布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
K21 東ジャワの港市-マジャパヒト王国のパサール都市
スラバヤSurabaya、東ジャワJawa Timur、インドネシアIndonesia
スラバヤは、古来、パシシール地域(ジャワ北沿海地区)を代表する港市として発展し、現在も東南アジア有数のハブ港をもつ大都市である。その創設は1293年とされる。クビライの軍が攻略しようとして撃退されたことが中国史書に記されているからである。その時点で都市的集住が成立していたかどうかは不明であるが、ヒンドゥー・ジャワ王国の東ジャワ期の王都クデリKederi、シンゴサリSingosariとはブランタス川で繋がれており、その外港として発展してきたと考えられている(図1)。14世紀初頭には、モジョケルト近郊に強力なマジャパヒトMajapahit王国が成立しており、マドゥラ海峡を介する国際交易の拠点となっていた(年代記初出は1365年)。
15世紀末にマジャパヒト王国がイスラームに追われてバリに遷都すると、デマDemak王国の支配下に入るが、独立した都市国家として繁栄し、17世紀前半には5~6万人の人口を誇ったという(Reid(1993))。チャイニーズの影響力が強く、その多くはイスラームに改宗している。17世紀初頭には、中部ジャワに勃興したマタラム王国の支配下に置かれる。住民は、ジャワ人も含めて、スラウェシ島にマッカサルに逃亡、人口は1000人ほどに激減している。
オランダ連合東インド会社VOCの拠点が置かれたのは1617年で、VOCはマタラム王国から交易権を得て、1677年にはスペールマン将軍によって要塞が築かれている。18世紀半ばには人口は1万人ほどに回復したとされる。1743年にVOCはスマランSemalan、グレシクGresikとともにスラバヤを支配下に治める。
オランダ本国が1795年にフランスに併合され、1799年にVOCは解散するが、ダーンデルス総督の時代(1808~11年)に本格的な都市建設が開始され、カリ・マス城塞も建設される。1811年には英国にジャワを明け渡すが、平和裏に返還されると、1830年以降、強制栽培制度を導入、植民地支配を強めていく。
20世紀初頭にスラバヤは東インド最大の都市となり、人口150,000人に達した(ヨーロッパ人8000人、中国人15000人、アラブ人3000人:1905年)。
20世紀に入って、スラバヤは北から南へ発展していく。灌漑施設の拡張、甘藷糖業の発展、スラバヤ港の解説が大きい。人口は、1920年に約20万人、1930年に33万人、独立後の1950年に71.5万人、1960年には99万人に達する。以降、人口は爆発的に増え、1970年に155万人、80年に203万人と20年ごとに倍に増えてきた(図2)。現在は、約300万人、ジャカルタに次ぐインドネシア第2の大都市である。
スラバヤの起源については、地名を手掛かりにしたJ.シラスの復元がある(図3)。クラトンkeraton(王宮)という通り名は現在もあり、ジャワ都市の中心アルン・アルン(広場)の位置が推定されるのである。
ただ、19世紀初頭まで市街地の発展があったわけではない。1825年の地図をみると、湿地帯、水田、カンポン(ムラ)の中にカリ・マス城が浮いている感じである(図4)。1866年の地図(図5)には、北から南に、ジャワ、アラブ、マレー、チャイニーズのカンポン名が記されている。
20世紀に入って、とりわけ、1960年代から1970年代にかけての爆発的人口増加によって、この都市核はカンポン(都市村落urban village)の海に取り囲まれることになった。
都市形態をみると、中心部に高層のホテル、オフィズビルが林立する以外は、全て2階建て以下の赤瓦のカンポン住居である。
1960年代から70年代にかけて、急速な人口増加による居住環境の悪化が深刻となり、上下水道、道路などインフラストラクチャーの整備、ゴミ処理などが大きな課題となった。これはジャカルタも含めて、発展途上国の大都市が同様に抱えた問題である。
カンポンの住居は、物理的には貧相であるが、決してアモルフではない。一定の原型、標準型、家族人数に応じた変化型がある。また、カンポンのコミュニティはしっかりしている。一説に、日本軍が持ち込んだという説もあるが、伝統的な共同体システムが生きており、町内会(RW,RT)組織による相互扶助システムがうまく機能しているのである。
そうしたコミュニティを主体として行なわれたカンポン・インプルーブメント・プログラムKIPは大きな成果を上げ、高い評価を受けてきている。
参考文献
布野修司(1991)『カンポンの世界』パルコ出版
Dick,
Howard W.(2003)”Surabaya
City of Work A Socioeconomic History, 1900-2000”、Singapore
University Press
Silas,
Johan(1982)"KIP Program Perbaikan Kampung di Surabaya 1969-1982 suatu
inventarisasi dan evaluasi", Pemerintah Kota Surabaya
Silas,
Johan(1996)"Kampung
Pemerintah
Kota
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