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2024年8月30日金曜日

日本の建築界は中国をどのように眺め,記述し,伝えてきたのか,書評:松原弘典『未像の大国』,図書新聞,20121201

 松原弘典 『未像の大国 日本の建築メディアにおける中国認識』鹿島出版会、20125

 

布野修司

 奇妙な「建築」の本である。しかし、貴重な本である。

 中国に拠点において建築家として活動を開始した著者が、サブタイトルにあるように、『建築雑誌』(日本建築学会、一八八七年創刊)『新建築』(一九二五年創刊)『日経アーキテクチャー』(一九七六年創刊)という三つの建築メディアの中国関連記事を取り上げて、その「中国認識」を論じたのが本書である。

学位請求論文が基になっているというのであるが、まるで全体がカタログのようで、記事の番号、発表年月、執筆者、タイトル、執筆者の属性、記事の属性に関する表が矢鱈に出てくる。序章には、先行研究として中国関連文献の解題が書かれ、巻末に別表として、記事のリストが掲げられており、「中国観」が現れている箇所が抜書きされている。また、学位請求論文とは別に、中国と深いかかわりを持ってきた先達たちに対するインタビューが掲載されている。奇妙な「建築」の本というのは、以上のような資料がふんだんに詰め込まれているのに、建築写真が一枚もないということによる印象である。そして、貴重というのは、網羅的に集められた資料のリストは様々に利用可能で有難い、という意味である。

 冒頭に「日本の建築界はどのように隣国中国を眺め、記述し、伝えてきたのか」というのが本書の素朴なテーマである。本文は三章からなり、第一章では『建築雑誌』(一八八七-二〇〇八)の記事の分析、第二章では三誌(一九八五~二〇〇八)の分析、第三章では、「日本建築界の反復中国観における中国認識」と題する総合的分析が行われている。

 一、日本の建築界の中国に関する記述はだれがどのように書いてきたのか、二、日本の建築界は中国のどの部分について着目してきたのか、三、日本の建築家が繰り返し持つ対中論調にはどのような傾向があるのか、というのが学位論文としてのテーマ・セッティングであり、それぞれについての解答はそう面白いものではない。例えば、一については、それぞれの建築メディアの「情報の伝達軸」が異なっていることがわかったというけれど、建築メディアを分析の対象にする以前に明らかにしておくべきことであり、わかっている(明らかにできる)ことである。また、二についても、関心の対象を大きく「技術」「社会」「場所」の三つにわけ、それぞれのメディアで重点が異なっているというだけでは、一への解答と同様な感想をもつ。興味深いのは三への解答だろう。「中国観」には一七の論点が見出され(論点より記事の主題というべきであるが)、その論調を肯定否定にわけると、一貫するもの、交代するものが反復されているというのが骨子である。中国と日本の関係が大きく変わる中で、ステレオタイプ的な中国観が反復される一方、新たな中国の発見が記事の中に見出されるのは、当然といえば当然である。

 最大の結論はタイトルに示されている。「未像」というのは未だ像を結ばないという意味であろうか。日本は中国を「理解できない」のではなく、「理解したつもり」と「理解していない」の間の往復運動を繰り返しているだけだ、というのである。

 タイムリーというべきか。「尖閣国有化」によって、日中関係は、過去の歴史を反復して、未曽有の緊張関係に置かれつつある。建築界に限らず、日本社会は、「理解したつもり」の中国と「理解できない」中国の間で、どう対応していいのか戸惑うばかりではないか。

 実は、著者が中国を拠点にしようと決意した頃、北京で会ったことがある。これからは中国の時代だから本気でやったらいい、というと、もとよりその覚悟です、というのが答えであった。しかし、並大抵の覚悟ではなかったのであろうと、本書を読みながら思った。中国と全身で向き合うために、『建築雑誌』を創刊号からすべての記事を見つめ直す作業が必要だったのである。また、手当たり次第に中国関連文献を読み漁る必要があったのだと思う。CiiniなどによってWeb検索が容易に利用できるようになったとは言え、記事を読みこなしとおしたその作業には敬意を表したい。分析には著者自身の発言も含まれている。本書がこれから中国の建築界と向き合おうとする若い世代にとって最良のガイドになることは間違いない。

 同じような作業をして『戦後建築論ノート』を書いたから、建築メディアに取り上げられた。書かれたたもののみを素材とすることの限界については痛いほどよくわかる。本書でも、その手続き、論文としてのアプローチについては繰り返し留保がなされているように思われる。インタビュー集が追補されていることは、著者自らその「隔靴掻痒」感を自覚しているからだと思う。インタビューは、実に生き生きとまとめられており、それぞれ面白く読める。中国へのスタンスは多様である。 

 「中国をどう語るかということが、多くの日本人にとってきわめて普遍的な問いになりうる、ということがわかったのである」というのが帯にある。「尖閣国有化」以後、中国をどう語るのか。読者は、著者の提起する普遍的な問いに真摯に向き合う必要がある。






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