情報化がすすむ現代の住空間,梅棹忠夫・館長対談144,月刊みんぱく,千里文化財団,199001
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2022年12月31日土曜日
2022年12月30日金曜日
2022年12月28日水曜日
エスキス・ヒヤリングコンペ公開審査方式,雑木林の世界36,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199208
エスキス・ヒヤリングコンペ公開審査方式,雑木林の世界36,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199208
雑木林の世界36
エスキス・ヒヤリングコンペ・公開審査方式
加茂町文化ホール(仮称)
布野修司
七月に入って、飛騨高山木匠塾の第二回インター・ユニヴァーシティ・サマースクールが近づいてくる。準備は例によって、藤澤好一先生にお任せなのであるが、今年も賑やかになりそうである。京都大学からは十人が参加、これだけでも昨年の規模を超えるが、一人、二人と問い合わせがあるから、反響もまずまずである。足場組立実習、屋台模型(1/5)製作が楽しみである。
しかし、それにしても六月は忙しかった。手帳を見直すといささかうんざりする。
六月一日 中高層ハウジングコンペ、ヒヤリング(長谷工コーポレーション) 東京
六月三日 日本建築学会近畿支部発表会 大阪
六月四日 アジア都市建築研究会題 京都
六月五日~六日 松江市景観シンポジウム「まちの景観を考える」基調講演 松江
六月一二日 中高層ハウジングコンペ、ヒヤリング(旭化成工業他) 東京
六月一三日~一四日 NHK教育テレビ特集「C.アレグザンダーの挑戦」収録 東京
六月一五日~一六日 加茂町文化ホール(仮称)設計者選定委員会。 加茂町(島根県)
六月一八日 二一世紀日本の国土を考える研究会(建設省官房政策室) 東京
六月二〇日 東南アジア学研究フォーラム 京都
六月二三日 特別講義「東南アジアの木造デザイン」(神戸芸術工科大学) 神戸
六月二五日 アジア都市建築研究会「インドネシアの伝統的民家」(佐藤浩司) 京都
六月二六日 シンポジウム「バブルが創る都市文化」(中筋修 隈研吾他)コーディネーター 大阪
六月三〇日 松江市景観対策懇談会 松江
一体何をやってるんだと叱られそうである。もう少し腰を落ちつけてと思うのであるが、何か得体の知れない流れに流されているというのが実感である。まあ、走りながら考えるしかない。秋にはまた東南アジアのフィールドへ出かけてこの間を振り返る時間をとろうと思う。
さて、加茂町の文化ホールである。
出雲建築フォーラム(IAF)については、これまで何度か触れた(雑木林の世界09「出雲建築フォーラム」一九九〇年五月、雑木林の世界28「第一回出雲建築展・シンポジウム」一九九一年一二月)。京都には、京都建築フォーラム(KAF)が既にあるし、今年は沖縄建築フォーラム(OAF)とか、東北建築フォーラム(TAF)とかが発足するという。各地域で面白い試みが展開されていく期待があるのであるが、出雲は想像以上の展開である。
岩國哲人(出雲市長)効果であろうか、出雲では、次々に若い首長が誕生しつつある。加茂町の速水雄一町長もその一人だ。四〇台半ばである。「遊学の里・加茂」をキャッチフレーズに果敢にまちづくりに取り組み始めたところである。
その一環として、文化ホールの建設を核として新しい何か試みができないか、という相談を受けたのは五月頃のことであった。きっかけは出雲建築フォーラムである。首長が文化施設を施策の目玉にする、というのはどこでもあるパターンである。だから、それだけでなく、その運営も含めて、また、建設のプロセスも含めて、ひとつのイヴェントとしてまちづくりにつなげられないか、というような意欲的な話だった。
同じく相談を受けた錦織亮雄(JIA中国支部副支部長)、和田喜宥(米子高専)の両先生と相談してやることになったのが、エスキス・ヒヤリングコンペの公開審査方式である。
いま、建築界では、コンペ(設計競技)のあり方をめぐって、様々なガイドラインが設けられようとしている。日本建築学会や新日本建築家協会(JIA)、建設省で独自の指針がつくられつつあるのである。そうした中で、例えば、林昌二(日建設計)による「採点方式」の提案もある。環境への配慮、使いやすさ、安全への配慮、魅力の度合い、維持費と寿命といったクライテリアで各審査員が採点し、総合点で決めようというのである。若い審査員が他の委員の顔色をうかがわずに採点できるメリットがあるという。
私見によれば、何をクライテリアにするか、果たして点数化できるか、単に足し算でいいのか、等々、採点方式にはかなりの疑問がある。建築はなによりも総合性が一番だと思うからである。問題は公開性である。公開性の原則さえ維持されれば、異議申し立ても可能になる。審査員も厳しくチェックされる筈である。今回の加茂町文化ホールでは、とにかく審査のプロセスを公開してしまおう、せっかくすぐれた建築家にアイデアを出してもらうのだから、町の人にもどんな文化ホールが欲しいのか一緒に考えてもらおう、というのが素朴な主旨である。うまくいくかどうか、これからの問題である。審査員も大変な能力が要求されるが、とにかくやってみようということになった。当事者ながら、興味深々である。
エスキス・ヒヤリングというのは、建築家にできるだけ負担をかけないように、最小限のプレゼンテーションのみでいい、という方式であるが、実際は、模型やビデオを用いたプレゼンテーション競争になりがちである。建築家の熱意はそうしたプレゼンテーションに自ずと現れるものであるが、プロの審査員としては当然、実現する建築そのものをきちっと評価できる目が必要である。一方、裏の事情としては、小さな自治体としては指名料をそんなに用意できないという事情がある。今回は、A1版の図面2枚程度で八〇万円という設定になったのであるが、どうであろう。
加茂町といっても知る人は少ないのだが、宍道湖に面した宍道町に接し、奥出雲の入り口に位置する。その名が暗示するように、京都の上加茂神社の荘園があったところであり、宇治、嵯峨といった京都を見立てた地名がある。それに町内の神原神社から、全国二番目に景初三年銘三角縁神獣鏡が出た土地柄である。すぐ裏は、銅剣が一挙にこれまでに出土した数を超える三百数十本出土して考古学会を驚かせた例の荒神谷である。
とにかく、出雲と京都に縁のある、出雲建築フォーラムのメンバーおよび第一回出雲建築展への出展者から選んだらどうかというのが僕の意見であった。結果として、指名建築家と決定したのは、亀谷清、高松伸、古屋誠章、山崎泰孝、山本理顕、渡辺豊和の六人である。みな快く引き受けて頂いた。公開ヒヤリングは、十月初旬である。
2022年12月27日火曜日
望ましい建築まちなみ景観のあり方研究会,雑木林の世界35,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199207
望ましい建築まちなみ景観のあり方研究会,雑木林の世界35,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199207
雑木林の世界35
望ましい建築・まちなみ景観のあり方研究会
布野修司
昨年暮れから今年の五月にかけて「望ましい建築・まちなみ景観のあり方研究会」という数回の集まりの座長をつとめた。建設省の小さな研究会でほとんどノルマのない自由な放談会の趣があったが、「景観問題」について随分と教えられることの多い研究会であった。
京都は今再び「景観問題」で揺れている。およそ事情が呑み込めてきたのであるが、解れば解るほど難しい。そうしているうちに、松江市(島根県)から「景観対策懇談会」に加わるようにとの話があった。「まちの景観を考える」シンポジウム(6月6日)にも出てきて意見を言って欲しいとのこと。なんとなく、というより、否応なく、「景観」について考えざるを得ない、そんな羽目に陥りつつあるのが近況である。
何故、景観問題か
この十年、景観問題が方々で議論されてきている。各地でシンポジウムが開かれ、様々な自治体では、条例や要綱がつくられつつある。全国で半数以上の自治体に都市景観課、都市デザイン室、景観対策室などが設けられたと聞く。景観賞、都市デザイン賞など、顕彰制度も既に少なくない。建設省でも、都市景観形成モデル都市制度(一九八七年)、うるおい・緑・景観モデルまちづくり制度(一九九〇年)などの施策を打ち出してきている。何故、景観なのであろうか。
まず、素朴には、古き良き美しい景観が失われつつあり、破壊されつつあるという危機感がある。もちろん、自然景観や歴史的町並み景観をめぐる議論はそれ以前からある。しかし、一九八〇年代のバブルによる開発、再開発の動向は、危機感を一層募らせてきた。また、日本の都市景観は美しくない どうも雑然としている 西欧都市に比べて日本の都市は見劣りがする、という意見もある。
しかし、おそらく一番大きいのは、経済大国になったというけれど生活環境は果たして豊かになったのか、という疑問であろう。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すのみで、ちっともストックにならない。歴史的に町並みが形成されていくプロセスがない。望ましい建築・まちなみ景観を形成維持して行くためにはどうすればいいのか、少なくとも建築の世界においては大きなテーマになってきたのである。
景観とは何か
ところで景観とは何か。このところ「景観」とか「風景」をテーマにした本が目につく。そのこと自体、「景観」が一般にも大きな関心事となっていること示すのであるが、内田芳明氏の『風景とは何かーーー構想力としての都市』(朝日新聞社 一九九二年 他に 『風景の現象学』 中公新書 一九八五年 『風景と都市の美学』 朝日選書 一九八七年など)によれば、「景観」とは「風景」を「観」ることである。「景観」が自己中心の主観的な身勝手な見方、対象の部分を断片化する見方であるとすると「風景」は土地土地で共有された見方である。ヨーロッパでは、風景(landscape landchaft)とは「土地」、「地域」のことだという。中村良夫氏の『風景学入門』(中公新書 一九八二年)によれば、「風景とは、地に足をつけて立つ人間の視点から眺めた土地の姿である」。
「風景」とは、風情=情景であり、心情(なさけ こころ)が入っている。風土、風、風化、景色、光景、・・など類語をさぐりながら「風景」の意味を明らかにするのが内田氏であるが、景観問題とは、そうした地域=風景が破壊されつつあることにおいて意識され始めた問題であるということができるであろう。
景観問題を引き起こすもの
景観問題を引き起こすものは何かというと、例えば、全国一律の法制度がある。大都市も小都市も、同じ規制という日本のコントロール行政は大いにその責任があるだろう。建築家だってかなりの責任がある。やたら新奇さを追うだけで、風景の破壊に荷担してきた建築家は多いのである。
そもそも近代建築の論理、理念と風景の論理は相容れない。鉄とガラスとコンクリートの四角な箱型の建築は、もともとどこでも同じように成立する建築を目指したものである。国際様式、インターナショナルスタイルがスローガンであった。合理性、経済性の追求は、結果として、色々なものを切り捨ててきたことになる。その論理に従えば、本来地域に密着していた風景が壊れるのは当然のことなのである。
近代建築は面白くないといって喧伝されてきたポストモダニズムの建築もかえって都市景観の混乱を招いたようにみえる。徒に装飾や様式を復活すればいいというものではない。地域性の回復ということで全国同じように入母屋御殿が建つというのも奇妙なことである。
景観形成の指針とは
景観、ここでいう風景を如何に形成していくかについては少なくとも以下のような点が基本原則となろう。
●地域性の原則 地域毎に独自の固有な景観であること
●地区毎の固有性 地区毎に保存、保全、修景、開発のバランスをとること
●景観のダイナミズム 景観を凍結するのではなく、変化していくものとして捉えること
●大景観 中景観 小景観という区分 景観にも視点によって様々なレヴェルがある
●地球環境(自然)と景観 自然との共生
具体的にどうするか、ということで、まず、前提となるのは、どのような景観が望ましいかについて常に議論が行われ、地域毎に、あるいは地区毎に共通のイメージが形成されることである。地域の原イメージを象徴するものとはなにか、その地域にしかないものとは何か、その地域には要らないものは何か、等々議論すべきことは多い。
次に原則となるのは、身近かな問題から、できることからやるということである。議論ばかりでは進展しないし、景観というのは日々変化し、形成されるものである。清掃したり、花壇をつくったり、広告、看板を工夫したり、といったディテールの積み重ねが重要である。
建築行政としては、いいデザインを誘導することが第一であるが、地区モニター制度、景観相談、景観地区詳細提案など制度として検討すべきアイディアが色々ありそうである。
2022年12月26日月曜日
2022年12月25日日曜日
土木と建築,雑木林の世界34,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199206
土木と建築,雑木林の世界34,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199206
雑木林の世界34
土木と建築
「土建屋国家」日本の変貌
布野修司
茨城県木造住宅センターハウジングアカデミーの開校式が華々しく行われた。第一期入校生八名。定員通りである。紆余曲折はあったものの、とにかく開校にこぎつけたのはめでたい。長い間、そのお手伝いをしてきたものとしてはひとしお感慨深いところだ。その発展を心から期待したい。
SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)は、2年目を迎えて模索が続く。SSA(サイト・スペシャルズ・アカデミー)設立を大きな車輪の軸にして、その基盤づくりが当面の目標となるが、その推進役として新たに日本大学理工学部の三浦先生(交通土木)を理事として迎えた。最初の一年は建築の分野を中心に講師を招いてフォーラムを続けて来たのであるが、今年は、土木の分野も含めた展開がはかられることになる。
今年に入って、フォーラムが既に二度開かれたのであるが、一回目(三月二四日)は、鈴木忠義(東京農大)先生、二度目(四月二二日)は花安繁郎(労働省産業安全研究所)先生が講師であった。
「今、なぜ「技」なのか」と題した鈴木忠義先生の講演は、長年の経験を踏まえて「芸」と「技」の重要性を力説され、「職人大好き人間」の面目躍如たるものがあった。面白かったのは「飯場リゾート論」である。飯場をリゾート施設としてつくり、工事が終わった時に地元に運営を委ねたらどうかというのである。一石二鳥にも三鳥にもなる。なるほどと思う。
「建設工事労働災害の発生特性について」と題した花安繁郎先生の講演は、いささか深刻なものであった。建設工事において事故は一定の確率で起こっているというのである。様々なデータをもとにした実証的な研究がもとになっていて迫力があった。建設業界に置いて安全の問題が極めて重要である実態を今更のように思い知らされたのである。
土木と建築というと近いようでいて遠い。僕なども土木の世界というと全く縁がなかった。土木と建築ではまず第一にスケールが違う。ということは扱う金額が違う。それだけでも話が合わないという先入観がある。しかし、今度、SSFを通じて土木の世界の一端に触れてみて思うのは、土木というのが気の遠くなるような手作業を基本としていることである。少なくとも、同じ土俵で考え、取り組むべきことが多いということはSSFに参加して痛感するところである。
土木と建築とは本来相互乗り入れできる分野は少なくない。しかし、両分野には、様々な理由から、歴史的、社会的に壁が設けられてきたようにみえる。縄張り争いもある。都市や国土の基盤整備を担当する土木の分野と、そうした基盤を前提にして空間をデザインする建築の分野には発想や方法の上で違いがあることも事実である。
そこで問題となるのは都市計画や地域計画を考える場合である。全体として考えられ、検討さるべき都市が全く連携を欠いた形で計画されることが多いのである。日本の都市の景観が雑然としてまとまりがない原因の一端は土木と建築の両分野が連携を欠いてきたことにもあるのである。
そうした歴史への反省からであろう。都市景観の問題をめぐって新たな動きが展開されつつある。そのひとつが橋梁のデザインがコンペ(設計競技)によって決定される例が増えてきたことである。はっきりいって、デザインについては、建築の分野に一日の長がある。建築家が橋梁や高速道路のデザインに大いに腕を奮ってもおかしくないし、大いに可能性のあることである。また、デザインのみならず、両分野が連携をとることによって都市に対する新たなアプローチが様々に見つかる筈である。
四月に入って、京都大学で授業を始めたのだが、最初の講義が「建築工学概論」という土木の四年生向けの授業だったせいであろうか、なんとなく、建築と土木の関係について考えさせられる。今、全国の大学の工学部ではその再編成の問題が議論されつつあり、土木、建築の建設系を統合しようという動きも現実にある。
土木の学生に話すのに土木のことを全く知らないというのでは心許ないからと、高橋裕先生の『現代日本土木史』(彰国社 一九九〇年)をざっと読んでみた。「現代日本」というのだけれど、明治以前の記述も三分の一を占めており、しっかりした歴史的パースペクティブに基づいたいい教科書である。近年、各大学で「土木史」の講義が行われ始めたという。土木の世界が変わりつつあるひとつの証左かもしれない。
『現代土木史』を通読してみてつくづく思うのは土木工学がその出自において工学の中心であったという今更のような事実である。シビル・エンジニアリングが何故「土木」と訳されたのかは不明であるが、シビル・エンジニアリングと言えば「土木」のことであったのである。イギリスなどにおいても、シビル・エンジニアの職能団体や学会の設立は建築の場合よりはるかに早い。
お雇外国人のリードで始まる近代日本の土木の展開は、建築の場合とよく似ているが、明治国家にとっての重要度という点では土木の方がはるかに高かった。殖産工業のための産業基盤整備に大きなウエイトが置かれるのは必然である。鉄道、道路、ダム、トンネル、治水、上下水、・・・土木技術が日本の「近代化」を支えてきたことは紛れもない事実である。『現代土木史』がその軌跡を跡づけるところである。
ところが、そうした土木の分野も大きな転換点を迎えつつあるようである。「職人不足」に関わる問題もその転換のひとつの要因である。また、土木技術が自然環境を傷つけ乱してきたという反省もその一因となっている。土木技術に内在する問題が真剣に問われ始めているのである。高橋裕先生は「土木工学は本来土木事業を施工することによって新たな環境を創造するための工学であった。開発行為が拡大し巨大化するにつれ、その行為自体が原環境に与える影響が大きくなると、開発と自然環境との共存を深く考慮することが、土木工学の基本原理として顕在化してきたのである。環境創造の基礎としての土木技術は新たな段階に入ったといえる」と書く。
土木学会は、「地球工学」、「自然工学」、「社会基盤工学」などその改称を考えたのであるが、結局、土木の名を残す事になったという。土木景観への関心から土や木など自然材料が見直されているからでもあろう。
地球環境全体が問われるなかで「土建屋国家」日本は変貌しつつあるし、また、変貌して行かざるを得ない。そのためには、建築、土木の両分野は、垣根をとっぱらう前提としても、まず基本原理を共有する必要があるだろう。景観、自然、サイト・スペシャルズ、・・・キーワードは用意されつつある。
2022年12月24日土曜日
建築のあり方考える原点、長谷川堯,神殿か獄舎か 共同通信,200803
建築のあり方考える原点
「神殿か獄舎か」復刻で
布野修司
一九六〇年代の高度経済成長のクライマツクスである「大阪万国博」の余韻が残るさなかに出版され、いわゆる「全共闘世代」の学生や若い建築家たちに貪るように読まれた長谷川堯の「神殿か獄舎か」が、このほど復刻された。昨年古希を迎えた著者が三十五歳のときの処女論文集である本書に、著者の丁度一回り下の世代である筆者は、その後の仕事の方向を大きく規定されるほどの衝撃を受けた。
「神殿か獄舎か」の分かりやすさは、そのタイトルの二分法に示されている。近代建築を主導してきたモニュメンタル(記念碑的)な建築にのみ関心を抱き、神の如く民衆を見下ろすスタイルを「神殿志向」と規定して全面批判し、建築家は本来「獄舎づくり」だ、と説く。
「神殿志向」の代表が、前川國男、丹下健三とその弟子たちであり、ほぼ同時期に『建築の解体』を書いて、建築のポストモダンの方向をリードすることになる磯崎新もそこではばっさりと斬られている。それに対して、大正期の建築家たち、中でも「豊多摩監獄」の設計者である後藤慶二が、獄舎づくりの象徴として称揚されている。様々な制度、規制の中でしか建築は実現することはない。そうした意味では建築家は所詮獄舎づくりだ。しかし、そうした制約の中で人々が安心して心地よく過ごせる空間をどう作り出すかが建築家の使命なのだ、と長谷川は言い切った。
続いて出版された『雌の視角』(七三年)『都市廻廊』(七五年)も同様で、「雄」か「雌」か、中世か近代か、という明快な二分法が基軸になっている。「(雌に対する)雄」とは、日本の近代建築を大きく規定してきた「構造派」(建築構造学派)のことである。
何故、いま、この名著の復刻なのか。
おそらく、高度成長時代の終焉する状況と地球環境問題で地球そのものの限界が意識される現在の状況が似ているからである。時代が一巡したのである。
著者の示した近代建築批判の方向は、安易な「ポストモダニズム建築」、すなわち、建物のファサード(正面部分)に様式建築のスタイルや装飾を復活させるだけの歴史主義的建築の跋扈(ばっこ)によって見失われてしまった。また、この間の耐震偽装問題の発覚に示されるように、建築家は「安全な」獄舎づくりに勤めることを怠ってきたことになる。
二度のオイルショックを経験した後の八〇年代には、バブル経済が日本列島を翻弄することになるとは夢にも思われなかった。バブルが弾け「空白の一〇年」が続いた。そして二一世紀を迎え、建築界は行方を全く見失ったように見える。
いまこそ「神殿思考」の近代建築の問題を再考すべきではないか。かつて本書を貪るように読んだ世代も、オイルショックの時代を知らない世代も、これからの建築のあり方を考える原点として繰り返し読むべきなのが本書である。実にタイムリーな復刻だと思う。
2022年12月22日木曜日
2022年12月21日水曜日
2022年12月20日火曜日
2022年12月19日月曜日
第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて,雑木林の世界33,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199205
第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて,雑木林の世界33,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199205
雑木林の世界33
飛騨高山木匠塾
第二回 インターユニヴァーシティー・サマースクールへ向けて
The 2nd
Inter-University Summer School
布野修司
一九九二年二月二七日、大阪のメルパルクホールで、AF(建築フォーラム)主催のシンポジウム「闘論・建築の世紀末と未来」(磯崎新・原広司 コーディネーター・浅田彰)が開かれた。壮々たるタレントを配したせいであろうか。千人の聴衆を集めた。これには主催者の一員である僕もびっくりである。開演は一八時半だったのであるが、なんとお昼過ぎには列ができた。建築のシンポジウムでこんなことはそうそうないのではないか。少なくとも僕にとって初めて経験であった。
議論は、日本を代表する両建築家と天才・浅田彰の名司会で実に刺激にみち、充実したものとなった。内容については、今年の秋には刊行される『建築思潮』創刊号に譲るとして(AFでは現在会員募集中 連絡先は、06-534-5670 AF事務局.大森)、なぜ千人もの聴衆が集まったかについて、色々な意見が出た。なんとなく思うのは、バブル経済に翻弄されて忙しく、建築界に議論が余りにも少なかったために議論への飢えがあるのではないか、ということである。東京でなく大阪だったのもいいのかもしれない。スライド会のような講演会ばかりではなく、ちゃんとした議論を行なう場を今後ともAFは続けて行きたいものである。
さて議論の場といえば、飛騨高山木匠塾の第二回「インターユニヴァーシティー・サマースクール」の開催要領案が出来上がった。以下にメモを記して御意見を伺いたいと思う。主旨はこれまでに二度ほど本欄(雑木林の世界23 飛騨高山木匠塾一九九一年七月。雑木林の世界25 第一回インターユニヴァーシティー・サマースクール 一九九一年九月)に書いてきた通りである。気負わずに言えば、建築を学ぶ学生、若い設計者ににできるだけ木に触れさせよう、そうした場と機会を恒常的につくりたいということである。今年も前途多難なのであるが、うまく行けば、秋口に全国から関心をもった人々を募ってシンポジウムが開けたらいいとも考え始めているところである。
●期間 1992年7月25日(土曜)~8月2日(日曜)
●場所 岐阜県高根村久々野営林署野麦峠製品事業所
●主催 飛騨高山木匠塾(塾長 太田邦夫)
●後援 名古屋営林局・久々野営林署/日本住宅木材技術センター/高山市/高根村/AF(建築フォーラム)/サイトスペシャルズフォーラム/日本建築学会/日本建築セミナー/木造建築研究フォーラム(以上 予定)
●1992年度スケジュール(予定)
7月25日(土) 13:00 現地集合
施設整備
7月26日(日) 会場設営
13:00 オープニング・パーティー
夜 オープニング・レクチャー①
7月27日(月) 9:00 山林見学 伐採 製材
フィールド・レクチャー A
夜 レクチャー②
7月28日(火) 9:00 オークヴィレッジ B
森林魁塾 C
夜 レクチャー③
7月29日(水) 9:00 高山見学・屋台会館 D
飛騨産業(家具工場) E
夜 レクチャー④
7月30日(木) 9:00 実習 F
夜 ロシアン・ルーレット・ゼミ
7月31日(金) 9:00 実習
夜 レクチャー⑤
8月 1日(土) 野球大会(オケジッタグラウンド)
ます釣り 他
夜 日本一かがり火祭り
フェアウエル・パーティー
8月 2日(日) 清掃
10:00 解散
●プログラム
○レクチャー ① 太田邦夫(塾長 東洋大学) 世界の木造建築/② 藤沢好一(芝浦工業大学) 木造住宅の生産技術/③布野修司(京都大学) 日本の民家の特質/④ 安藤正雄(千葉大学) 木造住宅のインテリア計画/⑤ 秋山哲一(東洋大学) 木造住宅の設計システム
A 中川(久々野営林署次長)/B 稲本(オークビレッジ主宰)/C 庄司(森林魁塾)/D 桜野(高山市)他/E 日下部(飛騨産業)
講師陣(予定) 浦江真人 村木理絵(東洋大学)、松村秀一(東京大学)、古阪秀三、東樋口護(京都大学)、大野勝彦(大野建築アトリエ)、古川修、吉田倬郎(工学院大学)、大野隆司(東京工芸大)、谷卓郎、松留慎一郎(職業訓練大学)、野城智也(武蔵工業大学)、深尾精一、角田誠(東京都立大学)他
○実習
1。屋台模型制作実習 1/5および原寸部分/2。家具デザインコンペ /3。家具制作/4。足場組立実習/5。施設全体計画立案/6。野外風呂建設 /7。バイオガス・浄化槽研究/8。竈建設/9。測量実習 /10。型枠実習 ●参加資格 木造建築に関心をもつ人であれば資格は問わない
●参加予定 芝浦工業大学・東洋大学・千葉大学・京都大学・東京大学・工学院大学・都立大学・東京工芸大学・職業訓練大学・武蔵工業大学
●参加費 学生 3000円/日(食事代、宿泊費含む)/一般 5000円/日(食事代、宿泊費含む)/但し、シーツ、毛布、枕カヴァーは各自持参のこと。
●連絡先 芝浦工業大学 藤澤研究室(tel 03-5476-3090)/京都大学
西川・布野研究室(075-753-5755)/千葉大学 安藤研究室(0472-51-7337)/東洋大学 太田・秋山・浦江研究室(0492-31-1134)
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