西山夘三の住宅・都市論 その現代的検証
布野修司
西山夘三(一九一一~九四年)は建築学の泰斗として知られる。その活動の母胎は戦前期に遡るが、戦後日本の建築界をリードし続けた建築家として、東の丹下健三、西の西山夘三と呼ばれた時代もある。死後十二年を過ぎて、西山スクールの研究者たちによってようやく編まれた「西山夘三」論が本書である。
評者は、西山夘三先生が開かれた京都大学の地域生活空間計画講座に招かれ、一九九一年から二〇〇五年まで助教授として勤めた。建築計画学の系譜で言えば、西山夘三研究室のライヴァルと目された東京大学の吉武泰水研究室の出身だけれど、形式的には孫弟子で、「西山夘三をどう乗り越えるか」は、「学」を志してからの一貫するテーマであった。その評価をめぐっては折に触れて書き、戦前期については、「西山夘三論序説」(『布野修司建築論集Ⅲ 国家・様式・テクノロジー―建築の昭和―』、一九九八年所収)にまとめた。評者の位置づけについてはそれに譲りたい。西山スクールの諸氏からの西山論がないことにはかねてから不満であったけれど、そうした意味で待望の書である。教えられることは少なくなかった。
西山夘三は、膨大な資料を残しており、その整理のために死後まもなく西山文庫が設立(一九九四年)された。西山夘三は、晩年、資料を駆使して、『建築学入門上下』という自伝を書いており、遺稿集として『安治川物語』もある。ただ、西山自身は時代を敗戦以前に遡行する構えを採って、戦後から現代にかけての関心は希薄であった。本書は、具体的な西山文庫の資料を基にして、西山の戦後の活動に焦点を当てることに、まず大きな意義を有している。
巻頭、総論が編者代表である住田昌二によって書かれている。住宅論を中心とした論考であるが、「政策論としてもリアリティを欠く」「学問的には概して評論の域をでていない」「急速に忘れ去られてしまうことになった」「社会の劇的な変化が十分読みきれていなかった」「スーパーマン西山は、ほぼ過去の人になったかに見える」といった極めてはっきりした評価が端々に示され、小気味いい。「西山住宅学の特質」として「問題解決学としての一貫した体系」を指摘する一方、固有の方法論の一貫がない、という。また、西山夘三は近代化論者であり、機能主義者であり、「マルクス主義者というよりシステム論者ではなかったか」という。同感である。住田は、西山住宅学の超克の方向として、「機能論から文化論へ①住宅計画論」「マスハウジングからマルチハウジングへ②住宅政策論」「階層から地域へ③住宅界総論」の三つの柱を「ニュー・グランドセオリーの確立」を目指す。
本書の第二の意義は、「二〇世紀パラダイムを体現した西山住宅計画学の終焉」をはっきり宣言する、以上のような住田論文を巻頭に置いていることにある。西山に対する批判はもう少し早くなされるべきであった、と思う。しかし、それなりの時間が必要であったことも理解できる。いずれにせよ、その「終焉」が西山スクールによってなされたことは画期的と言えるであろう。
全体は五章からなるが、もちろん、全ての論考が住田論文と同じ視座に立って書かれているわけではない。西山夘三の「学」の継承とその深度は、筆者の仕事との関係に応じてそれぞれで、それ自体興味深い。個人的に、まず興味深いと思ったのは、農家研究に焦点を当てた第1章(中島煕八郎)と大阪万博の会場計画を扱った第5章(海道清信)である。いずれも、西山本人が必ずしも書いてこなかったことが大きい。西山の住宅研究は、都市の庶民住宅に関するものが圧倒的な分量を占める。そうした意味で、西山の「農家研究」について明らかにすることは、その全体像を捕らえる上で極めて有効だと思う。戦後の建築計画研究が農村地域をひとつのベースとして出発していたことを中島論文は描き出している。『日本のすまい』全三巻に結実する、その足跡には実に迫力がある。しかし、地域計画の具体的展開は必ずしもない。第四章(中林浩)が「地域生活空間計画論」に焦点を当てるが、そこではむしろ今日の「景観計画論」への接続が意識されている。
全体を通じて、西山の「構想計画」という概念が、今後もさらに可能性を持つものとして注目されている。住田は、「ワークショップ」による「まちづくり」が方法論的には「構想計画」と同じ系譜にあるという。第三章(片方信也)が「構想計画」に焦点を当てるが、西山の「イエポリス」「京都計画六四」「二一世紀の設計」を住民主体のまちづくりという今日の論者の視点に直接結びつけるのは難しいのではないか。「建築家」という主体、「空間の論理」をめぐるアポリアは本書全体にも引き継がれているように思う。第五章に興味をもつのは、具体的なプロジェクトにおける西山の具体的な役割を、具体的に問うているからである。
第二章(森本信明)は、西山夘三の「持家主義批判」を執拗に問う。西山夘三の住宅生産の工業化(住宅の商品化)の主張と「持家主義批判」の奇妙な捩れについてはかねてから解せないのであるが、森本は日本における議論を丹念に解説してくれている。ただ、森本の主張する「まちなか戸建住宅」は果たしてどうか。アジアの諸都市を歩き回っていると、農家住宅を原型とする日本のような都市型住宅はむしろ少ない。都市には都市の住宅の型と街区の型がある。少なくとも「建築家」が「空間の型」を提示する役割は一貫してあるのではないか。
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