提案されてこられた方々に改めて、パラダイム転換後に構想しうる「都市空間の論理」をヴィジュアルに提示して頂く。
3.具体的内容
第一部
「都市空間の論理」—系譜と展望— 16ページ
磯崎―伊藤対談が軸。東大・京大で用意するデータを参照資料として、建築家―都市計画家双方の視点から「都市空間の論理」の構想の、歴史的展開について、論を交えて頂く。
対談の材料として、これまでの様々な「構想計画」を、現在の構想に含まれる様々な論点のオリジンを探すという視点から、第二部の分類と対照させながら整理する。
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●対談 「都市空間の論理」について 6p
磯崎新vs伊藤滋 聞き手 布野修司・北沢猛
●系譜 1960年代以降の構想計画史 10p
【担当】
構造(あるいは対象のスケール)から:京都大学布野研究室
解釈(あるいは対象のテーマ)から:東京大学都市デザイン研究室
【作業の概要】
①上記趣旨に照らして、下記に記す雑誌から「構想計画」(定義は趣旨を参照、構想すること自体に積極的意味を見出す都市に対する諸計画、提案)を抽出する。年代は凡そ、西山発言以降の1960年代~
主な雑誌名
「建築雑誌」、「建築文化」、「新建築」、「建築」、「都市住宅」、「建築と社会」、「建築思潮」、「プロセスアーキテクチャー」、「10+1」、「都市計画」、「造景」、「ビオシティ」、「ジャパンランドスケープ」、「ランドスケープ・デザイン」等。
又、上記作業により抽出された「構想計画」のうち、重要と判断されたものに関しては、関連資料。原資料等を東京大学都市デザイン研究室、京都大学布野研究室で分担して収集する。
②雑誌以外の媒体(単行本、報告書等)で発表された「構想計画」を、可能な限り、東京大学都市デザイン研究室、京都大学布野研究室で分担して収集する。
③以上で抽出された「構想計画」の、「絵」に込められた「都市空間の論理」を読み取り、系譜を作成する。その際、第二部で提示される「都市空間の論理」のカテゴリーと互いに関係付ける。
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第二部 「都市空間の論理」 -ビジュアル・スケッチ- 24ページ
各人、見開き2ページで、以下に挙げた方々に、現在の地点から構想される「都市空間の論理」について、ヴィジュアルに表現して頂く。そのうち1ページは「絵」、残り1ページで解説。一応、以下のようにカテゴライズして原稿依頼するが、この分類は提出された原稿を基に再構成する。
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〇都市空間 構造的展開
※構想計画は、その構想の対象に関して、都市の全体、全体を構成する部分としての地区・街区、地区や街区を構成する要素としての建築といった、幾つかのスケールに分類することができる。これらの幾つかのスケールの都市空間は、互いに入れ子のような関係で、都市を構造化している。
都市の全体構想 都市全体を俯瞰的に。都市レベルでの再生の都市空間像の提示。
■大野秀敏 1949年生まれ 東京大学教授
参考テーマ 「都市構造の再編/線分という概念」
■重村力 1946年生まれ 神戸大学教授
参考テーマ 「田園と都市の新しい関係/居住の再構築」
地区・街区の再生像 地区レベル、街区レベルで再生の都市空間像の提示。
■出口敦 1961年生まれ 九州大学助教授
参考テーマ 「新・田園都市モデル/街区再生モデル」
■有賀隆 1963年生まれ 名古屋大学助教授
参考テーマ 「アーバンビレッジの構築」
都市を捉える建築 建築の都市的展開による都市像。既存の都市に挿入する小空間の望むべき姿。
■竹山聖 1954年生まれ 京都大学助教授
参考テーマ 「不連続都市の一点」
■曽我部昌史 1962年生まれ 東京芸術大学助教授・みかんぐみ※
参考テーマ 「都市のリサイクル/団地再生からの展開」 ※みかんぐみに依頼
〇都市空間 解釈的展開
※構想計画は、都市に臨む姿勢、つまり都市をどう解釈するかという出発地点において、幾つかに分類することができる。60年代以降一貫してあるのは、技術の発揚の場としての都市空間、一つの生態系としての都市空間、人の生活が織り成すコミュニティの舞台としての都市空間といった解釈であろう。
技術としての都市 技術が可能とする都市空間。あるいは技術の発展が要求する空間像。
■宇野求 1954年生まれ 千葉大学教授
参考テーマ 「ハイブリッド都市の姿/TOKYO」
■佐々木龍郎 1965年生まれ 建築家・project.co.jp
参考テーマ 「Netpolis/その可能性」
生態としての都市 行き詰まった都市空間を新たに循環させる。一つの生態としての都市像。
■宮城俊作 1958年生まれ 奈良女子大学教授
参考テーマ 「エコロジカルな都市/ランドスケープ・アーキテクトの視座から」
■塚本由晴 1965年生まれ 東京工業大学助教授
参考テーマ 「隙間から見えてきた都市/小さな都市空間」
コミュニティとしての都市 人びとの暮らしと都市空間。コミュニティの新しい物的環境。
■石塚雅明 1952年生まれ (株)柳田石塚建築計画事務所代表取締役
参考テーマ 「まちづくりに見る都市像」
■大月敏雄 1967年生まれ 東京理科大学専任講師
参考テーマ 「モダンから現在・将来へ/モデルとしての同潤会」
○寄稿依頼仮テーマは、参考程度。
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2002年7月12日
伊藤圭子委員よりメール。
お返事が遅くなりました。その間、台風6号の中を建築家協会の設計者選定に関するシンポジウムに行ってまいりました。建築家の皆様の、設計に関する暑い情熱に、もっともだと思うとともに、現在の社会とのずれを感じ、現在取り上げようとする問題が日本の文化自体を相手取っていることを認識しました。設計者選定のやり方のような些細な問題の前に、設計者を選ぶことで得られる社会的利益を理解してもらう必要があるでしょう。先日のシンポジウムは、それを当たり前と言うことで議論の俎上にのせないことで、一般性がありませんでした。もちろん内部のシンポジウムですからそれでよいのですが。
そこで、ゲーム理論ですが、私もよく知りませんが、相当研究されているようですね。入札とオークションでは、高く競り落としたいやつがビットする場合と、低くおとしたいやつがビットする場合の違いがあるだけです。また、一般に封書に入れて封をする場合と公開で行う場合の違い、談合がある場合とない場合の違いなど様々研究されているということです。
ただ、あのシンポジウムの様相では、特集の課題を設計者選定とするならば、入札などと一言でもいおうものなら、釜ゆでになりそうでした。でも、ゲーム理論はおもしろいから好きです。普通、構造の先生が得意な分野だと思ってきました。コラムか何かででもご紹介いただけないものでしょうか。
伊藤圭子
ゲームの理論云々というのは大崎委員とのやりとりがある。
「入札というのは,オークションと同じですね。オークションといえば,ゲーム理論でいろいろ研究されていて,セカンドプライス
オークションとか,ダッチオークションという言葉を見かけたことがあります。ま た,建設産業ではないですが,アメリカでは,情報産業の政府の入札をゲーム理論家に任せて成功した例もあるようです。建築雑誌での議論はこのようなこととは関係ないのでしょうか。建設産業だけ別なの
でしょうか。上記の「成功」も,政府が損をしなかったというだけで,いいものができたとは書いていないですから,ここでの話とは無関係なのでしょうか。」
「京都大学の大崎です。ゲーム理論は,Beautiful Mindという映画のおかげで流行りですね。私は映画は見ていないのですが,アメリカに行ったときに暇なので,原本を読みました。にわか勉強で講義でも紹介したのですが,私には説明する能力はありません。建築系では,東工大の青木先生なら引き受けてくれるはずです。また,その道の専門家に依頼することも可能です。
今回の特集は,ひじょうに泥臭い話が中心ですが,科学的な話も少しあってもいいのではないでしょうか。」
栗原さんからアジア国際建築交流シンポジウム(ISAIA)についてメール。
布野先生。論文提出についてご報告いたします。
先ほど6時までの便にて日曜午後または15日月曜午前着の国際速達便にて論文29編を無事に発送いたしました。58名の参加者についてもリストを同封し,お知らせいたしました。シンポジウムに参加せず論文だけ提出の方も4名いました。
後は,締切に間に合わなかった分をまとめて,月曜午前に発送する予定です。中国建築学会からは,7月中旬以降ベルリンUIA大会のため,締切をまもるよう言われておりましたが,月曜朝発送分については,
多少 無理をお願いする予定です。
58名もの参加はまずまずか。
2002年7月14日
自宅前の高野川の河原でバーベキュー・パーティ。長年お世話になった秘書の石田千鶴さんがやめられるのが口実。引っ越して以来、一度やりたかったのである。楽しいひとときを過ごした。
2002年7月15日
大崎さんから「建築形態の数理」企画案。いつもながら早い。編集長以上に『建築雑誌』について時間を割いてもらっている。ありがたい。
建築形態の数理
建築は芸術作品であるとともに,科学技術によって実現される人工物であるから,自然界の原理を無視したか形は許容されない。また,仮に許容されたとしても美しいとはいえない。したがって,ドームや橋梁などの大スパン構造物では,力学原理に従った最適な形態が探求されてきた。一方,最近のコンピュータの進歩にともない,数理的な手法によって形態を生成する方法や,自然界の原理を直接的に取り入れて新しいデザインを見出す試みも行なわれている。
本特集では,自然界の原理に学び,古典的な数理的手法を再考し,建築の形を決定するための手法を紹介することにより芸術と力学の接点をさぐる。
対談: 構造美とデザイン(6ページ)
川口 衛(法政大学),原 広司
主に大スパン構造を中心に,構造力学と意匠デザインの接点について議論し,構造技術者とデザイナーの今後役割について意見を交わす。
生物成長の力学(6ページ)
田中正夫(大阪大学,機械系),山崎光悦(金沢大,機械系)など
骨の成長,血管の分岐,植物の枝の分岐などのメカニズムとそれに基づく設計法の解説
生物の生長を模倣した建築構造設計法(3ページ)
大森博司(名古屋大),本間俊雄(鹿児島大)
遺伝的アルゴリズム,免疫アルゴリズムなどのいわゆる進化的手法と,建築構造設計への応用例の紹介
フラクタルや人工生命的手法による形態生成(2ページ)
朝山秀一(東京電気大),谷 明勲(神戸大),渡辺 誠
フラクタル,セルオートマトン,Lシステムなどによる空間骨組構造物の形状生成法
構造形態の最適化(3ページ)
三井和男(日本大),藤井大地(近畿大)
構造最適化の中の形状最適化について,建築構造への適用例を紹介する
感性工学(4ページ)
感性の定量化とそれを用いた設計法について。土木の橋梁設計 自動車の設計
宇宙構造物の形態(2ページ)
名取通弘(宇宙科学研究所)あるいは清水建設。展開構造物などの形状に関わる話題。温度応力など,宇宙特有の構造上の話。
多面体(2ページ)
宮崎興二(京都大)
多面体の分類,歴史と建築での利用について。多次元空間での多面体の紹介。
不可能物体(2ページ)
杉原厚吉(東京大学)
2002年7月17日
理事会。「清浄空気・建築憲章」「京都の都市景観の再生に関する提言」パンフ配られる。京都については『建築雑誌』で深めたいと思う。問題は切り口である。「建設系7学境界会長懇談会」の紹介があり、「1.機関誌の共同編集」ということが話題になったという報告があった。「建築学会・土木学会で「建築と土木(2001。10月号)」をテーマに機関誌協同編集をし、好評であった。地球環境問題や都市景観、発注システムの問題は共通の課題であり、年に1回くらいは、テーマに対応して機関誌の共同編集があっても良いのでは」という。いささかとまどう。どちらかというと仙田会長の発言であることをまず確認。それぞれに編集昨年の共同編集がオールカラー化のきっかけになったようにジャンルを超えることの意義は認めるけれど、編集委員会は独自に動いており、実際どうすればいいのか、と問うと、編集委員会で独自に判断していただければ結構、という返事。既に来年の3月号を検討中であり、やれても1号ぐらいです、と答える。編集委員会で検討が必要である。2002年11月号の「都市の行方」にしても、2003年1月号の「発注方式」にしても、共同編集というより、テーマ毎に自由に分野を超えて執筆者を考えており、必ずしも、共同編集の意義を理解できないのが本音。
「会長と支部役員との懇談会」の記録にも『建築雑誌』への意見がある。「建築雑誌の内容が偏っているように見受けられる。最近の様々な取り組みは評価できる。しかし他団体の会誌としてやはり難しい。」。具体的な指摘ではないのでなんともいいようがないが、バランスを考えてなおかつ「偏り」があるのは自覚するところである。難しいと言われるとまだまだ努力が足りない、ということであろう。「一般にもわかりやすく」は編集委員会のスローガンである。
2002年7月18日
松山巖さんから新作『ラクちゃん』(偕成社)届く。初の児童文学作品である。早速、楽しもうと読みかけたら、わが共同生活者にとりあげられる。「お話会」で日常的に子どもたちにお話を聞かせている彼女は当然先に読む権利があるということらしい。
2002年7月19日
サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)の会合で上京。椎野潤先生の「IT時代の建設業と「鹿児島建設市場」」と西郷徹也さんの「木造住宅の設計生産一体型CADシステム」。160社でネットワークを組む「鹿児島建設市場」は実に興味深い。『建設ロジスティックスの新展開』(彰国社)に詳しい。また、西郷さんの話も、プレカットと設計をつなぐシステムがここまできたかと大いに感心。内田祥哉先生に出来たばかりの『現代建築の造られ方 The Construction and Culture of Architecture Today : A View from
Japan』(市ヶ谷出版社)頂く。内田先生の話は、SSFに参加して、この10年折りに触れて聞いているけれど、そのエッセンスを凝縮した本だ。
2002年7月20日
学会の設計競技「外国人と暮らすまち」の第一次審査。今回の設計競技には、179作品の応募があり、
各支部において支部審査の結果、44作品が支部入選した。午前中の予備審査では、44作品の1/3の14作品を選出する。建築会館ホールは、9:00には入れますということだったから、一番乗りで見た。これもまた宇野求君の依頼で、断るわけにはいかなかった。なかなか建築にしにくい難しい課題だと思っていたけれど、一生懸命考えた案ばかりで面白かった。8月2日に公開審査で入賞者を決定するという。学会の大会で公開審査を行うのははじめてだという。
16:00過ぎに審査を終えると、東雲の公団住宅の現場に。山本理顕さんから鈴木成文先生が来ているから来ないかと誘われていて、早く終わったら行く、という返事をしていたのであった。宇野君を誘ってかけつける。布野研究室出身の北岡君が担当で案内してくれた。行くとモデル・ルームは神戸芸術工科大の学生さんたちを中心にごった返しで、既にビア・パーティが始まっていた。熱気に推されながら議論に参加。
成文先生、自宅で延長を、とおっしゃる。やな予感。先日大迷惑をかけたばかりだ。しかし、折角だし初めてだからと理顕さんに促され、鈴木邸までおつき合いということになった。楽しい時間が過ぎて、当然のように、最終新幹線に乗り遅れた。
山本理顕さんに横浜まで送ってもらう。
2002年7月21日
北岡君らと朝まで横浜で過ごして、新横浜から京都に帰る。あわただしく出国準備。京都CDL関連のゼロ・コーポレーション主催の建売団地コンペの打ち合わせにはとても出席できなかった。
2002年7月22日~8月1日
シンガポール、インド行。今年の主ターゲットは、マドゥライMadurai(タミル・ナドゥ、南インド)調査である。何故、マドゥライか。書けば長いが、簡単に言えば、円環的構造をもった都市について興味があって調べたいということだ。研究室では長年グリッド・パターンの都市に興味を持ってきた。京都のような碁盤目状の都市に住むことも大きい。チャクラヌガラ(ロンボク、インドネシア)、ジャイプル(ラージャスタン、インド)など調査をしてきた。一方、そうしたグリッド・シティとは異なる空間構造をもつ都市が気になる。ラホール、アーメダバード、デリーなどイスラーム都市をターゲットにしてきたのはグリッドに対するアンチ原理への興味である。そして、もうひとつ気になっていたのが円環状の空間構造である。まず、二重のリンコール(巡礼路)をもつラサを森田一弥君が調べた。残念ながらラサには行く機会を得ていない。続いて、柳沢究君がヴァーラーナシー(ベネラス)について修論を書いた。一般の眼に触れる論文にはまとまっていないが、かなりの密度と水準の論文である。その柳沢君に次に気になる都市はと聞けば南インドのシュリランガムだという。そういえば、シュリランガムの南のマドゥライは円環状の構造をしている、と聞いたことがある。よし、それならば、となった次第である。同行は、柳沢君に加えて、博士課程の丹羽哲矢君、修士課程の大辻絢子君である。
以下、毎回綴る暗号のようなメモである。日誌はノートに殴り書きする。
7/22 関西12:00→17:05Singapore Swissotel the Stamford 1460号室 / 2 Stamford Rd., Singapore 178882 tel: 63388585 fax: 63382862 e-mail: emailus.singapore@swissotel.com
Raffles City Raffles Hotel Long Bar
7/23 5:00起床 メール 6:00 シャワー オランダ植民都市研究→9:00 10:00Check out: 10:30 Chinatown URA(Urban Redevelopment Authority) →12:00Boat Quay(lunch)→Little India→Orchard RD(高島屋book store)→Raffles City Singapore20:35→22:00Chennai Severa Hotels Limited 69 Dr.Radhakrishnan Rd., Chennai 600004 tel: 8274700 fax: 044-8273475
7/24 Chennai 4:30起床 メールつながらず。 編集長日誌 5:30シャワー、都市再生9Singapore書く オランダ植民都市研究はじめに 8:30食事 9:12San Thome9:45→Mylapore Kapaleeswarer Temple10:20→Madras University Senate House 1873 Robert F.
Chisholm→10:45 11:20
High Court George Town Lunch13:30→Gvt. Museum15:00→Book Shop shower(雨) 2軒Landmark 16:50→Parthasarathy Temple: Gasandra Mokthau Festibal 19:15→写真 srinampyar@yahoo.co.in
2002年7月24日
シンガポールについて原稿を書いた。帰国したら、手を入れて、日刊建設工業新聞の神子さんに送ろうと思う。
二一世紀のユートピア・・・都市再生という課題⑧
都市再生とは何か。何を再生するのか。都市再生デザインの行方を探る
布野修司
甦るショップハウス・ラフレシア
URA(都市再開発機構)の挑戦
シンガポール チャイナタウンの変貌
シンガポールは1979年に初めて訪れて以来何度も歩いた。海外に出掛ける度に立ち寄ることが多く、チャンギ空港での滞在時間は相当の日数!になる。この四半世紀のシンガポールの変貌は実に著しい。
二〇年前、チャイナタウンには、種々の屋台が建ち並び、多くの人々が溢れていた。崩れ落ちそうなショップハウスの窓から数多くの顔が通りを見下ろす、活気ある地区であった。一方、街には既に高層の集合住宅が林立しつつあった。再開発の波が押し寄せ、チャイナタウンは風前の灯火のように思えた。
実際、八〇年代には数々の公共住宅建設事業、再開発事業が実施されることになる。高層住宅の下に店舗を配置する下駄履き型のピープルズ・タウン・センター、そして、チャイナタウン・ポイントがそのモデルである。シンガポール建設当初の一八二二年に遡るチャイナタウンの歴史もさすがにその命脈を断たれたかに見えた。現在、チャイナタウンのすぐ北に隣接するシンガポールの中心、ボート・キーの周辺には超高層のオフィスビルが建ち並んでいる。シンガポールは、美しく現代的な都市へと変貌を遂げたのである。
昨年九月、そしてこの七月にシンガポールを歩いて、街が変わりつつあることに気がついた。街のあちこちでショップハウスが改装されているのである。パステルカラーで塗り替えられたショップハウスのファサードが、日本人には多少違和感があるかもしれないが、トロピカルな雰囲気を醸し出して、通りを明るくしているのである。
急速に再開発を進めてきたシンガポールが、都市建築遺産の保存をテーマにするのは一九八〇年代の終わりである。シティ・ホールやラッフルズ・ホテルのようなモニュメンタルな建造物に限らない。チャイナタウンやリトル・インディア、そしてカンポン・グラム(アラブ・ストリート)のような地区全体もまた保存地区に指定(一九八九年)されるのである。もちろん、指定されたからといってすぐさま街が変わるわけではない。投資の対象にならなければ、あるいは保存がなんらかのメリットにつながらなければストックに手は入らない。しかし、ようやく動き出したというのが実感である。チャイナタウンの一画に建つURA(都市再開発機構)ギャラリーには様々な改修保全の資料やマニュアルが用意されており、多くの人々が訪れていた。
スタンフォード・ラッフルズは、民族毎に居住区を分けるセグリゲーション(棲み分け)を計画方針とする。一八二二年にタウン・コミッティを組織し、チャイナタウン、ブギス・カンポン、アラブ・カンポンなどを計画した。基本にしたのがショップハウスである。ヨーロッパのアーケード、中国の亭子脚(ていしきゃく)をルーツとすると言われる、ファイブ・フット・ウエイ(カキ・リマ)を前面にもち、ぎっしり建ち並ぶ店舗併用住宅は各地区共通でバック・レーン(サーヴィス用裏道)を持つのが特徴である。ある意味ではラッフルズの考案であり、マラッカやペナン(ジョージタウン)、バンコクなどにも持ち込まれている。
六〇年代から八〇年代にかけての再開発圧力にも関わらずシンガポールには多くのショップハウスが残されている。その中心がリトル・インディアであり、カンポン・グラムであり、チャイナタウンである。その理由のひとつは敷地割りと合ったショップハウスというしっかりした建築の型があったからである。
『植えつけられた都市・・英国植民都市の形成』(京都大学学術出版会)を書いたR.ホームは、これをショップハウス・ラフレシアと呼ぶ。ラフレシアとはラッフルズが発見した世界最大の花の名前だ。ショップハウスを建築のラフレシアというセンスに僕は共感を禁じ得ない。
チェンナイは3度目である。植民都市研究で、吉村理君と千葉大の池尻君が修士論文をまとめた。池尻君は博士論文を準備中である。
チェンナイはかつてマドラスといった。最初にイギリスが拠点とした町で、カルカッタ(コルカタ)、ボンベイ(ムンバイ)とともに三つのプレジデンシー・タウン(管区首都)であった。
チェンナイは様々な意味で日本と関係が深い。まず第一、日本語の起源をタミル語に求める有力な説がある(大野晋)。マドラス大学には日本研究センターがある。第二、江戸時代マドラスは桟留(サントメ)と呼ばれる綿製品と柄を提供したことで知られる。
桟留(サントメ)については以前『室内』に書いたことがある。
桟留(サントメ)
布野修司
桟留とは江戸時代に流行った舶来の縞織物のことだ。唐桟(とうざん)縞ともいう。唐すなわち外国産ということだ。最も人気があったのが縦縞の桟留で、文化文政の「いき」な趣味を代表するとされる(九鬼周造『いきの構造』)。「奥島」ともいって当初は大奥で将軍家が愛好した。オランダの商館長が献上したのがきっかけである。やがて、武士層や富裕な町民層に広まっていったのであろう、浮世絵にも沢山描かれている。基本色は藍、白茶けた赤、白である。いかにも斬新なファッションに思えるではないか。
何故、桟留かというと、今、南インドのマドラス(ボンベイがムンバイになったようにチェンナイと名を昨年変えた)に居ることと関係がある。桟留とはマドラスのことなのである。正確には現在のマドラスにあるサントメのことだ。驚くべきことに、その地名は聖トーマスから来ているという。説ではない事実である。早速、サントメ教会に行ってみた。何の変哲もない教会がそこにあった。しかし、南インドの一隅に聖者が祀られていて、奇蹟を起こすという話は一三世紀頃からくり返し西欧に伝わっていた。マルコ・ポーロも、現在のマドラス付近に聖トーマスの遺体が安置されていると書いているのである。キリストの十二使徒の一人、聖トーマスが何故南インドの地名に変身し、近世日本の「粋」文化を飾る木綿縞に転じたのかは、重松伸司著『マドラス物語』(中公新書)をお読み頂きたい。東西の交渉史は実にダイナミックで面白い。オランダは北へ三〇キロ程のプリカットを拠点にしていた。長崎(出島)ーバタヴィアープリカットというネットワークで桟留が日本に供給されていたのである。因みにキャラコというのもインドのカリカットから来ている。
マドラスの属するタミル・ナドゥ州を中心に話されるタミル語が日本語の起源だという有力な説(大野晋)がある。マドラス大学には日本研究センターが設立されるほどだ。マドラスの各寺院には京都の祇園祭のような山車祭りがある。といった様々な興味でマドラスにやってきた。というと格好がいいのであるが、やってきて見聞きしてはじめてサントメのことを知ったというのが本当のところだ。
第三、ゴアの大司教であったフランシスコ・ザビエルは日本へ向かう途次、このサントメ教会に寄っている。
プレスター・ジョン伝説は西欧世界ではとてつもない磁力をもっていたのである。
チェンナイではジョージタウンをターゲットとした。池尻君を筆頭に、安藤正雄研究室のメンバーが随分通った。
英国がインドで最初にその拠点を置いたマドラスで、ヨーロッパ人たちは城壁内に住み、インド人たちは要塞の北に住んだ。それぞれホワイトタウン、ブラックタウンと呼ばれる。そのブラックタウンが今日のジョージタウンだ。
当然ジョージタウンに足を運んだ。実に賑やかな町である。日中から人通りが絶えない。眼鏡、自転車、工具、電器、鉄管、チューブ、ハードウエア・・・それぞれの通りに固まってある。インドのジャーティ制(職業分離)である。チェンナイは国際都市だ。テルグ語、タミル語、ヒンディ語、ウルドゥ語、中国語が飛び交っているのだという。
歩いていると植民地時代に建てられた独特の様式に気づく。インド・サラセン様式と呼ばれる英国人建築家によるコロニアル建築だ。西欧建築を基礎にしながら、イスラーム建築とヒンドゥー建築の要素が巧みに取り入れられている。ハイコート(最高裁判所)がその代表である。また、マドラス大学評議員会館もなかなかの迫力だ。列柱を並べたヴェランダを周囲に回すバンガロー形式が特徴であるが、細部に様々な要素が折衷されている。
思えば、わが国の近代建築も英国の影響下に出発した。弱冠二五、六歳のJ.コンドルが先生である。彼はマドラス経由で日本に来たに違いない。彼の設計した鹿鳴館を思い出す。彼が当初日本建築に相応しいとイメージしたのはインド・サラセン様式なのである。伊東忠太の築地本願寺にもインドが濃厚に入り込んでいる。しかし何故か、コンドル・忠太以降、日本建築はインドもサラセンも無縁のものとしてきた。
7/25 チェンナイ 4:30起床 4:45チェックアウト:5:45空港 9w3519 JET AIRWAYS 6:35→7:55 →ホテル 9:00 New Century Book House Liberty Book Shop Haggin….→Meenakshiamman Temple 12:30→lunch13:30→Tourist Information→City Library→Hotel Madurai Ashok→Hotel Sangam Alagarkoil Rd., Madurai 625002 tel: 537531 fax: 0452-537530,537535
7/26 マドゥライ→スリランガム 120km
5:00起床 日誌 オランダ植民都市研究 7:15 Elephant
Rock 7:40Melur 8:07Kotampatti → 10:25Tiruchchirapalli Fermina
Hotel(breakfast) Srirangam (Sree
Ranganatha)13:05 Maya Hotel lunch Rock Temple Srirangama 17:15
Jambukeshuwara 18:00→21:10 dinner
7/27 マドゥライ調査 5:00起床 オランダ植民都市研究 8:30出発 breakfast Madurai
Kamaraj University/ Madurai Corporation
Gandhi Museum 13:00 Lunch
15:00 Madurai調査 18:00
7/28 マドゥライ調査 6:00起床 8:30出発 9:00~10:30 Gandhi Museum
12:00 Hotel 15:30 Palace Tirumalai
Naicker Mahal 16:30~18:00ブロック調査 18:30~19:30 Animal
Procession Hotel
7/29 マドゥライ調査 5:30起床 オランダ植民都市研究 8:30出発 80Rp/hrでアンバサダー・チャーター Thiagarajar
College of Engineering 講義“Ideal Cities in India and China” 大学院50人出席 13:00 Vandiyur Mariamman Theppakulam 14:10 Gandhi
Museum 15:00 Madurai Cooporation 16:00 Hotel
7/30 マドゥライ調査 5:50起床 オランダ植民都市研究 10:00
Madurai Corpolation Madurai 13:50
IC672 14:45 Chennai
15:30Mahabalipuram21:00
Chennai 23:30 SQ409
7/31 06:00 Singapore Transit Hotel (8/01
Singapore 01:10 SQ986 08:25 Kansaiの予定)
2002年7月31日
シンガポールのトランシット・ホテルで書いている。
今回の調査旅行も充実していたと思う。スケジュールは以上の通りだ。「オランダ植民都市研究」というのは、この3月に報告書を提出したものを一般向けに出版しようという企画である。毎朝起きて原稿に手を入れた。
マドゥライは想像以上に面白い町だった。
中心にミナクシ寺院(とスンダシュワラ寺院)があり、その周囲に円環状に道路が巡る。道路は湾曲しており、シュリランガムのように整然とした矩形ではない。シュリランガムも一日歩いたけれど面白い町だ。亡くなった小倉泰さんの論文があるけれど、フィールド調査したら面白いと思う。しかし、今回はマドゥライに集中である。
円環状の街路には、タミル月の名前がついている。そして、各月に山車のでる祭りがある。祇園祭の山車にまさるとも劣らない。南インドには山車、御輿の出る祭りが多い。それもマドゥライに着目した理由である。
街を歩いて記録し発見したことを議論する。フィールドワークの醍醐味である。ライブラリー・ワークも楽しい。タミル語となるともう若い諸君に任せるしかない。少ないけれどいくつか文献がみつかる。ガンジー・ミュージアムのラヴィチャンドラン博士にまず出会って、色々教えを受けた。彼はヨガの教師でもあった。チアガラジャール工科大学に行って、いきなり講義させられたのは、いつものこととは言え、めんくらった。デリーのスクール・オブ・アーキテクチャー・プランニングで修士論文を書いたばかりのバラジ君はなかなかの切れ者であった。
講義の最中に、逆に、英国の植民地支配がマドゥライの都市構造をどう変えたのか?と質問すると、滔々と説明してくれた。どちらが講師かわからない程であった。彼は、南インド固有の建築文化の再発見を訴えた。マドゥライの町にもカースト毎に地区毎にそれぞれ町屋の形式があったという。
出発の日にマドゥライ・コーポレーションに出掛けて詳細な地図に辿り着いた。フィールドワークにベース・マップはかかせない。調査の目途はほぼたった。
インドを出てようやくメールがつながる。出発は午前1:10。メールのやりとりで時間が潰れると思う。チャンギ空港は驚くほど便利な空港である。
柳沢、大辻の両君は今日もマドゥライで調査を続けている。