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2025年9月28日日曜日

アフマダーバード:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


I04 ムガル帝国のグジャラート拠点

アフマダーバードAhmadabad,グジャラード州Gujarat,インドIndia


 アフマダーバードは、キャンベイ湾に注ぐサバルマティー河の河口から100㎞程内陸に位置する。建設した(1411)のはスルタン・アフマド・シャーI世であり、都市名はその名に由来する(図1)。都市形成の過程を概観すると以下のようになる。

 ①グジャラート王朝期(14081573):建設されたのはバドラ・フォート周辺である。1412年にジャーミー・マスジッドが,マフムード・ベガダ時代に市壁が建設された(1487)(図2)。市壁内に居住区としてプラがつくられ、当初から,ムスリム,ヒンドゥー教徒,ジャイナ教徒が混住した。

 ②ムガル帝国期(15731753):ムガル朝第Ⅲ代皇帝アクバルのグジャラート遠征によって,1573年にムガル朝に組み込まれ,城外にも多数のプラが形成された。しかし、18世紀に入ると,ムスリム支配は弱まり,ジャイナ教やヒンドゥー教の寺院が建設されている。

 ③マラータ期(17531817):ムガル朝第Ⅵ代皇帝アウラングゼーブ統治の後半,マラータによる統治が始まる。マラータは,ヒンドゥー教徒とともにムスリムも保護したが、政治的混乱と経済活動の停滞のうちに,その統治時代は終了する。

 ④イギリス統治期(18171947):1817年にアフマダーバードは東インド会社の支配下に置かれる。まず城壁の改修が進められ(1842),1817年に8万人だった人口は,1851年に97000人に膨らんでいる。主としてヒンドゥー教徒,ジャイナ教徒の人口が増加し,ムスリムの貧困層は,ジャイナ教徒などが住む裕福な地区を出て,周辺に移動している。イギリス人は北と西の地区に住んだ。

 ⑤1861年に綿紡績工場が設立され工業化が始まる。1864年に鉄道が開通し,アフマダーバード駅が旧市街の東部外縁部に建設された。1883年に自治体が設置され,インフラストラクチャーの整備が行われた。

 ⑥アフマダーバードの北方,サバルマティー川東岸に設置されていたカントンメントが発展し,20世紀初頭までに東部と北部の外縁部が合併される。サバルマティー川にエリス橋が建設され、以降,西岸部が発展していく。

 ⑦20世紀前半には,電話,電気(1915,バス(1920年代)が導入され,道路整備など近代化が進められていく。密集市街地解消のため様々な計画が立てられる。交通渋滞の解消策として,ガンディー・ロードと平行するティラック・ロードが敷設される。

 ⑧独立後(1947~):独立とともにボンベイ州に組みこまれ,1950年に市政府が設立される。1960年にボンベイ州が分割され,グジャラート州の州都となる。綿業は衰退するが,多様な産業の勃興によって周辺地域が発展する。1970年に,北方25kmに建設された新行政都市ガンディーナガルが州都となる。

 アフマダーバードの都市形態は、インド古来のヴァストゥー・シャストラ(建築書)にいう「カールムカ(弓)」の形態であるいう説がある。市壁が建設された当時,12の市門があり,12の幹線街路が市街に延びていた。現在旧市壁に沿って周回道路が巡り,デリー門から旧市街内へ伸びるタンカリア・ロード,パンチクワ門から伸びるガンディー・ロードとその北側を平行に走るタリク・ロード,アストディア門から伸びるサルダール・パテル・ロード,ジャマルプル門から伸びるジャマルプル・ロードの5本が市街地の主要幹線街路となっている。それらは旧城塞地区から放射状に伸びており、「カールムカ」がモデルになったという説のひとつの根拠とされる(図3

アフマダーバードはイスラーム勢力によって建設されるが,以上の歴史が示すように,当初からヒンドゥー教徒,ジャイナ教徒との関係も深い。

 旧市街は12のワード(地区)からなる(図4)。 宗教別の住み分けは比較的はっきりしている。基本的に,宝石商などのヒンドゥー教徒やジャイナ教徒が旧市街の中心に居住し,ムスリムが周辺部に居住するパターンがある。そのパターンはいくつかの変形を受けて今日に至っている。

 現在の旧市街における宗教別人口構成比は,ムスリムが約50,ヒンドゥー教徒が約30,ジャイナ教徒が約20%である。旧城塞周辺から旧市街南部にかけてはムスリム居住地区,南東部ガンディー・ロード以南のカディア地区およびヒンドゥー教の大寺院スワミナラヤン・マンディルの周辺がヒンドゥーの居住地区となり,ガンディー・ロード以北はほとんどがヒンドゥーとムスリムあるいはヒンドゥー,ムスリム,ジャイナ教徒の混在する地区となっている。また旧市街の商業の中心地であるマネク・チョウク地区(図5がジャイナ教徒の居住地区になっているのは,歴史的な住み分けの構造が根強いことを示している。


 

アフマダーバード市の人口は,2001年度のセンサス・データによると3,520,085Ahmedabad M Corp.)であり,2007年時点での人口は約3,819,500と推計されている(World Gazetteerによる)。

 

【参考文献(分量外)】

布野修司+山根周,ムガル都市-イスラ-ム都市の空間変容,京都大学学術出版会,2008530

布野修司+安藤正雄監訳:植えつけられた都市 英国植民都市の形成,ロバ-ト・ホ-ム著:アジア都市建築研究会訳,Robert Home Of Planting and Planning The making of British colonial cities,京都大学学術出版会,20017

 


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