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2021年8月16日月曜日

空間の美学01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

 

本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

一坪一億円    01

 PHOTO:都心の極小建売り住宅 /売地の看板数億円戸建住宅のちらし/ワンルームマンション

  大都市圏の居住者にとって住まいの問題は深刻である。などというより、腹がたつのを通りこしてあきれはてる問題である。住宅一揆が起きないのは何故だろう、と心底思う。

 年収の十倍のお金を出しても住まいを手にすることができない。あるいは、通勤に二時間もかかるところでなければ住宅を買えない。もう気違い地味ている。東京の場合、都心では数億円を超える。一体誰が買うのだろうと思うのであるが、結構売れる。余計腹が立つ。

 住まいをめぐる問題は、資産を持つ層と持たない層とで大きく二分されつつある。ウサギ小屋と呼ばれる住まいですら入手するのが困難な層が存在する一方で、いくつもの住まいを所有し、豊かさを謳歌する層が広範に存在しはじめていることも事実である。

 しかし、住まいが一億円するからといって、その住まいが豊かといえるであろうか。実際に見てみると、なんでこの住宅がこんな値段なのか、ということが少なくない。諸外国の状況からみると、日本の住まいの価格は信じ難い。同じ価格でとてつもなく広い住宅を手にすることができるのである。日本では、ほとんどが土地の値段であって、上物(うわもの)としての住宅の値段は建てられた瞬間にも限りなく零に近いのだから、一億円の住宅が貧相に見えても当然といえば当然なのである。

 住まいの豊かさは、その価格が高いか安いかということで測れるものではないだろう。適正な価格で、誰もが住まいを手にすることができる方が余程豊かである。どこかおかしい。むしろ、住まいの豊かさを価格で測る、その見方こそ貧しいのではないか。

 こうした状況を生んだのは空前の住テクブームである。多くの人が住まいを投資の対象とし、財産形成の手段と考えてきた。そこにまず問題がある。決して、他人事ではない。買い換えや転売をしなければ、とても住まいを買えない、そんな状況にまきこまれているのは、資産をもたない層も同じである。ワンルーム・リース・マンションなどに投資するのはむしろサラリーマン層なのだ。

 だから、住宅土地問題を全て政府の無策のせいにするのは誤りである。政府の無策を笑うまえに、また怒るまえに、自らを見つめてみる必要がある。自らの住まい・空間の美学を打ち立てる必要があるのではないか。

 住まい・空間の美学を問題にする以前に、空間の経済学が住まいを支配している。私利をもとめて経済論理のみが横行するところに、住まい・空間の美学が育つ筈もない。



02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

  1.一坪一億円          ○価格  

 2.入母屋御殿                          ○イメージの画一性

 3.展示場の風景        ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                             ○建てることの意味

 5.都市型住宅                         ○型の不在

 6.ウサギ小屋                   ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                  ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風       ○自然の喪失 

10.死者との共棲                        ○歴史の喪失

 

 

 

 




展示場の風景                03

  PHOTO:展示場の住宅の並ぶ風景・○○風住宅

 

 

 住宅展示場を歩いてみよう。夢のような住宅が並んでいる。それがまた実にヴァラエティーに富んでいる。地中海風あり、アーリー・アメリカン風あり、コロニアル・スタイル(植民地様式)風あり、ヴィクトリア様式風あり、ドイツ民家風あり、数寄屋風ありと様式が細かく区別される、それほど多彩である。

 住宅展示場の多様なデザインをみるとつくづく日本の住まいは豊かになったと思う。かっては、住宅のスタイルなど問題とされなかったのである。

 プレファブ住宅の歴史を振り返ってみればいい。一九五九年に三坪程のミゼットハウスが初めて売りに出されて以来、六十年代のプレファブ住宅は、安かろう悪かろうの代名詞であった。プレファブといえば、バラックのイメージなのである。

 しかし、今や高級住宅というイメージがむしろ強い。その転換点は、オイルショックだ。プレファブ住宅は全く売れなくなる。プレファブ住宅の商品の種類が各社とも一気に増えた。商品化住宅の様式化の現象と呼ばれるのであるが、スタイルそのものが問題とされ出したのである。価格や規模のみならず、住宅の質が、その豊かなイメージが求められ始めたのだ。

 しかし、住宅デザインの多様化現象は、本当に住まいの豊かさを示すのであろうか。デザインは多様でも、例えば、間取りはそんなに多様ではない。nLDKという記号でわかってしまう。暮らし方のほうが同じようなパターンをしているのだから無理もない。デザインの違いといっても、住まいの本質的なあり方とは無縁のように思えなくもないのだ。

 デザインの差異といっても小手先のファサード(正面)デザインの違い、顔のお化粧の仕方の違いといえるかもしれない。それに、決定的に違うかというとそうでもない。全て和洋折衷であるといってもいいのではないか。それぞれ、○○風であって、きちんとした様式そのままではないのである。いろいろの国の様々な様式の断片が組み合わされているだけといえば、いえなくもない。いってみれば全て無国籍のデザインだ。

 かって民家は、全て同じような間取りで、同じような材料でつくられていた。そうした意味では画一的であった。しかし、それが集まって豊かな村や町の景観をつくりだしてきた。地域地域でその景観は多様であった。

 しかし、現在の住宅デザインの多様性は、集まることによって不協和音を奏でるだけだ。特色なくホワイトノイズ(白色騒音)化してしまう。住宅展示場はそうした日本の町の縮図である。

 

 


建築儀礼                    04

  PHOTO:建前(上棟式)の風景・セルフビルドの住宅

 

 

 かつて、といってもそう遠くない昔、住宅は買うものではなくて建てるものであった。いまでも、もちろん、大工さんや工務店に頼んで住宅を建てる注文住宅の形は多いのであるが、建売住宅やプレファブ住宅のように、パンフレットやカタログを見て買うという形が随分と増えてきた。

 それとともに、消えつつあるのが建築儀礼である。地鎮祭をして起工式をして、上棟式をする、という建築儀礼である。消えつつあるというのは不正確だ。しかし、随分簡素化されるようになったことは事実である。何故か。

 一般には、車のせいだとされる。大工さんが車で現場へ通うようになって、上棟式でもお酒を飲むわけにいかなくなった。お酒は持って帰ってもらって、式はできるだけ簡単に、という形が増えているのだ。

 上棟式というと、近所の人々を招いたり、お餅を配ったり、大変なことであった。負担もかかる。住宅を建てるということは、その家族にとって一大行事であり、大きなお祭りなのである。けれども、建てる方も、面倒臭くなった。節目の儀礼はともかく、毎日休憩の時にお茶を出したりすることはほとんどしない。

 建築儀礼が次第に簡素化されつつあることは、住宅を建てることそのもの、建てるプロセスそのものが軽視されつつあることを示している。毎日、お茶を出すというのは、職人さんたちに感謝し、気持ちよく働いて頂くという意味もあるけれど、毎日、現場で打ち合せし、細部を決めていくそうした場でもあった。しかし、現在は、そうした場がない。何度かの打ち合せと図面だけで、あとは出来上がったものを引渡すという形だ。

 住まい・空間の美学といっても、それでは一体誰の美学かわからない。お仕着せの美学、カタログから選択しただけの美学である。

 どんなプロの建築家でも、現場を大事にする。逆に、現場を大事にする建築家こそがプロと呼ばれる。それぞれ違った具体的で個別的な特定の土地に住宅は建つのだからそれは当然である。

 住宅を建てることを僕らはあまりにも面倒臭がるようになったのではないか。もう少し、時間をかけて楽しんでもいいのではないか。ものをつくるということは、そしてそのプロセスは本来楽しいものである。

 建築には素人でも、住むことについて僕らはそれぞれプロである。現場でじっくり時間をかけて自分にあった住まいを作り上げるのがその原点である。多様で個性的な住まいのあり方こそ豊かであるとするなら、お仕着せではなく、自分の美学を現場で磨くことである。

 

 


都市型住宅                  05

  PHOTO:町屋OR画一的な戸建建売団地の風景(航空写真)

 

 

 日本の都市には、日本の都市の特性がある。そして、それなりの魅力がある。しかし、一般的にいって貧しいと思う。

 第一、雑然としすぎている。雑然としていることについては、その魅力を主張する人も多い。特に外国人がよくそういう。日本ほど建築の自由な国はない、勝手気ままなデザインが百科瞭乱で、そのアナーキズムに活気がある、様々な建築規制のある欧米だとこうはいかない、というわけだ。

 確かに、そうした見方もあろう。しかし、ただ雑然としているだけで、都市の特徴が雑然性にあるというのはやはりいただけない。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すのみでいっこうに都市の骨格ができない。歴史的な表情がストックとして形成されないのは、どこかに欠陥があると言わざるを得ない。都市というのは、そこに住んできた人々の歴史の作品でもある筈だからである。

 日本の都市が雑然として無個性に見えるひとつの理由は、都市住居の型をもっていないからである。日本の住居の原型となっているのは、農家である。持家一戸建て志向が強いのは、農村部の民家が住宅イメージの原型となっているからである。現在でも、庭付き一戸建ての住宅を人々は終(つ)いの栖(すみか)と考えているのである。

 町屋とか、長屋とか、都市住居の伝統もなくはない。しかし、一般的には都市の伝統そのものが日本には希薄であった。江戸は、世界最大の、巨大な村落であったといわれるのであるが、戸建住宅がただ密集した形で出来上がったのが日本の都市の原型なのである。

 ヨーロッパの場合、古くから都市住居の伝統がある。コートハウス(中庭式住居)の伝統がそうだ。イスラム圏にも、中国にもコートハウスの伝統はあるのであるが、都市に密集して住むためには、通気や換気、日照などをうまく制御する装置としての都市住居の型が必要なのである。

 日本の場合、都市住居のひとつの形式として、共同住宅、アパートメント・ハウスが導入され始めたのは、大正期から昭和の初めにかけてのことである。関東大震災後に建設された同潤会のアパートなどが初期の例だ。半世紀余りの歴史があるにすぎない。

 みるところ、日本に合った都市型住宅を作り出すことに僕らは失敗し続けてきた。極端に言うと、ただ住宅を積み重ねただけの集合住宅をつくり続けてきただけだ。そのことと都市の景観が雑然と貧しいこととは大いに関係がある。もう少し集まってすむための空間を考えてみる必要がある。戸建持家志向のみでは、日本の都市は一向に豊かになるまい。


ウサギ小屋                  06

 PHOTO:家電、家具で溢れるインテリア

 

 

 日本の住まいのことをウサギ小屋などという。西欧人にいわれて、僕らもなるほどと思っていつのまにか定着してしまった。日本の住宅はとにかく狭い。平均住宅面積は、大きくなってきたのだけれど、特に、大都市圏の住宅は、少しも広くなっていない。ちっとも日本の住まいが豊かになった気がしないのは、狭いからである。

 しかし、一方、住まいの内部に眼をやれば、様々なものが溢れかえっている。ソファーやサイドボードなどの家具、冷蔵庫や洗濯機・乾燥機、電子オーブンや自動食器洗い機、クーラーなどの家電である。最近では、電話やファックス、パソコンやワープロ、テレビやビデオ、ステレオやカセットデッキなどAV機器が随分と増えた。豊かで贅沢になったと言わざるを得ないだろう。

 空間は貧困で、物が過剰というのが日本の住まいである。狭い空間をどうやりくりするかが、インテリア・デザインの手法となっている。押入を如何に改造するか、居間のコーナーにちょっとした書斎をつくるのはどうするか、床下や天井裏をうまく収納に使うのはどうすればいいか、様々な工夫がなされる。狭さの美学、やりくりの美学である。

 家電製品も小振りのものが多い。幅や奥行きなど寸法はぎりぎりにまできりつめられる。狭い空間にフィットしなければ、売れないからである。小さいことはいいことだという美学が骨身に染み着いているようにも思えてくる。鴨長明の「方丈庵」や茶室の伝統が想い起こされるのである。

 しかし、それにしても物が過剰すぎるのではないか。人のために住まいがあるのではなく、物のために住まいがあるというのでは本末転倒である。

 部屋の真中にデーンと応接セットが置かれる。応接セットが主役で、人は床の上にセットを背にして座っていたりする。日本の住まいは天井が低いということもあろう、椅子座の生活と床座の生活がうまく調和がとれないことが多いのである。 

  住まいは広ければ広い方がいい、と誰しも思う。しかし、無限に広い住まいを希求するわけにはいかない筈だ。それに、広ければ広いほど豊かである、ともいえないであろう。小さくても豊かな住まいはある筈だ。

 日本の住まいは過剰に物が詰め込まれ重くなりすぎている。余計なものを置かない、買わない、という美学があってもいい。物を沢山所有することは、必ずしも住まいの豊かさの指標にはならない。日本の住まいの場合、むしろ、物を追放することが空間をリッチに使うことにつながるように思う。

 


電脳台所                    07

 PHOTO:電脳台所・HA(ハウスオートメーション)、HS(ホームセキュリティー)機器

 

 

 ハウス・オートメーション(HA)、ハウス・セキュリティー(HS)ということで、コンピューター制御による住宅機器が様々に開発されつつある。三種の神器(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)の時代や3C(カー、カラーテレビ、クーラー)の時代に比べると、まさに隔世の感がある。住宅の設備は随分と高度になった。そして便利になった。

 掃除、洗濯、裁縫、炊事など家事労働の形は、家電製品の登場で大きく変わった。家事労働の時間は大幅に削減されることになったのである。便利になることによって余暇ができる。自由な時間を好きな趣味や学習やスポーツなどに使うことができる。自由な時間は生活のゆとり、豊かさの指標である。

 外から電話でお風呂のお湯をわかすことができる。セットしておけば、自動的に好きな料理ができる。室内環境は自動的にコントロールされる。実に結構なことである。しかし、ますます、便利になって、ワンタッチで、全てがコントロールできるようになることに対して不安がないわけではない。

  故障したり、緊急の場合のシステムに問題があるといった技術的な不安では必ずしもない。具体的な物と身体との具体的な関係が希薄になって行くのではないかという漠然とした不安である。様々な生活技術が失われていくのではないかという危惧があるのである。

 システム・キッチンの流行がわかりやすいかもしれない。既に台所はかってのような台所ではない。台所は、煮たり焼いたり、食器を洗ったりする場所であるだけでなく、食べ物を保存をして置くなど多様な場所あった。しかし、極言すると、今では冷凍・レトルト食品を簡単に調理するだけの場所となりつつあるのである。そこで、台所は作業の場でなく、インテリアの一部となる。家具としてのシステム・キッチンが生まれた由縁である。

 今に、自動料理器ができるかもしれない。既に、焼いたり煮たり蒸したりという部分的なプロセスについてはコンピューター・プログラム付きのものがある。果して、味噌汁や漬物など、お袋の味とか我が家の伝統の味といったものも、簡単にコンピューター・プログラムとして伝承されるのであろうか。

 生活の知恵と呼ばれる様々な生活技術は、住まいから次第に追放されてきた。ナイフや包丁を使えない子供たちが育っていく。手で触れた感覚より、センサーの数字を信用する感覚が育って行く。自分の感覚より、感知器のブザーに反応する習性がつく。便利になるのはいいけれど、感覚や感性を貧しく鈍感にするのでは困ったものだと思う。


密室(個室の集合としての住居)              08

 PHOTO:AV機器満載の個室/カプセル・マンション/ホテルの個室(長期滞在型:AV機器完備)

 

 金属バット殺人事件、女子高校生コンクリート詰め殺人事件、連続幼女誘拐殺人事件といった凄惨な事件が起きる度にクローズアップされるのが個室の問題である。

 子供部屋が密室化することが犯罪を生むのではないか、子供に個室を与えるのは是か否か、というのだ。もちろん、子供部屋の独立、個室化ということと凶悪な犯罪を単純に結びつけることはできない。密室の問題でまず問われているのは家族の問題である。家庭内の人間関係である。住宅の物理的な構造が事件を生むのであれば、そこら中で犯罪が頻発している筈だ。そんな馬鹿なことはない。しかし、日本の住まいが単なる個室の集合と化しつつあることは一方で問われていいと思う。

 戦後の日本の住まいの歴史は、一部屋づつ規模を拡大する歴史であった。まずは、食寝分離、すなわち食べる場所と寝る場所を分けることが目標とされた。その結果生み出されたのがDK(ダイニング・キッチン)という日本独特のスペースである。続いて、公私の空間を分離すること、すなわち、家族の団らんのための居間を確立することが目指された。そしてさらに、家族のひとりひとりの部屋を確保することがテーマになった。

 一方、家の中での仕事は、どんどん、家の外へ追放された。すなわち、サービス産業によって代替されるようになってきた。食事の宅配サービスやハウス・クリーニングなど、家では何もすることがないほどである。

 その究極の形態はと問われれば、それはまるでホテルのような住まいである。ベッドメーキングからなにからなにまで、あらゆるサービスがついた住まいである。実際、そうした、ホテル型のマンションは既に建設されつつある。

 もちろん、そうした住まいが一般化していくのは簡単ではない。しかし、その前に問われるのが家族の関係である。あらゆるサービスが外化され、住居が単なる個室の集合となるとすれば、家族の結びつきの意味が改めて問われる筈だからである。

 テレビやビデオ、ファックスやパソコン、様々なAV機器、情報機器がビルトインされた個室は、物質的には閉じられているけれど、様々なメディアを通じて世界に開かれている。しかし、その一方で家族の直接的関係が希薄になりつつあるのだとすれば大問題だろう。単に家計を共有するというだけでない、家族の触れ合いをより豊かに実現する住まいがそれぞれに求められつつある。そうでなければ一緒に暮らす意味がない、そんなところまで日本の住まいは到達しつつありはしないか。


地水火風                    09

 PHOTO:囲炉裏のある風景

 

 日本の住まいが豊かになるにつれて、確実に失われたのは自然との関係である。都市化とともに日本列島全体から自然が失われてきたのだから当然といえば当然なのであるが、自然との関係を徐々に希薄化してきた意味は住まいにとって大きい。

 空気調和設備など設備機器の発達で、住宅内の環境を人工的に制御できるようになったことによって、次第に季節感が失われてきたことは実に寂しいことだ。しかし、問題は単に季節感だけの問題ではない。

 環境を自由にコントロールできるのはいい。しかし、そのために余りにも多くのエネルギーが浪費されている。そして、そのことが都市や地球規模の環境に及ぼす影響が忘れ去られてしまっている。実に大きい問題である。

 例えば、水はどうか。僕らは水を蛇口をひねればすぐにでてくるものだと思っている。只(ただ)ではないが、空気と同様、無限に近いものだと思っている。しかし、水に恵まれない地域は世界に多い。毎日、少しづつ水を買って生活している多くの人々が発展途上国の大都市にはいる。それに比べると僕らは贅沢だ。雨水を利用したり、飲料水以外は、家庭用排水を再利用しようというプログラムもあるけれどまだ実現はしていない。

 また、僕らは水を完全に制御できるものと無意識に考えているのであるが、集中豪雨で河川が溢れる水害は決してなくなったわけではない。全ての道路を舗装するため、雨がすぐに河川に流れ込み、都市ではかえって洪水が起こりやすくなったりしているのである。

 そういえば、土を都会ではほとんど見なくなった。土がなければ緑もない。緑が失われ、疑似的自然のみが創られのは悲しいことだ。

 水や土だけではない。風はどうか。風通しというのは住宅にとって極めて重要だったのだけれど、すきま風すらなくなった。室内を密封し、室内気候を機械的に制御することだけが目指されてきたのである。

 火はどうか。住居の中で、火のウエイトはますます小さくなっていく。料理から調理へ、火を使う場所であった台所がほとんど火を使わなくなるのだから当然である。薪割や焚火は都会ではもう見かけない。ゴミを身近に処理することはないのである。

 ゴミといえば、僕らの生活は余りにも浪費的である。捨てるために生産する悪循環である。自然のエコロジカルなサイクルを傷つけ、取り返しのつかないところまで至りつつある、そんな気がするのにやめられない。こんな状況を果して豊かというのであろうか。

 

 

  

 


死者との共棲

 PHOTO:墓地公園/霊園/墓のマンション

 

 日本の地方都市はどこでもミニ東京のようだ、とよく言われる。日本の都市の風景がどこでも同じように見え始めたということは、それぞれが固有の歴史を失いつつあることを意味している。

 同じ様な材料を使い、同じ様な構法によって建てられたかっての民家は画一的であった。しかし、それぞれの町や村は個性的であった。何故だろう。それに対して、現在は、一見、多様に見える住宅が建てられているのに、都市のほうが画一的にみえるのは何故だろう。

 ひとつのヒントは、かっての村や町は、はっきりとした境界をもっていたのに、現代の都市は、のっぺらぼうに連続しているということだ。具体的には、死者のための空間を考えてみるといい。

  かって、人は住まいで生まれ住まいで死んだ。誕生から死に至るまで、住まいが舞台であった。しかし、今は、生まれるのも死ぬのも病院という施設である。冠婚葬祭や通過儀礼も全て住居や集落と一体で行われてきたのだけれど、都市の中の施設において行われるようになった。

 墓地は、かって住まいに近接して置かれていた。町外れや村外れにあって、彼岸と此岸を境界づけていた。すなわち、死者は生きているものとともにあったといっていい。

 しかし、現代はどうだ。ほんの一坪程の墓地を買うのも大変である。まるで住宅を買うのと同じである。死後の住まいを買うのにも僕らは汲々とせねばならないのである。

 墓地は郊外へ郊外へ次第に追放されていく。ニュータウンのような郊外型霊園が次々に造られた。そして今やお墓のマンションも出現している。墓地の問題と住宅の問題は全く同じ経緯を辿ってきたのである。

 僕らは死者のための空間を全く考えずに生者のためだけの都市を考えてきたといえるだろう。考えてみれば当り前である。一千万人の都市があれば一千万人の墓がいる。しかも、都市が歴史を重ね、人々が世代を重ねれば、その何倍ものスペースがいる。しかし、そんなことはおかまいなしだ。

 死者をないがしろにするということは、その生の軌跡をないがしろにすることである。都市が無数の人々の歴史的な作品であるとすれば、それぞれの歴史を無視するということは、都市の歴史を無視するということを意味する。

 歴史を考えない、歴史の積み重ねを無視する、そんな都市と住まいのありかたが果して豊かといえるであろうか。

 

 

 

 

 

2021年8月15日日曜日

見聞録21  京都都心の惨状 林立するマンション 消え逝く町家  覆いがたい理念の分裂

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 京都都心の惨状 林立するマンション 消え逝く町家

  覆いがたい理念の分裂

 


京都の、堀川、烏丸、河原町の南北通り、そして御池、四条、五条の東西通りで囲まれる地区を通称「田の字」地区という。祇園祭ゆかりの山鉾町が含まれる京都の核心域である。訪れる機会があれば、とにかく歩いてみて欲しい。なんともちぐはぐな光景を目の当たりにして考え込んで欲しい。

「田の字」地区はいま騒々しい。ここそこに工事現場がありクレーンが聳えている。不況にも関わらず、未曾有のマンション建設ラッシュなのだ。虫食い状に空き地と駐車場が蔓延り、ビルの谷間に町家が埋もれつつある。

この間喧々囂々たる非難を浴びているのが高松伸の手掛ける巨大なマンションだ。一棟のマンションの東西で学区が分かれる。京都の街割りには明らかに大きすぎる。それに新規さを売ってきた高松にしては何の変哲も工夫もない。皮肉というべきか、真向かいに高田光雄・江川直樹によるマンションが同時に建設中だ。町家型集合住宅を謳い、前面を低く押さえる工夫がある。話し合いを重ねた経緯もあって近隣住民は受け入れつつある。

しかし、いずれにせよ町家の規模ではない。一方で書割でもいいからかつての街並みを維持すべきだという主張がある。また、京町家再生研究会のように現存する町家の再生を手掛ける集団もある。マンショ・ブームの一方で、それに抗するかのように大変な町家ブームだ。町家に住みたいという若者が増えている。また、町家改造の店が増えている。かくして、てんでばらばらの建物が並んで収拾がつかない。いかんともし難い。

 大きな問題は全国一律の法規定である。市としては都心に人口は増えて欲しい。地主は、建蔽率、容積率一杯に建物を建てる。京都で起こっていることは全国の大都市で起こっていることと同じだ。街並みが崩れるのは当然である。そして致命的なのは、京都に相応しい建築形式についての理念が分裂していることだ。京都にかつての面影を期待するなかれ。





京都の、堀川、烏丸、河原町の南北通り、そして御池、四条、五条の東西通りで囲まれる地区を通称「田の字」地区という。祇園祭ゆかりの山鉾町が含まれる京都の核心域である。訪れる機会があれば、とにかく歩いてみて欲しい。なんともちぐはぐな光景を目の当たりにして考え込んで欲しい。

「田の字」地区はいま騒々しい。ここそこに工事現場がありクレーンが聳えている。不況にも関わらず、未曾有のマンション建設ラッシュなのだ。虫食い状に空き地と駐車場が蔓延り、ビルの谷間に町家が埋もれつつある。

この間喧々囂々たる非難を浴びているのが高松伸の手掛ける巨大なマンションだ。一棟のマンションの東西で学区が分かれる。京都の街割りには明らかに大きすぎる。それに新規さを売ってきた高松にしては何の変哲も工夫もない。皮肉というべきか、真向かいに高田光雄・江川直樹によるマンションが同時に建設中だ。町家型集合住宅を謳い、前面を低く押さえる工夫がある。話し合いを重ねた経緯もあって近隣住民は受け入れつつある。

しかし、いずれにせよ町家の規模ではない。一方で書割でもいいからかつての街並みを維持すべきだという主張がある。また、京町家再生研究会のように現存する町家の再生を手掛ける集団もある。マンショ・ブームの一方で、それに抗するかのように大変な町家ブームだ。町家に住みたいという若者が増えている。また、町家改造の店が増えている。かくして、てんでばらばらの建物が並んで収拾がつかない。いかんともし難い。

 大きな問題は全国一律の法規定である。市としては都心に人口は増えて欲しい。地主は、建蔽率、容積率一杯に建物を建てる。京都で起こっていることは全国の大都市で起こっていることと同じだ。街並みが崩れるのは当然である。そして致命的なのは、京都に相応しい建築形式についての理念が分裂していることだ。京都にかつての面影を期待するなかれ。

 

➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

❻空調を使わないビル  エコ・オフィス 見聞録06,共同通信,200012

❼知られざるモニュメント  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101

❽木匠塾の目指すもの  ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08,共同通信,200102

❾笑う住宅   くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103

❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104

⓫自然素材の魅力 誰でも建築家になれる 建築探偵の佳作,見聞録11,共同通信,200105

⓬建築の保存再生 建物を大事に使う時代へ 無闇に壊すな,見聞録12,共同通信,200106

⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107

⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111

⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112

⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11


㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

 

2021年8月14日土曜日

見聞録20  土木デザインの新展開  何にお金を使うのか  地下鉄都営大江戸線・飯田橋駅  設計:渡辺誠/アーキテクツ・オフィス

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 剥き出しの地下空間

 土木デザインの新展開 何にお金を使うのか

  地下鉄都営大江戸線・飯田橋駅 設計:渡辺誠/アーキテクツ・オフィス




東京へは度々出掛けるけれど用事をこなすのが精一杯だから町を歩く機会はほとんどない。行ったといっても移動は地下鉄であり、歩くのは地下街だ。東京駅から地下街を辿ればほとんど雨に濡れずに歩ける。東京は既に一大地下都市と化している。

都営・大江戸線の飯田橋駅をたまたま通りかかって驚いた。打ち放しコンクリートの肌が剥き出しのままなのである。そして、天井を蜘蛛の巣のように、所々照明灯が組み込まれた緑色のパイプが這っている。新鮮だ。

地下鉄のホームや通路というと天井が低く、背を折って歩く重苦しい閉塞感がある。しかし、この駅は何よりも天井が高く伸び伸びしている。それに地上のように随分明るい。普通は天井を貼って様々な設備を隠してしまうけれど、ここでは全て剥き出しにして、その分大きな空間が確保されている。そして、緑のパイプも現代彫刻のようで斬新だ。

同じような通路やホームで地下街にはアクセントが少ないから個性豊かな駅の誕生は歓迎である。大江戸線の駅のデザインには他にも何人かの建築家が関わったという。いくつか見て歩いたけれど最も挑戦的なのがこの飯田橋駅だ。そっけなかった橋梁や高速道路など土木構築物のデザインを見直す貴重な試みのひとといっていい。制度的な枠組みが強くて思うようにいかなかったというが、その悪戦苦闘を評価したい。

出来たものは素っ気ないトンネルにすぎない。素材をそのままに表現する1960年代初頭のブルータリズム(野蛮主義)のデザインのようだ。利用客の評価は果たしてどうであろうか。賛否相半ばするかもしれない。設計者は渡辺誠、ポストモダンの旗手とも目された建築家だ。その溢れる表現意欲を押さえたある種の欲求不満を解消するかのように地上の入口には異形の排気筒が建っている。この排気筒は必要なのか。何にお金を使うのか、デザインとは何か、大いに考えさせる作品だ。


➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

❻空調を使わないビル  エコ・オフィス 見聞録06,共同通信,200012

❼知られざるモニュメント  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101

❽木匠塾の目指すもの  ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08,共同通信,200102

❾笑う住宅   くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103

❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104

⓫自然素材の魅力 誰でも建築家になれる 建築探偵の佳作,見聞録11,共同通信,200105

⓬建築の保存再生 建物を大事に使う時代へ 無闇に壊すな,見聞録12,共同通信,200106

⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107

⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111

⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112

⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11

㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

 

2021年8月13日金曜日

見聞録19 簡素で徹底した建築技術の表現 ガラス張りの大学 情報技術を駆使する自在な空間  公立はこだて未来大学 設計:山本理顕設計工場+木村俊彦構造設計事務所  函館市亀田中野町

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 簡素で徹底した建築技術の表現 ガラス張りの大学 情報技術を駆使する自在な空間

 公立はこだて未来大学 設計:山本理顕設計工場+木村俊彦構造設計事務所

 函館市亀田中野町


 なんともうらやましい大学である。まさに未来大学という名に恥じない。全ての教室の全ての机にコンセントがあり、インターネット用のジャックがついている。学生はノート・パソコンを持って移動すれば、教科書も参考書も要らない。教師も教材用にプリントを用意する必要はない。学生は黒板代わりの画面をそのままダウンロードすればいいのである。旧態以前たる教室で、講義のために毎回スライドやオーバー・ヘッド・プロジェクターを用意するのに四苦八苦している身には実に刺激的であった。

しかし、それだけではない。以上の情報メディアの問題であれば早晩全ての大学がそうなるであろうし、多くの大学で既に情報技術は教育研究に駆使されている。過激なのは全ての研究室がガラス張りであることだ。大学の研究室といえば蛸壺と言われたイメージは全くない。スタジオやアトリエ、ラウンジ、モールなどは巨大な吹き抜け空間に一体的に配されており、明るい自然光が差し込んでくる。そして、いつでもどこでも眼前に函館山の全容を望むことができる。絶好の立地である。

建築は巨大な箱だ。極めてわかりやすい。一律一二・六メートル四方という柱間にトリプルTスラブと呼ぶプレキャスト(予め工場で作った)の床を架けるだけだ。工期の短縮を絶対的条件としたための架構方法の選択である。全体を手掛けたのは埼玉県立福祉看護大学(要確認)で芸術院賞を受けた山本理顕、今、脂が乗り切っている建築家のひとりである。単純な架構の中に、高低、広狭、開閉、明暗、・・実に多様な空間を作り出し、全体を通じて破綻がない。

そして、構造計画を担当したのは木村俊彦、日本を代表する構造デザイナーのひとりだ。その簡素で徹底した技術の追求には、全てが乏しかった戦後まもなくの建築家たちの初心を思い起こさせる。木村は、テクニカル・アプローチを標榜し、戦後の建築界をリードした前川國男設計事務所の出身である。



 

➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

❻空調を使わないビル  エコ・オフィス 見聞録06,共同通信,200012

❼知られざるモニュメント  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101

❽木匠塾の目指すもの  ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08,共同通信,200102

❾笑う住宅   くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103

❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104

⓫自然素材の魅力 誰でも建築家になれる 建築探偵の佳作,見聞録11,共同通信,200105

⓬建築の保存再生 建物を大事に使う時代へ 無闇に壊すな,見聞録12,共同通信,200106

⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107

⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111

⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112

⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21


⓳土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11

㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

 

2021年8月12日木曜日

見聞録18 コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて  使われない共用空間!?

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて

 使われない共用空間!?

 


阪神淡路大震災以後、コレクティブ・ハウスと呼ばれる共同住宅のあり方が追求されつつある。ヨーロッパでは、血縁関係のない単身者が台所、食堂、居間などを共用する住宅のことである。同世代が一緒に住む場合が多いが、シェア・ハウスと呼ばれる形式もある。日本の場合、今のところ、独居老人が一緒に住む形式が一般的である。

この「グループ・ハウス尼崎」は中でも先進的な一例である。個室が九つずつ左右にあり、真中に共用の居間、台所、浴室が配されるだけのシンプルな間取りであるが、居住者が実に生き生きとしている印象を受けた。面白いと思ったのは、僕がインドネシアで手掛けたコレクティブ・ハウスの間取りとよく似ていることだ。

もともと二つのケアつき仮設住宅を統合してつくられたのがこの施設である。知られるように震災後の仮設住宅では独居老人の孤独死が相次いだ。こうした共同施設の必要性が痛感されたのである。しかし、これはあくまで仮設住宅でその存続は危ういという。一方、厚生労働省が制度化したグループ・ホームは痴呆性高齢者に限定されている。

問題はこうした新たな共同住宅が必要なのは高齢の単身者に限らないことだ。女性の社会進出、少子化もあり、日本の家族のあり方は遥かに多様化しつつある。

いくつかのコレクティブ・ハウスを見せて頂いていささか暗然とすることがあった。いわゆる共用空間が全く使われていないのである。極端なところでは、共益費にお金がかかるというので共用室の蛍光灯が取り外されていた。そして、何よりも活気がない。全く状況は異なるが、インドネシアの場合、共用室は子供たちの遊び場でもあり、実に賑やかである。

高齢社会とはいえ、各世代がともに棲むのが街だ。各世代が棲む共同住宅の形が我が国にも欲しい。




➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

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⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112


⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

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2021年8月11日水曜日

見聞録17  世界貿易センター(WTC)の悪夢  呪われた建築家、ミノル・ヤマサキ  現代技術の盲点:最適設計の美学

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 世界貿易センター(WTC)の悪夢

 呪われた建築家、ミノル・ヤマサキ

 現代技術の盲点:最適設計の美学





ミノル・ヤマサキという建築家はよくよく呪われている。彼が設計したプルーイット・アイゴー団地(セントルイス)が爆破解体されたのは一九七〇年代初頭であった。近代の理想の団地もスラム化がひどく壊すしかなかったのである。その爆破の写真は、近代建築の失敗の象徴としてしばしば取り上げられる。そして世界貿易センタービルの一瞬の消滅である。その設計思想の破綻が白日の下にさらされたのである。

それは信じられないような光景であった。超高層ビルがまるで砂のように崩れ去ったのである。建築のことはひと通り学んだつもりの僕でも、こんなことがありうるのか、と眼を疑った。超高層にジェット機がぶつかることなどそもそも想定されていないと言えばそれまでである。しかし、ぶつかって火焔を上げている超高層ビルが次の瞬間に崩れ落ちると予測した人が何人いたであろうか。

事件からしばらくして、予想通りの美しい壊れ方であったと嘯く専門家がいると聞いた。最も経済的に最も合理的に設計された建築物は全ての部位が同時に破壊されるのが理想だという。最適設計の理論である。そんな理論など一般の人は知らないだろう。超高層ビルがそんな思想で設計されていると知っていたら、多くの消防士や警察官は救助に向かわなかったであろう。そして命を落とすことはなかったであろう。

超高層はそもそも不要だ、あるいは不自然だ、などとは言うまい。それ以前に、何があろうと、建造物があのように崩れてはならないと思う。一本の柱でも一本の梁でも壊れずに残れば多くの命が救われた筈だ。全て同時に壊れるのではなく、わざと弱いところをつくっておいて、他を救うという考え方だってある。問われているのは設計の思想である。

超高層ビルを生んだ二〇世紀の設計思想が恐ろしいのは、それがいかに危ういか、を知りながらそれを隠していることではないか。




➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

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❼知られざるモニュメント  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101

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⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107

⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111

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⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11

㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

 

2021年8月10日火曜日

見聞陸16  ソカロからラテン・アメリカ・タワーへ メキシコ・シティの苦悩!? 問われる歴史的都市核の再開発 超高層の海に沈むかコルテスの街

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 ソカロからラテン・アメリカ・タワーへ メキシコ・シティの苦悩!? 問われる歴史的都市核の再開発 超高層の海に沈むかコルテスの街

 


 京都のような格子状の町に住んでいるせいだろうか。世界中の格子状都市が気になって、ついにはメキシコまで行ってきた。中南米はスペインがつくった格子状都市の宝庫である。フェリペ二世が都市はこうつくりなさいとワンパターンに命じたのである。

メキシコ・シティの地をコルテスが征服した時、テスカカ湖の上にはアステカ帝国の都テノチティトランの壮麗な姿があった。それを破壊し、その石材を使って彼は自分たちの都ヌエヴァ・エスパニョールを建設した。ソカロと呼ばれる中央広場の周辺には、スペインの当時の都市に負けないカテドラル、宮殿が建つ。宮殿の隣地からアステカの中央神殿跡が発見されたのは一九一三年のことだ。ひどいことをしたものだ、とつくづく思う。

とは言え、ソカロは既に五〇〇年にも及ぶ歴史を誇る。周辺は世界文化遺産に指定されている。ところで、その地区にエンパイア・ステート・ビルを小型にしたようなラテン・アメリカ・タワーというビルが建っている。

地上四四階、さらテレビ塔が載って一八二メートルにもなる。驚いたことに一九四八年に着工して五六年に竣工している。日本に霞ヶ関ビルが出来る(六八年)遙かに前である。設計者はオルティス・モナステリオ。日本において、六〇年頃国立自治大学図書館の民族的表現などが話題になったことがあるが、この建物は知られていない。アメリカ建築の華々しさの前に無視されたのだろう。耐震性にすぐれ、度重なる地震にも問題ないという。

このタワーをめぐって今一騒動が起こりつつある。なんと、大統領とメキシコ市長は、都心活性化のために、ゾカロからラテン・アメリカ・タワーの町へ化粧直しをはかることで一致、そのためのプロジェクトを発表したのである。近代建築の理念と美学は根強いということか。果たして、栄光のコルテスの町も、超高層の林立する街の底に沈んでしまうのであろうか。










➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

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❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104

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⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111

⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112

⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

⓴古都にふさわしい建築とは 巨大マンション登場,見聞録20,共同通信,200203 11

㉑京都都心の惨状 林立するマンション 消えゆく町家 覆いがたい理念の分裂,見聞録21,共同通信,200204

 

2021年8月9日月曜日

見聞録15  バブリーなオランダ建築 ポストモダン建築の最後の競演、饗宴、共演!?  ハーグ駅前再開発 マイケル・グレイブス、シーザ・ペリ、レム・コールハウス、リチャード・マイヤー、アルド・ロッシ他

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 バブリーなオランダ建築 ポストモダン建築の最後の競演、饗宴、共演!?

 ハーグ駅前再開発 マイケル・グレイブス、シーザ・ペリ、レム・コールハウス、リチャード・マイヤー、アルド・ロッシ他



趣のある歴史的建物の背後に異形の高層建築が二つ見える。オランダはハーグの王宮から中央駅前を望んだ光景である。左の砲弾形のビルは、シーザ・ペリ、右の急勾配の切り妻屋根が二つ連なるビルがマイケル・グレイブスの設計だ。

国際司法裁判所があり、歴史ある落ち着いた町として知られるハーグの駅前に、よくもまあ次々に話題作がそろうものである。コールハウスの出世作といっていいドラマ・シアター、リチャード・マイヤーのハーグ新市庁舎も隣接して建っている。国際的建築家の時ならぬ饗宴の感がある。それにしても、クアラルンプールの世界一高いペトロナス・タワー、NHK大阪など、このところのシーザ・ペリの世界を股にかけた活躍はすさまじい。

オランダ建築には昔から興味があった。アムステルダム派の建築が好きで随分見ている。長年つき合ってきたインドネシアの宗主国でもあり、オランダ建築や都市計画の世界史的展開には関心がある。ハーグには国立図書館、国立公文書館があって、このところ資料漁りのために通っていて気になってしかたがない。

まずは、オランダ建築の元気の良さにはびっくりするやら、うらやましいやらである。しかし、ポストモダンの建築などもう流行らないのではないのか。負け惜しみのようだが、大丈夫かな、という気がする。まるでバブル期の日本建築を見るようなのだ。

確かに、それぞれがハーグの町を読んで、それぞれに解答を出しているように見える。しかし、その解答の方向はばらばらなのだ。ハーグの町の未来がここに示されているとはとても思えない。

無味乾燥な近代建築の立ち並ぶ景観にポストモダンの歴史主義は確かに一撃を加えたかも知れないけれど、しっかりした歴史的街並みの前ではどうしても薄っぺらに見えてしまう。競演が饗宴に終始し、共演になり得ていないのが致命的なのである。


➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

❷循環型の社会へ一戸の住宅から 石井の家 見聞録02,共同通信,200008

❸出島の復元  日蘭交渉400年 まちづくりの世界史 見聞録03,共同通信,200009

❹緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質 見聞録04,共同通信,200010

❺出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

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❼知られざるモニュメント  丹下健三の「動員学徒記念若人の広場」見聞録07,共同通信,200101

❽木匠塾の目指すもの  ざらざら,ぼこぼこの素材感 見聞録08,共同通信,200102

❾笑う住宅   くねって,捻(ひね)って,捩(よじ)って 見聞録09,共同通信,200103

❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104

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⓭骨太の建築 斜めの空間 新たな空間を生み出そうとする悪戦苦闘 デコン(破壊)派の傑作!?,見聞録13,共同通信,200107

⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

⓰超高層の危険隠した20世紀の「設計思想」ー何故ビルは一瞬で崩壊したか,見聞録16,共同通信,200111

⓱コレクティブ・ハウスの行方 新しい共同住宅のあり方を求めて 使われない共用空間!?,見聞録17,共同通信,200112

⓲巨大な「箱」に多様空間 はこだて未来大学,見聞録18,共同通信,200201 21

⓲土木デザインの新展開 都営大江戸線・飯田橋駅,見聞録19,共同通信,20020201

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2021年8月8日日曜日

見聞録14 路地型集合住宅 街並みのモデル きめ細かい設計  こじんまりとしたスケール 中島ガーデン 静岡県富士市 設計 松永安光 近代建築研究所

 布野修司 共同通信 学芸=見聞録 連載全21回 2000年8月~20024

 路地型集合住宅 街並みのモデル きめ細かい設計

 こじんまりとしたスケール

 中島ガーデン 静岡県富士市 設計 松永安光 近代建築研究所



全部で一二戸のこじんまりした集合住宅である。家の中から毎日富士山が見える。実にうらやましい。

二階建ての住棟が三列に並ぶごくシンプルな構成だ。しかし、単調さを破る工夫がある。まず、真っ直ぐ富士山に向けて斜めの通路が走っていて面白い。通路の上には平行して二階の住戸のためのブリッジがあり、その上に立つと富士山が住戸の壁と壁の間に見える仕掛けである。また、各戸の坪庭が交互に配置され、眼を楽しませる。さらに、幅二メートル程の路地が心地いい。スケール感がいいのである。小さな池と水路も効果的だ。モウソウチク、ヤマモミジ、ベニカナメ、そして下草にシャガ、ヤブラン、フッキソウ、ユキノシタ、コグマザサなど植裁もきめ細かくデザインされている。全体として路地と坪庭が実に効果的に外部空間を形作っている。設計者は、路地型集合住宅という。

住戸は全て二寝室で一室は和室という構成であるが、メゾネット(二階建て)型が二種類、フラット(平屋)型が二種類用意されている。一二戸でも居住形式の多様性に対応する意図もある。全てが専用庭を持ち、南北に通風と採光が採れる。目新しい技術の利用があるわけではないが、細部に目配りの効いた設計である。

単なる空き地が連なるだけの集合住宅が少なくない中で、共用空間が随分豊かである。ひとつには、特定優良賃貸住宅制度(特優賃)という制度の利用がある。敷地を民間が提供し、金融公庫が融資し、共用部分の建設費を公共が補助し、基準収入以下の入居者に対して家賃補助を行うという制度である。もっと利用されていい。

一二戸ほどの小さな集合住宅に、二〇〇一年度の日本建築学会賞が与えられた。個人住宅や小規模の集合住宅が受賞するのは珍しい。小さいが、日本の街並みをつくっていくモデルになるというのが最大の評価である。

 

➊仮設住宅の創意工夫 台湾のまちづくり最前線 伝統文化の継承 見聞録01,共同通信,200007

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❿縄文の森を埋め込む  屋上緑化 壁面緑化 見聞録10,共同通信,200104

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⓮バブリーなハーグの建築,見聞録14,共同通信,200109

⓯メキシコ・シティの再開発 タワーめぐり一騒動勃発,見聞録15,共同通信,200110

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